STORY #3

モンゴルの牧畜民の暮らしを
支える「白い食べもの」。

冨田 敬大

立命館グローバル・イノベーション研究機構 専門研究員

20世紀、モンゴルの乳製造業が
辿った道程を追う。

見渡す限り続くモンゴルの大草原。遠くに小さく見えるゲル。家畜を連れた牧畜民(以下、牧民)たちが悠々と進んでいく。多くの人がモンゴルに抱くイメージは、13世紀初めにチンギス・ハーンによってモンゴル帝国が築かれて以降続いてきた姿と変わらない。

冨田敬大は「学術界においても20世紀以前のいわゆる伝統的なモンゴルと現代との間を埋める研究が少ない」と指摘する。「1920年代以降の社会主義時代に対する検証なしにモンゴルの『今』を語ることはできない」と考える冨田は、モンゴルの基幹産業のひとつである「牧畜業」に焦点を当て、20世紀の社会経済変動のもとでモンゴルの畜産物の生産、消費、流通がどのように変化したのかを研究している。とりわけ1920年代以降の社会主義化、1990年代の民主化・市場経済化の影響を検討することで、モンゴル牧畜社会の変容を新たな視座から捉えようとしている。

モンゴルの牧民にとって肉や乳製品は極めて重要な食料資源である。肉類は「赤い食べもの」、乳製品は「白い食べもの」と称され、人々の生きる糧となってきた。冨田によると、モンゴルでは伝統的に家族単位で家畜を飼い、自足的に肉や乳製品を消費してきた歴史がある。中でも冨田が着目する乳製品のバリエーションは豊富で、長い年月の中で牧民たちは複雑で多様な乳加工技術を蓄積した。

冨田が詳らかにしたところによると、社会主義国家であるモンゴル人民共和国が誕生した1924年以降、家畜の飼育や流通の形態が大きく変わる。「以前は基本的に家庭内での自足的な消費が中心であったのが、1940年代初めから肉や毛・皮革、乳などの国家調達が始まり、乳製品の加工も国を挙げて工業方式で行われるようになりました」。

乳製品の中でも隣国ソ連の影響で作られるようになったのがバターだ。ソ連の援助のもとで保存・加工施設を備えた近代的な乳加工工場が建設されるとともに、製造の担い手となる乳生産組織が編成され、組織的なバターの製造網が全国に形成されていった。第二次世界大戦後、肉や毛皮と比べて輸出産品としての乳製品の重要性が相対的に低くなり、1950年代末をピークに製造量は緩やかに減少していった(1970年にはピーク時の半分近くまで低下)。一方で都市のインフラ整備や工業化が進んだことで急増した都市人口に食料を供給する目的で、1960年代半ばから首都圏の国営農場に機械化された酪農場が設置され、都市への牛乳の供給が始まる。1970年代初頭からは牧畜協同組合が政府の補助を受けながら牛の飼育、搾乳、乳の集荷、加工を一貫して行うようになり、都市消費者向けのバターの生産量も回復していった。

ウルムとよばれるクリーム

ウルムとよばれるクリーム。ほんのりと甘く、美味。

食べ切れなかったウルムは、保存しておき、冬の食料にする。

生乳からクリームを抽出する。大鍋で加熱しながら、ひしゃくですくい落とす作業を繰り返す。(写真左)
残った脱脂乳で作ったヨーグルトを加熱凝固させたのち、布に入れて脱水する。(写真右上)
脱水して得たタンパク質のかたまりを、天日で乾燥させる。できあがった乾燥チーズは、アーロール(ホロート)とよばれる。固くてとても酸っぱいが、長期保存が可能である。(写真右下)

こうした研究からは、社会主義体制下でバターを中心とした乳製品の生産・流通が組織化され、集約的に行われるようになった過程が見て取れる。「とはいえ単純に畜産業化のプロセスを一元化できないのが興味深いところ」と言う冨田は、モンゴル国北部のボルガン県でフィールド調査を実施し、実際の牧民の声を集めることで文献では明らかにできない畜産業の変遷を捉えた。畜産業の組織化の一方で、各世帯での伝統的な乳製品の生産も衰退しなかったという事実を突き止めたのもその一つだ。

冨田の調査によると、1970年代初頭の牧畜協同組合による組織化以降、個人所有の家畜にも乳の供出が義務づけられるなどの締め付けが行われたにも関わらず、各牧民は自分たちの住む地域内や家庭内で消費するために小規模な乳製品作りを続けた。それが民主化以降、現在に至るまでの個人世帯による都市近郊での乳製品の販売へとつながっていく。

1990年代初頭、民主化・市場経済化によって社会主義体制のもとで集団化された牧畜生産システムは崩壊する。「特徴的なのは、都市周辺に住む牧民たちが、組合レベルではなく家族や複数世帯といった小規模な組織で伝統的な乳製品を作り、都市部に供給する仕組みができあがったことと、牧民の定住が進んだこと。とりわけ家畜の所有頭数の少ない世帯ほど乳製品製造・販売に力を注いでいる点が目を引きます」と冨田。保存に限界のある乳製品を遠方に供給するのは難しい。都市近郊という物理的な居地に加え、少ない家畜頭数でいかに多くの収入を得るかという牧民の戦略が現代の乳製品産業の維持にひと役買っているという。

冨田はフィールドワークに赴き、実際に牧民の生活に触れる中で畜産業の実態を立体的に浮き彫りにした。こうした結果は、都市近郊に定着した牧民による環境破壊の問題や、社会主義時代を顧みることなしに進められる国際開発援助など現代モンゴルの直面する課題にも新たな光を当てる。さらに冨田は、研究を通じて屠畜や肉の加工、乳製品の製造プロセスを詳らかにすることで、不可視化されがちな牧畜業の実態も白日の下にさらそうとする。それは無自覚に肉や乳製品を食べている日本人にも多くの疑問を投げかけてくる。

チーズの抜き型

チーズの抜き型。いろいろなかたちがあって、楽しい。

乳製品の販売

近くの都市にある市場では、牧民たちがつくったさまざまな乳製品が売られている。

冨田 敬大

冨田 敬大
立命館グローバル・イノベーション研究機構 専門研究員
研究テーマ:近現代モンゴルにおける人間=環境関係の変容に関する研究
専門分野:文化人類学、近現代モンゴル社会史

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2017年5月22日更新