生体機能シミュレータと解析ツールの研究開発 | 分子機能の数式化を通じて、生体機能をコンピュータ上に再現

生体機能を数学的な実験式で表現し
定量的・包括的に解析する試みに挑戦しています。

私たちのプロジェクトは、生体を構成する分子の機能を数式で表し、それらを統合して、細胞、組織、器官などの生体機能をコンピュータ数理時空間上に実現することを目指しています。抽象的・概念的な数式化ではなく、ゲノム科学、生化学、生理学領域で蓄積されてきた科学的実験成果を用いることで、生体機能を時間軸、空間軸で再現できます。

これまでの医学は、文章記述によって論述的に表現されるのが一般的で、科学的な理論づけや、普遍化の視点が欠けていました。生体機能を数学的な実験式で表現し、定量的・包括的に解析する試みは、世界に先駆けた革新的な挑戦です。実現すれば、例えば、ユーザーインターフェースを駆使し、生体機能を支える分子や病態のメカニズムをグラフィック上で解説するなど、病態、治療、薬物応答などのシミュレーションが可能になります。既存の医療技術の向上はもちろん、教育ツールとして活用することで人材育成にも力を発揮することもできるでしょう。さらには、医療以外の領域からの人材の参入を飛躍的に促進することも可能にするでしょう。今後の医療の発展への貢献度は計り知れません。

私たちはまず、心筋細胞の機能モデルを実現しました。このモデルは、心電図の基礎となる細胞の電気的活動を再現できるだけでなく、細胞の収縮、心拍リズムの形成、さらには、エネルギー代謝、細胞容積調節、自律神経による制御など、医学書に解説されている心筋の生理学的機能をコンピュータ上に再現することができます。また、狭心症や心筋梗塞など、酸素が不足することで起こる虚血性心疾患の病態が、ミトコンドリア機能の破たん、エネルギー代謝の異常による細胞内イオン濃度の変化、収縮性の障害、二次的細胞内pH制御の破たんなどが原因で、重篤な病態に陥る詳細なメカニズムを明らかにすることもできました。このモデルは、病気治療の方針を考える上での基礎的な知見を与えるものです。

すい臓のインスリン分泌細胞のモデルを開発し
メカニズムをコンピュータ上に再現しました。

次に心筋細胞モデルを開発した方法論を生かして、すい臓のインスリン分泌細胞のモデルを開発しました。血糖値が高まると、すい臓からインスリンが分泌され、血糖値を下げることは、多くの人がご存じでしょう。この働きを担っているβ細胞は、血糖値(血漿中のグルコース濃度)の上昇を感受すると、ATP(注1)代謝を促進します。これによって細胞内のイオン濃度やATP代謝で出される中間産物濃度などが変化し、細胞膜上に分布するイオンチャネルによって細胞膜の電気的活動が変わります。この電気活動の変化は細胞内のCaイオン濃度を変化させ、これが刺激となってインスリンの分泌が促進されます。

すい臓のβ細胞モデル

私たちは、この複雑な過程を構成するそれぞれの分子反応ステップを数式で表現し、細胞モデルに統合することで血糖値に応じてインスリンを分泌する細胞モデルを作成しました。このモデルを医学生理学的な解析と比較検討したところ、実際に外液のグルコース濃度に応じて細胞内のATP代謝の促進、細胞膜の電位の変化、Caイオン濃度の変化を経てインスリンの分泌が促進される過程を再現しうることが実証されました。このように細胞の電気的な活動、細胞内のイオン濃度制御、エネルギー代謝を組み込んだ包括的なシミュレーションモデルを作成したことは、他に例を見ない画期的な成果です。これによって、これまで実験研究による記録しかなかった細胞の振る舞いを、コンピュータ上で再現できるようになりました。

細胞機能を数学モデルで再現できると、細胞を使った実験をコンピュータ上で再現し、更には新しい実験をシミュレートできるようになります。細胞機能を数学的に解析して、細胞の働きを支えている膨大な種類の分子各々の役割を定量的に示すこともできます。分子の働きといっても、ほとんど全てのタンパク分子の働きは、他のタンパク分子から直接あるいは間接的に、常に影響を受けています。この分子-分子間の相互作用、言い換えれば、協調的な働きこそが、安定した体の働きを実現するカギなのです。逆にみると、正常な分子-分子間の相互作用が異常になった時に病気になるといえます。この意味で細胞がそれ自身複雑系であるといわれていますが、この複雑な機能を解析するのに最も適した手段が、コンピュータ技術です。数学的解析を細胞モデルに適用することで、時々刻々ダイナミックに変化する分子-分子間相互作用をコンピュータグラフィック上に可視化することができるようになりました。

(注1) ATPAdenosine Triphosphate(アデノシン三リン酸)

数学モデルの連立方程式を解くことで
細胞の状態変化を定義することができました。

以上に加えて、細胞機能の「動作モード、あるいは様式変化」を数学的に定義することにも成功しました。私たちが作成したインスリン分泌細胞モデルのプログラムは、十数行の連立常微分方程式で表現した数学モデルとして理解することができます。細胞機能の「モード変化」を知りたければ、時間軸に沿ってこの連立方程式の解を求めていけばいいわけです。これによって、実際にモデルを駆動してシミュレーションを行わなくても、細胞の動作モードを数学的に定義することができます。動作モードを知ることは、医療現場で治療の予測や薬剤投与のコントロール精度を高めることにつながります。

次の課題は、エネルギー代謝をより実態に即したミトコンドリアモデルの中に位置づけることです。ミトコンドリアは、糖、脂肪、アミノ酸からエネルギーを得るための細胞内小器官です。これまでミトコンドリアの数学モデルはいくつも発表されていますが、数学的な解析はいまだなされていません。しかしすでに私たちはミトコンドリア代謝の中心的な部分を占めるTCA(注2)サイクルをモデル化し、その入出力特性を解析する段階にきています。さらにその上流にある解糖系(注3)と、下流の酸化的リン酸化反応モデルを結合する試みがなされつつます。

もう一つの課題は、人材育成です。数学的手法に通じ、新たな側面から医療・医学の発展に貢献できる人材を育てることにも努めていきます。

Quarterly Report vol.05 2011年4月10日

(注2) TCATricarboxylic Acid(トリカルボン酸=クエン酸やイソクエン酸などカルポキシル基を三個もつ有機酸)
(注3) 解糖系 … 糖(グルコース)を分解する代謝回路。グルコースを代謝して生じたピルビン酸が、ミトコンドリアの細胞質内のTCA回路に入り、エネルギー生成に用いられる。

野間昭典 教授

野間昭典 教授

1969年 広島大学医学部卒業。'77年 広島大学医学研究科博士課程修了。医学博士。'77年 ドイツ、ザール大学医学部訪問研究員。'79年 岡崎国立共同研究機構生理学研究所助教授。'85年 九州大学医学部教授。'93年 京都大学医学部教授。'08年 立命館大学生命科学部教授、現在に至る。日本生理学会、日本循環器学会に所属。

研究者の詳しいプロフィール
立命館大学研究者データベース:野間昭典

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