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独り言へ

2009/2/27(金)

雑誌から「受領いたしました。」というメイルが届いた。これで第 1 段突破。 と思ったら、宛先が「香川 貴章様」。 わしは「加川じゃ!」といつも言っておろうが。まあ今回は抗議は無し。 この後更に「香川」宛てに来たらクレームをつけるが。

3 月 5 日に、例の「ボーナスカット」の件の第 6 回公判があるそうだ。 この日は空いてるから、裁判所に行ってみよう。 原告ながら今まで行ったことが一度もないので。前の晩は飲まずにいよう。

2009/2/26(木)

昨日の補足。1軒目に行ったのは、焼肉「也」。この前は二人で行って、 「旨い」を連発しながら食ったんだが、助教の人は知らないが、 小生は「味のわからない男」。だから焼肉通のA堀教授を連れて行って、 品定めをしてもらおう、ということであった。でA堀教授は、 東京の有名焼肉店の肉を大しておいしいと思ったことがないらしいが、 今回は「旨い」を連発。やはり「也」の肉はいいものらしい。 最後はてっちゃん(誰?)の作ってくれた特製牛丼を食べて (これも普通の牛丼をイメージしてはいけないくらい良い肉を使って、 味付けも旨かった)、いつもの「也」へ行った次第。 (途中で「COLOR'S」に寄った。) 「らくざ」のおいしいスコッチでも良かったんだが、 いつもの「也」でもご両所はすっかり溶け込んで楽しんでおられたようなので、 結果オーライ。「らくざ」には今度宇宙人と行く予定。

飲んだ次の日は、大抵死んだように寝る。 今回もそうとうとんでもない時間まで寝た。飲む時は、二日がかりになってしまう。 だから、二日続けて飲むことは滅多に無いし、 講義の前の日は飲まないことにしている。(もちろん例外はあるが。) 何度も言うが、小生毎日昼夜逆転しているわけでは無いし、 毎晩飲んだくれてるわけではないので、よろしく。

2009/2/25(水)

論文電子投稿。というわけで、しばらくは結果待ち。 複素解析の予習に頭を切替えて、referee report を待つ。 (1 ケ月くらいで y or n がくると思しき論文なので、 3 ヵ月も半年も待って referee report が来なかったら催促することにして、 しばらく熟成させる。)

で、その後はほんまの教授(小生とある店では「教授」と呼ばれているが、偽物)、 と助教の人を連れて、教授のかつての本場と、助教の人の現在の本場を連れ歩き、 何軒か。順応性の高い人達なので、小生の御得意さんにすっかりなじんだ模様。 教授と助教の先生は 3 時頃に帰宅。小生はまだしばしのんだ後、 何故かカラオケへ。浜田省吾の歌ばかりひたすら歌ってきました。 氏の老後の豊かな印税生活のためにも、一曲でも多く歌っておかないと。 で今日は「悲しみは雪のように」、「愛という名のもとに」、「I am a father」、 「あれから二人」など、全曲浜省ソング。どれも出来は悪かったのだが、 ”そんなの関係ねぇ”。印税さえ入ればいいのだ。贅沢な老後を過ごして、 一ヶ所でも多くライブをやってください。今度はどんな手を使ってでもいくでな、 もし。

2009/2/24(火)

「ハイランドパーク 30 年」は入手できなかったらしい。 ということで、「バランタイン 30 年」を代わりに。 (代わり、と言っても、相当いいもの。ちなみに「ハイランドパーク 30 年」は、 一杯 6000 円でも赤字らしい。バランタイン 30 年ものは、一杯 4000円 弱。) うん、12 年ものとは確かに違う。テイスティングをしても、ロックにしてもわかる。 ただ、てっちゃん(誰?)が「わからんかったけど、適当に言ったら当たった」 というレベルだったので、「ごめん、明日(以降)また味比べにくる」 と「ごう」店長に詫びて、2 件目。普通の居酒屋。「手抜いてるんちゃう?」 というようなものが出てきたり、「チューハイ黒烏龍茶」が甘くて飲めなかったり (普通の「黒烏龍茶」は美味しく飲めた)で、 「もう来るまい」という気持ちになって帰宅。 今は深夜 5 時 30 分くらい(だから、書いている時間は、ちゃんと 2 月 24日。) なので、しばらくは起きている予定。

昨日(本当の昨日)は、4 時 30 分くらいに起きているから、 現在連続覚醒時間 25 時間くらい。だから今日は…。(以下略)

来年は群論の講義をやらないし、院試の群論の問題も興味はないのだが、 「位数 60 未満の群は可解」という事実は、整数論にも多大な影響を及ぼしている。 ということで、まず論文投稿、それ以降に複素解析の勉強、群論の復習、 という優先順位でこなす予定。たぶん最後の奴は、ほとんどしない。

2009/2/23(月)

何度も言いますが、毎日酒を飲んでるわけではありません。 昨日は飲まずに 10 時過ぎに寝て、今朝は 5 時前に起きた。 5 時に成るのを待って、松屋まで。今日は魚定食。 その後戻ってきて、昼飯をはさんで、15 時 30 分過ぎまで論文書き。 大分直したから、結構読めるものには成ってきた。 ただ、「When が多くてうるさい。場合分けもどうなっているのかわかりづらい」 とか、「君の英語は小学生の作文のような英語だ(足立先生談)」とか、 まだ気にくわない。まあ「小学生の作文」の方はもういいことにして、 「When」問題は、適宜「In case」などを含めて解決。 取り合えず今晩一晩寝かして、明日大学へ行ってからゆっくりながめてみる。 それでよしとなったら、即投稿。

というわけで、今晩はてっちゃん(誰?)と飲みに行く約束なので、飲みます。

アカデミー賞、すごい。最近のニュースはやれ火事だ、やれ誰が誰を殺しただ、 やれ誰が泥酔して居眠りしただ、やれ党首がお互いの悪口を言い合うだと、 心がすさむ話題ばかり。たまにはいいこともないとね。

2009/2/21(土)

目が覚めたら 11 時。さして用がないし、もう一寝入り。 次に意識が戻ったら 11 時。さして用がないし、もう一寝入り。 次に意識が戻ったら 11 時。さして、っておい。時計止まってるじゃないか。 実際の時間は結構とんでもない時間(実際の時間が何時だったのかは演習。)

ということで一日無駄になったが、この上酒でも飲みに出かけた日にゃ、 二日連続無駄になってしまうので、酒は無し。適当に作業して、 適当な時間に寝る予定。

2009/2/20(金)

「あほちゃう?」と言われたので、調査へ出動。 「ハイランドパーク(ビンテージ)30 年」が一杯 6000 円する奴。 因みに 12 年ものは一杯 1400 円。それでも高い、と言うと、 「うちの 1 ショットは normal の 1.5 倍くらい入れてる」と言われて納得。 しかもオーナー(「ごう」)は、色々飲み比べて、「ハイランドパークは違う!」 と確信を持って、30 年ものを入れてるらしい。 と言う事で(?)、その後、 てっちゃん(誰?)に月曜日におごる約束をしてしまった。 なので、明日「ハイランドパーク 30 年もの」入れといてな、 と頼みに行く予定。

日帰り名古屋往復ツアーは、 現時点(AM 5 時少し前)で無理であることが確定。 塩見(実名)君、岡本(実名)君と Nathan (仮名)によろしく。

昨日の修論公聴会に、4 月から来る A 先生(very younger)がいらしていた。 住処を探すなど、もろもろこちらで用があるので、折角だから聞いていこう、 ということらしい。見た目にはすごく大人しそうな人だが、 修論公聴会の学生の板書ミスを指摘したりして、元気そうな人だとわかった。 (まあ、彼の知合い数人からそのような御仁である、という噂は聞いていたが。) ということで学生諸氏、A 先生は見た目ほど甘くなさそうなので、 試験対策はしっかりするべし。

2009/2/19(水)

「昼夜逆転の飲んだくれ生活で、よく大事な会議をサボる某先生も、 予想通り今日はサボり。 」とか某所に書いてあったが、 恐らく小生のことでしょう。年中飲んでるわけでもないし、 昼夜逆転も年中しているわけではない。現に、昨晩は 10 時 に寝て、 今朝は 5 時に起きている。それから今(AM 11 時 15 分)まで寝てません。 朝ごはん食べて、一緒に買ってきた「目覚め緊急補給!」とか言う、 怪しげなドリンク(「コーヒー 2 杯分のカフェイン」、 「考えるエネルギーのぶどう糖」が入っている)を飲んだので、 今絶好調である。ということで論文の直し。大分いい感じになってきましたが、 もう一手直ししないといけない。英語の怪しい所は辞書を調べればよくて、 住処に電子辞書があるはずだが、例によって行方不明。 大学の電子辞書も行方不明だが、幸い電子ではない辞書があるので、 それを引いて前置詞のチェックなど。それからもう一度、 念のため一から計算してみる。こんな時にも間違いは見付かるもの。 今月中には投稿できそうだ。投稿したら複素解析の勉強をする。

修論発表会に、高速道路を利用しないで間に合うよう住処を出るが、 「大江3から 3km 渋滞」という表示を見て、「うぎゃ」となって、近江大橋経由。 550 円掛かるところを 150 円で行けたんだから、良しとすべし。 いつもは月の輪教習所の脇を通って、国道一号を跨ぎ来して、 そのまま山手幹線(文化ゾーンや龍谷大学の前を通ってる大通り)を通って、 草津田上インターの前を通って大学へ、というパターンなのだが、 今日は南草津駅の脇に出るルートで。カレーが食べたかったら。 「ごゆっくり」と言われてもゆっくり食えない。 (カレーは飲物、という名ゼリフもあるくらい。) ガッツリ一杯カレーを飲んで、大学へ。まず修論発表会。 一人目は留学生が英語で喋ってるので、よくわからなかった。 二人目は日本人の学生だが、外国語を聞いているのと同じくらいよくわからなかった。 (微分幾何は勉強したことがないので。 せいぜい多様体についてちょっと知っているくらい。) 何時の間にか Kaz 先生の独演会に成っていた。幾何の学生は辛いね。

判定会議の後、論文直しをして、ゼミ。 Hensel の補題の証明をちゃんと勉強してきたらしい。偉い。 要は「近似していくこと」なんだが、それがわかれば面倒な計算をするだけで、 理解するのは楽なはず。どんな証明でも「へそ」がわからないと面白くないし、 理解の障害にも成る。まず証明の概略というか筋というか、 そういうのをつかめれば、あとはルーチンワーク。 証明を一回読んでもわからないのは、大概「何をやってるのかさっぱりわからん」 からなのだ。だから復習しましょう > 学生諸氏。

で思い出したんだが、答案用紙の泣き言の一つに 「ここ二日三日風邪をひいていて、勉強できませんでした」というのがあったが、 そんな言い訳は一切通用しない。まず一回勉強して、筋をつかまないと。 そのためには何週間もかかる。二日三日でわかろうとする姿勢には 「ふざけるな!」と言ってF評価。

2009/2/18(水)

財布にお金が入っているというのはいいことです。 お金を卸したその足で、早速松屋で納豆定食。ようやくまともな食い物を食べた。

明日は修論発表会。去年は M2 の学生が一人いて、割合大変だったが、 今年は修士の学生を持っていないので、気楽。楽しんで聞いてこよう。

2009/2/17(火)

思うところあって、住処をちょっとだけ片付けた。 すると、いつぞや手に入れた高倉賢二郎「よみがえる昭和&平成」文芸社、 が出て来た。昭和 42 年生まれに「清原和博」が出ているのに、 昭和 43 年生まれに「桑田真澄」が出ていない。何故? 「蛍原徹」(あめあがり決死隊の片方)は出ているのに。 これは、昭和 42 年度生まれに「赤堀次郎」が出ていて、小生が出ていないとか、 昭和 43 年生まれに「原啓介」が出ていて、小生が出ていないとか、 そういう類の理不尽さを感じる。まあ小生は教授に成ってないから、 いいんですけどね

一杯 6000 円のスコッチを飲んできた。 値段のせいか、ものすごく美味しく感じた。UFO 君、今度おごるから飲み行こ。

で、財布の中身は 81 円…。まぁカードで払えるからいいんですけど。 とにかく 17 日の昼のうちには、そこそこおろす予定。

中川大臣、 偉い人が重要な場で酒酔いモードはいけませんな。お互い気を付けましょう。

2009/2/16(月)

眠い…。眠くてしょうがない。 今日はトータルで 15 時間くらい寝たんじゃないだろうか? 明日は寒いらしいし、用がないので、たっぷり寝て、論文の直しの予定

2009/2/14(土)

毎年恒例「バレンタインライブ」。いつものようにカメラマン。 あまり飲めなかったが、ライブが早めに終了したので、 その後はW先生と会話をしながら適切に飲む。楽しかった。 次のライブはいつなんだろうか?またカメラマンを仰せつかるのは必定。

15 日は大事な会議なので、遅れないように行く(つもり)。

2009/2/13(金)

最近「核」を英語で何と言うか?ということをとある御仁と話した。 やっぱり「core」とか「nuclear」(つづり曖昧。後日直す) とかそれの活用形を言うのが、彼の分野では多いらしい。 「核」と聞いた瞬間「kernel」と思ったら、あなたは十分数学に毒されているので、 安心(?)してください。

で今日(正確には昨日)は、コアな面接をして、 コアな飲み会(複雑系な人々と一緒)、 コアなミュージシャンのいる店で飲み(W先生と一緒)、 コアな「顔書き」の会話に付き合わされる等、「コア」な一日でした。

「コアジャーナル」はどうなるんでしょうか? 来年度の図書委員の先生が頑張ってくれるといいんだが。

今日(と言うか、ここ最近)の結論: 若い男の店長が若い女性アルバイトを雇ってやっている店は性にあわない。 やはり店長が妙齢の方で、バイトが若い男性の方が落ち着く。 前者は話が下品。後者はまったりとして落ち着いてよい。

2009/2/12(木)

12 日は休みなので、11 日の晩は飲み歩き。まず「COLOR'S」。 昨日のハイテンションを詫びて、怪しげな写真をもらって、2 時すぎに店を出る。

その後「也」へ行こうと思ったら、もう閉まっていた。仕方ないので「らくざ」へ。 「COLOR'S」の店長とアルバイトの英ちゃんが「LAPHROAIG」 っていうスコッチを飲んで、「ジョニ黒とは大分ちゃうわ」と言われたので、 「LAPHROAIG」を頼む。うん、大分違う。3 杯飲んで帰宅。 明日もちょっと余裕があるので、飲みに行く予定。 金曜日は昼から会議で、土曜日はライブ、日曜日は会議があるので、 ライブの晩はほどほどに飲む予定。例によってカメラマンなので、 あまり飲まずに済むでしょう。「開口」のオーナーが来なかったら、 ライブは大分早目に済む。15 日の会議は重要案件ばかりなので、 さぼるわけにはいかない。ということで、14 日はほどほどに去る予定。

2009/2/11(水)

例年は大抵「2 月 11 日と書いて入試採点と読む」なんだが、 何故か今年は 10 日で終わった。めでたい。定期試験の採点もほぼ終了。 「ほぼ」というのは、追試の答案があるため。昨日実施したらしいが、 答案がまだ届かないので、採点が出来ないし、 今日は祝日だから答案が上がってくることもないし、ゆっくり飲んで寝よう、と決意。

まず「開口」が閉店でないことを帰り道に確認し、帰宅。 途中で「COLOR'S」の店長とすれ違うが、こちらは車の中、 向こうはサングラスをかけて何やら怪しげな風貌、 ということで後で確認に「COLOR'S」に行く予定。 帰宅後「開口」へ珍品を持っていく。珍品とは、 浜田省吾デビューシングル「路地裏の少年」。 この歌はファーストアルバム「生まれたところを遠く離れて」に収録されていて、 ライブ盤「On the Road」にも生歌が入っていて、その後 12 インチシングル、 アルバム「J. Boy」と、何パターンにもアレンジされている。 ファンに取ってはどれも有名、かと思うと、 デビューシングルバージョンはあまり知られていない。 「開口」のオーナーも聞いたことがないという。 「まあ聞いてのお楽しみ」ということで預けてきた。後日感想を聞きに行く予定。 逆に、オーナーには「On the Road 2006−2007 My First Love is Rock'n Roll」 という分厚い冊子を見せてもらった。 京都会館のライブに行った時に買い求めたらしい。 小生このライブには行きたかったのだが、チケットが取れず行けなかったのだ。 で、オーナーが他の客の焼き鳥を焼いている時間とかに何箇所か読んだ。 面白かった。コアな話ばかりに成ってもつまらんだろうから、ちょっとだけ。

中央大学を受験しようと思って、「水道橋」の駅で降りて、 受験生らしき団体の後ろについていったら、そこは明治大学だった。 慌てて中央大学に戻ったが、もうパニックてて試験どころでは無かったらしい。 結構間抜けやね。その後神奈川大学に進学して、中退していたのは知っていたが、 入学した学部が法学部だったこと、中退したのは、吉田拓郎の影響によるもの、など。 昔の貴重映像、インタビューなどが収録してあり、楽しいことこの上ない。 店が忙しくなってきたようで、 「汚れちゃ困るから片付けてください」と小生の方から頼んで片付けてもらう。 帰り際に「今度続き見に来ます」と言って、途中から来た蟻さんと一緒に退散。 二人で「COLOR'S」へ。コアな話や、人生いかに生きるべきか、など、 難しい話多数。とにかく暑かった。「開口」でタバコ臭くなったハンカチで、 おでこから鼻にかけての汗を拭うことに必死。「暑くないで」と皆おっしゃるのだが、 小生一人汗みどろ。

蟻さんによれば、アルコールに依る自律神経の乱れが原因ではないか、とのこと。 体調のおかしい証拠に「COLOR'S」を出てから三条通りを渡るまでは暑かったのだが、 渡った瞬間に今度は寒気。山から吹き降ろしてくる風が原因か。 とにかく今日は「也」にも「らくざ」にも寄らずに、帰って寝ることにする。 (と言いながらこんなものを書いているが、それは体調の戻った証拠。) 明日も休みなので、 今夜は「COLOR'S」か「開口」か「也」か「らくざ」へ襲撃をかける予定。 もちろん体調と相談の上。どの店にも多少は用があるので。 (「也」にはあんまり用はないが。)

やはり自律神経の乱れによるものなのか、「COLOR'S」では異常なハイテンション。 例によって過去をほじくり返し、「悪いけど俺はこんだけ頑張ったんだ。 お前らが単位不足で卒業できないのはだなぁ(以下自粛)」てな話をほえまくる。 ドクターの頃にもらっていた奨学金(のようなもので奨学金ではないが) のほとんどは食費に回した。 「研究でとても忙しいので、バイトによる副収入は見込めない。 よって奨学金(のようなもの)は食費に回す予定」 という前代未聞な申請書類を出して、当選。 その通りその金はほとんど食費に注ぎ込んだ。牛丼並一杯 290 円。 たまにもらえる「卵無料券」でちょっと贅沢、といったもんだ。 ロッテリアが「ハンバーガー一個 100 円」という時は、 ハンバーガー 2 個が昼食。わびしい生活をしていたもんである。 祖父がボケ始めたこともあり、D 時代の研究生活は悲惨を極めていた。 が、そういう時こそ活力が湧くもので、よく研究した。 鉱脈に巡りあえたのもその頃。今は駄目。給料はそこそこもらえるし、 デューティーは決して多くないし、 それでいてその少ないデューティーの準備に時間を取られるし、 採点したら絶望の淵へ…。ただ今年は論文を書くという、 比較的アカデミックなことに時間を使っているので、例年より精神状態はよい。 おっと、それは不合格者の多さとは関係ありませんよ。 むしろハイテンションなので、 「こんなのは全部不合格だー!」と成り兼ねない。 とりあえず一日おいて、頭を冷やしてから採点の点検。 その後追試の分もあわせて OCR に写して終了。 それからは単発的に会議があるが、総じて暇になるので、 飲み歩き論文書き。

2009/2/10(火)

過去のことを色々ほじくり返していたせいか、小学生の頃のことを夢に見た。 小生の小、中学校時代は、思い返すも悲惨な時期であった。 (まあ体育以外の成績は良かったんだけどね、とちょっと自慢。) その夢のせいで、6 時頃飛び起きた。実に寝覚めの悪いこと。 あと 2 時間くらいは寝ていられたんだが、遅刻しないよう、 そのまま起きておくことにする。朝食を取って、風呂入って大学へ go!

10 時から入試の採点。若干寝不足のため不調。 午後から会議があるため、昼には開放してくれた。 昼食後会議。当学科のことを「複雑系」と呼ぶ人がいるようだが、 なるほど「複雑系」だ。あれはこうだ、どうだ、ああだ、と議論が飛び交い、 結局収束したのかしないのかよくわからない。収束、発散には慣れておかないと、 入試問題をつくることも複素解析の授業をすることも困難なので、 とりあえず数学の方の収束、発散は春休み中に慣れておくことにして、 人生の収束、発散は残りの人生の間に徐々に慣れていくことにする。 ただそれには、こちらから大量に発散することにしないといけなく、 それは大の苦手なので、おそらく慣れないでしょう。

などと書いている側から、3 回生が一人現れた。 死刑宣告を聞いて帰ってもらった。 その学生は背広にネクタイと、いかにも就職活動中という感じだったので、 聞いてみたら、やはり就職活動の帰りだという。 おとなしく従順そうな学生であったが、内面はどうかわからない。 小生見た目はいかにも凶暴そうに見えるらしいが、 実際は犬の鳴き声にすらびびってしまう小心者である。 その学生がもしかすると、中央大学の学生に習って、立命館大学教授殺人、 とかなったらどうしよう。あ、そうか、教授に成らなければいいんだ。
#いやまあ、いつかは成れる、と信じたいのだが。
#あんまり若いうちには成りたくないが、そろそろ「若い」とも言えないし…

隣の部屋に物理の先生が来たのは 5 月に書いたが、 何と、来年度の 4 月から 7 階に移るらしい。気の毒に。 まあ通りがかりにちらっと見た感じでは、あまり散らかしていないようなので、 引越しはスムーズに済むんでしょうな。などと書いている側から、 隣でゴトゴト音がしている。早くも引越しの準備をなさっているんだろうか? で、その部屋は、今年度定年で、来年度から特任教授とやらになる、 F 先生と N 先生(older)が二人でシェアするらしい。 お二人にはまだまだ教えを乞いたいので、しばしば会えることは良いことである。 うん。

2009/2/9(月)

ちゃんと 7 時ちょい過ぎに目が覚めた。 それから風呂入って、9 時過ぎに大学に着。ETC 通勤割引が使える時間だった。 その後採点。比較的困難の少ない問題に当たったため、3 時前に終了。 で、明日は休み、とはいかなかった。10 時に来いとのこと。 まあ明日で絶対終わりなわけだから、気は楽である。 ただその後会議とか。成績づけがまだ残ってるんだが…。

先日の件にちょっと補足。「鉱脈を見付けた」と書いたが、 正確には指導教員ではない先生に、鉱脈がありそうな所を教えてもらった、 で実際そこに鉱脈があった、というのが正しい。 ただその先生が考えていたのとは全く違う方法で問題をほじったため、 面白い予期せぬ宝を色々見付けた。今書いてる論文は、その宝の内の一つ。 当分この宝ともう一つの宝を磨く予定。

2009/2/8(日)

飲んだ翌日恒例、アホのように良く寝る。 W先生は、小生の飲みっぷりを見て「元気だなー」と感心されていたが、 いやいや、次の日は一日駄目になるのだ。 ということで、開講期間中は毎週、木曜の晩から金曜の深夜にかけて大酒、 金曜日は一日寝て無駄に過ごし、土曜日の晩から日曜にかけて大酒、 日曜日は一日寝て無駄に過ごす、ということを繰りかえしていた。 今日も御多分に洩れず、二日酔いで 4 時頃まで寝て、 大河ドラマを録画するようセットして(実はまだ一回も見ていない)、 そのまま寝て、今(深夜 1 時近く)まで寝ていた。 明日は早起きなので、またすぐ寝る予定。寝つけるのか? という疑問をお持ちでしょうが、どうにかなるもんです。 目覚しは 7 時にセット。それから風呂入って、9 時過ぎに大学に着く予定。

2009/2/7(土)

昨日頑張ったおかげで、今日の採点業務は無くなった。 ということで、定期試験の採点などをして夕方まで過ごす。

その後、当ページでは有名になりつつある「也」の兄弟店、 焼肉「也」へW先生と一緒に行く。 9 日まではカルビ盛りを安く提供してもらえるため。 店に入るなり、店長に「いらっしゃい」と言われ、 その後オーダーを取りにきた女性にも「おやいらっしゃい」と言われた。 二人とも焼き肉屋開店まではいつもの「也」で働いていたため、 小生のことは覚えているらしい。 そんなに覚えられる程の悪事を働いた覚えは無いんだが。 まあいずれにせよ、W先生が焼肉奉行なので、任せておいて、適当に食べる。 うん、おいしかった。今度はA堀教授も連れていくことにしよう。

12 時頃「也」を出る。その後、W先生が一杯飲みたいというので、 これまた有名店“COLOR'S”へ。W先生は本当に一杯で帰っていたが、 小生はその後店長と客の我儘に付き合わされ、3 時すぎまでいた。 時間感覚が狂っているのは、いつもの常連、謎のギター弾き陳さんが来なかったため。 通常は遅くとも 1 時半くらいにはお見えになるので、 皆今が何時かわからなくなっていた。

でその後いつもの「也」へ「焼肉行ったで」と報告。 梅酒 2 杯飲んだ所で閉店。

今日の痛恨:「見れる」と言ってしまった。

2009/2/6(金)

二日続けて寝不足でした。二日で計 7 時間くらい。頭ふらふらでした。 こういう状況が続くと、消化器系に異常が出てきます。 前は実家に帰ったときに、二日くらい全く眠れず (用があって寝られなかったわけでなく、目をつぶって、 寝るぞ寝るぞと思っても全く眠くならなかったのだ)、 帰りの新幹線は悲惨だった。(何があったのかは想像にお任せしますが。) 昨日の体調はその時に似ていたし、胃腸の具合が悪く、 何度もトイレ通いをするという状況。「これは何が何でも寝ないとダメだ」 ということで 18 時前に横になる。ちょっと手段を使ったため、すぐ寝られた。 で 24 時前に目が覚めた。頭ふらふら状態から脱出したため、 どうやら今日は大丈夫そうである。それでもまた適当な時間に寝る予定。 入試の採点は体調万全でないとミスを連発するので。

小生絵画には全くと言っていいほど興味がない。 「大学の教員は文化人なんだから、 文化ゾーンの美術館には絶対に行かないとダメだ」と他大学の同業者に言われて、 一度行ったのだが、別に何とも思わなかった。 「絵が壁に飾ってある部屋」というのが正直な感想。 そんな小生でも「片岡球子」という人の名前は知っていた。 何故なら彼女は、 かつて我が母の母校「関東学院大学付属高校」で教鞭を取られていたそうで、 母も美術の授業を受けたそうだ。その時から既に有名だったのか、 後に有名になったのかどうかは知らないが、 「サインの一枚でももらっておくんだった」と母は後悔していた。 (「絵の一枚でも買っておくんだった」と思わない所が小生の母らしい。) T 教授(younger)のページに一度片岡球子の名前が登場した時に書こうと思って 忘れていたんだが、昨日あたりから過去の記憶をほじくり返しているときに ふと思い出した次第。

これは前にも書いたが、高校の時の音楽の先生がお亡くなりになられた時に、 スポーツ新聞にもその記事が出ていた。これはその先生が有名というより、 ご長男が有名であるため。そのご長男とは、今をときめく「高橋克典」。 母校の掲示板で克典氏が高橋先生の息子と知った時は、びっくりしたもんだ。 高校 2 年の 1 学期に評定平均が 5 段階で 2.7 だったことは既に書いたが、 その時音楽の成績は 5 であった。大して楽器が演奏できるわけでもないし、 コード進行とか全くわからないが、 その時はたまたま試験の出来が良かったんでしょう。 あの時音楽の成績まで悪かったらと思うとぞっとする。 高橋先生ありがとう、と西を拝んでおいてから寝ることにする。

2009/2/5(木)

昨日はよう書いた。2 月の書き物を数年分見直してみると、 大体 2 月はキレている。 入試の採点と定期試験の採点で頭がおかしくなってるらしい。

昨日の続きを書きたくなったので、書く。 小生高校 2 年から 3 年への進級が危うかったのである。 社会の大友先生(実名)が、4 月にはっきりと基準を示していて、 1 学期、2 学期の成績があまりに悪く、 3 学期のテストで 70 点取らないとアウトだったのである。 そこを小生は乗りきった。最後の晩の集中力はすごかった。 暗記するのは大の苦手だが、ぎりぎりまで必死になって覚えて、 答案にバーッと書いたのだ。次の日大友先生の髪の毛が真っ白になって、 「ほれ、加川が苦労させるから、先生全部白髪になっちまったじゃないか」 とからかわれた。単に先生が染めるのをやめただけらしいが。

さらに、小生は大学院を「単位取得退学」という形で出ている。 要するに、博士論文が書けないまま大学院を出ている形になっている。 そもそもが D2 くらいまでは先生から半分くらい見捨てられた形になっていたのだが、 そこから D2 の終わり頃か D3 の初めくらいに鉱脈を見付けて、 それを掘り続けて先生に認められて、本日に至る、というわけである。 (中退後助手(任期 3 年)になり、D 論は助手に成った年に書いた。)

要するにだ、決して小生の人生順風満帆だったわけではない。 他の先生方を見渡しても、 順風満帆で数学者に成れたわけではない人が数名いる。 (大学を 5 年で卒業した人、大学院を出てない人、工学博士 etc.) ということで皆さん、不合格の科目の一つや二つ、 卒業できるまでの 1 年や 2 年、大概の人は無駄に過ごしているのである。 3 回生以下は 4 年で卒業できるよう今から励み、 4 回生以上で卒業できないことが確定している人は、 1 年でも早く卒業できるよう気張れ、ちうことである。

もう説教じみた話は飽きた。自分の青春をほじくり返すのも飽きた。 ということでもうおしまい。

と思ったけど、補足。小生の出た高校のレベルはというと、 中堅進学校である。小生 30 期生だが、それまで東大合格者は 2 名。 毎年 2 名、じゃないですよ。30 年で 2 名。その程度の高校です。 (ちなみに高校卒業後、上述の大友先生が、同僚の先生方と飲んだ帰りに会って、 「おぉ、君は誰だったかいな?」「南校の卒業生です。」 「おぉそうか。君ぃ、今年はすごいぞ。一橋に現役で合格した生徒がいるんだ」 とかいうレベルです。) その高校で、1 年の 1 学期の成績は、 学年 300 番くらい(確か 1 学年は 400 人くらい)、 2 年の時はクラスで下から 4 位タイ。大したことないでしょ。 だから、今推薦入試で入ってくる学生なんて、評定平均 4.0 以上とかなってるが、 小生 4.0 なんて達したこともない。3 年間で最高が 3.7 くらい。 2 年の時は 2.7 なんていう悲惨な学期(1 学期に記録)もあった。 ということで繰り返しになりますが、 みなさんの大学に入った時点での数学のポテンシャルは、 少なくとも小生の高校卒業時点よりは高いはず。 自信を持って n(2≦n≦8)回目の春を迎えてください。

2009/2/4(水)

今日から入試の採点である。華麗なる丸付けを見せてやろうじゃないか、 と思ったら、ミス続出。まあ幸い第三者が改めて数度見直すので、 心配することは無い。もちろん間違いが無いにこしたことはないが。

今日の集中力不足は、寝不足に依る所が大きい。 早く寝ようと 9 時すぎに寝たんだが、いくら何でも早過ぎた。 深夜 3 時頃目が覚めてしまって、それから軽く食べて(朝飯の代わり)、仮眠。 この仮眠が良かったんだか悪かったんだか。とにかく脳味噌が栄養不足である。 ということでコーヒー(砂糖入)を飲んで、飴ちゃんなめて、昼飯食べて、 ようやく快調になった感じ。

昼休みの間に定期試験の採点。こちらは主に華麗なる×付け。 例年は、9 月末から 1 月半ばまでやった講義の内容は、ほぼ学生に伝わっていない、 とわかり、絶望の淵へ追い込まれるのだが、今年は慣れたためか、 あまりショックを感じない。あまり真面目にやると午後の採点の能率が落ちるので、 適度に済ませておくことにする。ついでに論文のプリントアウトもしておこう。

で数時間経過。入試の採点の今日の仕事は終了。また明日も入試の採点はある。 その後定期試験の科目を 1 科目採点。こちらも終了。 明日念のため、もう 1 回全員分見直す。その後成績記入用 OCR に書く。

で言いたいことがあるので、思い出話。 (このページは学内読者が多いようなので書く。 Y村さんやT皆さんは見なくてよろしい。) 前に書いた通り、我が母校では卒業研究が 3 年生後期からある。 初めに読まされた本(何の本かは内緒)がとても難しい本であった。 予習をするために必死であった。授業はほとんど出ずに予習をした。 (出ていても内職で予習をしていた。) その結果、3 年生の単位は壊滅状態であった。 え、3 年生前期の分は取れてるだろうって?うんにゃ。 当時は通年科目の方が圧倒的に多かったため、 後期の試験壊滅=1 年分の単位壊滅、ということになる。 ということで 3 年生の時は 20 単位+α位しか取れなかった。 4 年生で取るべき単位は 26 単位。 さて、ここで「ゼミのテキストが難しすぎるので、変えてください」 と言えばよかったが、足立先生の前では蛇に睨まれた蛙状態なので、 困っていた。しかし運良く先生の方から「テキストを変えようじゃないか。 今度よその大学から修士に入学してくる学生がいるし、丁度再販されたようだから、 君等で岩澤健吉「局所類体論」(岩波)を交替で読みなさい。」 と言ってくださった。うん、読んでみると、前のよりははるかに易しい。 ただし、非分離拡大とか、位相群とか、無限次ガロア理論とか、 勉強したことのなかったことが目白押しだったことには違いない。 で毎週必死に勉強して、前に書いた通り 26 単位取るべく 50 単位くらい登録して、 1 年生のように毎日大学に通ったもんだ。図書館に夕方までこもって、 その後帰りはすいている電車を見付けて、その中で必死にテキストを読んだもんだ。 幸い大学院の推薦入試を受ける位の質は確保できていた (要するに単位を取れてる科目の成績は良かった)ので、就職活動だ、 院試だとやらずには済んだが、それでも大変だった。 1 日にも書いた通り、シュワルツ超関数の勉強もした。 で、結局無事 4 年で 26 単位以上取れて、卒業できたわけである。 (因みに要卒単位は 146 であった!) もちろんどの答案にも泣き言の類は書かなかった。

本題:「今年全部合格しないと来年で卒業できる見込みが…」とか、 「6 回生ですし、何とか…」とか言うのは一切見ない。小生多少のことではぶれない。 だから最初に決めた基準(しかも大甘な)を満たしていない解答は、 全部 F 評価にしました。F 評価じゃなかった人は、手紙、 泣き言の類のおかげではなく、何かしら答案用紙に点を与える部分があったからです。 来年度以降もこの方針は変えません。よろしく。

とばっさり切って帰ろうと思ったが、忘れないうちに。 例年 4 回生に成った時点で 80 単位以下の学生は必ずいます。 が、そのうちの何割かはきっちり卒業していきます。だから希望を持ちましょう。 ちなみに来年度の 4 回生の代数の講義は、小生でなく I 先生が担当します。 さあ I 先生は甘いんでしょうかどうなんでしょうか。

でもうやめようかと思ったんだが、帰り道に色々考えたことをちょっとだけ。 (本当はたくさん書きたいんだが、酔ってないのでちょっとだけで我慢。) 高校時代の小生の数学の成績は、大体が 5 段階評価で 3 であった。 4 がたまにあったくらい。微積分は、 同級生の山田君(実名)が 2 年の 2 月くらいから勉強してるのを見て、 「負けてたまるか」ということで勝手に勉強し始めて、5 段階評価で 5 を取った。 (それで 2 年生までの復習がばっちり済んでしまったので、 浪人時代の模試の成績は最初からよかった。) えと、微積分の成績が良かったことを自慢するつもりではなかった。 何が言いたかったかというと:立命の学生は、 大学に入った時点での数学のポテンシャルは、 少なくとも小生の高校卒業時点よりは高いはず。 それを「俺は馬鹿だから」と卑下してみたり、 「卒業したいので何とかしてください」と憐れみを乞うような学生に成るはずはない。 要は勉強が足りないか、仕方が間違ってるかのいずれかである。

そうそう、もう一つ思い出した。小生仮免を取るのに人の倍かかっている。 (もちろん 35 才という年齢が一つのハンディだったことは間違いないが。) あの時落としまくった教官には大いに感謝している。 いい加減な状態で世の中に出したら困るからね、車の場合。 数学も同じよ。あの程度で卒業させて高校の教員にでも成られた日にゃ、 彼もしくは彼女の卒業生を見るこっちがたまらん。

ということで、長くなりましたが、この辺で。 今日は飲まずに寝る(明日も早いので)ので、今晩は二度と log in しないでしょう。

2009/2/1(日)

2 月である。2 月と言えば入試である。 しかし大学の 4 (以上) 回生も必死である。「合格してますか?」とか、 「不合格なら何とか救済を」とかメイルがしょっちゅう来ます。 結論:不合格救済レポートなど甘い。思えば 20 年ばかり前、 小生も卒業できるかどうか危なかったのだ。そのため微分方程式や シュワルツ超関数の勉強など、後輩に混じって必死にやった。 当大学で言う「基礎科目」などの類が一科目残っていて、 必死になって出席したもんだ(出席すれば通る、と言われたので)。 受かれば OK、不合格なら自分が甘い、と認識するべきである。 それくらいの覚悟がなければ、生きてゆけません。

2 月と言えば、野球のキャンプインである。 そろそろスポーツニュースから目が離せなくなってくる。 また、選手名鑑号を買い忘れないようにしないと。 それと、今月中に論文を仕上げないと。 3 月は早稲田での研究集会、学会、野球開幕、WBC、複素解析の講義準備など、 結構忙しい。あと数箇所直せば OK だと思えるので、頑張るべし。
#その前に定期試験の採点があるのを忘れてた。