STORY #9

人類の「負の遺産」を訪ね、
悼み、祈る旅

遠藤 英樹

文学部 教授

災害がおきた場所の人々に
思いを馳せ、悲しみを共有する
「ダークツーリズム」とは?

広島県にある原爆ドームは原爆の恐ろしさや悲惨さを生々しく伝える場所として、戦後70年を経た現在も国内外から訪れる人が絶えない。戦争だけでなく、自然災害など人が体験した悲しみの記憶を留める場所が、時を経て観光地となる例はたくさんある。こうした人類の「負の遺産」を訪ねる観光が「ダークツーリズム」と呼ばれ、新たな脚光を浴びている。観光社会学を研究してきた遠藤英樹も「ダークツーリズム」に関心を寄せる一人だ。

「まだ研究の歴史が浅く、研究者の間でも定義が一致しているとはいえない」と前置きしながら、遠藤はダークツーリズムを「災害や戦争など死や苦しみと結びついた場所を旅する行為」であり「人類の悲しみの記憶を巡る旅」と説明した。例えば戦争やテロ、社会的差別、政治的弾圧、公害や事故といった人為的にもたらされた「死や苦しみ」と結びついた場所を訪問する行為がそうだ。第二次世界大戦中にナチス・ドイツによって数多くのユダヤ人が虐殺された「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」は、「負の世界遺産」としてユネスコの文化遺産に登録されている。また2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した同時多発テロ事件の被害を受けた「ワールド・トレード・センター」跡、通称「グラウンド・ゼロ」にも多くの人が訪れる。そのほか地震や火災といった災害によってもたらされる「死や苦しみ」と結びついた場所へのツアーも「ダークツーリズム」といえる。1995年の阪神・淡路大震災の後に創設された「人と防災未来センター」を訪れる例もその一つだ。

広島平和記念公園・原爆ドーム

広島平和記念公園・原爆ドーム

ワールド・トレード・センター跡、グラウンド・ゼロ

ワールド・トレード・センター跡、グラウンド・ゼロ

では「ダークツーリズム」とこれまでの「負の遺産を訪ねる旅」とは一体何が違うのか? その問いに遠藤は「重要なのは、負の遺産を訪ねるという『現象』ではなく、『ダークツーリズム』という統一『概念』で括ることでその目的や意味を顕在化すること。ツーリストが悲しみを経験した人々に思いを馳せ、悼み、祈る気持ちを抱いて初めて『ダークツーリズム』といえるのです」と答える。「ダークツーリズム」においては、ある事柄を「ダークネス」として、それに対して「ツーリストのまなざし」を向けさせ、悲しみ、怒り、怖れなどの感情を呼び起こさせるものでなければならない。たとえ被災跡が保存されても、また歴史的にどれほど重要であったとしても、それが「観光されるべきダークネス」として構築されない限り、その場所は「ダークツーリズム」の対象にはなり得ないということだ。それを如実に表す例を遠藤は紹介した。

「シンガポール南部・セントーサ島にあるシロソ砦は、日本軍がシンガポールを攻略した際に激戦地となりました。現在は『シロソ砦の戦争記念館』が建てられ、ガイドツアーも行われています。ところが一方でセントーサ島はカジノやユニバーサル・スタジオ・シンガポール、海洋水族館などが林立する一大リゾート地です。現在ではむしろそうした明るく楽しいリゾートとして世界に強く打ち出されており、戦争の跡地としての負の側面はほとんどかき消されています。何をダークネスとするのかは、社会のあり方によって変わるということです」。

ダークツーリズム

だが、悲しみを経験した人々に対する悼みや共感を生む「ダークツーリズム」は、一つ誤ればまったく逆の効果を生み出す装置にもなってしまう。「負の遺産」を観光地化することに「人々の悲しみを観光に利用している」という批判があるのもそのためだ。

「その点で『ダークツーリズム』は人々の倫理観とも深く関わっている」と遠藤は言う。記憶に新しい2011年の東日本大震災の被災地は、自然災害と同時に原子力発電所の事故という人為的な要素の複合によってもたらされた「死や苦しみ」の場所である。一部の専門家の間ではこの場所を「ダークツーリズム」に基づいて観光地化しようという議論があるが、遠藤自身は慎重な姿勢を崩していない。「今なお深い悲しみの淵を歩き続けている人がいる場所を観光で見てまわるというのは、とても残酷な行為ではないでしょうか。そのことを考えると、少なくとも、あまりに記憶が生々しい間は人々の悲しみに寄り添うことも難しいのではないかと考えています」。

「ダークツーリズム」が光を当てた新しい観光のあり方をどう生かしていくのか。遠藤は答えを探し続けている。

シンガポール・シロソ砦

シンガポール・シロソ砦

知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館

遠藤 英樹

遠藤 英樹
文学部 教授
研究テーマ:観光を基軸とした地域研究、観光とポピュラーカルチャーの相互作用に関する考察、観光的ナショナリズムの考察、人文・社会科学における「観光論的転回」
専門分野:観光社会学、観光メディア文化論、現代文化論、社会調査法

storage研究者データベース

2016年3月28日更新