2001年4月13日(金)
<< マージナル・ドリーマー >>
夢見るH先生の日記に、辺境に生きて、かつ、正しく自分の夢を見ていく マージナル・ドリーマーの心得が書かれている。「マージナル・ドリーマー」 を私なりに翻訳すると「極楽蜻蛉」となるのだが、私の説によると、これには "天然モノ極楽蜻蛉"と"人造モノ極楽蜻蛉"に分類される。後者の場合にはH先 生の言うように、「その運命を引き受ける勇気と、自分を支えるための深い教 養と、生き抜く才能」が必要になると思われる。H先生は"天然モノ"だと信じて いたけれど、こういう思いつきで言ったとは思えない深い言葉が出てくると ころを見ると、彼は"人造モノ"の方ではないか、という気もしてくる。

ところで数学とか数学者というのは、たぶん産業革命以前は辺境の存在で あって、数学者という職業自体が存在してなかったようである。ガウスもゲッ チンゲン大学数学教授ではなくて、ゲッチンゲン大学天文台所長という身分だっ たようだ。その後、産業革命から高度成長期あたりまでは、科学技術の基礎と いうことで、割合もてはやされたようであるが、近年、少なくとも日本では中 高生の総数学嫌い化がほぼ完成し、計算機科学の「脱数学化」が急速に進行し、 さらに「これからは大学もIT革命で、グローバルで、国際的にならなくてはい けなくて、ぼっとしているとドッグイヤーだから、追いていかれちゃって、大 変なことになって、とにかく大問題だからIT革命が急務」( H先生 日記4月10日版)式のうわついた変な論理が世の中をのし歩くようにな った。かくして数学は再び辺境に戻りつつあるように思う。従って、数学者はよほ どの天才を除いて「人造モノ極楽蜻蛉」としての人生を送る覚悟が必要になる だろう。

それにしても、数理科学科1回生のアンケートの中に、「21世紀は情報 化社会で、時流に乗って生きていきたいから」数理科学科を志望した、と いう回答があってひっくり返った。この学生は志望学科を間違えたのかと思っ たけれど、後にファイナンス・コースの学生とわかった。ファイナンスは 「生き抜く才能」なのであろう。

本日午後一番で数理科学科1回生のCプログラミングの講義。引続き卒研ゼ ミ。A堀先生の提案に従って、学生から黒板消しを取り上げ、スポンジ・バケ ツ・ワイパーの"三種の神器"の使用を強要する。

2001年4月12日(木)
<< バケツ、スポンジ、そしてワイパー >>
バケツ、スポンジ、ワイパーの三種の神器を使って黒板を消すドイツ式講義は、 やってみるとなかなか大変である。実はドイツで講義したのは1回だけなので、 これほど面倒なものとは思わなかった。少しずつノウハウが蓄積されていって、 いずれは馴れてくると思うのだが、スポンジを絞って黒板を拭き、さらにワイ パーで水気をぬぐい去り、黒板が乾くのを少し待って、という操作をすること には変わりない。まあ、自然と間が空くので、学生諸君にとっては、板書を写 す時間が十分取れるという利点があるかも知れないが。それにチョークの粉の 水溶液があちこちに飛び散り、特に床を汚してしまう。ドイツではそれが当り 前で、夜になると掃除係のおじさんやおばさんがせっせとモップで掃除してい た。しかし、立命館でそれをやるとたちまちしかるべき筋から苦情が出るに違 いないし、下手をすると「ドイツ流講義の中止命令」が下るかも知れない。こ のような事態は何としても避けなければならない。従って、講義の後で自分で せっせと雑布で掃除をして帰ることになる。小学校時代、悪さをして放課後一 人で掃除当番をさせられた事を思い出したりして、楽しいといえば楽しいのだが。 いずれは、バケツとスポン ジとワイパーと、さらにモップを持って教室に現れることになるかも知れない が、それではまるで掃除のおじさんである。

かくしてドイツ流講義は数学科の講義だけに限定し、工学部の学生にドイ ツ流講義の有難味はわかるまいということで、一般教養や他学科の講義では日 本流に黒板消しを使うことにした。また数理科学科1回生のCプログラミングの 講義も、計算機などき下品な話にドイツ流は似合わないという 理由で、これもやはり日本流にする予定である。

A堀先生のすばらしい提案によると、ゼミの学生にはドイツ流を「強要」す べし、とのこと。我らが数学教室は、Yt先生やAr先生のような「フランス学派」 の数学者も居るが、私を含めD先生一派、Ni先生、Yo先生など「ドイツ学派」 も少なくない。いずれ私のゼミも、ドイツ学派の一角として、ドイツ語の論文 を読み、「三種の神器」で黒板を拭くスタイルになることだろう。

本日午前は大学院の講義で代数幾何学の初歩を教え、午後は一般教養の線 形代数の講義。ああ、何だかすっかり数学科の先生になった気分だなあ、と少 し嬉しくなる。講義の合間は、明日のCプログラミングの講義のプリント作り。

夕方Herzog先生よりメイル。例の問題は、若干の条件付きで証明できたと のこと。やれやれ。ドイツで撮った「Herzog先生最後の幸せそうな顔」のビデ オ画像を、CD-ROMに落して郵便で送るとの話に大喜びのようである。「俺は ずっと映画スターになることを夢見てた。それが今実現したのだ!」と。彼の ホームページを見るとわかるのだが、Herzog先生は自分がポール・ニューマン に似ていると思っているらしい。うーん。

2001年4月11日(水)
<< Herzog先生からのメイル >>
Herzog先生からメイルが来た。4月中旬までに論文の最終案を書いて送るから、 それをチェックしてコメントや改良できる事が無いか考えよ、できれば興味深 い例を新たに構成して付け加えよ、という約束だったのだ。日本に帰ってきて からろくに数学をやってない状態なのに、それがもう届いたのかと思い、これ はまずいと一瞬冷汗をかいた。しかし、メイルを読んでみるとそうではなかっ た。

デュッセルドルフ空港に送ってもらう車の中でHerzog先生が「証明の中で 一ヶ所埋まっていない部分がある。でも、それはすぐにわかると思う。」と言っ ていて、私が「その問題なら、誰それの論文に似たような結果が出て来たから、そ の議論を参考にすればいいのではないか。」と答えた部分が、どうも思ったよ りも難しくてまだ解決できないらしい。それで論文の完成が遅れそうだ、とい うメイルであった。

具体例の計算などならHerzog先生にも負けないのだが、一般論の問題とな ると彼の方が数段上手である。いや数百段上手だ。そのHerzog先生が この一週間ぐらい考えてもわからないのだから、私が考えてできるとは思い難 いが、「とにかく時間を見付けて私も考えてみる」と返事しておいた。

本日よりバケツとスポンジと水切りワイパーを使った、ドイツ流講義を開 始する。日本の教室では案外使いにくい。最大の問題は、ドイツの教室には必 ず備わっている水道設備が無いこと、そのため綺麗な水でスポンジを洗えない ので、くみ置きの水で何回も黒板を消すことになる。そうすると、スポンジが 汚れてあまり綺麗に黒板が拭けなくなってくる事である。その後教室会議。

間抜けなドイツ・テレコムは、2回も日本の住所を書いて確認したにもか かわらず、ドイツの前の自宅に請求書を送りつけて来たらしい。私の後にそこ に住むことになった人から郵送されてきた。新規加入料100マルク は請求されてなかったが、何だかの変更料とか言って86マルクぐらいの請求 が書かれていた。間抜けと言えば、ドイツ・ポストもそうである。帰国直前に 大型封筒で10通程、資料や本などを日本に郵送したのだが。そのうちの1つ が届かない。ミカエル・エンデの「モモ」が入っていたのだが、これはあきら めるしかないようだ。もうひとつ、ドイツAmazonからKunz "Einfuehrung in die kommutative Algebra und algebraische Geometrie"を日本宛てに送って もらったのだが、これも結局どこかで消滅したらしく届かない。ドイツ Amazonに問い合わせて、もう一回送ってもらうことにした。今度もドイツ・ポスト を使って送ると言っているが、大丈夫だろうか。

ドイツは天国なのだが、ドイツ・テレコムとドイツ・ポストだけはドイツ 国民にとっても頭痛の種なのではないだろうか。とてもじゃないが、先進国の 電信電話、郵便事業とは思えない。だからこそ、どちらも最近無理矢理民 営化されたのだろう。しかしまだ間抜け病は治ってない。いっそのこと全員ク ビにして、全社員を新規採用して新しい会社を作り直すぐらいの事をやらない と、治らないじゃないかしら。

2001年4月10日(火)
<< 今日も数学 >>
めでたい事に今日も数学ができた。ドイツに居る時に当り前のように使ってい た事実の証明などを調べたり考えたり。Herzog先生との議論についていくのが 精一杯で、今まで証明をきちんと押える暇が無かったのだ。証明を知らない事 実を、「Herzog先生がそうだと言っているから、きっとそうなんだろう」とい う事で認めて、それを使って色々な事を証明する、なんて恐ろしい事をやって いたわけだ。夏頃までは可換代数レベル・アップ期間として、こういう基本的 な事実をもう一度一通り勉強し直したいものだ。

午後噴水前を歩いていたらP先生に出会う。スキーム論のゼミを何時にしよ うかという相談をし、火曜日の午後1時間ほどやろうということになった。お 互い忙しくてそれ以上の時間は取れないし、火曜の午後の1時間でさえしんど いぐらいだ。しかし無理矢理時間を作らなければHartshorneの本は全く手つか ずのまま1年ぐらい過ぎてしまうだろう。

院生M君が、「1回生で『数学者になりたい』と言っているのは誰ですか?」 と聞きにくる。早くから目をつけて、個人的に色々教えてやりたいらしい。立 命館の学生の間には厳しく学問をやるという雰囲気が希薄だし、大学側もそれ を助長しているところがある。勿論3万人の学生のほとんどは、別に学者や研 究者になりたくて大学に来た訳ではないのだから、それでいいのかも知れない が。しかし、少数の学問指向の学生が周囲の雰囲気に飲み込まれないように導 き、彼または彼女の持っているものを伸ばしてやるのは、我々の責任なのかも 知れない。

「ペトロス伯父とゴールドバッハの予想」に書いてあったように、「数学 者は生まれるものであって、作られるものではない。」とも言える。周囲の安 易な雰囲気に流されて潰れてしまうのなら、それは元々その程度の人物なので あって、真の数学者はどんな悪い環境の中からも遅かれ早かれいずれ頭角を現 す。難民キャンプで育って、ろくに教育を受けていなかったグロタンディエッ クみたいに。だから、放っておけば良いのだ、と。しかし、何十年に一人の一 流、超一流の数学者の場合にはそれは真実だろうが、私を含めた二流以下の数 学者にはあてはまるまい。

本日夕方より教授会。大した議題も無いのだが、二時間余り続く。 大した議題が無かったから二時間で済んだのだ、とも言える。

2001年4月9日(月)
<< やっと数学ができた。しかし... >>
今日は講義が無く、久ぶりに数学をやるまとまった時間が取れため、口から火 を吹いて暴れ出すのはとりあえず先送りされた。しかしまだ油断は禁物である。 一日ぐらい数学ができたからと言って、それが何だというのだ。次に数学がで きるのが一週間先だったら、その時は一週間分のブランクを取り戻すだけで終っ てしまう。で、その次はまた一週間先で、またまた一週間分のブランクを取り 戻すだけで終る、なんて事が続いたら、私は確実に暴発するであろう。ここし ばらくは、私の目が三角になっている時は、近寄らない方が良いであろう。

それにしても今年の花粉症はひどい。今までは寝室で空気清浄器をつけて いれば安らかに眠れたのだが、今年はそれでもアレルギー症状が起こるし、何 だか一日じゅう頭がぼんやりして、どうも気分がすぐれない。防塵マスクぐら いではあまり効かないし、一日じゅう防毒マスクでもしていたいぐらいだが、 マスクだけでも暑苦しくてしょうがない。ずっと昔は、薬を飲んで押えたりし たが、アレルギーの薬は猛烈に眠くなるのでやめた。最近の薬はどうなのだろう。 眠くなるのは嫌だし、情報学科時代に胃を壊して以来、副作用の強い薬は あまり飲みたくないし。

Yahooの花粉情報を見ると、今日と明日は花粉の飛散量が「非常に多い」 で、明後日以後は「やや多い」となっている。じゃあ、明後日ぐらいから楽に なるかなと思うと、それは大間違いである。Yahooの花粉情報は常に、今日と 明日は「非常に多い」で、明後日以降は「やや多い」のままなのである。これ ではまるで逃げ水ではないか。それに今はスギではなくて、ヒノキの花粉のは ずだが、相変わらず「スギ花粉情報」なんて書いてある。こんないい加減な予 想なら、ネコでもできるわい!

また、昼食を食べに行ったら、食堂は長蛇の行列。「学生の大群が押し寄 せる前に食堂に突進しよう!」と目を血走らせていた、Herzog先生の事を思い 出す。しょうがないので、今日はパンにしようとパン売場に行ったら、今日は パン屋がストライキをしているのか、はてまたパンを輸送するトラックがテロ リストによって爆破されたのか、旧ソ連のスーパーマーケットみたいに、棚に ほとんど品物が無い!まったくYahooといい、生協といい、ちょっと冗談が過 ぎるのではないか。火でも吹いてやろうかしら。

それやこれやで、本日夕方頃まで私はすこぶる機嫌が悪かったのだが、夕 方S先生と少し雑談をし、さらにその後、たまたま学系事務室にて、夢見るH先 生の後光まばゆい御尊顔を拝む機会にも恵まれ、かなり気分がおさまる。

2001年4月7・8日(土・日)
<< そのうち火吹くぞ!! >>
日本に帰ってきてからほとんど数学が出来ない状態である。Herzog先生なら、 そろそろ口から火を吹いて暴れ出しているであろう。帰って1、2日は時差惚 けだの何だのでバタバタして、4日から講義でバタバタして、バタバタバタバ タだけで先週が終った。これは危険な状態である。今の私から数学とドイツを 奪ったら、何をしでかすかわからんぞ。

しかし、ドイツはほぼ確保した。毎週土曜日の午後はゲーテ・インスティ チュートでドイツ語三昧である。意味がわかろうが、わからまいが、ドイツ語 を聞いていると少し心が静まる。精神衛生上極めてよろしい。ドイツのパン、 Vollkornbrotはドイツから宅配便でいくつか送ったので、数日は持ちこたえら れる。それからはどうするか?近所に「ドイツ・パンの店」とは何処にも書い てないが、かなりドイツを意識した顔をした欧風パンの店がある。そこで VollkornbortだのBrotchenだのと銘うったパンが売っていたので、早速いくつ か買ってみた。しかし、ドイツで食べたパンの味と全然違う。あんなものはド イツ・パンではない。しかし、ゲーテ・インスティチュートの先生達は、本物 のドイツ・パンの極秘入手ルートを知っているようだから、それを聞き出せば 何とかなるだろう。

日曜日は、スーパーに買物に行ったついでに、ポリバケツとスポンジを買っ た。それと土曜日に届いた、ドイツで買った(日本でも売っているのだが)「窓 拭きワイパー」の3点セットで、「ドイツ流講義」の準備は完成だ。ドイツの あの、軽石みたいな、半分に折って使わないとキーキー嫌な音がするチョーク が手に入らないのが玉に傷であるが、それぐらいは我慢しよう。それにしても、 我ながらここまでドイツかぶれになるとは思わなかったし、妻は「それってほ とんどビョーキじゃないの!?」と言うが、私は元からビョーキ人間なんだか らいいんだ!

かくして、ドイツはほぼ確保した。あとは数学だ。水、木、金は講義と会 議の嵐である。土曜日はドイツ語の日である。残るは日、月、火である。日曜 日は家の事とか、何だかんだで、少ししか数学ができない。火曜日は毎週では ないかもしれないが、午後から夜にかけて教授会が入る。月曜日や火曜日の昼 前でも、ちょっと何か雑用が入ると、何だかんだんだでそれだけで潰れてしま う。全部かき集めても週に最大まる2日しか数学ができない。つい先日まで 「毎日数学以外する事が無い」生活を送っていただけに、これは結構きつい。 何とか、自分のペースを掴み直して、継続的に数学ができる状態にもっていか ないと、私だって口から火を吹いて暴れ出すことになろう。

ところで、昨日は寝る前の読書用に「ペトロス伯父と『ゴールドバッハの 予想』」(早川書店)を買った。夕方頃少し数学をやるろうと思って、その前に 2、3ページだけ眺めてみようとしたのだが、思わず数学そっちのけで一気に 読み終えてしまった。第一級の才能を持ち、将来を非常に期待されていた数学 者ペトロスが、ゴールドバッハ予想に手を出してしまったばかりに一生を棒に 振ってしまったという壮絶な物語である。誰かに出し抜かれるのを恐れて、自 分がゴールドバッハ予想に取り組んでいる事を秘密にしようと異常なまでに注 意を払ったり、ライバルになりそうな数学者の動向をそれとなく探ったり、もっ とも強敵になりそうな数学者の死を悲しみつつも、「これで強敵は居なくなっ た」と安心してみたり、すばらしい中間結果を得ながらも、それがライバルに ゴールドバッハ予想解決の栄誉を奪われるきっかけになるのを恐れて発表を見 合わせたりするところなど、フィクションながらもある種の一流数学者の生態 が実にリアル描かれている。数十年前にゴールドバッハ予想の研究も数学も放 棄して、隠噸生活を送るペトロス老人の最後も、これまた壮絶で、あまりにも 悲しく、そして美しい。

2001年4月6日(金)
<< 俺も色々大変なんだ! >>
本日某書店の美術全集のセールスマンが現れ、世界美術全集東洋編の購入を強 力に勧められる。この人の勧めで過去に世界美術全集西洋編と日本美術全集を 買って、どちらも満足している。私は昔から東洋史や東洋美術が好きなのだが、 今日勧められた美術全集はなかなか素晴らしい内容であった。しかし、部屋の スペースを考えると、これ以上美術全集を買うわけには行かない。何とかして 部屋のスペース問題を解決して、ソファーと黒板を置きたいのだ。 数学者の部屋は、ソファーと黒板が無ければならないのである。

マンションや株などのセールスというのはよくある。どちらも全く興味が 無い。全く興味が無いもののセールスは、いくら強力に勧められても強引に断 る。何の苦労も無く、けんもほろろに断る。しかし、内心「いいなあ」と思っ ている美術全集のセールスを断るのは、かなり苦労する。パンフレットの写真 に思わずおおっ!と見入ってしまい、色々話を聞き入ってしまう。こうなると、 益々断りづらくなる。で、心を鬼にして、「今回はいくら勧めていただいても、 私の答えは変わりません」と4回ぐらい言い、さらに「今からちょっと約束が あります」と言って無理矢理帰ってもらう。勿論「約束」なんて無いし、セー ルスの人と一緒に部屋を出たものの、どこへ行ったら良いものやら。しょうが ないので、しばらく7階の事務室で隠れる。もうそろそろいいだろう、と事務 室を出たら、向こうにセールスマンの人がうろうろしていたので急いで7階の 第4研究室に逃げ込む。で、しばらくしてから外の様子をうかがって安全を確 かめてから、自分の部屋に戻った。第4研究室でたむろしていた学生達が、 「先生、どうしたんですか?」なんて言うので、「俺も色々大変なんだ!今、 情報学科の殺し屋に追われているんだ。」と答えておいた。

午後一番で1回生の「情報処理」の第一回目の講義。ちょっとしたアンケー トを取って、簡単なガイダンスをやる。数理科学科の志望動機に、「何として も数学者になりたいから」というのがあった。大変よろしい。あとは、計算機 に興味があるけど数学もやりたいと思ったからとか、ファイナンス工学に必要 な数学と計算機技術を身につけたいから、とかいうのも少なからずあった。4 月2日のガイダンスの時には、なんだか元気が無い連中だなあ、と思ったけど、 まずまず良さそうな子たちが入ってきたようだ。

「情報処理」の後は、第一回卒研。テキストは、簡単な日本語の代数の入 門書と、同じく簡単「そうな」日本語の代数幾何学の入門書に決める。

2001年4月5日(木)
<< ああ、忙し! >>
どういうわけか、今年の4月から講義が早く始まり、我々も大変だが学生も大 変そうである。折角早くから開講しても、学生はまだ教科書が手に入らない状 態で、今週はてんで授業にならない。先日入学したばかりの1回生の講義など は、ほとんど誰も教科書を持っておらず、適当にガイダンスをして早目に切り 上げざるを得なかった。しかし、数年前から事実上消滅した昼休みの時間の事 も含めて、教職員および学生一同に「立命館はせわしい大学である事を忘れる な!」と徹底させる効果はあったと思うし、せわしく動き回ることによって、 何か意味のある事をやった気分になれるタイプの人には良かったのではないか と思う。しかし、何故「せわしい大学」でなければならないのかは、私は知ら ない。

それにしても、一般教養の線形代数の講義は、小人数と聞いていたのだが、 教室に行ってみると200人ぐらいがひしめいていた。電気の新入生だが、ガ イダンスの時に見た数理科学科の新入生よりも元気そうな子達であった。しか し、200人では授業中に演習をやろうかと思っていたけれど、無理だろう。

大学院の講義は20名ぐらい来ていて、こちらが変な事を言うときっちり 質問が飛び出したりして、いかにも数学科の講義という感じで気分が良かった。

そう言えば、Herzog先生と約束したビデオ画像のパソコン入力の仕事や、 Bruns & Herzog "Cohen-Macaulay ring"の「心を込めた」読み直し、P先生と のHartshorne "Algebraic Geometry"のゼミ、Herzog先生との共著論文の仕上 げ、Goethe-Institutでのドイツ語の勉強等々、やらなければいけない事、や りたい事は山積み状態である。しかしここんところ、ほとんど手がつけられな い状態だ。エッセンの写真集や、撮ってきたビデオやスケッチを眺めて「ああ、 ドイツは良かったよなあ」とか言いながら、さめざめと涙を流す時間すら取れ ない。ああ、忙し!

2001年4月4日(水)
<< 新学期始まる >>
午後から組合せ論の講義。行く時間を間違えて1コマ分早く教室に行ってしま う。そこの学生が騒ぎ出し「先生、今電磁気の講義じゃないんですか?」なん て言うので、やっと気がつく。じゃあ、何で電磁気の先生は来ないのだろう。

部屋に戻ると院生とM君とP先生が続けて現れる。M君には単項イデアル環の 問題を聞かれ、その場では答えられずに保留。P先生(ドイツ人!)は、また Hartshorne "Algebraic Geometry"のゼミをやりましょう、とのお誘い。ぜひ やりたいが、新学期が始まったばかりだし、もう少し落ち着いてから日程等を 決めようということになる。「ドイツ語でゼミやってもいいですよ」との声に 思わず「やりましょう!」と言っていまう。あーあ。こんな事言ってしまって いいのかなあ。あと4回生のY木君とエレベータで一緒になり「ドイツ・テレ コムの件は大変でしたねー」なんて話をし、4回生算太郎が「先生、私をお探 しのようで」と現れたので、例のビデオ画像のパソコンへの取り込みについて 聞いてみるも、名案無し。算太郎君は前にドイツ語の質問に来た時に初めて会っ て、妙にしょぼくれた人だなあと思っていたが、今日見たら何だか快活な青年 であった。不思議な人である。

なんだか急に忙しくなってきたけれど、色々なつかしい顔ぶれに会えるの は、大変よろしい。

その後、今度は間違い無く講義。講義後、教室会議。数学の教室会議とし ては珍しく長引く。

私はドイツ流に、バケツとスポンジとドイツで買った黒板拭きワイパーを 持って講義をしてやろうと画策しているのだが、ドイツから送った引越し荷物 が未だ届いていないので、作戦実行は来週以降となりそうだ。その代わり、今 日はH先生の真似をして、チョーク以外に何にも持たずに教室に行って講義し た。以前から講義ノートを無視して、アドリブでしゃべりまくる癖があったの で、ノートがあろうが無かろうが特に変わり無し。

2001年4月3日(火)
<< おお!これぞ立命館大学 >>
日本人恐怖症はやわらいだが、ドイツ語禁断症状まだまだ続いている。その勢 いで、午前中はゲーテ・インスティチュートに行って、早速ドイツ語講座の申 し込みをする。毎週土曜日の午後に通うことにした。

午後大学へ。6日から始まるとばかり思っていた講義が、明日から始まる と知りひっくり返る。A堀先生の所へ駆け込み「本当ですか?」「本当です?」 「うそー!」。A堀先生としばらく雑談をして、興奮を静めたものの、まだ信 じられなくて、ほっぺたをつねりながらS藤先生の所に飛び込み「本当ですか?」 「本当です?」「うそー!」こりゃあ、どうやら悪い夢では無いらしい。

まあ、今回の話は私が浦島太郎モードになっている事が主な原因である。 しかし、何だか知らないが予想もつかない事が突然起こって、わけのわからな いままに追いたてられるというのは、私の勤務する大学の最大の特徴である。 大学のペースに飲み込まれてしまったら、自分が潰れてしまうだけだし、 必要以上に拒絶反応してたら体がもたない。

ひとしきり騒ぎが終った後も、教室主任のF村先生の所へちょっとした事を 問い合わせに行ったり、簡単な事務書類を書いたり、書類をコピーしたり、コ ピー室でO坂先生とK川先生としばらく「情報交換」したり、計算機の調子が悪 くてS藤先生に泣き付いたり etc. 何だか知らないけどバタバタやっているう ちに半日が終ってしまう。そう、この「バタバタやっているうちに時間ばかり が過ぎて行く」感覚。思わずH先生が半年前に英国から帰った直後と同じ事(少 しコンテキストは違うのだが)を言ってしまう。「ああ、やっと(立命館)大学 に戻ってきたという気分になってきましたね。」

ところで、今年度の私の目標は、「H先生を見習って『夢見る数学者』の境 地に少しでも近付くこと」である。まず手始めに、大学で日々起こるさまざま な事を、遠くの風景を見るように眺めることから始めよう。6日と思ってた講 義が4日から始まるぐらいで、いちいちひっくり返っているようなことではい けない、と反省しきり。

2001年4月2日(月)
<< あれは夢だったのだろうか? (「ドイツ便り」これが最後のオマケだ!!より一部修正して転記)>>
3月31日の朝、無事関西空港に戻り、今日から大学へ。

30日の朝は、6時に起きて朝食を食べ、荷物を整理して 最後の後片付けをし、ちょっと時間が空いたので、近所を少し散歩する。 8時40分頃Herzog先生が自宅まで車で迎えにきてくれた。 Herzog先生と一緒に大家さんに最後の挨拶をする。

「いっひ はーべ ぜーあ ぐーて つあいと みっと ふぃーれ しゅぱーす。 ふぃーれん だんけ おんと あうふう゛ぃーだーぜーん」 (ここで、とても楽しい良い時を過ごせました。有難うございます。そして さようなら。)
「あなたは、とっても良いお客様でした。」

と大家さん。で、さらにHerzog先生に

「高山さんはまたドイツに来ることがあるんでしょう?」
「もちろん。何年かしたら、また来ますよ。その時もよろしく。」

おいおい。また来れるかどうかはわからんぞ。

大家さんと別れてHerzog先生の車で、デュッセルドルフ空港へと向かう。

「お前のドイツ語を初めて聞いたぞ。すばらしい!完璧なドイツ語だ、 お前の英語よりもずっと良い!」

がーん!私の英語はドイツ語よりもひどいのかよ!?いつものブラックな冗談 でしょ、Herzog先生?しかし私は豚と同じで、おだてられると木に登りたくな るタチだから、これからもドイツ語勉強しちゃいますよ。何ってたって、私は 英会話なんて一生やるもんか、と決心していたけれど、29才時会社から無理 矢理通わされた語学学校の入学試験の時に「あなたは、発音『だけ』はきれい ですね」と一言褒められて、勉強する気になったんですから。それにしても、 「お前の英語よりもずっと良い」は余分です!

「日本に帰ったら、また語学学校へ通ってドイツ語勉強しようと 思ってます。で、次に来るときはきっと完璧なドイツ語をべらべら しゃべっていることでしょう。」
「そりゃあ、いい。半年間沢山ドイツ語を聞いてきたはずだから、その ベースをもって語学学校で勉強したら、きっとうまくなるはずだ。」

私は常々思っていたのだが、Herzog先生はドイツ語に並々ならぬ誇りを持って いるようである。以前彼は、「良い悪いは別として、ナチスはドイツ人の民族の 誇りだった。戦後我々はそれを捨てた。今ドイツ人は自分達の会いデンティティー を求めてさ迷っているのだ。マルクはその一つかも知れない。 でも、通貨統合でユーロに代わろうとしているから、それも失う事になる。」 と言っていた。私は、でもあなた達にはドイツ語があるではないか、と思って いたのだが、私が言わなくても、彼はそう思っているようである。 そして、私が下手ながらもドイツ語を勉強しているのが、大変嬉しいらしい。 で、

「またサバティカルのチャンスがあったらドイツへ来いよ」

うーん。次に長期留学できる時は、UCLAのEisenbud教授の所に行ってみた いな、と思ったりもする。しかし、私はアメリカが嫌いである。一人一人の人 間はサッパリしていてとても感じが良いし、10数年前に3週間程アメリカ国 内をあちこち旅したけれど、活力があって面白い国だと思っている。しかし、 一方で、ピストルはぶっ放すわ、すぐに戦争をふっかけるわ、地球温暖化なん て知った事か、俺達はやりたいようにやるんだ、なんて事を言い出す大統領を 皆で選ぶわ、で何だか力持ってりゃあ何やってもいい、なんていう野蛮な国だ とも思っている。

それに比べてドイツは天国である。天国としか言いようがない。人は親切 だし、飯はうまいし、ビールもうまい。ドイツ・テレコムなんていう、困った 会社もあるけれど、まあ、あれはあれで済んでしまえば御愛敬といったところ だ。うむ。やっぱりドイツがいいなあ。今度チャンスがあれば、またドイツに 行こうかしら。

日本人と違って、ドイツ人が「また来いよ」という時は、きっと本当にそ う思って言っているのだろう。私も心にも思ってない事は、決して言えないク チなので、ヨーロッパの人などがよくこぼしている「我々も、リップサービス みたいな事を言うことがあるが、それも程度問題である。日本人は言う事と思っ ている事が全然違ってたりするからから困る」というのには、全く共感できる。 フランスの友人などは「日本人の言動はまるで『嘘つき』ではないか。我々は、 嘘つきは政治家と同じぐらい悪い人間のやる事だと思っています。」なんて ことも言っていた。

それにしても、こんな阿呆な奴との共同研究なんてもうこりごりだとでも思っ ているかと心配していたのだが、この言葉でちょっと安心する。うむ。今度 Herzog先生の所に行く時には、もうちょっとまともな代数学者になっていなけ りゃいけないな。

「短期でちょこっと来ることはできると思います。」
「そりゃあ、いい。ぜひ来いよ。国際会議なんかがあったときに、ついでに こちらに少し滞在するようにすればよい。」
「でも、次に長期出張できるのは、すくなくとも3年後になります。」
「3年後か。俺の定年退職の2年前だな。」
「で、先生は、退職後映画監督になるのでしょう?Tangさんが主役で。」
「そうだ。俺の映画に出演したいか?俺の映画はサスペンス・ラブ・ロマンスだぞ。 善玉役と悪玉役のどちらがいい? 」

はてな。悲恋映画ではなかったのか?まあいいや。次にドイツに留学する時は、 数学の共同プロジェクトと、映画の共同プロジェクトの同時進行だな。

「そりゃあ、悪玉役ですよ。で、主役のTangさんのラブ・ロマンスの 邪魔をするんです。」
「ハハハ。。。そう言えば、お前俺達のビデオを撮っただろう。あれをまだ 見せてもらってないけど、 ホームページにのっけて、こちらでダウンロードできるようにできないのか?」
「え!?技術的には誰かに聞けば何とかなると思いますが、Herzog先生や 同僚の先生、TimさんやEnricoさんんらの画像をWebなんかで一般公開して いいんですか?」
「んなもん。俺達何にも悪い事してないし、別に気にしないさ。」
「じゃあ、日本に帰ってからちょっとやってみます。」

これはえらい宿題をもらってしまったなあ。私は計算機は大嫌いなんだけど。。。

デュッセルドルフ空港でHerzog先生と別れ、ルフトハンザの国内便で フランクフルトへ。そこで、日本への国際便に乗り換えるのだ。 フランクフルトのゲートに着いたら、日本人団体客が数百人群がっていた。

「ううわっ!!!!こんなに沢山の『中国人』に囲まれたのは初めてだ!どう しよう!恐いよー。あれ?でも彼らの言葉がなんとなくわかるぞ。あれれ?こ の人達は日本人だ。ううわっ!!!!こんなに沢山の日本人に囲まれたのは久 しぶりだ!どうしよう!恐いよー!」

帰国後3日目の今日になっても、まだ日本人恐怖症は少し残っている。思うに その辺を歩いている普通の人の「人の良さ」を比較すると、ドイツ人の方がずっ と人が良い。日本人って、「知らない人」にはとても冷たいし、特にオジサン 達と若い人達の人相が悪い。電車に乗っていても、その辺のオジサンにいきな り無言で(この「無言」という所がミソである)ぶん殴られたり、目つきの悪い 若い人にこれまた無言でいきなりナイフで刺されたりしまいか、と冷や冷やし てしまう。エッセン駅前では、極めて怪しい風体をした失業者のオジサンやオ バサンや時にはおネエさんたちが、朝っぱらからビールを飲んだりしてたむろ していたりしたけれど、こういう恐怖は感じなかった。また、いかにも悪ガキ 風の子供達も居て、こういうのがベルリンあたりだと人のアパートに押し入っ て金属バットで部屋の中を滅茶苦茶に壊して、壁じゅうにスプーレー・ペイン トで落書きしたりするんだろうな(そういうテレビ映画を何回か見たことがあ る)、という感じだったが、いきなり刺されるんじゃないかと思った事は無い。 日本人って恐いよー!

しかし、このあふれんばかりの日本人団体客のとばっちりを受けて、何故 か私はファースト・クラスの席になってしまった!隣の席が「始終無言の何考 えているかわからない不気味な日本人のオジサン」(今の私には、日本人は全 てそういう風に見えてしまう)だったのが玉に傷であるが、とにかくファース ト・クラスですぞ!サウジアラビアの王様でも、ハリウッドのスターでも、ヤ クザの親分でも、悪い事一杯やってきて今まで闇討ちにしてきた人々の返り血 で体じゅうがべとべとになっている悪徳商売人でも何でもない私が、ファース ト・クラス!!これは一生に一回有るか無いかの幸運ですぞ!私は残る人生の 運を全て使い尽くしてしまったようである。後は転落の人生あるのみか。

快適なファースト・クラスの旅を終え、無事関西国際空港に着く。予想通 り、言葉と意味が、何の遠慮もためらいもなく頭に飛び込んで来て、私の脳味 噌を烏賊の塩辛のようにかきまわす。これはきっと体に悪いに違いない。私は 病気になってしまうのではないか、と心配になる。昨日の朝は時差ボケの影響 で、ゆっくり起きたのだが、起きがけに枕元に聞こえて来た近所の子供達の声 が、ドイツ語に聞こえ、今朝もあんなに大好きだった朝のワイドショーを「日 本語が恐い」という理由で見る気が起こらなかった。

それにしても、私をとりまく風景がすっかり変わってしまった。何もかも が変わってしまった。ちょっと電車に乗って、いつもの街をふらつこうかしら、 と思っても、その街はもう地球の裏側の遠い所にしか無いのである。スーパー にライ麦が沢山入った、いつもの真っ黒なパンを買いに行っても、そこには白 いふわふわの気持悪いパンしか売ってないのである。大学食堂に行っても、付 け合わせのじゃがいもは置いてないのである。素朴ではあるが、すっきりとし た形の家がゆったりと立ち並ぶ近所を散歩しようと外に出ても、そこには京都 の狭い道、小さな敷地にこれまたゴタゴタした形の小さな家がひしめき会って 建っている、狭苦しい風景しか無いのである。つい先日まで自分がドイツで天 国のような生活を送っていた事が信じられない。何だか長い長い夢から醒めた ばかりのような気分なのである。

まだ夢の世界に未練を残しつつ、まわりの風景の激変に頭がくらくらして いた昨日、「これはたまらん。そうだ!こういう時は『夢見る数学者』H先生 の顔でも拝んでこよう!」と思いたち、散歩がてらに近所の彼のアパートを訪 ねた。彼は今からチェロのレッスンに出かけると言う。チェロのレッスン!? あー、いいですねー!そう来なくっちゃ。最近数学の研究の方で進展があった らしく、レッスンのため山科駅へ向かいがてら、私が全然理解できない確率微 分方程式だのソリトン方程式だの広田作用素だのの話を嬉しそうにし、「よう やく面白い世界が開けてきました」という。広田作用素!?あー、何だか知ら ないけど、いいですねー!そう来なくっちゃ!で、一応大学の様子を少し聞い てみたけれど、彼の語り口がそうなのかも知れないけど、いつものように遠く の風景を見るような話であった。遠くの風景!?あー、いいですねー!そう来 なくっちゃ!と、とりあえず行っただけのご利益があったと、ほくほくして帰っ てきた。

しかし、数日のうちにまた日本にすっかり馴染んでしまうことだろう。そ うなりたいような、そうなりたくないような妙な気分である。いずれにせよ、 私のドイツ留学は終ったのだ。