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2017年度 立命館西園寺塾 11月25日講義「文明は<見えない世界>がつくる」を実施

2017年11月25日(土)
 ・13:00~14:30 講義
          講師:千葉工業大学惑星探査研究センター 所長
                     松井 孝典
 ・14:45~17:00 ディスカッション


【指定文献】
 『文明は<見えない世界>がつくる』松井孝典【著】岩波新書

▼受講した塾生のレポート(Y.N.さん)▼
 高次元に見た「文明」の定義から私たちのとるべき行動まで、知の最先端を切り開かれてきたご経験や科学に基づく考え方から、解説していただいた。

 最初に、「文明」とは「地球システムの中に人間圏をつくって生きる生き方」とのご説明があった。人間圏をつくるとは、近年の爆発的な科学技術の拡大だけではなく、生物圏における狩猟・採取の生活様式から農耕・牧畜への移行に始まり、産業革命・都市化など、いまの私たちが日常の営みとしていることそのものを意味する。地球の駆動力に頼るだけでなく、自らの駆動力を持つようになった人間が、どう人間圏を運用、維持していくか、どのように生きていくのかが問われるということだ。

 そこで重要なのは「知識を知性に変える」ことであり、20世紀までの「卵」の時代に学んだことを、21世紀以降「ひな」としての生き方(文明)にフィードバックしなければならない。ひなへの転機は、人と宇宙の関係を明らかにするヒントとなり得る、様々な自然定数・宇宙定数の存在の発見ではないかと感じたが、一方でそれら最先端の知を一般の知に還元する部分が、いま欠落しているというお話には、考えさせられた。最先端の科学技術に関わらない自分には気を揉むことしかできないが、理系学生と話す機会に、指定文献を通じて松井先生が示唆されていることを、(内容の説明まではできないと思うが)せめて紹介してみようと思った。

 また、講義において、一般の生活においても参考になる考え方をご教示いただいた。
  ・単に経験するのではなく知識を持ったうえでなければ、知性には結びつかない。
  ・考えるということは、問題を解くことではなく「作ること」である。
  ・与えられた条件で決まるという考え方自体が間違っている。
  ・「より良い」を追及することは、誰にでも、どんな立場でもできるはず。
 難しいことですが、新しいことを切り開くためには本当に必要なことだと納得した。自身の業務においても、新しいサービスなど既存の枠組みにあてはまらないことを始めるような場合には、環境を含めて課題の仮説をたてることから始まり、解決の手段を考え、一つ一つ実践しながら仮説を検証するアプローチが肝要である。
 「より良い説明をしてみたい」という思いを核に実践し続けていらっしゃる松井先生のお言葉だからこそ、とても説得力があった。



▼受講した塾生のレポート(T.K.さん)▼
 事前レポートにも書いたように、学問領域的には親しんでいる内容でもあったので、講義⾃体楽しく、新たな理論や最先端の研究結果の⼀端を、松井先⽣直々にお聞かせいただけたことは⾮常に幸運であった。超弦理論ではない「ループ量⼦重⼒理論」については初⽿であったので、調べてみたいと思う。また科学⾃体や世界に対するスタンスとして、「科学は世界について、より良い説明をすることを追求する」「その説明をするツールとして最良の道具が数学」「宗教は世界を停滞させた」という⾔葉は、最近の私の問題意識や感覚と似た⽅向性で嬉しく思ったし、特に「『より良いものを求める』ことを⽌めるのはナンセンス」という⾔葉については、“我が意を得たり”という感覚であり、すこしもやもやしていた気持ちが晴れたように思う。ディスカッションの際にも発⾔しましたが、私は“楽観主義者”なのか、何か重要な社会問題が起きようとも、それに関する技術や⽣活レベルを抑えるというような⾵潮には基本的にはネガティブである。これは実際にはワークしない(例えば、全⼈類の⽣活を等しく抑制することは出来ませんし、それは先に快楽を享受してしまった先進国の⼈のエゴだと思っている)と考えているし、問題があるのであれば、ではどのように解決していくか、に⼒を⼊れ、科学を推進する⽅向が健全であるというように考えている。加えて、多くの世代が紡いだ歴史の積み重ねで起こしてきた世界の進歩を、たかだか100年⾜らずの寿命である1世代の⼈間の考えで⽌めようとするのは、(ちょっと極端な表現だが)⾃⼰満⾜による後世の⼈類に対する嫌がらせだとも考えている。

 先⽣のおっしゃる「産業⾰命以降の科学によりだんだん分かってきた世界の知恵を⼀般⼈にフィードバックできていない」「物質世界のエントロピーは増⼤していくのに、超物質世界である《⾒えない世界》についてはエントロピーが不⾃然に減少していっている」という問題意識について、私なりにも考えてみたが、やはりなかなか難しそうだという印象を持ってしまった。これもディスカッションの際に発⾔したが、やはりある程度以上の知恵を享受するためには、世界を正しく記述している「数学」について理解をしておく必要がある。「英語」が分からないのに、英⽂学の素晴らしさは理解できないということだと思う。残念ながら、私を含めて数学が苦⼿な人が多いので、やはり数学教育から考え直す必要があるのではないかと思った。

 それでも私の興味はまだまだ続いている。本来は数学でしか記述できないはずの⾼次元の現象についても、その⼤部分の情報を圧縮し、解釈して落とし込んだ「⽂献」や「映像」等によってでも、この学問の楽しさには引き続き触れていきたいと思っている。

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