SPECIAL FEATURE:巻頭鼎談

「食文化」研究の
来し方行く末

石毛 直道

国立民族学博物館 名誉教授

フランソワーズ・サバン

フランス国立社会科学高等研究院 教授

朝倉 敏夫

立命館大学経済学部 教授

経済学部教授の朝倉敏夫は、「食」を通して韓国社会に迫る研究者。2016年12月4日、びわこ・くさつキャンパスにて開催された
「立命館大学・国立民族学博物館学術交流協定締結記念第2回国際シンポジウムおよび第6回アジア食文化会議(亜洲食学論壇)」に
国内外から参加した2名の著名な食文化研究者と共に、食文化研究の未来について語り合いました。

世界100ヶ国の「食」を探検し、
「食文化」という未開分野の探求を決意

朝倉 まず石毛先生とサバン先生、お二人が食文化研究に携わるきっかけをお聞かせください。

石毛 食文化研究に足を踏み入れたきっかけは「結婚」かもしれません。結婚を決意したのは京都大学人文科学研究所の助手だった時です。安月給の上に飲み屋にツケも溜まっていて「このまま結婚したのでは格好がつかない」とツケを返すための方策として思いついたのが本を書くことでした。大学で文化人類学を専攻して以降、太平洋の島々などで数多くのフィールドワークを行う中で珍しい食べ物をたくさん食べました。その体験を綴ったのが最初の著書『食生活を探検する』(1980)です。
執筆して気づいたことがありました。それは「食文化」研究が未開拓の研究分野だということです。栄養学や農学など科学的な視点から食を扱う研究はありましたが、人文学的な領域で食文化を扱う研究は当時の日本にはありませんでした。大学時代に探検部に所属していた私にとって、未開の地の探求ほどおもしろいことはありません。「食文化」という新しい分野を開拓しようと研究を始めました。

朝倉 世界100ヶ国以上を股にかけ、「鉄の胃袋」を持つとの異名を取った石毛先生らしいユーモアあふれる研究動機ですね。私も石毛先生と同じく文化人類学から韓国社会について研究してきました。研究のベースとなるフィールドワークは、現地で一般家庭にお邪魔し、食事を共にすることから始まります。さまざまな家庭料理を食べる中で、「食」がその国の社会や文化を知る非常に有効な手がかりであることに気づきました。「食」に焦点を当てて研究するようになったのはそれからです。サバン先生はいかがですか。

サバン 私の食べ物への関心は母を通して育まれました。欲しい食材が何でも揃う時代ではありませんでしたが、母はいつも情熱を傾けておいしい食事を作ってくれました。とはいえ研究対象として食を見るようになったのはずっと後のことです。ソルボンヌ大学で中国語を専攻して以来、大学院でも主に中国語の翻訳に取り組んできました。1980年代初頭にフランスやイタリアの食べ物の歴史について学ぶグループに参加した時も、あくまで興味の一つでした。食の歴史を本格的に研究し始めたのは、1983年に初めて中国に赴いた時からです。まず中国料理を知るために台湾で6か月間中国料理のレッスンを受けました。幸運だったのは、その少し前に中国で民主化という大きな政策転換があり、国策として食産業が推進され始めたことです。その一環として食に関する中国の古い文献を現代中国語に翻訳し、出版するという仕事に携わる機会も得ることができました。

フィールドワークと文献調査
食文化研究の二つのアプローチ

朝倉 同じ食文化研究でもお二人のアプローチはまったく異なります。それぞれの研究手法を聞かせてください。

石毛 文化人類学における研究の基本はフィールドワークです。食を理解する上でもまず自分の口に入れて食べてみることを重視しています。イタリアでパスタについて調査した時には10日間にわたって一日三食、それも一度に4種類ものパスタを食べ続けました。レストランではパスタだけでなくメインディッシュやデザートも出てくるので大変です。帰国する頃にはすっかり体調を壊してしまいました。
またフィールドワークを続けていると、「食」が人と人とをつなぐ重要なコミュニケーション媒体になり得ることを実感します。ニューギニアの未探索地域に行った時、弓矢を構えた現地の人々に囲まれたことがありました。その際に彼らにとって貴重な食物である塩を出して舐めさせたら、途端に警戒を解いて受け入れてくれました。

朝倉 同感です。私が韓国でフィールドワークを行う際にも、調査にうかがった家庭でふるまわれた料理をおいしく食べることで信頼してもらえました。

サバン 私は文献を通じて歴史的な視点から食文化を研究しています。フランスとイタリアの食の歴史を研究した時には中世のフランス語やラテン語、イタリア語の料理の文献を翻訳するだけでなく、レシピをもとに実際に料理を作ってみました。当時と同じ食材を探す苦労に加えて困ったのが、材料の表記はあってもその量まで正確に記されていないことでした。例えば「たくさんのシナモンを入れる」と書かれている場合、どのくらいの量を入れるべきかが分かりません。そうした苦労を何とか乗り越え、数多くのレシピを再現しました。また同じく食文化研究者である夫と共に、ルネサンス期や7世紀のフランスの料理の文献もひも解き、レシピを再現しました。取り上げた地域はイギリスや南イタリア、フランス、スペイン、ドイツなど多岐にわたります。同じ欧州の国々のため互いに似ていながらも微妙に違うのがおもしろいところでした。
さらに1985年から2年間日本に滞在したことで、中国の食の歴史についても知識を深めることができました。当時は当事国である中国よりも日本の方が中国語の文献が充実していたことから中国の食に関わるさまざまな歴史書をあたり、中国とフランスの食文化についての比較研究も行いました。

朝倉敏夫 Toshio Asakura
朝倉敏夫 Toshio Asakura

1950年東京都生まれ。武蔵大学人文学部卒業、明治大学大学院政治経済学研究科博士後期課程満期退学。専門は社会人類学、韓国社会論。国立民族学博物館教授を経て、同館名誉教授、2016年4月より立命館大学経済学部教授、同国際食文化研究センター長。著書『コリアン社会の変貌と越境』(臨川書店)、『世界の食文化:第1巻 韓国』(農山漁村文化協会)、『日本の焼肉韓国の刺身-食文化が“ナイズ”されるとき』(農山漁村文化協会)他多数

アジアの「麺」とヨーロッパの「パスタ」
それぞれの起源と違いを探る

朝倉 お二人とも多くの著作をお持ちですが、「麺」についての本を執筆されているという共通点があります。石毛先生は『文化麺類学ことはじめ』(1991)を出版され、サバン先生の著作では『パスタの歴史』(2012)が日本語に翻訳されています。

石毛 当時アジアの麺類の歴史について総合的に著した記録がなかったため、「自分で調べてみよう」と中央アジアのさまざまな国を回って調査しました。アジアの麺は小麦粉を原料とし、作り方には主に5つの技術がありますが、それらはすべて中国を起源とすることを突き止めました。また調査によって中国の麺類は中央アジア以西のカスピ海東岸まで伝わっていたことも明らかになりました。

サバン 『パスタの歴史』では歴史的な資料をもとにヨーロッパと中国で育まれたパスタ文化の変遷をまとめました。私が調べたところでも、中国の影響はカスピ海にまで及んでいます。例えばトルコには明らかに中国から伝わった「マンティ」と呼ばれる食べ物があります。また同書では調理方法にも言及しています。中国では手で撚ったり、伸ばしたりして麺を作りますが、イタリアでは棍棒で伸ばし、素手を使うことはありません。そうしたヨーロッパとアジアの調理法の違いもおもしろいところです。

朝倉 著作にもお二人の研究手法の違いが如実に表れていて興味深いですね。

石毛直道 Naomichi Ishige
石毛直道 Naomichi Ishige

1937年千葉県生まれ。京都大学文学部卒業、農学博士。専門は文化人類学(食事文化、比較文化)。国立民族学博物館教授、館長を経て、同館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。第24回南方熊楠賞受賞。著書『住居空間の人類学』(鹿島出版会)、『食事の文明論』(中央公論社)、『魚醤とナレズシの研究―モンスーン・アジアの食事文化』(岩波書店)、『食卓の文明史』(岩波現代文庫)、『石毛直道自選著作集』全12巻(ドメス出版)他多数

「食」を深く掘り下げる研究を
次代の食文化研究者に期待

朝倉 日本における食文化研究のまさにパイオニアである石毛先生は今、日本の食文化研究をどのようにご覧になっていますか。

石毛 私が食文化研究を始めた1970年代は「男が『食』について論じるなんて恥ずかしいことだ」などと言われ、れっきとした学術分野として認められないような風潮がありました。それが時と共に食に対する関心が高まり、今では食文化をテーマに博士論文を書く若い研究者も増えています。またこのたび立命館大学で食科学部が新設されると聞きました。すばらしいことだと思っています。

朝倉 食科学部は人文科学・社会科学・自然科学の学際的な視点で「食」を総合的に教育・研究する日本初の学部です。今後名実ともに食に関わる日本一の学部へと成長させていきたいと考えています。
最後にこれからの食文化研究を担う次代の研究者にメッセージをお願いいたします。

サバン フランスでも食文化に興味を持つ若い研究者は少なくありませんが、その多くが経済学などのある専門分野からアプローチするテーマの一つとして食文化を捉えており、食文化そのものを深く探求する研究者は少ないように感じています。まず食そのものに焦点を当て、掘り下げて理解を深める姿勢も必要だと思います。

石毛 食は誰にとっても生きる上で欠かせない身近なものです。自分とは縁遠いところに関心が向きがちですが、自分自身やその周囲も貴重な研究対象なのだという視点を持つと、新たな視界が開けるのではないかと思います。

朝倉 本日はありがとうございました。

フランソワーズ・サバン Françoise Sabban
フランソワーズ・サバン Françoise Sabban

フランス国立社会科学高等研究院教授。日仏会館フランス学長(2003-2008年)。専門はアジアとヨーロッパにおける食の歴史と人類学でとりわけ中国食文化の研究家として著名。著書『パスタの歴史』(原書房)、Un aliment sain dans un corps sain — Perspectives historiques (Presses universitaires François Rabelais)、Les seductions du palais : Cuisiner et manger en Chine (Actes Sud Editions) 他多数

2017年4月10日更新