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独り言へ

2001/11/29

木曜日はお勉強とゼミの日。 最近は超越拡大、連分数、局所環の話を聞いております。勉強になります。

横浜ベイスターズの親会社問題は白紙に戻ったそうです。どうなるのでしょうか? 選手の精神状態が心配である。

2001/11/28

一遍にやることが3つも4つもあると、大抵何かしら忘れるものである。 答案を返して、解答例を配って、今日の演習問題を配って、 とある先生の講演会の案内をして、聖域なき構造改革と戦う(意味不明)、 ということを今日の演習の時間にした。 そのため大事なことを言い忘れていた。 「学生諸君、Sylow はノルウェイ人であって日本人ではない。」 大事なことを言い終えたので、今日は良く眠れそうである。

2001/11/27

コンピューターにトラブル発生。何度か再起動するも直らず。はて。 数名の手を煩わせるもなおらず。おかしい。最後に頼るはK.N.先生である。 ホイホイと直してくれた。 「こんなに簡単に直るとは思わんかった」の捨て台詞と共に去るコ○シ屋の姿は格好良かった。

2001/11/26

23日:工務店の人の用があっさり済んだので、 テレビのチャンネルをガチャガチャ(死語)。 早慶ラグビーが始まったばかりであった。 大学の同期生に堀越、今泉、郷田、藤掛という、 後に日本を代表するラガーメン(複数形)になった連中がいるため、 当時は結構真剣に見たものだが、すっかりラグビーとはご無沙汰であった。 リードしているし、監督が清田・清宮の清宮だということで、見てみた。 グラウンドを縦横無尽、左右無尽と言った方が正確か、そんなラグビーを展開し、 慶応のディフェンスをずたずたに切り裂くシーンは痛快であった。 圧勝後の清宮監督のインタビューがこれまた痛快:「こうなると思ってました」。

24日:風邪が治ったようなので、故人を偲びながらチビリチビリ。 変わった男であった。合掌。

25日:引きこもり

今日:ゼミ、ゼミ、ゼミ、ひたすらゼミ。

明日、明後日:講義、講義、その後果てしなく会議(の予定)。 体が弱って、会議室で風邪をうつされることでしょう。

2001/11/22

風邪は直らず。今日はゆっくり寝ていられる日なのだが、約束があり9時起き。 向こうさんの手違いにより、明日へ順延。 明日の約束は、双方昼過ぎを希望したので、13時30分。ゆっくり寝られる。 (詳細は秘密、にすることもない。単に工務店の人が部屋のことで来ただけ。 部品のサイズが合わないので、明日仕切り直しってだけのことだ。)

2001/11/21

先週末は東京へGo! 数学の話を聞いて、しこたま飲んで、翌日帰ってくる、 などということを疲れ気味状態でやったため、まんまと風邪をもらってしまった。 昨日は風邪薬を飲んで講義したが、 風邪薬を飲むとドーピング検査にひっかかるのがわかる気がした。 「基底なんてのはな、気合で見つけるんだ。 定理だ公式だを忘れたからって答えが出せないなんて事はない。全ては気合だ!」 と講義中に興奮して連呼してしまった。終了後は激しい脱力感であった。

昨日は帰宅後医者へGo! 医者の出してくれる薬は偉大である。 大分楽になった。 今日は運良く(?)薬を飲み忘れてきたので、穏やかに講義が出来たと思う。 講義後に「喉飴いりますか?」と言ってロッテの喉飴をくれた学生さん、ありがとう。

2001/11/14

寝起きしている部屋の暖房が逝ってしまった。8年前の製品らしい。 前の住人と小生(恐らく主に小生)がこき使ったため、くたびれはてたらしい。 ということで、昨晩おニューの暖房が来た。 性能が格段に良いらしく、21度に設定したら暑かった。 前のは25度に設定しても寒かったのに。

温かい部屋で昭和58年の西武−読売の日本シリーズを見る (スカパーで放送していたのだ)。 中畑が逆転三塁打を打ってヘッドスライディングするシーン、 西本が9回に同点打を打たれ、地面を蹴るシーン、 金森の打球がクルーズの頭上を越えてサヨナラ、 状況がわからず右往左往する金森など、 いくつかのシーンがほぼ記憶通りなのは嬉しかった。 葉っぱこと鈴木葉留彦(現西武二軍監督)が活躍した、 というのは何となく覚えていたが、9回に出塁して次の打者につなげ、 同点の可能性を広げた、という地味な内容であったのは忘れていた。

2001/11/12

杉浦忠逝く。急性心筋梗塞だそうである。前日の映像を見ていると元気そうである。 心筋梗塞は怖い。 健康診断で「二親等以内の肉親が下記の疾病を患ったことがある」という欄があるが、 小生は高血圧、糖尿病、心筋梗塞に丸をつける必要がある。 心筋梗塞って遺伝性のものなんですかね。嫌だ嫌だ。

杉浦氏は凄い投手だったらしいが、残念ながら全く印象に無い。 小生が3歳くらいの時に引退しているのだから当然である (もっとも、もっと長く現役選手でいたとしても、 南海戦などテレビで放送されないから、まったく印象に残らなかったに違いない)。 南海ホークス最後の監督として、 大阪球場で「行ってまいります」と言ったシーンは格好良かった。 また探偵ナイトスクープで、「大阪球場の椅子が欲しい」という南海ファン相手に、 野球盤で勝負してあげているシーンは微笑ましかった。

ホークスは、根本さん、藤井投手、杉浦さんと、不幸続きである。 古くは「呪われた背番号7」久保寺内野手のシーズン中の急死もあったし。 御払いしてもらったほうがいいんじゃないか。

2001/11/8

母校W大学では、学園祭準備期間、学園祭期間、後片付け期間、 都合1週間講義が無い日があった。 当R大学は、講義の合間に準備、金曜まで講義があり、土日に慌しく本番、 月曜からまた講義、てな感じである。 4月の講義は4日から始まり、12月の講義終了は24日(振替休日ですぞ!)、 年明けの講義は7日から。学生さんは何とも窮屈な日々を送らされているものである。

学内を歩いていたら、学園祭で行われる講演会のチラシを渡された。 「理工学部の方ですか?」と声を掛けられた。 まあ理工学部の方には違いないので、「はい」と答えたら、 一緒にいた学生Y君が大笑いした。 チラシを渡した学生さんが非常に怪訝そうな顔をしていた。

2001/11/5

暑いと書いたためか寒くなった。最低気温が一桁になってしまった。 11月1日は、空調のスイッチを入れたら冷風が出てきたが、今日は温風が出てくる。 風邪に注意。

2001/11/1

11月だが暑い。