武田鉄矢さん「名誉漢字教育士」授与記念特別対談 #2

白川説の魅力は、一旦、入口をくぐると文字が動くんですよね。(武田)/体系的なんです。だから、どこまでもつながっていくんですね。(加地)

加地
白川先生がお書きになったものをいろいろお読みになられたと思いますが?
武田
はい。ただ、金八先生の中で字の大もとの話をするとき、そのままでは使えないので、白川説をわりとゆるやかに説いていました。あえて名前は言いませんが、僕は白川教授から否定された教授の本の前書きが好きだったんですよ。
加地
ほう、そうだったんですか。
武田
すごくロマンチックでフォークソングになりそうな…。文字を作ったのは大陸の貧しい人たちであると。彼らには何の楽しみもなかった。彼らはおそらく棒っ切れで地面を引っ掻いて絵遊びをしたのであろう。その絵遊びから漢字は生まれたのだ、とね。その貧しい羊飼いがいて、羊が早く大きくなることを願って文字を書いた。それが美しい文字となったというものなんですが、ちょっとキリスト教っぽくていいじゃないですか。すごく気に入ったんですけど、白川説はもっとおどろおどろしくなるんですよね。だから、最初は抵抗があったんだけど、ただ、白川説の魅力は一旦入口をくぐると文字が動くんですよね。
加地
そうなんですよ。白川先生の場合は体系的なんです。思いつきで言っているんじゃない。これまでのほとんどの人は思いつきで一つずつ解説しているんですよ。先ほどおっしゃった「人」の字もそうですが、それは思いつきなんです。白川先生は体系的ですので、文字と文字との関係がずっとつながっていくんですね。
武田
面白いですねぇ。蔓を伝うといいますか、遡る魅力といいますか。
加地
白川先生は、漢字は長い間に創られたのではなくて、神を祭るときとか、そういう必要があったときに一気にできたんだろうというようなことをおっしゃっているんですよ。まさに人工的に意志があって創られたと。貧しい人がブラブラしながら創ったんじゃなくてね。意図的に一気に創ったから体系的なんですよ。長くかかりますとバラバラになりますから。
武田
なるほど、なるほど。
加地
ですから、当然解釈も体系化しやすい。
武田
僕が一番驚いたのは、「女」という字が動き出したときです。漢字に出てくる女がただの女であるはずがないという、断固たる白川教授の口ぶりね。汗を流して祈れば、もう「汝」としか言いようがない抽象性の高い人物になる。その女の祈りごとを辞めさせようとすると「怒」る。力添えしてあげると懸命に「努」力すると…。もう女がどんどんどんどん動き始めるんですね。
加地
ずっとつながって説明をなさっているんです。だから、読む方も引きずり込まれていくんですね。
武田
しかも困ったことに、体験したこともないような、字の源にある世界が動いて見えるんですよね。
加地
古代の世界が持っていた祭祀とか、悪霊とか、そういうものの周りにある共同体性といいますかね。
武田
ここでも共同体が出てくるんですね。
加地
神々が関わっていて、つながりをもたせる。そういう共同体がそこにあるわけです。おそらく武田さんがスッとお入りになれたのは、お持ちになっているキャラクターの共同体性みたいなものによるのではないかと勝手に想像してしまうんですが。
武田
基本的には人間なんて…とは思っていて、個人なんて実につまらないものですけど、ただ、そのつまらない人間が3人、4人になると、ものすごく有機的に面白いものになっていくんですよね。
加地
そういうつながりを武田さんは単なる理屈ではなくて、よくとらえてらっしゃると思います。「世界一受けたい授業」という番組(に講師として出演されているの)を幾つか拝見しましたが、あれはほとんど白川説をもとにしていらっしゃるのでしょうか。
武田
もう、全部白川説です。テレビ局として“諸説あります”とは入っていますけどね。さらにテレビ局は(タイトルに)「本当は怖い」とつけたがるんですけど、怖いというより白川説には肌触りが、肌理があるんですよね。感触がある。成田空港などで団体行動をしている旅行客を見ると、全部「遊」という字に見えるんですよね。旗を持って、遊ぶという字が次々通過していくような。そんな面白さといいますかね。 昨日まで僕、ベトナムにいたんですよ。ベトナムは今、日本ブームなんですけど、あそこもかつては日本と全く同じ歴史をたどりながら、漢字を捨てちゃうんですね。彼らが名前は(聞いても)すごくわかりにくいですが、よくしたもので名前を漢字で言うとわかりやすくなる。僕は「平」(たいら)だからペイだと。ベトナム語を教わる場合も同じで、たとえば「ありがとう」は「カムオン」というから、英語のカモンで覚えてくださいって言う。でも、いざ使おうとすると英語のなんだっけ?ということになってややこしいんです。そこへ頭のいいベトナムの若者が、カムオンというのは漢字で書くと「感じる恩」だから、「感恩」といえば通じますと。そっちのほうがはるかにわかりやすいですよね。
加地
ちなみにベトナムの首都ハノイは、中国語で「ホーネイ」すなわち「河内」なんですよ。
武田
はぁ~。すぐにわかりますよね。我々は地形から、匂いから、全部判断できる。白川教授も漢字ほど便利な文字はないと。僕ね、不思議でしょうがないんですけど、白川説に従って漢字の源を尋ねるでしょう。するとものすごくわかるんですよ。なんでわかるんだろうと考えたことがあるんですけど、それは漢字の源というのが風景として日本にいくらでもあるからじゃないかとね。
加地
確かにそう思います。
武田
前から不思議だったんですが、浮き沈みの「浮」という文字の中に子どもがいるでしょう。なんで子どもがいるのか不思議だったんですよ。それが白川教授によれば、水の中に一回子どもを浸けたんじゃないかと。そうすると生命力のある子は浮かび上がってくるから、生命力のある子を育てようという。それが儀式であれ、生命力を試すものであったと。次に流行の「流」という字。あれも白川説に従えば、右側に広がっているものは髪の毛で、あれは子どもを流しているのだと。水に子どもを浸け、子どもを川に流す。それで生命力を試す。そういうことが古代にあったんではなかろうかと。聞くとおどろおどろしいんですけど、日本には「桃太郎」というわかりやすい例があって、川から子どもが流れてくるんですね。しかもこの子は異能な子で、普通の人間にはできない、鬼を退治するというスーパーパワーを持っている。「浮」という字と「流」という字が桃太郎に重なるとすごくわかりやすくなる。漢字はもともと中国のほうで生まれたのに、かくも日本人の我々にぴたりとくるとはね。
加地
子どもが生まれると一回捨てるという習慣が中国古代にあったんです。
武田
はい。日本もそうですね。都合がいいことに、僕は秀吉をやったことがあるんですよ。秀吉は生まれてくる子を「拾」(ひろい)「捨」(すて)と名付けていますからね。部下に(捨てるよう)命じるシーンもありました。仮に儀式化していたとしても、戦国時代ぐらいまでは子どもを一旦捨てるということがあった、そういうことが日本人の暮らしに脈打っていた、ということを白川先生は言っていますね。