【ウェビナー報告】3.11後の路上に現れた抵抗の知性と希望━━10年後に考える━━


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 2021年2月14日の平和主義研究会は、「3.11後の路上に現れた抵抗の知性と希望━━10年後に考える」というタイトルで、Zoomによるウェビナーとして開催された。伊藤健一郎氏(立命館大学授業担当講師)の司会のもとで、3.11後の日本に現れた新しい抵抗の表現を分析した『不安の時代の抵抗論━━災厄後の社会を生きる想像力』(花伝社、2020年)の著者、田村あずみ氏(滋賀大学講師)の報告、続いてこの本を世に出した花伝社の編集者、大澤茉実氏の報告の後、田村氏と大野光明氏(滋賀県立大学准教授、社会運動研究者)の対談があり、その後参加者に開かれた全体討論が行われた。参加者は登壇者を含めて32名であった。

 2月14日の研究会の概要について、この研究会を企画し、参加した者として、まとめておきたい。この研究会については、報告者、参加者によってそれぞれ異なった理解や受け取り方がありうると思うが、これは君島個人の整理である。

 いまの日本に広がる非平和(peacelessness)状況━━格差、差別、様々な不正義、民主政治の機能不全等々━━に対して、人々の絶望感は深い。しかしそれに対して抗議の声をあげる人は多くない。人々はいまの日本社会の「システム=体制」に自分を適応・順応させることに全力を尽くしており、その「システム=体制」に抵抗しない。人々は抵抗は割に合わないと考えている。存在を軽んじられ、日々の生活に疲れ切った人々はどのようにしたら抵抗できるのか、というのが田村氏の本書の問いである。そして、3.11後の反原発運動にそのヒントを見い出した。

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 非平和の克服、社会変革を志向する様々な理念、理論はあるが、多くの人々はそれらによって動かされることは少ない。人々は極めてシニカルであり、疲れていて、あきらめている。大澤氏は「怒りを奪われてツルッツルになった私たち」と表現する。3.11は「平和な日常」に生じた亀裂であり、この亀裂によってそれまで「閉じた」生活をしていた人々は他者(たとえば東京にとっての福島、他のデモ参加者等)を発見し、様々な情動が生まれた。この情動が出発点である。

 3.11後のデモ参加者が表現した怒りや後悔といった情動から、我々は倫理、政治につなげることができるはずである。ここから、いまの「システム=体制」への対抗ヘゲモニーの方向性もとりうるし、同時にアンチヘゲモニー、アナキズム的な方向性もとりうる。知のあり方も、アカデミックな知と同時にアフェクティブな(情動を喚起する)知もある。田村氏は、社会学者ジョン・ホロウェイの「正しい答えなどない、あるのは何百万もの実験だけだ」という言葉を引用する。いまの日本で人々が持ちうる希望は、正しい方向性を指し示す光(enlightenment、啓蒙)ではなくて、暗闇の中で他者から我々の身体に伝わり、我々を動かす熱ではないか、というのが田村氏の結論である。

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 田村氏の報告のあと、大野光明氏との対談によって、田村氏の考え、意図はより明確になった。大野氏は田村氏に基本的に共感しつつも、両者の違いも浮かび上がった。大野氏は、言葉、理論等の普遍的な知のもつ可能性を比較的重視するのに対して、田村氏はそれらに大野氏ほど期待していない。シニカルで疲れ切っている人々は、理性的な言語や理論では動かない、情動でならば動くと田村氏はいう。また大野氏は、いまの日本で自分の生を抑圧する「敵」が見えないゆえに抵抗が難しいと田村氏はいうが、「敵」が「国家と資本」であるのは比較的明確ではないかという。それに対して田村氏は、多くの人にとって「敵」は「国家と資本」であるというのは見えていないと応じた。

 全体討論は非常に活発なものとなったが、参加者の森啓輔氏(琉球大学研究員)が、「システム=体制」に適応・順応するように規律されている我々の身体を、どのようにその規律から解き放つかが我々の課題ではないか、と発言したのが、とりわけ心に残る。森氏の発言は核心をついたものであると思う。

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 最後に、司会の伊藤氏は、田村氏の本書は日本の現状報告・現状分析であるが、本書で述べられていることは、他の社会にも妥当する普遍的なことであり、他国で翻訳されて読まれる価値があると述べた。人々のシニシズムの深さという点において日本は「最先進国」であり、今後、本書の分析が国境を越えて普遍性を持つ可能性はあるだろう。

 (文責・君島東彦)