STORY #6

「命を大切に」。
その言葉が届かない生徒に
届く自殺予防教育

川野 健治

総合心理学部 教授

「支え合う学級づくり」
から取り組む学校の自殺予防教育。

「命は大切。だから自殺してはいけない」。そんな「正論」が、本当に死に近いところにいる子どもを自殺予防の教育や取り組みから最も遠いところへ引き離してしまうことがある。

国立精神・神経医療研究センターなどで国の自殺予防対策に携わってきた経験から川野健治はその難しさをこう語る。特に日本では10~20歳代の若年層の自殺対策が遅れているといわれる。「1998年に自殺者が3万人に急増して以来、自殺対策は国にとっても重大な課題になっています。この時注目された中高齢男性のほか、各年齢層の自殺はその後減少に転じましたが、10代の自殺は現在に至るまで減少の兆しが見えていません」と言う。

この間、2006年に自殺対策基本法が制定され、2009年に文部科学省から「教師が知っておきたい子どもの自殺予防」という手引きが発行されたのをはじめ、翌年に「子どもの自殺が起きたときの緊急対応の手引き」、2014年に「子供に伝えたい自殺予防―学校における自殺予防教育導入の手引」が示されるなど、国は若年層を対象とした自殺対策を講じてきた。こうした取り組みと並走する形で川野らの研究グループが開発してきたのが、学校で実施する自殺予防教育プログラム“GRIP”である。

“GRIP”の最大の特徴は学級や学校といった「集団での援助」に焦点を当てるところにある。先に挙げた文部科学省の手引きでは、自殺やそれを防ぐ術(すべ)について学ぶ自殺予防教育が重視されている。しかし現実の教育現場では教員は「自殺」を話題にすることを避ける傾向にあるという。それがかえって子どもたちに自殺という選択肢を与えることにならないかと懸念するためだ。「さらに問題なのは、『自殺はよくない』『命を大切にしよう』という教育が、自殺のリスクの高い子どもに『事情も知らない人が押し付けてくるきれいごと』だと拒絶され、教育の目的が届かない危険をはらんでいることです」と川野は言う。

これに対して“GRIP”は「学級で生徒と教員が支援し合える環境をつくる」ことを目的とする。川野らは心理学的な理論・技法を応用し、本当に支援を必要とする子どもも阻害されることなく学級全体が学習を受け入れられるようプログラムを設計した。そこでは辛いことがあった時、生徒同士で相談し、支え合う環境をつくるだけでなく、困難な状況を相談できるような信頼できる大人との関係づくりを重視する。学級という集団の支援に視点を置くことで、「自殺についての教育」を前提としなくても結果的に効果的な自殺予防教育になるような、より実態に即したプログラムになっているのだ。

“GRIP”のもう一つの特徴は段階的アプローチが用いられている点である。プログラムは教員向けの研修から始まり、①自分の内的状況の客観視、②対処行動、③相談の仕方、④対処困難な状況での判断の4段階を踏んで学習を深める構造になっている。各段階では生徒、教員が共に取り組むゲームやグループワークを活用し、学級や学校が主体となって進められるよう工夫が施されている。

マインド・プロファイリング

ここでみつけてほしいのは、あなたの気持ちです。
自分の気持ちに気づくことで、
つらいことやいやなことがあったときにも、
自分でうまくコントロールできるようになることが目的です。

マインド・ポケット

ここでは、いやな気持ちを変化させる対処法を考えます。
気分が沈んだときに使える、
お気に入りの方法をみつけて、
あなたの心のポケットに入れておこう。

KINO(キノ)

ここで考えるのは、気持ちの伝え方です。
うれしいことがあると、人に言いたくなります。
つらい体験を聞いてもらえると、ちょっと楽になります。
いろいろな気持ちの伝え方を知っておこう。

シナリオコンテスト

ここでは、責任をもって判断することを考えます。
自分で(あるいは、友だちと一緒に)努力することと、
もっとたくさんの人に打ち明けられることは、
困難を解決するための二つの力。その使い方を知ろう。

「まず生徒向けの自殺予防教育を実施するのに必須の準備として、教員へのゲートキーパー研修を行った後、第一段階として取り組むのが『マインド・プロファイリング』です。ここでの目的は『自分の気持ちを見つける』こと。さまざまな状況に置かれた時の『自分の気持ち』を考え、それを言葉にすることで、自らの感情を整理・分析する力を身につけます」と川野。続いて第二段階の「マインド・ポケット」では、いやな気持ちになった時に心の健康を回復するための「対処法(スキル)」を学ぶ。「ポケットのイラストに自分が気に入った対処法を書き入れ、それを思い出す際にはポケットを叩いて確かめる動作を行ってみます。こうしてポケットというメタファーとボディイメージの両方から辛い状況に対処する力を自分のものにします」。第三段階では「KINO(キノ)」という感情表現ゲームを通して自分の気持ちを他者に伝える際の「表情」について考え、感情の伝え方や感じ方は人それぞれであることを学習する。さらに第四段階では「シナリオコンテスト」を実施。動画教材を使って友達の悩みに気づいた時の聞き方を実践的に習得する。そして最後のクロージング・セッションで各学習を振り返り、自分のものにしたところでプログラムは終了する。

川野らは“GRIP”をWEBサイト(https://www.shin-yo-sha.co.jp/grip.htm)で公開し、教材一式をダウンロードできるようにしている。具体的な実施方法は『学校における自殺予防教育プログラムGRIP』に詳細に記している。「自殺予防教育はプログラムを実施して完結ではありません」と川野。「今後“GRIP”の実践を増やしてエビデンスを蓄積し、効果検証を重ねながらより妥当性・信頼性の高いプログラムへとブラッシュアップしていく必要があります」と言う。10年先を見据え、川野らの自殺予防教育の取り組みは続いていく。

ヒト吸収性評価技術分科会

「学校における自殺予防教育プログラム
GRIP ─グリップ─ 5時間の授業で支えあえるクラスをめざす」

川野健治・勝又陽太郎 編
新曜社

https://www.shin-yo-sha.co.jp/grip.htm

川野 健治
川野 健治
Kawano Kenji
総合心理学部 教授
研究テーマ:自殺に対する認知と自殺予防、語り・コミュニケーションのずれ、地域保健とコミュニティデザインなど
専門分野:コミュニティ心理学、社会心理学、自殺予防学

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2019年4月8日更新