STORY #6

医療の
費用対効果を考える

村澤 秀樹

生命科学部 助教

医療費増大の原因は、
高齢化よりもむしろ「医療の高度化」
にあるのではないか。

病気やケガで治療を受けた時にかかる医療費は果たして治療効果に見合った価格といえるだろうか?
「日本では数年前まで明確なかたちで医療の『費用対効果』が語られたことはありませんでした」。そう語る村澤秀樹。「高齢化の進展によって医療費が増大し、国家財政に濃い影を落としていると定説のように語られますが、厚生労働省が審議会で示した医療費増大にかかる要因の分析結果によると、高齢化の影響が1.2%であるのに対してその他の要因はおよそ2倍の2.7%もあるのです」と明かす。そして「その他の要因」の中で最も大きく影響していると考えられているのが、「医療の高度化」だという。

「医療費が年々増大しているのはまぎれもない事実ですが、要因を見過せばその対策も的外れなものになってしまいます。高齢化は食い止められませんが、限りある医療資源の配分を見直すことにより、医療費の増加スピードに歯止めをかけることは可能かもしれない。公平性を保ちつつ、最先端の医療技術を取り入れて質の高い医療水準を保ち、日本の医療制度を維持していくためには『医療の効率性』を高めるしかありません」。

現在医療経済学を専門とする村澤だが、もともとは分子生物学分野での遺伝子や細胞の基礎研究から研究者の道を目指していた。しかし、その後厚生労働省に十数年間勤務し、健康寿命の延伸に関わる部署などを歴任したというユニークな経歴を持つ。さらに2015(平成27)年には北海道大学で住民の健康状態を把握する大規模な疫学調査に参画するなど公衆衛生学・疫学にも見識を広げる。

こうした多彩な経験が村澤の研究の独自性を際立たせる強みだ。「分子生物学の基礎研究から公衆衛生学・疫学、医療経済学まで多様な領域で培ってきた知見を活かし、基礎研究と政策立案をつなげる『かけはし』を提供したい」と使命感に燃えるが、そのためにはまずは客観的なデータに基づく現状把握が欠かせない。その一つがこれまで日本であまり研究されていなかった「医療の費用対効果」の研究である。

QOLを構成する領域(生命科学部 下妻晃二郎教授 作成)

OLを構成する領域
(生命科学部 下妻晃二郎教授 作成)

QOLを構成する領域(生命科学部 下妻晃二郎教授 作成)

QOLを構成する領域
(生命科学部 下妻晃二郎教授 作成)

「医療の費用対効果を分析する手法にはいくつかありますが、私が主に用いているのは、『費用効用分析』です」。村澤の説明によると、これは「生活の質(QOL:Quality of Life)」を評価に取り入れた分析法で、生存年数と健康に関連したQOLの両方を考慮した質調整生存年(QALY :Quality Adjusted Life Years)を効果の指標とし、既存の医療費からの増額分/増分効果を算出することで1QALYあたりの費用を比較分析する。

例えば重篤な病気になったと仮定して、ある新薬や治療により健康な状態(QOLの改善)が伸びる年数(QALY)と、既存の薬剤のQALYを、費用とともに天秤にかけ、その費用当たりの効果がどの程度なら薬や治療(の支出増加)を受け入れるかを科学的に検討する。これによって高額だが治療効果の高い新薬と従来の医薬品のどちらを選択する方が経済的でかつ生存期間の延長のみではなくQOLの改善を含む治療効果が望めるかを推定することができる。

QALYの概念図

QALYの概念図

費用効用分析の評価指標:増分費用効果比 Incremental Cost - Effectiveness Ratio (ICER)

費用効用分析の評価指標:増分費用効果比
Incremental Cost - Effectiveness Ratio (ICER)

QALYの概念図

QALYの概念図

費用効用分析の評価指標:増分費用効果比 Incremental Cost - Effectiveness Ratio (ICER)

費用効用分析の評価指標:増分費用効果比
Incremental Cost - Effectiveness Ratio (ICER)

さらに村澤は少子化と女性の健康の関係にも関心を向けている。2060年には全人口に占める65歳以上の割合は約40%に達する一方、現在74%を占める65歳未満の人口割合は60%にまで低下すると予測されている。とりわけ出産を担う女性の健康は少子化に重大な影響を及ぼすと考えられ、2015(平成27)年に厚生労働省健康局内にも「女性の健康推進室」が新設されるなど女性の健康への関心は国を挙げて高まっている。

中でも村澤が注目しているのは介護施設などで保健医療に従事する女性の労働と健康の関係だ。「海外では女性の医療従事者の労働環境が流産や早産のリスクを高めるといった研究成果がいくつも報告されています。母親の胎内に宿ったにもかかわらず生まれることのできない命がある。少子化を嘆く以前にこの理不尽を解決する方が先決ではないでしょうか」。そう言う村澤は日本ではまだほとんど研究されていないこの課題について実態調査から始めようと準備を進めている。

「女性は男性に比べ、ライフステージごとのQOLの重みに大きな変化があると予想される。その変化について知る必要がある」と村澤。男性に比べて平均寿命が長い女性の健康関連QOLを評価し、健康寿命の延伸に寄与する一方で、子どもを産み・育てやすい健康状態をQOLの視点から評価することで少子化対策の一助になりたいと語る。疫学や医療経済学などから得た多角的な視点がこれからいっそう役立つことになるだろう。

村澤 秀樹

村澤 秀樹
生命科学部 助教
研究テーマ:保健医療政策の推進に寄与する科学的根拠の形成、保健医療における費用効果分析
専門分野:医療技術評価学、分子生物学、細胞生物学、疫学・予防医学、衛生学・公衆衛生学

2017年2月13日更新