ご意見・お問合せ先

ご意見・ご提言・ご要望をお寄せください

学校法人立命館では、現在、東日本大震災の復興支援に関して、みなさまからのご意見・ご提言・ご要望を受け付けております。
メール、またはFAXにてお送りください。

本学園の学生・生徒・児童、教職員、卒業生、保護者の方はお名前・現在の所属もお書き添えください。

  • 立命館災害復興支援室
  • 311fukko@st.ritsumei.ac.jp
  • 075-813-8132
これまでに寄せられた
ご意見・ご提言・ご要望
当サイトでご意見等の掲載をご了解頂いた方は、こちらでご紹介致します。(匿名での掲載も致します)
頂いたご意見等をふまえ、災害復興支援室の取り組みの具体化を進めます。

匿名希望さん
立命館大学法科大学院 法務研究科L1

学生によるボランティア活動の機会づくりについて

本学から配信されるメールで東北地方太平洋沖地震のボランティアを募集されているとあり、夏期休暇の間に参加しようかと考えていましたが、残念ながら応募者多数のために募集締め切りとなったと聞き、参加できず残念です。
8月の説明会を前に募集定員が締め切りになったという事で、それだけ本学学生の今回の大震災に対する意識が高いという事ががよくわかると思います。
おそらくもっと多くの学生が被災地のために、ボランティア活動に参加したいと思っていると思います。
被災地では今でも復興が進まず、人手を必要としていると聞いています。私立大学の中でも数多くの学生が在籍している本学においては、更に多くの希望者がこれからも継続して参加できるような仕組みを拡充してもらいたいと考えます。

ボランティアといっても、直接被災地に赴くだけがボランティアではないと思いますが、実際に被災地に訪れ被災者の方と接することで、学生自身も多くの学ぶ事があるはずです。これからの社会を担う学生が、今この様な活動へ目を向ける事が学生自身の将来にも、日本の将来にも重要なのではないでしょうか。
本学としても、多くの学生が関心を向ける様な活動を更に続けてほしいと思います。

小池 千恵子さん
立命館大学薬学部准教授

被災地の研究者の受け入れについて

薬学部におりますが研究室の単位が小さいので、研究者の受入に関するそれぞれの研究室の判断が比較的容易かと思います。
被災地の研究者と当方とで話し合いがまとまる場合において、ある程度の期間の研究者の受入が可能なシステムがあれば良いのではと思います。個人的に被災地の方をお誘いしても、システムとして成り立っていないと大変ご遠慮されます。被災直後は精神力で続いていた部分もおありのようですが、疲れも出てきているという噂を聞いています。大学として受け入れ体制があることを提示し、宿泊施設をある程度の料金で使用可能なら日本の研究レベルの維持のためにも役に立てることもあるのではないのでしょうか。

匿名希望さん
昭和56年3月 立命館大学理工学部土木工学科卒業

こんな卒業生もいるという程度でお聞きいただきたいのですが
私はS56年度理工学部土木工学科の卒業生で、現在兵庫県で小さな建設会社を経営しております。
建設機械の重機やオペレーターを有しておりますので被災地で何か力になれることがあればご連絡ください。
世話になった母校への恩返しと思っております。

段松 冴恵子さん
立命館大学国際部国際企画課

災害ボランティアについての思い

今回、私は立命館大学ボランティアバスの実施(6月)に伴い、学生の引率という立場で参加させて頂きましたが、私自身にとっても初めての経験であり一個人として学び感じたことが多くありました。職員という立場ではありますが、今回はボランティア初心者の一経験と思いを皆さんと共有させて頂ければありがたく、ここに寄稿致します。

まず、何十トン、何百トンもの“がれき”が積み上げられているのを目の当たりにし、災害前まで生活に必要なものの一部であったものが瞬時に“がれき”と化してしまうことへの恐怖を改めて実感しました。同時に、再建だけでなく、がれき処理場の建設を含め撤去・処理の課題について、その大きさを知らしめられました。現在、復興に向けての動きは、個人や地方公共団体、民間の自発的な活動に大きく拠っているような感が大きいと思います。個々が今何が必要かを考え、精一杯取り組まれています。しかし、現地で360度被害の様子を目の当たりにすると、国の総力を上げて取り組まなければ到底早期の復興の実現が困難であることを実感します。理念中心の復興基本法は可決されたものの具体的な施策はこれからであり、復興へのロードマップ及びどの部分を誰がどのようにして担うかを一刻も早く明確にすることが必要です。

一言で災害ボランティアといっても、様々な作業があることがわかります。がれきやへどろの撤去、災害に遭われた邸宅の片付け、被災者の心のケア・就職支援、物資や食料の調達・搬送、仮設住宅への引越し手伝い、地域のボランティアセンターや避難所の運営についても恒常的にボランティアで手伝われている方が多くいらっしゃいます。あるいは被災地の漁師の方々への船の提供、自ら開発した機器による放射線量の各地での測定、風評被害打破のための世界への情報発信といった取組みなども報道されています。また、現地の状況も様々です。沿岸部すぐの、全てが破壊されてしまった地域、沿岸より数キロ離れているが大きながれきが到達している地域、家屋が半壊状態であり生活再建のため地道な掃除・片付けが必要な地域、仮設住宅への入居が始まっているが配給がなく支援が必要な地域等々、状況により対応が変わってきます。
そういった中で、もちろん作業はとても効率的に行われることが理想だと思います。しかしボランティアを行う現場は、普段我々が物資やインフラの整った恵まれた中で仕事をするのとは状況が異なることが多くあります。ボランティアに行く側が素人であるならなおさら、そこでの情報の錯綜やニーズの変化、待ち時間の生まれ、作業方法に関する試行錯誤など、うまく貢献できていないように感じることへの憤りやとまどいを覚えることもあるかもしれません。しかし、普段当たり前にできていると思っていることは恵まれた環境があってのことだということを認識し、事前にできるだけの情報を仕入れて準備をする、当日わかる範囲での情報を元に最善を尽くす、工夫で改善できることがあれば次の日に活かす、などということを予め心がけて臨むことが必要だと感じました。もちろん現地のボランティアセンターや団体は、よく組織されており、また意識の高い人々に支えられていると思いますが、それでも刻一刻変わる状況に対処しなければならない大変な現場なのです。また、効率よく多くの作業をこなすよりも、現地の方々と深くコミュニケーションを取って、不安を少しでも軽くするといった方に重きを置くことが必要な場合などもあるでしょう。自らのメンタルをコントロールし、今何が必要か、何ができるかということを常に考えて行動するということが大切だと思います。

今回だけにとどまらず、またボランティアに参加したいと強く思っています。ボランティアに対する考え方は様々だと思います。例えば、京都という離れた土地から駆けつけることと、義援金の送付や消費で貢献することのどちらが真に役立つのか。ただ、被災地で闘う被災者の方への心に届く支援を、と思うとやはり現地に行くということが多くの意味でそれにかなうのではないかと思いました。距離的にはすぐ近くではない京都からも常に心を痛め何か役に立ちたいと思っている人々が多数いて実際作業に携わるという事実が、ほんの少しでも現地の方々の心に温かく響き、また復興へのパワーの一部になり得るのであれば、やはり大きな意味があるのではないかと。今回受け入れて下さった山田町の方々は、「復興したらこの美しい町にまた戻ってきて下さいね」と私たちを笑顔で見送ってくれました。迷惑をおかけしてしまったり、差し入れを下さったりトイレを整備して貸して下さったりと、むしろお世話をして頂いてしまうことが多く恐縮するばかりであったのですが、このつながりが今の日本にとって重要であると信じたいと思っています。

山本 貴之さん
立命館大学総務部人事課

今回の震災を受け教育機関として何をすべきか

今回、東北復興支援のボランティアバスに学生引率の立場で参加をさせて頂いたことを受け、今後、日本の教育機関として、立命館として取り組むべきことについて、簡単ですが、意見を述べさせていただきます。

派遣先は岩手県下閉伊郡山田町で、立命館大学と龍谷大学の学生と教職員の延べ60名程度で海岸沿いの宅地に覆い被さっている土砂や瓦礫の撤去を2日間に渡り実施しました。
宅地といっても、コンクリートの基礎部分を残すだけで土砂の中には流木・木片、住居の壁の破片、ガラス、鉄くずなどが多く混在しており、それらの撤去と分別が主な作業内容でしたが、表面の土砂をショベルやレーキーなどで掘っても掘っても大量の瓦礫が出てくる状態で、本当に際限の無い作業でした。また、時折出てくる、その家庭のものと思われる「思い出の品」、例えば家族写真や玩具、絵本やCDなどが地表に現れたときは、何とも言えない気持ちになり、「子どもは無事なのだろうか」、「現在、家族と一緒にいるのだろうか」といった想いが巡り、併せて、津波や地震が一瞬で平和や幸せを奪う怖さや文明の脆さも感じました。
2日間のボランティアの成果としては、敷地数で6棟程度の瓦礫が撤去できましたが、作業が終わった後に、あたりを見渡すと、まだまだ手の付いていない敷地が延々と広がっており、本当に3~5年で復興ができるのかと気が遠くなったのが、正直な感想です。

今回の作業場所からわずか数m海岸沿に行ったところに高さ5m程度の頑丈な堤防がありました。堤防は最新の設計技術を駆使しているせいか、ほとんど無傷の状態でしたが、現地の方に話を聞くと、その倍の10mの高さの津波が町全体を呑み込んだようです。
いつどこで発生するやむしれない地震の前では、文明の利器も無力であり、「災害国である日本」で生きるということは、国民全員が「災害と向き合う」という現実をしっかり認識し、有事にはお互い助け合う「互恵の精神」、「相互扶助の精神」を持つことが日本人として最も必要な心構えであると考えます。そのなかで教育機関としては、人が助け合うこと、人の心を紡ぎ、連携し合うことの大切さを諭し、その重要性・必要性を次世代に継承することが使命であり、我が立命館としても、教学理念である「平和と民主主義」を実践すべく、これからもボランティアなど災害復興に向けた継続的且つ地道な取り組みと「互恵の精神」、「相互扶助の精神」を育む教育の展開が更に必要であると感じました。

ひとりでも多くの方にこの想いを共有していただき、明るい日本の未来のため、子ども達の笑顔のため、復興に向けた取り組みに参加・参画いただきたく、以上、想いを述べさせて頂きました。

山下心作さん
立命館大学総務部総務課

立命館大学ボランティアバスに参加した感想

被災地の惨状を目の当たりにして、最初に感じたことは「この凄惨な状況のなかで私たちに何ができるのか」、もっと率直に言うと、「ボランティアといってもこの中で何をどのように進めればいいのか・・・」という愕然とした気持ちでした。
そのなかでも、私たちに与えられた作業(とある民家跡地に山積されたガレキを撤去するという作業でした)を、学生さん達で編成された班のリーダーを中心にメンバー全員で協力しながら進めて行くにつれ、具体的には、ガラス片や木々片、石といったガレキが少しずつ片付けられ、元の地表が見え始めたときは、私たち全員が達成感を味わうことができたと思います。

ひとりひとりの作業は小さな作業かもしれませんが、その小さな作業を積み重ねが、確実に被災地の復興に繋がるという実感を得ることができ、小さな作業の積み重ねの重要性を学ぶことができました。
今回のボランティアバスに参加させていただいたことは、参加された学生のみなさんだけでなく私たち職員にとっても「人のために、社会のために何ができるのか」を学ぶことができる非常に重要な機会でした。

立命館憲章に掲げられた「正義と倫理をもった地球市民として活躍できる人間の育成」は、学生のみなさんだけでなく立命館で働く教職員も同じです。学生および教職員の人材育成の観点からも、今回のような東日本大震災の復興に向けた直接的な支援を継続することは大きな意味があると強く思いました。

安原壮一さん
学校法人立命館財務部管財課

大船渡市災害ボランティア報告メモ

先日訪問した大船渡市でのボランティアメモを簡単に纏めました。 ご参考になるかどうかわかりませんが、ご一読いただければ幸いです。

田浦 秀幸さん
立命館大学言語教育情報研究科教授

学生・院生の持ち味がでるボランティア派遣

私どもの研究科では、英語教員・日本語教員の養成を主としている関係上(既に教壇に立ちながら大学院課程を履修している学生もいます)、その知識を生かせるボランティアが9月の秋セミスター開始までにできないかと考えています。初めてなので、今年は私のゼミ生5名ほどでの参加です。個人的なルートで情報を得るよりも、本学でボランティア学生を派遣するような計画があるのなら、その中で院生の持ち味がでる(例えば中高3年生の英語受験指導や、子供達の悩み相談はできないまでも話し相手・遊び相手になる等)役割分担で参加する方が効果的かと思い、メールを差し上げました。
全学的なボランティア学生派遣はお考えでしょうか?また、そうであれば私たちの研究科の院生の知見が行かせる場はあるでしょうか?既に先週ベテラン学校カウンセラーの方の講演会を行い、震災時の対応注意事項を院生に話して頂きました。

お返事頂ければ幸いです。

木皮 透庸さん
立命館大学研究部リサーチオフィス (BKC)

「福島県南相馬市震災復興に取り組む農業者の会」のご紹介

私の知り合いに、福島県南相馬市の農業者グループの活動に関わっている者がおりまして、本学の学生ともコラボレーションできないか、打診されております。

グループは、「南相馬市震災復興に取り組む農業の会」といい、東日本大震災後、南相馬市の種苗農家が中心となって結成した団体です。グループの最初の取り組みは、ゴーヤの苗を用いた「緑のカーテン」を販売する事業でして、南相馬市の実施する復興モデル事業の第一弾として採択されています。

本文末に、この事業に関わる参考資料を添付してあります。

パワーポイントが一番分かりやすいかと思います。10ページの「学内・学生向けイベント」には、本学で実施したいイベントについて概要が記載されています。ゴーヤのカーテンの設置、栽培を通じて、南相馬市の津波被害や原子力被害の現状を伝えるイベントを実施したいとのことです。また、産業社会学部、政策科学部の授業とも連動させていきたいとの希望を持っています。

グループでは、ゴーヤの苗と農家、被害が分かるスライド等を用意でき、事業の販促費として多少出せるかもしれないということです。

南相馬市は津波の被害のみならず、原発事故の影響も受けており、基幹産業である農業は危機に瀕しています。
南相馬市だけが被災地ではありませんが、被災地の一つを学生たちが知ることは、意味があると思いますし、復興支援にもつなげられるかと思います。

個人的な意見ですが、この団体と何かをするにしても、基本的には学生(あるいは学生団体)の自主性に委ね、大学当局としては、最低限の関わりにとどめるのがよろしいかと思います。

以上、長くなりましたが、復興支援室の活動の一つとして、ご検討頂きたく存じます。どうぞよろしくお願いします。

問い合わせ先
南相馬市震災復興に取り組む農業の会 企画・販売部
但野謙介(ただの・けんすけ)
携帯電話 080-2809-4789
E-mail   info@plant2plant.org  HP http://plant2plant.org/

大亀 喜重郎さん
昭和56年3月 立命館大学法学部卒業

原発30Km圏内 南相馬市からレポート

学友のみなさん こんにちは。
立命館大学関係者のみなさんより今回の東日本大震災に対し多くのご支援、ご心配を頂き感謝申し上げます。
立命館大学とは、卒業以来校友会報『りつめい』だけが私を繋いでおりました。今回このようにレポートを発信することは初めてとなります。

私は現在、原発より23Km地点、また緊急時避難準備区域に指定されております南相馬市在中です。震災からこれまでの私個人の経緯を振り返り、私自身これから何をするべきかを考え、また学友のみなさんが今回の大震災に対し これからの関わり方への何かヒントになればと思いレポート致します。

1、震災時
3月11日は 会社は午後半休をとり自宅の庭の手入れをしていたところ 東京の大学入学を目前にしていた次女が たまたまTVの緊急地震速報をみて「お父さん地震が来るよ」と怯えた声を発しました。
その直後、経験したことのない激しい小刻みの揺れと同時に大地が振り子のようにゆっくり大きく揺さぶられました。
次女に庭に出るよう指示し、頭上の瓦、電柱に注意を払い、息を呑む悪夢の数分間を経験しました。次女はいつの間にか庭石に四つん這いになり「死ぬ-!死んじゃう-!」の連呼でした。
その後も間髪いれず、大きな余震が続き、ドアを開放したまま、家に入ったり出たりの繰り返しが続きました。その間TVの津波中継をみた時の驚きとショック、そして落胆は どう表現していいのか判りません。
まずは家族の安否を確認すべく 市内の保育所で保母をしている妻と相馬市で会社員をしている長女の携帯電話へ幾度となくかけましたが、回線がダウン状態で連絡がつかず 不安と心配が交錯しました。かなり時間が経過した頃長女の安全を確認しました。妻からは暗くなり始めたころ驚くような報告がありました。海岸から2Kmほど離れた妻の実家近くにいるようで 坂を下った田んぼが一面たっぷりの海水で覆われ 実家に近づけないとのことでした。当時はまだ大津波警報発令中であったため今すぐ引き返すよう命令口調で携帯に叫びました。車で30分程度の距離ですが 1時間たっても帰ってこず 連絡もつかずイライラした状態が続きました。
すっかり暮れたころ、やっと帰宅した妻は義母と一緒でした。私が引き返すよう連絡したのち 妻は懐中電灯もなく道もない実家の裏山を辿り義母を連れ出したとのことです。帰ってきたら文句の一つでもと思っていた私は、妻の無謀ではありましたがその勇気に脱帽です。

2、被害確認
地震当夜は水道だけが駄目でしたが 近くに井戸水があることから 当分の篭城に不安はありませんでした。しかし 原発の事故が少しずつ判るようになり、次第に不安に駆られ、眠れない夜でした。翌朝、原発の情報に注意すべくラジオを片手に、もう一軒の私の家(以下別宅・・20Km圏内)へ向かいました。別宅は自宅から車で10分のところですが 海岸からわずか400mの距離で海抜も5m程度です。前日の津波の映像を見る限り、流されたか、または100年を経過した古民家でもあることから 地震でつぶれているだろうと諦めていました。途中の道はズタズタで、近づくにつれ別宅から1Km手前で 津波の跡が確認できました。
道路わきの家々も全壊しているところもあり、やっとのことで別宅のある地域に入りました。目に入った光景は田んぼ一面にがれきの山で ほとんどの家が見当たりません。海岸の松林もありません。かわりに普段なら見えない位置であるのに、はっきりと波打つ海岸がそこにはありました。別宅へはドロドロのがれきの山を越え辿りつきましたが、奇跡的に 外周りは窓ガラス一枚割れず残っておりました。しかしながら、庭には大小さまざまながれきが山になっており、屋内は津波で畳の上を舐められ 家財は泥まみれで踊り踊った後でした。
別宅前の田んぼには、どこから流れてきたのか、家の2階部分が流れ着いていました。別宅の地域(30戸程)はほぼ壊滅状態で、高台にあった6戸だけが無傷、私の別宅だけが後片付けをすれば なんとか元に戻せる状況でした。

3、避難 
3月12日午後、いよいよ原発の状態が悪い方向へと向かうばかりで、避難の準備をする必要性を強く感じました。家族にはとりあえず、一人鞄1個に荷物をまとめておくよう話し、私は近くのスーパーで飲料水を購入するなど準備を始めました。また 避難先を検討しました。近くに住む私の妹家族(4歳以下の孫が3人いる)にも準備したほうがいい旨連絡しました。
ところが、どうしたものか、妹家族7人がワゴン車いっぱいに荷物を詰め我が家に来て今からどこでもいいからなるべく遠くへ避難するとのことで出発してしまいました。
程なく、遂に原発の一つが水蒸気爆発したとの報道があり、私は間髪いれず家族に今から妻の兄家族がいる福島市へ向かい義母を預かってもらい、その後 私の息子宅がある秋田県大仙市へ行く旨の計画を説明し、すぐ実行しました。その後の原発の状況は報道の通りですが、私の家族は思いもよらず、秋田の地で家族5人全員で避難生活を始めました。

4、その後
最も心配していたのは、次女の4月1日の入学準備でした。すでにアパートは決まっておりましたが、さすがに鞄一つでは引っ越すわけにもいかず、必要最小限の次女の荷物をとりに 自宅へ妻と戻り荷物をまとめ、再度秋田へ そして東京へと移動を続けました。東京であっても電気製品などは予約はできても、搬入のめどが立たず、自宅から使えるものを持ち出し(アナログテレビなどなど)、東京へはこれまで3往復しております。妻にはしばらくの間、次女のアパートに避難してもらいました。
次に、当てもなく少しでも遠くへと避難していた妹家族は、福島県内の道の駅に3日間もいることが分かり 幼い妹の孫たちも心配であったため 他県の妹家族宅へ向かうよう連絡しました。今では、計画も当てもなく避難したことを無茶であったと、反省しきりです。
身内の安否も分かり始めました。二人の死亡が確認されました。また 知人が複数死亡、行方不明が確認されました。(合掌)
京都のアパートで一緒だった学友である後輩(同学部)は浪江町(10Km圏内)在中でしたが、連絡がつかず心配しています。

5、現在
南相馬市の我が家がある位置は20Kmから30Km圏内で、屋内退避区域が解除され、現在緊急時避難準備区域へ変更されております。日常生活は普段通りで大丈夫ですが、緊急時には自力で避難できることが自宅に住める条件です。学校関係は全て運営しておりません。病院も入院患者の収容はできません。南相馬市は緊急時避難準備区域以外に計画的避難区域、20Km圏内の警戒区域、そして30Km圏外区域の4区域があります。詳しくは報道の通りです。
妻は30Km圏外で仮設の保育所が始まり、自宅から不規則ですが仕事へ出ています。長女は隣の相馬市にアパートを借り、引っ越しを完了し、勤めを再開しております。
私は 会社が 原発より16Kmの地点にあり 入ることさえできません。
明日、会社の説明会が予定されておりますが 5月21日より福島県外の事業所へ異動しなければなりません。家族5人はそれぞれの住み家をもち生活するようになりました。
家族はバラバラになりますが 子供たちにとっては より大人になる大きなチャンス、夫婦にとっては絆を再認識し、そして高めるチャンスだと楽天的に考えております。

6、 最後に
今回の震災は私家族には現在進行形です。復興など再スタートを切る目途さえ立たない状況です。新聞などで、他県へ転入した小学生が、放射能・ウイルス・ばい菌のようにうつるといじめられたことを聞くにつけ、教育現場での理解不足と指導の不徹底をさびしく思います。地震、津波は心の中では天災で仕方がないから許せる、しかし原発は許せない。・・・・これが南相馬市民の総意だと思います。そして私の思いです。
学友のみなさん いま本当に考えてほしい、私と共に。
これから日本のエネルギー政策はどうあるべきか。
復興させねばならない街、農業、漁業はどういうビジョンと計画が必要か。
風評被害を惹起させない、または.限りなく最小限にとどめることができる広報、報道はどうあるべきか。

また もう一つ付け加えたい。

日本は社会主義ではなく 自由主義の国です。
曲りなりであっても自由主義国家であるため 各自の行動に伴うリスクは 基本的に各自が負い、それを解決することが原則です。
国から、自治体から、原発から、何かしてもらえる、救済してくれると切望、期待し続ける人は 自立復興が難しくなる。
高齢、障害者などの保護を要する方なら救済は必要と考えるが、一般社会人は少しでも早く自立復興へ意識をギアチェンジしてほしいと思います。
そして復興したのち、あらためて自由主義であることを素晴らしいこととして噛みしめたい。

小堀真子さん
立命館大学経営学部2回生

被災地の現実
学生からのメッセージ

災害復興支援室
こんにちは、経営学部2回生の小堀真子と申します。

今回はご相談および質問があり、連絡させていただきました。

私は先週末に個人的に被災地(福島県相馬郡新地町)へ行って参りました。そこで目の当たりにした現実を、ひとりでも多くの人に伝えたい、報道での情報では知らされない現実(リアル)を少しでも広めたい、そう考えています。
5/25(水)に報告会が行われるとのことですが、これとは別の機会にスピーカーとして報告会に参加させていただきたいと考えています。今回のイベントは教授陣からの報告ですが、学生からのメッセージという形の報告会をやりたいと思っています。そのようなイベントの企画はございますか??

東自由里さん
立命館大学産業社会学部教授

被災地での英語教育支援

立命館大学からの派遣ということで、中学校・高校・大学へ英語の授業を担当させていただける機会があれば、是非とも被災地へ出向きたく思います。

語学の勉強の楽しさを少しでも味わっていただけるのならボランティアとして、そしてプロとしてもお役に立てると思うのですがいかがでしょうか。被災地在住の英語補助教員のネイティヴスピーカーの先生方の多くが帰国されたと聞いております。
また、被災されて地域の先生方もお疲れになっているかと思います。

私たちは教育のプロです。教育現場で貢献したいと思います。