STORY #4

「銭湯」から見えてくる
京都の知られざる部落史

川端 美季

衣笠総合研究機構 専門研究員

日本の「銭湯」に影響を与えた
世界的な公衆浴場運動

京都は全国でも指折りの「銭湯の多い都市」である。市内を歩くと、「ゆ」と書かれた暖簾を下げた建物があちらこちらに目につく。中には戦前から営業を続ける老舗も少なくない。

日本には古くから入浴習慣があり、江戸時代には庶民の社交や娯楽の場として公衆浴場が賑わったことが多くの記録や絵図で伝わる。こうした公衆浴場に関する歴史研究は風俗や文化の側面に焦点を当てて論じられることが多いが、川端美季は独創的な視点で「公衆浴場」に切り込み、国内外で注目を集める。現在は「清潔さ」をめぐる日本人の国民性の成り立ちに関心を抱いている。「日本人は清潔な国民だとよくいわれますが、この言説はいつ生まれ、どのように育まれてきたのでしょうか」と問う川端。近代日本における「清潔さ」に関わる身体的・精神的な規範がどのように生まれ、変わっていったかを解き明かそうとしている。とりわけインパクトが大きかったのは、公衆浴場を切り口として、日本の清潔規範の変遷を欧米を中心とした世界の「公衆浴場運動」の中に位置づけて語ったことだ。

「古来日本には『禊』という風習や儀式があると語られるように、『清潔さ』には身体的なことだけでなく精神的、道徳的な意味も含まれていたといわれます」と川端。江戸時代に人々が頻繁に入浴したことには、色欲や金銭欲といった「心の垢」を落とし、道徳的な「潔白さ」を保つ意味もあったとこれまで指摘されている。それが明治・大正期に入ると、入浴や公衆浴場を利用する理由に「衛生」といった新しい意味が加わっていく。そしてこれには19世紀半ばにヨーロッパ各地やアメリカに広がった「公衆浴場運動(Public Bath Movement)」が影響を与えているというのだ。

川端によると1820年代のイングランドで始まった「公衆浴場運動」とは、移民や労働者といった貧しい人たちが暮らす地域に浴場を設けようという運動である。医学や衛生学の発達によって「衛生」の重要性が見出され、伝染病の予防や健康の維持に入浴が良いとされたことがその背景にはある。加えて「身体的に清潔であることが『市民』の証」とされ、人々を「市民社会の一員」として教化するための社会的事業としても機能していたという。

「明治期に欧米に渡った日本の視察団がそれを目の当たりにしたことから、日本でも入浴や公衆浴場が衛生的に意味あることだという認識が共有され、行政によって『公設浴場』が作られていきました」と語った川端。社会事業家の生江孝之は自著『欧米視察―細民と救済』の中で、労働者に加えてその家族も入浴できる低廉な公設浴場の必要性を説いている。大正期には「衛生」という新たな目的のもと、社会事業の枠組みで公衆浴場が論じられるようになっていったのだ。

さらに川端は大正期以降、主に都市で行政によって設置された「公設浴場」に注目し、その設置過程を掘り下げている。京都府下で公設浴場の設置過程や設置後の運営について調査したのもその一つだ。

「欧米からもたらされた情報の影響を受け、日本でも社会事業として公設浴場を設置するムーブメントが起こる中、大正期の京都では被差別部落を対象に公設浴場が作られました」と川端。浴場の収益を部落の財源として生活困窮者を救済するなど、京都では部落の生活改善を目指した社会事業として公設浴場の設置がスタートしたことを説明した。

大正期の公設浴場。集会所や授産施設を備えたものもあり、人々が集まる地域の中心の場としての役割も与えられていた。(*京都市社会課『京都市社会課叢書第13編 京都の湯屋』京都市社会課, 1924年. (近現代資料刊行会編『日本近代都市社会調査資料集成4 京都市・府社会調査報告書Ⅰ 11大正13年(1)』近現代資料刊行会, 2001年所収.)より転載)

京都の部落史や当時の日出新聞などの資料をつぶさに当たった川端によると、1921年9月に東三条に建てられた最初の公設浴場は、1階に理髪室が併設され、その他にも広間や仏壇、図書箱なども備えられていたという。

「その後京都市内に次々に建てられた公設浴場の中には、集会所や授産施設を備えたものもありました。公設浴場は単に浴場を提供し、衛生面を改善するだけでなく、コミュニティの生活環境の向上や、人々が集まる地域の中心の場としての役割も与えられていたと考えられます」と川端は分析する。

加えて公設浴場を設置するにはその前提として上水道の整備が欠かせない。それまで被差別部落は水の便が悪く、排水管も整備されていなかった。公設浴場の設置は水道整備といったインフラの獲得にもつながったのだ。

部落史や市政史のみではこうした被差別部落の人々のしたたかでしなやかに生き抜く姿は見えにくい。「『公衆浴場』に注目するからこそ見えてくるものがあります」と川端。

世界の公衆浴場運動や日本人の国民性など「銭湯」を通じて見える世界は、実に多彩だ。

川端 美季
川端 美季
衣笠総合研究機構 専門研究員
研究テーマ:近代日本における清潔さをめぐる国民性の創出―公衆浴場と国民道徳論
専門分野:公衆衛生史、医学史、科学社会学・科学技術史

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2018年2月19日更新