STORY #8

ビデオゲームの進化に
人間の感性の本質を探る

吉田 寛

先端総合学術研究科 教授

1980年代以降のビデオゲームが
もたらした「感覚変容」が、
今日のコンピュータ社会の基盤となった。

ロボットはどこまで、人間と同じように世界を知覚し、思考し、行動することができるのか。「そうした人工知能(AI)技術にとって究極的な課題を解くヒントが、身近な娯楽であるビデオゲームのなかにあるかもしれない」と斬新な視点を投げかけるのは吉田寛。「1980年代に登場し、瞬く間に世界中に浸透したビデオゲームが人々に引き起こした知覚や感覚の変容が、現代のコンピュータ社会の基盤となっているのではないか」と語る吉田は、「感性学」という視座から、AI技術の進展に新たな光を当てる。

吉田によると、「感性学」とは人間の感覚や知覚の働きを分析する学問分野である。英語の「エステティックス」はこれまで日本語で「美学」と訳され、主に芸術や美を研究対象としてきた。しかし吉田は本来の意味である「あらゆる種類の知覚を主題とする学」として感性学を再定義し、「その研究対象に最もふさわしいものの一つ」としてビデオゲームを研究している。感覚的で直感的な思考や判断のロジックを解明する感性学と、プレイヤーの知覚や認知、思考や判断、行為を通じたインタラクション(相互作用)を解明するゲーム研究とは、重なるところが多いという。

「感性学の観点に立つと、ビデオゲームをプレイする経験は、知覚の『二重化』として定義できる」と吉田。「ビデオゲームをプレイするとき、われわれは、スクリーン上にドットの正方形群として描かれる『アイコン』を、人物や物体を指し示す記号として視覚的に認知します。しかしそのアイコンは、同時に、プログラムによって記述され、機械的に処理される『オブジェクト』でもあります。ビデオゲームのプレイヤーは、例えばマリオのようなキャラクターを、『アイコン』として知覚すると同時に、『オブジェクト』としても知覚しているのです。記号学の用語を借りていえば、知覚における意味論的次元と統語論的次元の二重化が常に生じていることになります。この知覚の二重化こそ、ビデオゲームのプレイ体験の本質です」と説明する。

スーパーマリオブラザーズ(任天堂、ファミリーコンピュータ、1985)
『スーパーマリオブラザーズ』のプレイヤーは、マリオを「アイコン(人物の似像)」として、そしてまた「オブジェクト(操作対象)」として見ている。すなわちプレイヤーは、スクリーンの上に意味論的過程と統語論的過程を同時に知覚しているのだ。

また吉田は、感性学からアプローチすることで、技術的にはまだ稚拙であった1980年代以前のビデオゲームを、人間の知覚の特性(錯覚など)を効果的に利用したものとして再発見する。「そこに最新のコンピュータ技術やVRの進化の鍵があるのではないか」と吉田は提起する。例えばビデオゲームの最も基本的な構成原理である「スクロール」もその一つだ。

スクロールとは、モニター(テレビ)の画面を上下左右に動かすことで運動の感覚や、画面の外側にも空間が連続しているような錯覚をもたらす技術である。「今ではゲームのみならず、多くのコンピュータソフトウェアにも組み込まれているこのスクロールの技術は、1970年代後半に自動車レースのゲームのなかで生み出されました」。吉田の解説によると、『モナコGP』(1979年)は、他の車や道路などの背景を画面の上から下へと流すことで、プレイヤーが操作する車が前進していくような感覚を生み出した最初期のゲームである。また『ナイトドライバー』(1976年)は、真っ暗な背景をバックに幾つかの白いオブジェクトを動かすだけで、自分が運転する車が前方に進んでいるような運動感覚を生み出している。「現代のゲームに比べてシンプルな昔のビデオゲームだからこそ、人間の知覚の特性やイリュージョン(錯覚)をフルに利用して空間や運動を表現していました。そこには驚くべき知恵と工夫が見てとれます」と吉田はいう。

また吉田は、三次元コンピュータグラフィックス技術(ポリゴンなど)がビデオゲームに導入される以前の、いわゆる「疑似3D」のゲームの視覚的表現技法にも注目してきた。そのなかでも、視差による奥行きの錯覚を生み出す「パララックス効果」の研究は、とりわけ興味深い。「パララックス効果を最初に導入したビデオゲームの『ムーンパトロール』(1982年)では、空間が茶色(地面)、緑(丘陵)、青(山岳)という色の異なる三つのレイヤーで構成されていて、それら三つのレイヤーがそれぞれ異なる速度でスクロールするために、プレイヤーの目にはゲームの空間に奥行きがあるように見えます」。そして、この技法は、ディズニーのアニメ映画からビデオゲームに持ち込まれた可能性がある、と吉田はいう。技術的には現在の精細な3D画像とは比べるべくもないが、人間の認知の仕組みを的確に理解して、三次元を表現するという目的を過不足なく実現している。こうした技術が、スーパーファミコン(1990年)やプレイステーション(1994年)が登場する以前の1980年代までにほとんどすべてが出そろっていたというから驚きだ。

「機械技術の進歩を、そのままゲームの進歩と見なしてよいのか。技術の進歩は、むしろ人間の想像力を覆い隠したり、退化させたりすることがあることがあるのではないか。そして同じことは、最新のAI技術開発においてもいえるのではないか」と問いかける吉田。「昔のビデオゲームの一つひとつに詰め込まれた『知恵』と『工夫』を読解することで新たなAIをデザインする道筋が見えてきたらおもしろい」と目を輝かせる。

吉田 寛
吉田 寛
先端総合学術研究科 教授
研究テーマ:感覚と感性の哲学、遊びとゲーム
専門分野:美学・感性学・ゲーム研究
2017年11月20日更新