STORY #4

アメリカ黒人の
歌に感動して

ウェルズ 恵子

文学部 教授

絶望的な困難や残酷な現実を
ユーモアに変えて歌う

Michael row de boat ashore, Halleluja!
Michael boat a gospel boat, Halleluja!

Jordan stream is wide and deep, Halleluja!
Jesus stand on t’oder side, Halleluja!

マイケルは、岸へ向かって舟をこぐ ハレルヤ!
マイケルは、キリストの教えの舟をこぐ ハレルヤ!

ヨルダン川は広くて深い ハレルヤ!
イエス様は向こう岸だよ ハレルヤ!

「こげよ、マイケル(Michael, Row the Boat Ashore)」は日本でもよく知られている歌だが、原語のしかもその歌詞の意味まで理解している人は少ないに違いない。ゆったりとしたメロディーに乗った歌はどこか牧歌的な雰囲気を感じさせる一方、「実はこの歌は『天使ミカエルよ、舟をこいで私の魂を天国(向こう岸)へ連れて行ってください』と祈る歌。過酷な境遇にいて死後の世界に憧れる歌です」とウェルズ恵子は解説する。

ウェルズは「声」の力に惹かれ、「声」の文学・文化として特にアメリカの詩(歌詞)や歌、物語を研究している。奴隷制度時代にアメリカの黒人の間で歌われた仕事歌から現代のポップミュージックまで研究対象は幅広い。歴史の中で歌われ、語られてきた歌詞や物語を深く分析するとともにその背景にある社会や文化を理解し、それらに込められた意味を読み取ろうとしている。

アメリカ合衆国では南北戦争後の1865年に南部諸州を含めて奴隷制度が全面的に撤廃されたが、それ以降も黒人に対する差別の歴史は連綿と続いてきた。

冒頭の「こげよ、マイケル」は奴隷制度時代に黒人が歌った仕事歌。これらの歌の特徴の一つはアフリカ伝統のコミュニケーション様式である「コール・アンド・レスポンス(call and response)」にあるという。ウェルズは、その単調かつ力強い繰り返しに深い感銘を受けるとともに「人は声に出してつらい人生を堪えるのだ。人の声を聞くことが、大きな救いになるのだと直感した」と述べている。とりわけ奴隷制度時代に歌われた歌には聞く者の心を揺さぶるものが多い。例えば “I know moonlight, I know starlight, I lay this body down.”を繰り返す歌は、月光や星の輝きを歌いながら自らの身を横たえる、すなわち死に安らぎを見出す歌だ。「苦しい状況や残酷な現実を生々しく表現するのではなく、美しい歌詞やユーモラスな歌詞の中に絶望的な困難の現実が込められています。そこに歌い手の強さや現実から自分を切り離した精神のあり方を感じます」とウェルズ。一見気づかない歌詞の奥深くに込められた訴えに耳をすまし、それを引き出すことも研究者の使命と任じる。

「I know Moon-rise」

「I know Moon-rise」 (抜粋)
南北戦争中(1861-65)、北軍初の黒人部隊を率いる大佐であり、熱心な奴隷解放論者でもあったトーマス・ウェントワース・ヒギンソン(1823-1911)が、黒人たちとの生活で聞き取った歌をまとめた記事「黒人霊歌」(ニグロ・スピリチュアルズ)より。
Thomas Wentworth Higginson. “Negro Spirituals,” The Atlantic Monthly, XIX (June) 1867.

仕事歌だけでなく、アメリカ黒人の歌や物語には暗喩や意味の二重性、価値観の逆転、あてこすりやほのめかしが数多くちりばめられていると指摘する。アメリカ黒人の間で語り継がれた民話「うさぎと亀」もその一例だ。

この物語は日本でもよく知られているが内容は大きく異なる。アメリカ黒人版では一生懸命走るうさぎに対し、亀は家族と協力してうさぎを出し抜き、いわば「ズル」をして競争に勝利する。ウェルズは「モラルやルールは、それを守ることで利益が生じるという前提を共有してこそ意味を成します。圧倒的に不利な条件で戦いを強いられる亀にとって、うさぎのモラルやルールは自分のためにならないから、それを〈悪い〉ものとする価値観の逆転が起こるのもやむを得ない」と解説。そこに憐れみや悲哀ではなく「抑圧やトラウマ、絶望を生き抜く技」、「絶望的な困難の中で夢中になれる楽しみを作り出す能力」を見る。

自分たちが神に見放されていると感じることもあった黒人の物語の中には、しばしば「神」よりも「悪魔」を味方につけたようなくだりがあるという。「神が現実の苦しさから救ってくれないのならば悪魔に親近感を抱くのはある意味当然のこと。それが黒人にとってのひとつのリアリティだったのだろう」。

黒人歌は世界の現代音楽に影響を与え、影響力が大きかったものの一つに「ブルーズ」がある。ウェルズによると、19世紀後半から20世紀にかけて特に盛んだったと思われる黒人の娯楽歌の一種が、録音機器が発達して以降、レコードやラジオを通して商品化され、流通するのに伴って「ブルーズ」というジャンル名で分類されるようになっていったという。

ブルーズの文学的特徴は不安や憂鬱、故郷喪失、自己憐憫、孤独、困難などがモチーフになった歌詞にある。深刻な事態を他人事のように眺めたり茶化した歌、神ではなく悪魔に救いを求める歌、死を孤独からの脱出方法として表現した歌など、ブルーズにも奴隷制度時代から受け継がれてきた感覚が色濃く反映されているという。「コール・アンド・レスポンス」も、歌い手とギターが奏でる形で残されている。「極度に抑圧された人々は自分の思いを誰かに伝えるという自由やその意思を打ち砕かれていたと思います。それでも、どのようにも解釈できる歌詞で危険なことをうやむやにしつつ、また、ばかばかしく聞こえる歌詞にしたりして、胸の内を発露していたと思います」とウェルズ。それがブルーズのつぶやくような独特の歌い方にも表れているという。

ウェルズはアメリカ各地に足を運び、その地に残る歌や物語を集めてきた。現地の気候や風土を肌で感じると歌の背景がよく理解できるという。何より歌を通して多くの人と出会ったことに喜びを見出すとともに、「歌はすごい」という気持ちをいっそう強くしている。

ウェルズ 恵子
ウェルズ 恵子
Wells Keiko
文学部 教授
研究テーマ:「声の文化」に関するグローバル視野の体系的研究。特に、移民の経験記憶と歌・物語の伝播や変容に関する研究、音楽関連文化と英語歌詞の比較文化研究、日本の伝説・物語や芸能の比較文学研究など。フォークソング(民謡)、フォークテイル(おとぎ話・民話)、口承詩を中心に扱っている。
専門分野:英米・英語圏文学、文学一般、比較文学・文化

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2019年9月24日更新