1869(明治2)年、西園寺公望が私塾「立命館」を開く

京都御所・蛤御門東南の白雲神社付近は、学祖・西園寺公望の私邸があった場所として知られています。
1869(明治2)年、気鋭の青年公卿であった西園寺公望は、ここに私塾「立命館」を開き、著名な儒学者たちを招いて詩文会を開催していました。白雲神社は、「御所の弁天さん」として知られる旧西園寺(さいおんじ)家の鎮守社で、妙音弁財天と称する市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祭神としています。

後に、私塾は京都府庁の差留命令により閉鎖されました。明治になって西園寺家は東京へ移り、昔の鎮座地の名をとって神仏混淆の妙音堂を白雲神社と改めました。白雲神社の案内文には「立命館を開設した地である」と書かれ、西園寺公望の志を今に伝えています。