STORY #4

証券取引に影響を与える「後悔」の感情

秦 劼

経済学部 教授

感情的な要素を考慮しながら
証券取引を理論的に説明する。

長蛇の列ができた人気レストランと、閑散として客の気配のないレストランが並んで建っている。昼食をとるならどちらのレストランを選ぶだろうか?

多くの人は店の味に関係なく「行列ができているから」という理由で前者を選ぶ。人間は合理的に物事を判断して自分の行動を決定するのではなく、多くの人と同じ行動をとることに安心し、追従してしまう傾向があるからだ。「行動経済学ではこうした行動を『ハーディング現象』と呼びます。株式市場でも投資家の多くは各株式について深く吟味することなく、単に『皆が買っているから』という理由で特定の銘柄に殺到します。世界中を大混乱に陥れたリーマン・ショックも、サブプライムローン関連商品の購入が過熱したハーディング現象の結果だと考えられています」。そう解説した秦劼は行動ファイナンスを専門として特に「ハーディング現象」に関心を持ち、さまざまな研究成果を残してきた。秦の研究の独創的な点は、証券市場の分析に「感情」を持ち込んだところにある。

「従来の投資理論は、投資家が合理的に行動することを前提として構築されたもので、感情的な要素は考慮されません。しかし感情が人の意思決定や行動に大きな影響を及ぼすことは、脳神経科学や心理学の研究でも明らかにされています」。秦は感情の中でも「後悔」に着目し、それが証券市場に与える影響を分析。「後悔」の因子を組み込んだこれまでの理論にない証券取引モデルを構築し、世界に大きなインパクトを与えた。

Regret-CAPM(上・中)/従来の資本資産評価モデルCAPM(下)

秦が構築したRegret-CAPM(上・中)。従来の資本資産評価モデルCAPM(下)に「後悔」という感情を組み込んだ。

ネガティブな感情の中でもひと際「意思決定」に対する影響力が高いとみて秦が選んだのが「後悔」の感情だ。実際「後悔」の感情の影響を考慮して「ハーディング現象」を捉えたらどうなるか、理論化を試みた。「例えば、強気な投資家と弱気な投資家がいたとします」と例を挙げた秦。もし各々が手持ちの情報をもとに客観的に意思決定し、証券市場で合理的に行動すれば、株式価格とその資産価値は正しい均衡になるはずだ。「一方、『後悔』の影響を考慮した場合、弱気な投資家は判断を誤って後悔することを恐れて市場から撤退するため、市場には強気な投資家ばかりが残り、買いが増えて株式価格は上昇していきます。とはいえこの場合、取引量はそれほど多くなりません。しかし『後悔』の念は自分が誤った行動をとった時だけでなく、『何もしなかった』ことに対しても湧くものです。つまり一度は市場を出た弱気な投資家も株価の上昇を目にすると『買わなければ後悔するかも』という心理が働き、市場に戻ってくる。この結果市場は大量の買い注文であふれ、バブル状態となるというわけです。この逆の現象がクラッシュすなわちバブル崩壊です」。秦はこの一連のプロセスを説明する数理理論モデルを構築。世界で初めて「後悔」という感情因子を入れて「ハーディング現象」を理論的に説明してみせた。投資を誤ることに対する後悔のみならず、「投資しなかった」場合の後悔の両方を加味してモデル化できたのも秦だけだ。

次に秦は、個別株式のリスクとリターンの関係に焦点を当て、投資家が期待するリターンが形成されるプロセスにおいてどのように「後悔」の感情が影響を与えるかを分析した。「現在、個別株式のリスクとリターンの関係を評価する際に最も広く受け入れられているのは『資本資産評価モデルCAPM(Capital Asset Pricing Model)』という理論です」と秦。多数の投資家の意見が集約される資本市場の情報を用いると、資本コストや期待収益率は通常ハイリスク・ハイリターンの関係になるというものだが、秦はこの「CAPM」のモデルに「後悔」の因子を導入し、新しく数理モデルを構築した。これは後悔と均衡価格に関する最初の理論モデルであり、「精緻化と拡張の余地はあるが、新しい方向への第一歩として重要なもの」だという。

「現在の投資理論を確立した一人であるノーベル経済学賞受賞者・マーコウィッツ氏でさえ、後悔することを恐れて自身の年金を債権と株式に分散したと語っています」と秦。ユニークな喩えで人の行動に与える感情の影響の大きさを示しながら、証券投資の研究に「感情」の要素を取り入れる必要性を説く。「脳神経科学の研究分野では脳の損傷によって感情の機能が損なわれた人は合理的な判断を下せないという症例が数多く報告されています。我々の意思決定にはハードウェアとしての脳の機能とソフトウェアとしての感情の両方が欠かせません。私の研究は、ファイナンス領域全体において「感情」を考察する必要性を示すきっかけにすぎません」。秦の研究が今後新たなファイナンス研究を切り開いていくことを期待したい。

秦 劼
秦 劼
経済学部 教授
研究テーマ:資産価格理論、行動ファイナンス、感情と市場、ハーディング、金融危機
専門分野:財政学、金融論

storage研究者データベース

2018年6月25日更新