H26-27 科研費基盤研究(挑戦的萌芽)

「歯の噛みしめに着目した嚥下機能の評価方法の検討」

研究チーム:

牧川 方昭

立命館大学理工学部

研究の総括、噛みしめ/嚥下モニタシステムの開発

田中 昌博

大阪歯科大学第2補綴学

噛みしめ/嚥下機能の基礎実験、臨床研究

  

概要:

薄くて柔軟なポリマー曲率センサとμプロセッサ技術を用い、噛みしめに伴う下顎部咬筋隆起、嚥下に伴う咽頭軟骨隆起の上下動を日常生活の中でモニタしうる噛みしめ/嚥下モニタシステムを開発し、嚥下における噛みしめの役割を明らかにする.舌先を前歯で噛んだ状態では、健常人でも飲み込みは困難になることから、嚥下時の不十分な噛みしめが誤嚥をもたらすと考えている.

また、本システムを用いて、ヒトの噛みしめ、飲み込み行動を24時間連続計測することを試みる.無意識下の唾の飲み込み状況など、これまで明らかにされてこなかった日常生活における噛みしめ、嚥下動作の実態が明らかになり、誤嚥メカニズムを解明する上で、有用な情報を与えてくれると確信している.

 

研究の学術的背景:

高齢者の死亡原因の4位である肺炎には、誤嚥性肺炎が多いと考えられており、高齢者の健康寿命の延伸のために、摂食・嚥下をモニタし、誤嚥の可能性を警告できるシステムの開発が求められている.

高齢者の摂食・嚥下障害の原因は、歯の欠損による咀嚼能力の低下、舌の運動機能の低下、唾液分泌の低下、口腔感覚の鈍化、咽頭への食物の送り込みの遅延、喉頭位置の低下による嚥下の際の不十分な喉頭挙上、上部食道括約筋の機能不全など、様々である.これらの原因の内、食物を細かく調理する、水分を欠かさないなど、調理の仕方で誤嚥を防ぐことが可能であるが、咽頭・食道への食物の送りこみに関しては、そのメカニズムが明確でないこともあり、誤嚥防止方法は明確でない.

歯科の現場では、誤嚥を防ぐためには、噛みしめる歯があり、飲み込む力があることが必要であるとされている.共同研究者の田中は、健常成人においても、奥歯の噛みしめなしに嚥下することが困難であることに気付き、嚥下における高齢者の歯列の残存の重要性を示している.すなわち、嚥下時の歯の噛みしめの有無をモニタすることで、誤嚥の危険性を警告することが可能となると考えられる.

 

研究期間内に何をどこまで明らかにしようとするのか:

本研究では、新しく開発された薄くて柔軟なポリマー曲率センサとμプロセッサ技術を用い、噛みしめに伴う下顎部咬筋隆起、嚥下に伴う咽頭軟骨隆起の上下動を日常生活の中でモニタしうる噛みしめ/嚥下モニタシステムを開発し、1に示すように、健常成人ならびに歯科患者の日常生活における嚥下機能のモニタリング実験、健常者を対象とした模擬誤嚥実験を通して、誤嚥の警告方法を検討する.

当該分野における本研究の学術的な特色及び予想される結果と意義:

健常成人でも、噛みしめしないように、前歯で舌の先を噛んだ状態で飲み込みを行うことは困難である.これは噛みしめがないと下顎の固定が不十分となり、下顎を支点とする舌が食塊を口腔から咽頭へ送り込むことが難しくなるためである.実際、介護現場では、高齢者の摂食活動の維持に歯の噛みしめが重要であることは知られているが、噛みしめに着目した嚥下機能の解明研究は、他に類をみない、独自の研究である.

また、日常生活における嚥下機能の計測に関しては、圧電フィルムを喉頭隆起の周りに貼付し、嚥下に伴う喉頭隆起の移動を検知することが試みられている.しかし、圧電フィルムはDC応答しないため、ゆっくりとした皮膚の隆起変形を捉えることはできなかった.本研究では、研究協力機関である潟Nラレが新たに開発した応答帯域がDCまで広がる柔軟ポリマー曲率センサを用い、日常生活における噛みしめと嚥下を同時に計測できるシステムの開発と、誤嚥の防止への応用を検討する.

 

研究の斬新性・チャレンジ性:

@ 本研究が、どのような点で斬新なアイディアやチャレンジ性を有しているか

2に示すように、ヒトの摂食動作は、1) 咀嚼と食塊形成を行う準備期2) 食塊を奥舌へ移送し、咽頭へ送り込む口腔期3) 食塊が咽頭を通過し、食道へ送り込まれる咽頭期4) 食塊が食道を通過する食道期に分割される.この内、本研究で注目しているのは、2)の口腔期である.

この口腔期では、食塊が気管に入らないように、喉頭蓋による気道閉鎖、喉頭の前上方への挙上、声門の閉鎖が行われ、準備期で形成された食塊が、舌の複雑な運動により咽頭へ送られるが、この舌の運動によって食塊が確実に咽頭に送り込まれるためには、下顎が口蓋にしっかりと固定されている必要があり、そのためには口腔期に噛みしめが不可欠となる.そのため、一連の複雑な動作のタイミングがずれると、食塊の声門上までの侵入喉頭侵入、声門下から気管への侵入誤嚥を引き起こすことになる.

3は、以上の噛みしめの重要性を示すため、柔軟ポリマー曲率センサを用いて、噛みしめと嚥下を同時計測した結果である(研究方法に詳述).この計測例は、健常人が水3 mlを通常飲み込みした場合(通常嚥下)と、噛みしめを困難にするために、舌の先を前歯で噛んだ状態で飲み込みを行った場合(努力嚥下)の結果である.結果は、噛みしめがない状態では、健常人が僅か3 mlの水の飲み込みでさえ、嚥下が約0.5 sec遅れることを示している.

 本研究は、新しく開発された柔軟ポリマー曲率センサを利用し、健常者を対象に噛みしめと嚥下の関係を明らかにするという新しい発想のもと、歯科臨床現場で多様な患者を対象にこの関係を検証することで、高齢者の誤嚥の危険性を警告しうる方法を明らかにしようとするチャレンジ性を有している.

A 本研究が、新しい原理の発展や斬新な着想や方法論の提案を行うものである点、または成功した場合に卓越した成果が期待できるものである点等

従来の嚥下機能の診断には、冷水3 mlを嚥下させ、ムセの有無、声質の聴取を行う改定水飲みテスト(MWSTが一般的であり、更に深刻な咽頭反射消失の場合、X線透視下で造影剤入りの模擬食品を嚥下させる嚥下造影検査(VF検査)が実施されている.

本研究で対象とするのは、咽頭反射消失によって、摂食が困難な場合ではなく、特に嚥下に問題はないものの、高齢化のため、誤嚥の危険性が増加した高齢者である.ヒトは高齢化によって咽頭反射機能の低下に加え、歯を失い、嚥下に必要な噛みしめが難しくなるため、誤嚥事故の危険性が増加すると考えている.このような高齢者の誤嚥事故の危険性を予防する上で、本システムは有益な情報を提供してくれると考えている.

以上のように、本研究は、嚥下時の噛みしめに着目した嚥下メカニズムの解明を目指す、嚥下バイオメカニクス領域の新しい試みであり、誤嚥予防に寄与しようとする高齢者臨床医療において大いに貢献できるものである.

 

研究計画・方法:

本研究では、平成2627年度に2年間にわたって、下記の6項目の研究を実施し、嚥下に時の噛みしめの役割を明らかにすることで、誤嚥事故の防止方法を検討する.

1.柔軟ポリマー曲率センサの設定方法の検討

2.携帯型噛みしめ/嚥下モニタシステムの開発

3.通常嚥下ならびに努力嚥下  

4.ヒトの噛みしめ/飲み込み行動の24時間連続計測

5.歯科臨床現場における水飲みテスト実験

6.患者の噛みしめ/飲み込み行動の24時間連続計測

本研究で使用する柔軟ポリマー曲率センサは、研究協力機関である潟Nラレが開発したもので、4に示すように、イオン性ポリマーを電解質として中心に配置し、その両側に電極層を設け、最外層を保護フィルムで覆った構造の薄くて柔軟なセンサである(文献1,2).このセンサは、曲げによって生じる内側と外側の圧力差によるイオンの濃度勾配を電圧として出力するもので、4に示すように、曲げ曲率と出力電圧の間には線形な関係がある.また、応答帯域がDCまで広がっていることも他の圧電フィルムにない特長である.

最初の研究課題は、柔軟ポリマー曲率センサの大きさ、形状、貼付位置の検討である.5に示すように、噛みしめの計測には咬筋あるいは側頭筋の噛みしめに伴う筋の膨驍フ計測を、嚥下に関しては、嚥下に伴う喉頭隆起の上下動を計測するのが適当と考えている.また、ユーザ自身による確実な装着を可能とするための装着方法についても検討を加える.この歯の咬合、嚥下を効果的に捉えるためのセンサの形状、皮膚への密着方法については、研究協力機関である潟Nラレつくば研究センター高分子材料研究所が担当する.

引き続いては、日常生活の中で摂食行動がモニタ可能な携帯型噛みしめ/嚥下モニタシステムを開発する.装置はμプロセッサ技術、並びにUSB汎用インターフェイス並びにディジタル無線通信技術を用い、掌に載る程度の大きさにすることを考えている.6に示すように、既に我々は、日常生活における身体活動量を3日間にわたって連続計測しうる、掌に載るサイズの45 gの超小型生体信号モニタ装置を独自に開発しており(文献3)、その技術を活かしたシステムを開発する.

そして、研究初年度のまとめとして、健常者を対象に、様々な量の水、大きさの食塊を用い、通常嚥下ならびに努力嚥下実験を実施し、噛みしめと嚥下の関係を明らかにする他、日常生活における摂食行動の長時間計測を実施する.

この段階で、嚥下における噛みしめ動作の重要性が明確に示されない場合でも、ヒトの噛みしめ、飲み込み行動を24時間連続計測した例はなく、7に示すような、ヒトの無意識下における唾の飲み込み食事時の咬合回数以外にも精神ストレス時の歯の食いしばり/唾液飲み込み量の低下睡眠時の歯ぎしり(ブラキシズム)の発生状況把握など、これまで明らかにされてこなかった日常生活における噛みしめ、嚥下動作の実態が明らかになる.

この年度には、実際に歯科クリニックに携帯型噛みしめ/嚥下モニタシステムを持ち込み、性別、年齢、歯列の残存状態、嚥下機能低下の患者など、様々な被験者を対象に改定水飲みテスト(MWST)中の噛みしめ、嚥下計測、ならびに食事習慣、摂食時のムセの経験などの聞き取り調査を実施する.被験者としては、特に摂食動作に問題のない男女50名のコントロール群と、摂食動作に問題のある男女20名を予定しており、両者の噛みしめ、嚥下動作の違いを比較する.

これらの歯科クリニックにおける実験で、嚥下、噛みしめに問題のあると考えられる患者に対しては、日常生活における摂食行動の24時間計測を実施する.

なお、誤嚥の警告の可能性については、誤嚥事故時あるいは直前の警告が必ずしも有効かどうかも明らかではないが、むしろ、噛みしめと嚥下のタイミングのズレ、噛みしめ力の不足などから誤嚥事故の可能性を指摘することが事故防止に重要であると考えている.嚥下事故の可能性の警告で、調理方法の変更、摂食姿勢の確保など、本人の注意喚起が可能となる.そのため、噛みしめに関しては、噛みしめ力の大きさ、噛みしめ持続時間と嚥下動作時間の位相関係を解析対象とする

24時間計測ならびに、前記のクリニック現場での短時間の水飲みテスト時の計測は、基本的に被験者への危険は少ないと考えられるが、大阪歯科大学研究倫理委員会、立命館大学研究倫理委員会での承認をとると共に、十分なインフォームドコンセント確保のため、患者への十分な説明をし、協力依頼を行う.
文献1) Y.sakaue, et.al: Measurement of swallowing using flexible polymer sensor, Proc. of 35th Annual International Conference of the IEEE EMBC, 612-615, 2013
文献2) 松島ら: 柔軟な曲げセンサ「ポリマーセンサ」の開発,医療機器学,83(4)386-391, 2013
文献3) 牧川方昭:運動の長時間計測,理学療法MOOK6:運動分析,三輪書店,50-592000