生命科学部 教授

白壁 恭子

1992年、東京大学理学部卒業、1994年、同大学院理学系研究科修士課程を修了後、1997年、京都大学大学院理学研究科博士課程を修了。東京大学医科学研究所研究員、さきがけ専任研究員、慶應義塾大学医学部テニュアトラックプログラム講師などを務めた後、2015年、東京医科歯科大学大学院の准教授に就任。2018年、立命館大学生命科学部教授に就任。

困難があったからこそ、現在の研究にたどり着いた

#26

ノーベル賞学者の講義を受け生物学に興味を持った

数学や物理が好きだった私が生物学に興味を持ったのは大学1回生の時、分子細胞生物学の専門家で、後にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典先生の講義を受けたことがきっかけです。講義の内容よりも、大隅先生の心から楽しそうな話しぶりが印象的で、「生物学っておもしろいのかもしれない」と関心を持つようになりました。バイオサイエンスが躍進していた時期でもあり、大隅先生を筆頭に、画期的な研究成果を挙げている先生の授業を受ける機会に恵まれ、その勢いに惹かれるように生物化学科を選択しました。所属した研究室も活気にあふれ、先輩の大学院生らとワイワイ賑やかに実験するのが楽しかったことを覚えています。
その中でも「おもしろい」と思ったのが、生物を形づくっている化合物の中でも、その形や機能を大きく変化させるタンパク質です。とりわけ細胞膜に埋め込まれている膜タンパク質の修飾については先行研究も少なく、「まだ研究の余地があるのではないか」と興味が膨らみました。最初は研究を続けることに迷いもありましたが、指導してくださった先生の「研究者は女性が続けていきやすい仕事だと思うよ」という言葉に背中を押され、大学院進学を決めました。

大学院で問われた研究者としての「覚悟」

「なんとなくおもしろそう」。そんな気持ちで研究の世界に足を踏み入れたために、大きな壁にぶつかることになったのは、大学院に進学してからです。私に足りなかったのは、いわば研究者としての「覚悟」でした。自分自身が問題意識を持って研究課題を見出し、主体的に追求していくよう意識を変えなければ、いずれ行き詰ってしまいます。研究していても「私は一体何をしているんだろう」と悩む時期が続きました。
転機になったのは、修士課程を終えた後、東京大学を離れて京都大学の博士課程に進んだことです。個性豊かで、研究スタイルも自由。そんな闊達な雰囲気に加え、ノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑先生をはじめ、先進的な研究に取り組む多くの先生のパワーに触発され、「自分の研究を追求していこう」と気持ちが固まっていきました。
とはいえ、順風満帆に研究を続けてきたわけではありません。2006年、出産と同時期に勤めていた大学との契約が切れ、無職の危機に。私を案じてくださった恩師に誘われ、東京大学医科学研究所に赴任しました。そこで心機一転、これまでとは違う視点で可能性を模索したことで、新たな道が拓けました。

出産・子育てがあったから研究を続けられた

新天地で着目したのは、細胞表面のタンパク質を切断して放出させるシェディングという分子機構です。シェディングは、タンパク質修飾の一種で、特定の条件で活性化した切断酵素が膜タンパク質を細胞から切り離し、血中などに放出。1つの膜タンパク質から局在の異なる2つのタンパク質を作り出すのも特徴です。
以来研究を続け、2020年、私たちの研究グループは、シェディング切断酵素を阻害する膜タンパク質のアミノ酸配列を明らかにすることに成功しました。発表した論文は、学術誌「Journal of Biological Chemistry」に掲載され、上位2%にあたるEditors’Picksにも選ばれました。
出産後も子育てしながら研究を続けるのは、簡単ではありませんでした。時間が制約されること以上に苦しいのは、研究の進捗に関係なく「周囲の都合に合わせなければならない」という価値観に縛られること。そうした考えを振り払い、頭を切り替えることに苦心しました。とはいえ私は、困難があったからこそ今日まで研究を続けてこられたと思っています。出産を機に移った場所で現在の研究テーマを見つけられたし、限られた時間の中で必死に知恵を絞ることが研究の進展につながってきました。
「自分が働きかけたように社会が変わる感覚を味わってほしい」。指導する学生にいつもそう言い聞かせています。どんな小さなことでも、自分の研究によって新しいことを明らかにした経験を積み重ねてほしい。それが研究者としての「覚悟」を育んでいくのだと思っています。