2001年4月30(月)
<< Elements De Geometrie Algebrique >>
午前中は京都駅前近鉄プラッツの旭屋書店で、ハーディの「ある数学者の生涯 と弁明」を買う。プラッツで昼食のサンドイッチを買ってそのまま大学へ。 今日はEGAをひっくり返してGrothendieckのある定理を探そうと思い立つ。 その定理が見付かれば、Herzog先生との共著論文はとりあえず完成するのだ。

1000ページ近くあるEGAから、たった一つの定理、しかも見てすぐわか る形で書かれているかどうかもわからない定理を探すのは、ほとんど不可能の ように思える。実際今日は途方にくれるだけで終り、とりあえずEGAを自宅に 持ち帰る。Herzog先生も、先週あたりに探してみるとメイルで書いていたけ れど、うんともすんとも言って来ないところをみると、私と同じく途方に暮れ ているのかしら。

Hartshorne "Algebraic Geometry"が出版される1970年代初頭までは、 代数幾何学者は全て(泣きながら)EGAを読んだのであろう。だから私よりも上 の世代の代数幾何学者はフランス語が堪能なはずである。私も会社で仕事する 以外に何もする事の無かった会社員時代は、通勤電車の中でカミュの「異邦人」 のフランス語版を辞書を片手に読み耽っていたのだが、最近はドイツかぶれ の影響もあって、フランス語にはとんと自信が無い。

2001年4月28・29 (土・日)
<< 天国の味と「落し穴に御注意」 >>
28日(土)はゲーテの日。ゲーテの講座は初級が6段階、中級が2段階、上級 が2段階ぐらいある。初級卒業レベルとは、大体日常会話には全く不自由しな い程度のようで、中級卒業レベルは、ドイツで職業生活をするのに十分な程度 だそうである。私はドイツに行く前は、レベル判定テストの結果初級の2段階 目 が適当と判断されたが、その講座が土曜日には開講されてなかったので、一つ 上級の3段階目のクラスに入れられた。そのため、かなりしんどい思いをしたの である。

ドイツから帰ってから、その次の4段階目のクラスに入った。3段階 クラスの仲間は既に6段階目に進んでいるのだが、まあ語学の勉強であわてて もしょうがない。半年間ドイツに居たおかげで、今の4段階目のクラスは楽に ついて行ける。しかし、名詞の性などをきちんと覚えていないため、各セクショ ンの終りに受ける小テストの成績はいまひとつである。全て名詞の性を間違え た事が原因で、点数を落している。こういう事は、語学学校で尻をたたかれ ながら地道に勉強していくしかない。

さて、28日からいよいよドイツ・パンの共同購入が始まり、今回は Sonnenblumebrotを買った。Sonnenblumeとは向日葵の事で、トーストすると外 側についている向日葵の種がほどよく焦げて香ばしい。まさに天国の味である。 ドイツでもSonnenblumebrotはよく食べたが、トーストするとおいしい事は、 ゲーテの先生に聞いて初めて知った。次回は、連休明けの2週間後であるが、 次はWeizensesambrotを買う予定である。これは小麦粉を使っているので、 それ以外のパンよりも白っぽい。バターなどを塗って食べるとおいしい。

ドイツのパンは癖があるので、最初は変な味に思える。割合白っぽい Weizensesambrotは比較的日本人にとっ付きやすいパンで、私も最初はそれを よく食べていた。しかし慣れてくるに従って、もっと黒いパンの方がおいしく 思えてくるもので、最後は、ライ麦の粒を押し固めたような、ぐっしり中身が 詰まってほとんど真っ黒なVollkornbrotをよく食べていた。このパンは半年ぐ らい保存がきくこともあって、ドイツのスーパーでいくつか買って日本に持ち 帰えってきたのだが、ストックはあと2つになってしまった。このパンは日本 では手に入らないので、今後どうやって手に入れようかと思案中である。

最近少し睡眠不足気味だったので、29日は昼前にゆっくりと置き、 Sonnenblumebrotで朝食兼昼食。午後はHerzog先生と共著の論文原稿を少し見 直す。夜はゲーテで借りて来たビデオを見た。Vorsicht Falle! (落し穴に御 注意)というタイトルのビデオで、スリやサギの色々な手口を紹介して、市民 に注意を促す内容のもの。天国と言えども、つい先日かなり強い調子で「いい 加減に真面目に仕事しろ!」と書いて受取り証明付きの国際郵便を送ったばか りのドイツ・テレコムや、3月20日にエッセンから送った郵便がまだ届かな いドイツ・ポストなどのいい加減な会社が厳然と存在しているし、このビデオ にあるように泥棒や詐欺は頻繁に発生するらしい(私は経験が無いけれど)。

しかしビデオを見ていて、何だかなつかしい気分になってしまった。ビデ オで紹介されている手口は、泥棒や詐欺師がずいぶん知恵を絞っている。どれ もこれもなかなかの知能犯である。少し前までは、日本でもそうだったよなあ。 しかし最近の日本は、すぐにナイフで人を殺したり、金属バットで殴りかかっ たり、力ずくで鞄を奪ったりと、凶暴で粗雑で低能な犯罪ばかりが目につくように なってしまった。

2001年4月27(金)
<< やれやれ連休だ >>
天国ドイツから地上に降り立って約1ヵ月、目の回る忙しさに追いまくられて いたが、やっと地上でのペースが少しつかめてきたような気がする。大学教員とい うのは、毎年新学期の始めは忙しい。特に4月は忙しい。だから天国とのギャッ プが大きくて、ことさらこたえた。しかし明日からゴールデンウイークだ。こ れでやっと一息つける。

連休中は何をしようかしら。A先生は、愛(!)と学生にまみれる休日を過ご すものと推察される。論文を仕上げたH先生は、読書三昧の日々を過ごすよう である。私はドイツ(語)と数学にまみれようかしら。5月5日は京都国際交流 会館でドイツ祭なるものがあり、何があるのか知らないがとにかく行ってみる つもりである。P先生とゼミをするHartshorne "Algebraic Geometry"も少し読 んでおかないといけない。それからBruns & Herzog "Cohen-Macaulay rings" を心を込めて読みながら、Herzog先生との共著論文をじっくり見直す。それで くたびれたら、寝っ転がってE. Kunz "Einfuehrung in die algebtaische Geometrie"を読んで、ドイツ語と数学の一挙両得を狙う。そうだ、ゲーテ・イ ンスティチュートからドイツのビデオを幾つか借り出しておこう。うーむ。美 しいゴールデンウイークだ。

本日午後一番でCプログラミングの講義。引続き卒研ゼミ。数学4回生H君 が左 R-加群と右 R-加群の話を、情報I君が射影平面の定義など。H君は過去に 結構基本的というか根本的な所でつまづいて、そのままの状態で4回生に突入 したらしく、しばらく「治療」に時間がかかりそう。まあ、一年じっくりゼミ をやれば治るでしょうし、情報学科から来たI君と一緒にゆっくりやっていき ましょう。

ゼミの後院生M君に、ゼミ室の黒板の使い方が汚いとお叱りを受ける。三種 の神器によるドイツ式は、黒板やその周囲を汚しまくる。黒板とその周辺の床 はせっせと掃除して帰るのだが、バケツを置いておく黒板の前の机までは気が 回らなかった。ドイツ式の継続のためにも、以後気をつけます。

2001年4月26(木)
<< 透明な存在としての私 >>
昼食時、Ar先生と一緒に居たO大学のA先生に会う。

A先生「はじめまして」
私「えーと。私はずうーっと昔からA先生の事を知ってますよ。」

実は彼とは学生時代一緒だったのだ。話した事は無いのだが、当時数学をよく 教えてもらっていた優等性のU君(現N大学)を介して知っていたのだ。私は彼のエピソー ドを良く覚えているのだが、彼は私の名前は何となく覚えているが、顔は覚え ていないという。

こういう事はよくある。数学会で学生時代一緒だった人と顔を会わせても、 ほとんどの人は私の事を覚えていないらしい。そういえば結婚前に今の奥さん (別に「昔の奥さん」がいたわけでもない)と会った時、

今の奥さん「はじめまして」
私「えーと。私はずうーっと昔からあなたの事を知ってますよ。」

という会話があった。私は彼女のエピソードを良く覚えているのだが、彼女は 私の名前は何となく覚えているが、顔は覚えていなかったという。私はよほど 透明な存在らしい。あるいは、自分の周囲に居る人を認識するのが得意なのか も知れない。確かに人の認識については、それほどぼんやりしている方ではな いけれど。人が数学に置き換わっていたら

どこかの偉い数学者「私ははじめてこの事を証明しました」
私「えーと。私はずうーっと昔からこの事を知ってますよ。」

なんて、ガウスみたいな事が言えるのだけど。

本日午前は大学院で代数幾何学入門、午後は工学部の一般教養で線形代数を教 える。講義の後で、工学部の学生のひとりが「講義中私語がうるさくて集中で きない。何とかしてくれ。」と言ってくる。こういう学生が一人でも居る以上、 次回からは鬼に変身してべちゃくちゃ喋りまくっている学生は片っ端から追い 出す事にする。高山大先生は鬼にも仏にも変貌自在なのである。

2001年4月25(水)
<< 今日も数学者っぽい一日 >>
午前中は色々雑用を行い、午後は「離散数学」の講義。射影空間の話の導入で 終る。学生はまだ「集合論」で同値類を習っていないらしいので、ちょっと困っ たが、何とか説明する。途中、私が何故バケツとスポンジとワイパーを使うの かを説明する。まあ、要するにドイツかぶれになっているというだけの話なん だけど。

それにしても「離散数学」は組合せ論の講義のはずなんだが、その場その 時で思いついた事をしゃべっているので、話がどんどんそれていっている。線 形代数だとか群論だとか位相空間論とかルベーグ積分論だとかという、数学科 の中心的な講義では時間の関係で十分説明できない「その他諸々」的な話とか、 たぶん短い時間でさらっと説明するのが精一杯の概念をゆっくりと丁寧に話し ているので、学生にとってそれなりに意味のある講義だとは思うのだが。

今日は教室会議は無いし、昨日も教授会が無かった。会議で時間が潰れな い週は、何となく数学者らしい日々を送れる。講義の後は、また論文をいじく り回す。

夕方、数理科学科1回生数名が「新歓夜祭」のキムチ蛸焼き券を売りに来る。 「2枚以上買ってください」などと言うので2枚買う。「新歓夜祭」は土曜日 だそうで、私はゲーテの日だから行けず、結局400円のカンパとなる。まあ、 いいか。

7階の事務室にお茶を汲みに行ったら、Kaz先生が大袋一杯にパソコンの部 品を買い込んできて帰ってきたばかりであった。何でもデジタルビデオカメラ の画像編集のためのインタフェース・ボードや関連部品らしい。以前、ドイツ で撮ってきたHerzog先生のビデオ画像編集の件で相談した事もあっ て、しばらくKaz先生につかまって講釈を聞くことになる。Kaz先生、何だか燃 えてますねえ。

2001年4月24(火)
<< そこそこ数学者っぽい一日 >>
本日も研究日。例の論文原稿をいじくりまわす。どうもよくわからん部分がい くつかあって、それがHerzog先生のちょっとしたミスで今ごろ訂正されている ものなのか、単に私が馬鹿なだけなのか不明である。それで昨日Herzog先生に 最新版の原稿を送ってもらうようにメイルを出したのだが、その返事が夕方届 く。

AMS-LaTeXファイルが添付されていたが、残念ながら私のパソコン(FreeBSD マシンである)にはAMS-LaTeXがインストールされていない。仕方がないので、 K川先生の部屋に押し入って、彼のパソコンからプリント・アウトしてもらっ た。有難や有難や。持つべきものはウインドウズを使っている大学に 居る事の多い同僚数学者である。

新しい論文の原稿を見てみると、いくつかのミスではないかと思われる部 分は既に修正されており、何でこの条件の下でこういう事が言えるのだろう? という部分にも適切な条件が付け加えられていた。うーむ。少なくとも私が馬 鹿でない事がはっきりした。(正確には、私が馬鹿である事は証明されなかっ た、と言うべきか。)いくつかの疑問、というよりは、これは絶対に間違いだ と思われる点はまだ残されているので、それをリストにしてメイルで送ること にする。

午後P先生がやってきて、代数幾何学ゼミの打合せ。語学の外国人教員は研 究者という位置付けになっていないので、P先生は膨大な数の講義をかかえ、 ゼミのために十分な時間が取れそうにない。私も何だか忙しくて、そして可換 代数の方で取り組みたい問題があるので、やはり代数幾何学のゼミに十分な時 間をかけられない。以前のような、演習問題を片っ端から解くようなゼミは無 理であろう。

2001年4月23日(月)
<< Kunz先生の代数幾何学の教科書 >>
本日Deutsch Amazon よりE. Kunz "Einfuehrung in die algebtaische Geometrie"が届く。 これは3月上旬に送ってもらったものか、それとも4月に 入って再送してもらったものか、よくわからない。とにかく届いた。 ちなみにErnst KunzはHerzog先生の指導教官だったらしい。

で、早速読ん でみたい気もするのだが、これを読む暇があったらP先生とゼミを再開する予 定のHartshorne "Algebraic Geometry"を読まねばならない。内容的には既に 知っていることばかりだし、ドイツ語の勉強を兼ねて自宅で寝っ転がってよも うかしら。

本当は、学生を脅して卒研ゼミで読ませたかったのだ。「なにい?英語の 教科書が嫌だと!?英語が嫌ならドイツ語だ。それで決まりだ。いいな!」と いうのは冗談じゃなくて、半分ぐらい本気でそうしようと企んでいたのだ。スポンジとワ イパーで黒板を拭いて、ドイツ語の代数幾何学のテキストを読んで、途中3時 のお茶と称して秘密ルートより入手したドイツのパンを食べて、なんて調子で やれば、嫌がおうにもドイツの気分が盛り上がるではないか。 (「なんでそこまでしてドイツ気分を盛り上げなければいけないのか?」 という質問は、当然私のゼミではタブーとするのである。) しかし残念なが ら、卒研のテキストを決める日までに、この本が届かなかったのだ。私のゼミ の学生達は、ドイツ・ポストかあるいはドイツ税関ののんびりした仕事ぶりの お蔭で命拾いしたというわけだ。それに、学生の一人は「第二外国語はフラン ス語でした」と言い出すし、ドイツ語を選択したもう一人の学生は(私が一番 恐れていた)「『環』って何ですか?」なんて事をニコニコしながら質問する から、私としてもニコニコして「じゃあ、日本語の簡単な本にしよう」と言う しかなかったのだ。まあ、いいか。

本日研究日。何だかんだと昼過ぎまで時間が潰れてしまったが、その後 Herzog先生の「まだ例の問題が解けないよー」メイルで指摘されている部分、 およびその周辺を見直してみる。

2001年4月22日(日)
<< 学力崩壊 >>
学力崩壊についての議論の論点を整理した本を見付け、一気読みする。しかし、 どうもピンと来ない。最近の学力崩壊の議論とは少しずれるのだが、私は大学 の一数学教師として、数学の入試について忸怩たる思いを持っている。あれだ け色々知恵を絞って出題しても、数学が全くわかっていない受験生が、数学の 試験でそこそこの高得点を取って入学してくることだ。例えば三角関数や対数 関数、指数関数の意味が全くわかっていないのにもかかわらず、それらを扱っ た問題を正解したりするらしいのだ。顎然として学生に聞いてみると、「立命 館の数学の問題なら、解法マル暗記の勉強だけで十分解けますよ」なんて事を 言う。こちらとしては、単純な公式のあてはめだけでは解けない問題を出して いるつもりなのだが。

困った事は、高校まで解法マル暗記でうまくやってきた自称優等生が、往々 にして大学の勉強でも解法マル暗記型のスタイルに頑固に固執するケースがあ ることである。人は今までうまく行った方法に固執する動物である。よほど痛 い目にあわない限り、新しい方法に乗り換えるのをためらう。で、私から見れ ば、その学生は大学入学以来、まともな勉強は何ひとつせずに、文字通り全く 何の進歩も見られないのだが、それでもちゃんと単位は取れて卒業し、大学院 まで入れて(大学院は誰でも入れる)、今を時めく人気企業からさっさと内定を もらったりするのだから、大学教師としては大いに無力感にさいなまれ、焼け 糞な気分になったりする。これからは大学できちんと勉強して来なかった学生 は就職できない、なんて話もあるが、まったく信じる気になれない。

例えば工学部の一般教養の数学の講義をしていると、問題を解いて見せる 時は静かに聞いているし、新しい公式を説明する時も同じである。しかし、そ の公式が何故成り立つのか、という事を例を使って説明し始めると、途端にお しゃべりを始める。これは解法マル暗記型の受験勉強の悪影響かというと、そ うとも言えないようだ。某大学の工学部所属の数学教員をしている友人に聞く と、工学部の教員の論文ですら、公式の適用条件を満たさないのにもかかわら ず、その公式を使って結果を導いているものが時々あるらしい。まあ、結果の 正しさは実験で確かめられているのだろうから、数学的議論がナンセンスであっ たところで、大したことではないのかも知れないが。

公式というのは、それが何故成り立つのかという所まで理解していないと、 こういう間違いをおかしやすい。しかし一般に工学の人は、公式は単にマル暗記 して使いこなせれば良いのであって、何故それが成り立つかなんてどうでも良 い、と考えるのだろうか。そういう考えでは「正しく使いこなす」ことすらお ぼつかない、というのが友人の主張である。それはそうだと思う。しかし、公 式の導き方を理解してないと解けないような入試問題を出すと、全員が零点に なってしまい、結局出題しないのと同じ結果になってしまう。

私が高校生の頃は、参考書や問題集の解答をマル暗記するような数学の勉強は、 どちらかというと数学が苦手な生徒の苦肉の策であって、それは邪道なんだと いう雰囲気がまだ残っていたと思う。だけどいつの間にか、数学は暗記科目に なり、闇雲に解法パターンを暗記して、それを反復練習しただけの生徒が、自 分は数学が得意なんだと勘違いしたまま大学に入ってくるようになったようだ。

それと、素朴な疑問として、工学部の学生って何故入学してきた時から工 学部っぽいんだろう、というのがある。工学はHOW TOの学問であって、WHYの 学問ではない。しかし、多くの工学は理学の応用なのであって、基礎の部分の 理学っぽい話は、多少WHYの部分が無いと応用に耐えられるレベルまでマスター できないのではないか。HOW TOの考え方は、学年が進むに従って徐々に馴染ん でいけば良いのであって、最初から工学的価値観にどっぷり浸っていたので は工学者としての将来も危ういのではないか、という気がする。

昔、企業は「大学で何も勉強する必要は無い。教育は企業でやります。大 学で妙な事を教わって変に凝り固まった人はかえって扱いにくい。」なんて事 を言っていた。解法マル暗記型方法論に変に凝り固まった学生や、入学段階で 既に工学部的価値感にどっぷり浸った「早熟な学生」達よりも、何も知らない 「馬鹿なまま」の学生の方がまだやりやすいし、希望が持てるような気がする。 かと言って、少しでも込み入った事は何も理解できない、というタイプの学生 (そういう学生は今でも時々存在する)が大量に入学してきたら、完全にお手上 げになる。難しいものである。

2001年4月21日(土)
<< ゲーテのコンパ >>
ゲーテの日である。少し早い目にゲーテに行って、そこの先生達がやっている、 ドイツ・パンの共同購入の仲間に入れてもらうことにする。 来週の土曜日には、Sonnenblumenbrotが届くはずである。ついでにゲーテの 図書館で、ビデオを借りる。

本日の講座終了後、3クラス合同で近くのお好み焼き屋でコンパ。他クラスの人 だが、 立命の文学部の大学院生の人がいて、「あなたは衣笠の文学研究科で、私はびわこ草 津 キャンパスの数理科学科だから、講義で鉢合わせになる心配が無くて良かったです ね」とお互い喜 び合ったり、外務省の国費留学生試験の勉強中の、どこかの大学の4回生で、 ドイツに2年間滞在し、そのままドイツのコンサルタント会社への就職を狙っている んだという人が居て、 「そうか、そういう方法で天国(ドイツ)に住み着く手があったか。私がもう少し若 かったら、それを やってたのになあ。」と溜息をついたり。 隣のクラスの先生にドイツテレコムの話をして、ドイツテレコムはドイツポストが民 営化される時に独立 して、やはりドイツ人は誰でも「いい加減なところのある困った会社だ」と思ってい て、でも最近は少しは マシになったのだ(昔はあれよりひどかったのか?!そりゃあ滅茶苦茶としか言いよ うがない。)、という話 を聞き出したり。でも、日本の郵便局もいい加減ですよ。私の近所宛で、ローマ字で 宛先が書かれた手紙 は、何でもかんでも全部私の所に届き、郵便局に何度苦情を言っても変わらない。仕 方が無いので、近所 の人のことだし、私が郵便配達をしている、という話を聞いたり。 (世界一優秀だと信じていた日本の郵便配達員の質も、ここまで低下していたとは! こんなところでドイツテレコムの真似してどうするんだ!?) かつての人見知りの激しい無口な青年(私のことである)は、いつしかずうずうしい オジサンに成長し、 色々面白い話を聞き出して回っていた。ところで、こういう所は 若い人ばかりで、私が最年長の怪しいおじさんかと思っていたら、もっと年上の、極 めて怪しく、かつ、 お茶目なおじさんが元気一杯に騒ぎ回っていて安心したり。総勢20名ぐらいが、ド イツ語日本語入り乱 れてわいわいがやがやとやって、久しぶりに楽しい飲み会であった。

2001年4月20日(金)
<< 何となく数学者っぽい一日 >>
昼前に大学へ。昼食をはさんで、昨日論文を読み直していて気になっていた 事を少し考える。午後一番で数理科学科1回生のCプログラミングの講義。 Mumfordの"Complex projective varieties I"という代数幾何学のテキストは、 代数幾何学の世界的権威者であるMumford先生が「心を込めて書いた入門書」と されている。私のCプログラミングの講義は、プログラム理論の(世界的とまでは 言わないが)権威者であった高山大先生が、「心を込めて丁寧に解説する、世界 で一番やさしく、かつ格調高いプログラミングの入門講義」である(と思ってい る)。

引き続き卒研ゼミ。一人目の学生は、可換図式の定義や初歩的な性質をやって、 可換環の定義に入り、時間もかなり経過したので、加群の定義に入る前で終わる。 二人目の学生は、前回に引き続き二次曲線の分類。彼の発表の歯切れの悪さは、 調べてきた参考書の不親切さが原因であるとわかる。二次曲線と二次曲面の分類は、 私もきっちり勉強したことが無いので、ここらでしっかりやってみようと適当な色々 文献 を探してみたが見つからず。結局、今読んでいるゼミのテキストを読み進むのがベス トのようだ、ということに落ち付く。

夜Herzog先生からメイルが届く。論文の件だが、先日「ある条件を付け加えたら 出来てしまった」とメイルで知らせて来た問題が、やはり出来てなかったらしく、原 稿を送るの がまた遅れるとのこと。その問題について、ドイツ人のある数学者(私の知らない人 である)に 聞いてみたらしく、その数学者からのドイツ語のメイルがそのまま添付されていた。 この調子だと、そのうちHerzog先生は、英語ではなく、ドイツ語でメイルをよこして くるかも知れない。

何でも、その数学者はグロタンディエックの定理を使えばうまく行くのではない か、ということを 示唆していて、Herzog先生は「それを調べてみないといけない」と書いている。 「グロタンディエックの定理」なんて山のようにあるのに、どうやって調べるのだろ う。 EGAやSGAの山と格闘するのだろうか。それとも隣の部屋のViehweg先生やEsnault先生 に聞いてみるのだろうか。私も講義と会議の山に埋もれてないで、この問題を少しは 検討してみな いといけないような気がする。

2001年4月19日(木)
<< ドイツの風の広がり >>
本日午前は大学院の講義。代数的集合とイデアルの対応写像を定義し、その 性質を少し説明する。午後は工学部の線形代数の講義。

大学院の講義の後、偶然に非常勤講師のH1先生に出会った。彼は「人造モノ極楽 蜻蛉」だと信じられているチェロのH2先生とは違って、恐らくは正真正銘の 「天然モノ極楽蜻蛉」であって、私は数年前の知り合った時以来、心密かに、 かつ、熱狂的に尊敬しているのである。ドイツで長年暮らしたH1先生は、私が 持っていた「三種の神器」をひと目見てそれと理解し、「あ、いいですね。僕 もやってみようかな。」うーむ。立命館大学にドイツの風が広がっていく兆し を感じる。良いことだ。

夕方講義が終り、2時間ぐらい論文原稿の見直し。こういう、ちょっと空い た時間で数学をやるようにしないといけない事にようやく気づく。

「ペトロス伯父とゴールドバッハの予想」に、偉大な数学者になれずに二 流で終るのは耐えられない、という野心満々の台詞が出て来る。ペトロスを伯 父に持つ「私」は、そう考えて数学科卒業後に数学を捨ててビジネス・スクー ルに通い、家業を継いで実業家になる、という筋書きである。これは私にとっ ては、大変リアリティーのある話に思える。私の友人も大学院の入試に落ちた 時、全く同じ事を言って、留年して受験し直すような事はせずにさっさと民間 企業に就職した。彼は今、40代前半の若さで某外資系企業の社長になってい る。(友人に社長がいるというのは、ちょっと自慢したい気分ではある。)私は というと、元々その手の野心には無縁な人間で、その結果社長にもならず、偉 大な数学者にもなれず、ただの二流(以下)の数学者稼業をやって喜んでいる、 というわけだ。

2001年4月18日(水)
<< 平凡な一日 >>
午前中は、昨夜 Bruns & Herzog "Cohen-Macaulay rings"を読んでいて少し気 になった代数の基本事項を調べ直し、午後は「離散数学」の講義。こういう" その他諸々"の講義は好き勝手な話題を思いつくままに喋れるので、気が楽で ある。今日は多変数多項式環の線形空間としての構造、射影空間およびその上 の多項式関数の話をし、最後に組合せ論の重複組合せの話にひっかける、とい う所まで行きたかったのだが、射影空間の話は次回に持ち越し。だんだん「離 散数学」から離れた話題になってきたので、5月頃をメドに組合せ論の話に戻 らねばならない。勿論講義はドイツ式。かなり慣れて来た。

ひきつづき、なんだかんだと2時間弱の教室会議。まあ、数学の教員全員 が顔を会わすのはこの時ぐらいしか無いから、悪いことでもあるまい。

時々ドイツの風景がフラッシュバック症候群のように突然脳裏に浮 かび、心の中でしくしくと涙ぐんでしまう。ドイツへの未練今だ断ち難し。

2001年4月17日(火)
<< 研究日二日目 >>
本日教授会は無く、日本に帰って以来初めて二日続きの研究日。だいたい研究 日は二日ぐらい連続しないといけない。一日目は数日のブランクを取り戻すの が中心で、二日目でやっと新しい事を考えらえる。今日は午前中に大学院の講 義の準備を少しして、午後はHerzog先生の「神技の真髄の極まり定理」の証明 を詳細に検討し、その基本的なアイディアをつかむ。証明のアイディアは案外 単純だとわかったが、実際の証明にはホモロジー代数のテクニックを色々使う。 しかしこれらは全て常套手段とも呼ぶべきものなのだろう。 当面の目標は、数日後にHerzog先生から送られてくる予定の論文原稿を含 めた、現在までの到達点のチェックと再検討、そしてそれをもとに、その先の 問題を模索して次の研究につなげることである。しかし今はドイツ時代と は状況が違うから、牛の歩みにも似たペースで進むことになろう。

途中S先生が部屋に来て雑談。どうしたものかと考えあぐねていた、ソファー と壁掛け大型ホワイトボードの設置場所について、すばらしいアイディアを提 供してくれる。構想がまとまったのだから、購入手続きを開始しなければなら ないのだが、そういう事をやり出すと何だかんだと半日ぐらい潰れてしまうの で、当分先延ばしになりそうである。私の部屋には水道設備があるし、ホワイ トボードじゃなくて黒板を設置し、ドイツ直輸入(現在入手ルート探索中)のチョー クとスポンジとワイパーでドイツ式でやりたいのだが、床が絨毯敷きになって いるのでちょっと無理である。かと言って、日本式黒板拭きを使うのは、私の 良心が許さない。

大学院の推薦入試の時期である。私のゼミには3名の卒研生がいるが、3 名とも大学院進学希望である(うち一名は他大学大学院受験予定)。大学院も優 秀な学生がある程度以上集まって、お互いに競争しあえる状態になればしめた ものであるし、1、2年にひとりの割合でも継続的に数学者が輩出するようにな れば、後に続く大学院生達も、目標とすべきレベルがわかるようになり、研究 者養成大学院として軌道に乗り始めるであろう。もう少しすれば、私の大学の大学 院がそうなるかも知れないし、ならないかも知れない。

2001年4月16日(月)
<< こりゃあ重症だ >>
今年の花粉症のひどさに音を上げて、とうとう医者の薬のお世話になることに したのだが、今朝「症状の特にひどい時のとん服」なるものを飲んだら猛烈に 眠くなり、せっかくの講義も会議も無い研究日の午前中を棒に振ってしまった。 午後になってもまだ薬の影響が残って調子が出ないので、いつかやらねばならぬ と思いつつも先延ばししていた、ドイツ・テレコムへの抗議の手紙を書く。

「... 以上のことからわかる通り、ドイツ・テレコムは既に私に膨大な時間を 浪費させ、精神的苦痛を与えて来た。(中略) 私はドイツ・テレコムに以下の 事を強く求める。すなわち、86マルクの回線変更料をゼロにした正しい請求 書を、日本の正しい住所宛に送られたし。もしドイツ・テレコムがな おも回線変更料を請求したいというのであれば、そちらのミスに対してなぜ私 が超過料金を支払わねばならないのかについての、納得できる理由を示された し。以上の手続きが正しく行われた際には、当方は喜んで即時に料金を支払う準 備がある。なお、ドイツ・テレコムのミスについて指摘するのは今回が最後と し、今後も従来のようなミスを繰り返すした場合でも、当方は一切関知しない こととする。云々」

これは書留か、できれば内容証明郵便で送ることになるであろう。

ドイツ・テレコムの相も変わらぬ杜撰さにうんざりしつつも、T-Punktのあっ たKennedy Platzや、その周りのエッセンの市街地の風景を思い出して、思わ ず心の中で涙ぐむ。

夕方から夜にかけてやっと薬が切れて、調子が出てくる。自宅でひっくり 返って、CDを聞きながらinjective hull, Matlis duality, local cohomology のあたりをBruns & Herzog "Cohen-Macaulay rings"で読み直し、Herzog先生 との共著論文の下書きをすこし見直す。聞いていたCDはドイツで買ったバッハ の合唱曲で、去年の10月頃、夜アパードでせっせと計算に励みながら毎日の ように聞いていたもの。またまたドイツの事を思い出して心の中で涙ぐむ。こ りゃあ重症だ。その後、これではいけないと思って、ドイツでは一度も聞かなかっ たバッハのゴールドベルグ変奏曲に変えて、気分転換。