2001年8月10日(金)
<< 忙中閑有り >>
忙中閑有り。昨夜は四条に「千と千尋の神隠し」を見に行く。前回の「ものの け姫」は大ヒットしたらしいけど、テーマもストーリーもひねくれ過ぎていて いまひとつだった。この手のテーマの映画は「風の谷のナウシカ」よりも複雑 にすると良くないようだ。今回のは「となりのトトロ」のような異界系ファン タジーと、「魔女の宅急便」のようにほろりとさせる部分と、「天空の城ラピュ タ」のような冒険を交えた、とても面白い映画だった。9月頃にもう一度見に 行こうと思っている。

本日京大数理研で論文のコピーをした後、夕方頃大学へ。コピーしてきた 論文は代数幾何学を使って可換代数の問題を解くという興味深い話だけど、 Lefschetz pencilのモノドロミーだのDelegneのHodge理論だの特異点のK理論 だとと「華やかな理論」がボンボン出て来てとても私には読めそうにない。溜 息をつきながら序文と主結果だけを眺める。

明日あたりからしばらく雲隠れします。

2001年8月9日(木)
<< 慣性の法則 >>
雑用がひと息つく。ひと息ついただけであって、あと一週間ぐらいしたらまた 雑用の嵐が吹き荒れる。まあ、台風の目のひとときの静けさと言うべきか。こ の間に少しでも研究を、というふうになればいいのだが、私は「雑用の慣性の 法則」に従って生きているので、なかなかそうはならずに「何か雑用はなかっ たかな」と無意識のうちに捜している。私立大学の教員にとって、雑用に事欠 くことなんて有り得ない。ということで、本日は後期の講義の準備を少しやる。

数学教室というのは面白いもので、誰がどの科目を教えるかはそれほど厳 密に決まっていない。代数の講義を中心に担当しているK川先生が来年度国内 留学をするというので、解析のA堀先生が代数の講義をすると言っているし、 私なんぞも去年は数学科の微積分、今年は位相空間論といった感じで毎年担当 科目がころころ変わる。毎年ころころ変わると、毎年講義の準備をしなければ ならず、なかなか大変である。そのかわり留学などするときに、自分の担当科 目を誰かに代わって講義してもらえることもあるらしい。(そうでないことも ある。)

これが情報学科だと、「○○の科目は××先生しか教えられない」と決まっ ていて(実は大抵の科目ではそんな事はないのであるが)、全く融通が効かない。 融通が効かないから、後期にドイツや京大数理研に留学に出た私なんぞは、前 期の間に前期と後期の講義を全部やることになった。これは学生にとっても教員 にとっても大変である。そのかわり、毎年新しい講義の準備をしなくて良いか ら楽ではある。

この違いは何かというと、要は数学と情報学科の言うところの情報学との 性格の違いである。数学などは体系化された学問であって学部3回生レベルま での講義は基礎だから、数学者なら誰でも教えられるはずだ、というタテマエ がある。この私がルベーグ積分の講義をする日が来ることもありうるわけだ。 一方、情報学科では情報系の学問は体系化されていないバラバラの分 野の集積であるというタテマエがあるようだ。誰でも教えられてしかるべき基 礎、学生全てに徹底させるべき基礎は何か?ということについても教員の間で 意見がてんでバラバラである。皆が口々に、数学に例えて言えば 「私は今までの人生で二次 方程式なんて必要が無かったから、二次方程式なんて教えなくてよい」とか 「自分は可換代数をやっていて、ルベーグ測度なんで一度も使った事がないか ら、ルベーグ積分なんて教えなくてよい」とか「私は確率解析が専門だが、 確率解析でガロア理論を使う ことは無い(これが本当かどうか私は知らない)から、数学科でガロア理論を教 える必要はない」式の事を平気で言うから(勿論数学者はそんな事は言わないけど)、 カリキュラムの検討などをしてい てもなかなかまとまらない。私なんぞは、数学、ソフトウエア、ハードウエア にわたってかなり広い範囲を基礎と考えていた方であるが、その考え方は全く 受け入れられなかった。結局、「共通の基礎とはCプログラミングだけである」 という全く驚くべき"学科としての合意"が形成されたりするのだ。こんな調子 だから、誰でも教えられるはずの科目というのは数が限られてしまうのである。

そういえば、宇宙物理学で有名な京大の先生が「最近大学は『専門家』 ばかりになって、『学者』が居なくなった」と嘆いておられたなあ。

2001年8月8日(水)
<< 帆のない小舟 >>
電気電子工学科の線形代数の採点が終了する。このクラスは一貫して真面目な 雰囲気が漂っていたので大いに期待していたのだが、A評価が3割5分強、B評 価が5割5分弱、C評価が約1割、不合格者なしという期待通りの好成績であっ た。4回生以上の学生も数名受験していたが、「就職活動で授業に出られなく て...」云々と間抜けな事を書いてきた学生は1名にとどまり、それ以外の高 回生の答案は良くできていた。「間抜け」学生も、どうにかC判定にこぎつけ た。この学科では、学年が進むにつれて学生が馬鹿になっていくという現象は 起こらないのだろう。

今日も相変わらず雑用の大海原を帆のない小舟のように漂う。

「雑用」の定義は一般に曖昧だけど、ここでは数学者の習慣(?)に従って 数学研究以外の仕事は全て「雑用」とひと括りにして使っている。数学者はよ く、研究を「仕事」と言い、それ以外を「雑用」と呼ぶ。会社員時代はずっと 研究所勤務だったけど、研究は会社の目を誤魔化してこっそりやるものという 雰囲気だったから、大学教師になってからも長い間研究を「仕事」と呼ぶのに は抵抗があった。形式的な議論ばかり長々と続く会議で黙って座り続けるとか、 学生が寄り着かず年中閑古鳥が鳴きペンペン草が生い茂っている自分の研究室 に、単に学科としての体裁を保ち予算を消化するためだけの目的で誰も使わな いパソコンを大量に購入してシステム管理したり、講義をしたり試験の採点を したり、書類を書いたりするのが「仕事」であって、そういう何だかよくわか らない事で給料をもらっている。そして、その合間の時間を見付けてこっそり と、しかしながら会社員時代よりも堂々と勤務時間帯に研究するのは「遊び」 であり「役得」であるという気分であった。でも、いつの間にか研究を「仕事」 と呼ぶことに抵抗が無くなっている。

これは会社員をやめてずいぶん長い年月が経ったからでもある。さらに数 理科学科に移ったことも大きいようだ。立命館大学は「株式会社立命館」と呼 ばれるだけあって、全体としては大学というよりも教育サービス企業というノ リである。しかし学科によってかなり雰囲気が違うようだ。情報学科は「株式 会社立命館」の雰囲気に素直に染まっているけれど、数理科学科はまだ大学ら しさを失ってはいけないという雰囲気が残っている。数理科学科に移って初め て「研究はこっそりやるもの」という会社員時代の気分から自由になれたよう な気がする。

2001年8月7日(火)
<< 頭の中がカラッポ >>
あまり雑用ばかりに忙殺されていると、頭の中がカラッポになってしまう。カ ラッポ頭の中を、のっぺらぼうの日々が次々と通り過ぎて行く。

2001年8月6日(月)
<< 面倒な事は嫌いなのだ >>
最近クラッカーがうちの大学の計算機をしょっちゅう攻撃しているそうで、シ ステム管理をやっている学生が防戦にやっきになっている。セキュリティー強 化の一貫としてtelnetやrshやftpなどを使えなくしたりして、学内ネットワー クがだんだん使いづらくなってきた。sshとかsftpなどをインストールすれば それで済むことなのだが、何といってもそういう事が面倒で仕方がない。慣れ た人ならいいけど、私なんぞがそういう事をやると、大抵無駄に時間を浪費す ることになる。ただでさえ、色々やる事があって、優先度の低いもの順に「腐 らせて」いる状態である。そういう事に時間を費すのはおっくうである。

ということで、ある日突然この日誌の更新がストップしたら、それはとう とうネットワークが使えなくなってしまったからだと思っていただきたい。

今日も一日雑用にて缶詰め状態。Herzog先生は、これまでの仕事に一段落 着け、いよいよ我々の論文の最終版執筆に取り掛からんとしているようである。 月末には論文ファイルがメイルで送られて来て、チェックしなければならない だろうけど、その時間がとれるかどうか。

2001年8月5日(日)
<< 日曜出勤なのだ >>
土曜日はちょっとした義理(?)で有馬温泉へ行き、金の湯・銀の湯なるもので ひと風呂浴びた後、何だか全然知らない同世代のオジサン達と宴会なんぞをや り、ついでに18年ぶりぐらいにカラオケなんぞも歌い、そのまま一泊。今日 は、三ノ宮、新神戸近辺をうろつき、オジサン達と昼食を取った後、大学に戻っ て前期試験の採点。一体俺は何をやっているのだろうと、トホホ気分に浸る。

公私ともども多忙なのである。多忙なのはどうでも良いとして、数学の事 が気になる。Grothendieckの定理の件は、Herzog先生の検討結果を待つまでもなく 期待以下の結果に終ったと確信した。なるほど 夢見るH先生の言うように、「数学は毎日が絶望感と劣等感との闘い」で ある。ただ私は大学時代に素晴らしいサド・マゾ教育を受けたし、年を取って益々 フテブテしくなってしまったこともあって、敗北感や絶望感は感じても、劣等 感はあまり感じない精神構造ができあがっている。つまり「こりゃあ、まずい 状況だなあ」とは思っても、自分が悪いとは思わないわけ。

今後Herzog先生と論文をまとめるにせよ、次は何をやろうかしら。それを 考えるまとまった時間が欲しいものだ。

2001年8月3日(金)
<< 困ったもんだ >>
昨日に引続き「Grothendieckの定理」について色々調べたり考えたり。やはり、 「Grothendieckの定理」とは先日見付けたものであり、それは以前Storchさん がHerzog先生に宛てたメイルで触れていたものと同じで、それについては Herzog先生は「それでは使えない」と言っていた(私もそう思う)。また、ある 研究会でHerzog先生がFlennerさんから聞いたという「これぞまさしく我々が 欲しかった結果だ!」とメイルで知らせてきた結果というのは、 「Grothendieckの定理」のステートメントの一部が書き換わったものである。 それは「Grothendieckの定理」よりも数段目覚しい結果であり、実際そういう 結果は証明されていないと思われる。かなり難しいかも知れないが、たぶん反 例が構成できるだろう。これは、おそらくHerzog先生の聞き間違い、あるいは Flennerさんの言い間違いであろう。これぞホントの「幻の定理」である。

ついでに比較的最近の論文で、スキーム論を駆使したGrothendieckの代数 幾何学的証明を、純代数的に再構成したという論文を見付けた。まあ、代数幾 何学的方法で証明したものを、純代数的に証明し直して何が嬉しいのか。どう せなら「幻の定理」の方を証明して欲しいものである。(できるもんならやっ てみろ!)

Journal of Algebraic Geometryの論文(これも比較的最近の論文である)の 方は、Math Reviewの要約によればGrothendieckの定理を少し改良しているよ うだ。しかし「幻の定理」にはまだほど遠い。

以上を総合すると、「こりゃあダメだ」という私の意見は今のところ修正 する必要は無さそうだと思うに至る。いや、実は私はもう確信している。この 話しがぽしゃると、今度書く論文の結果の一部が当初の予定より かなり小さなものになる。いやはや、代数ってホントに難しいよねえ。

2001年8月2日(木)
<< 身動きがとれない >>
雑用の嵐である。「Grothendieck幻の定理」についてWebで検索していると、 私が「こりゃダメだ」と思った定理と違うヴァーションの定理もあるような雰 囲気も感じられる。大部のSGA 2は数理研で半分ぐらいしかコピーしてこなかっ たので、残りの部分も見てみないといけないようだ。またJournal of Algebraic Geometryのある論文も気になる事が書かれているようだから、見て みたいのだが、それは立命館にはない。とにかく、一度数理研の図書館に出か けたいのだが、今のところ身動きが取れない!

2001年8月1日(水)
<< 滑べり出し悪し >>
徳島大学近辺でうどん食べまくりツアーをしてきて、「讃岐うどんは香川だぜ。 一度香川にも行きたいもんだ。」とか何とか言いながら今日大学に戻ってきた。 そして、予定されていたことだけど、大学では雑用の山が待ち受けていて身動 きが取れない。

おまけに、SGA 2を解読した結果、Herzog先生が見付けたという「幻の Grothendieckの定理」は、ほとんど役に立ちそうになく、また、それ以上の良 い結果は望めそうにないような気がしてきた。早速このことをHerzog先生にメ イルで知らせる。彼はあと一週間は手が離せない仕事があって、「一週間した ら時間が取れるから、その時に真面目に考えてみる」と返事してきた。私が何 か簡単な事に気づかずにいて、実はうまく切り抜けられるという のならいいのだけど。でも、経験的に見て「私が気づかずにいる簡単な事」 というのは、"決定的にダメであるという証拠"であることが多いような気がする。 今はそれに気づかないでいるから、「もしかしてうまくいくかも」と 淡い期待を持っているだけかも知れないのだ。

ということで、8月の滑べり出しは、何ともさえない調子である。大体8 月半ば過ぎまで公私ともども何だかんだとあって、8月終りに雑用がすこし だけ減って、ちょっと一息つけるかなという感じだ。