2001年8月31日(金)
<< 8月が終っちまうぜ! >>
本日「ドイツ便り」(仮題)の初稿校正終了。あとは、"ドイツ・テレコムとの 血みどろの闘い"のその後などを書いたあとがきを完成させ、出版社に送るの みだ。午後は大学院入試修士・博士課程の面接。その後引続き判定会議など。

会議で「数学科の落ちこぼれ対策」が少し話題になる。講義のレベルを下 げるべきだ。いや、それでは大学院を目指すレベルの高い学生が育たなくなる。 応用数学など、純粋数学とは違ったテンションの講義を増やせばいい。いや、 それでは学生が皆そっちに流れてしまって純粋数学の方が潰れてしまう等々。 私個人としては、卒件で(数学への夢をまだ失っていない)落ちこぼれ学生の面 倒を見るのは好きなのだが、学科の制度としてどうするかという問題は難しい。

Young Tableauxの方は8月中(つまり今日中)には終らない。9月に入って からも、ぼつぼつやってみるが、講義ではH先生御期待の代数幾何学への 応用の所までは進まない(進めない)であろうと予想している。

夏休みもあと3週間足らずである。何だか一杯仕事したような感じだけど、 一体今まで何をやってたのだろうか。一体自分が何の問題を追いかけていて、 何を研究してたのか忘れてしまった。ここ数日、校正のため「ドイツ便り」を 読み返していたせいか、問題を考えていた時期の気分だけはふと思い出すのだ けど。

2001年8月30日(木)
<< お家取り潰し >>
本日「位相空間論」の講義ノート作り終了。簡単な定理や命題の証明は全て省 略してTeXで30ページ(!)になった。経験的に考えて、従来のような講義の やり方でこれが全て説明できるとはとても思えない。わからん学生にはいくら 丁寧に説明してもわからんのだ!と腹をくくって、強引な講義でもしようかし ら。

残るは 夢見るH先生御期待のYoung Tableauxの講義準備。私にとってはかなり退屈な話で、 いい加減放り出したくなってきているのだが、今さら引き下がるわけにも行く まい。ヘトが出る思いでFultonを読み進める。

昨日のH2Aロケットの打ち上げはめでたく成功したそうだ。昨日の帰りの電車の中で、 (たぶん技術系の仕事をしていると思われる)オジサ ン達が、「何としても成功して欲しいものだ。日本では、ちょっと失敗したら すぐに予算の無駄使いだの何だのと言って『やめちまえ!』とか『ロケットな んて他の国に任せておけばいいんだ』なんて話になるが、そんな事ばかり言っ てたんじゃあ技術が蓄積されない。日本は技術で食っていかねばならんのだ。 」というような事を言って盛り上がっていた。その通りだと思う。

技術の蓄積って、研究開発の目先を目まぐるしく変えて行かねばならない 民間企業(とくに計算機ソフトウエア関係)では結構難しいことだし、大学だっ て多くは研究開発の担い手となる熱心な学生の確保に四苦八苦しているから、 ほとんどど至難の技と言っても良い状態である。まあ、そんな状態の中で皆さ んよく頑張っていると思うけど、ちょっとでも採算が取れなければすぐにお家 取り潰し、なんて事ばかりやっているととんでもない事になると思う。 (もう、そうなっているのかも知れないけど。)

「ドイツ便り」(仮題)の初稿校正は、あとひと息。これが片付いてくれれば、 夜に時間が取れるようになる。

2001年8月29日(水)
<< 夏休みの宿題? >>
雑用増殖原理も何のその。雑用マシーンと化して、今日も大学では位相空間論 の講義をノート作り、通勤時間にはW. Fultonの"Young Tableaux"読み、自宅 に帰れば「ドイツ便り」(仮題)の初稿校正に励む。校正は昨夜の段階で9割方 終了しているから、あとひと息だ。この3つの仕事を8月中に片付けたいと思っ て、夏休みの宿題に追われる小学生のような気分で頑張る。この野郎!9月に 入ったら研究するぞ!

夕方、くたびれ果ててA堀先生の所に行き密談。疲れにはA(堀)が効く!

2001年8月28日(火)
<< 雑用増殖原理 >>
今日は終日講義の準備。位相空間論のノート作りをしたりW. Fulton "Young Tableaux"を読んだり。講義の準備を夏の間にやっておいて、開講期間に研究 時間が確保できるようにという思惑なのだが、そううまく行くかどうか。「雑 用はやればやるほど増えていく」という雑用増殖原理を仮定すれば、適当なと ころで全てを投げ出し、残された仕事の山は腐らせておくことにし、さっさと 研究に戻るのが正しいのかも知れない。

位相空間論の講義って大変そうである。学生にとっては全く新しい考え方 だろうから、色々具体例などを折り混ぜて丁寧に説明したい。しかし説明しな ければならない概念が沢山あるので先を急がなければならない。このあたりの バランスをどうすれば良いやら。

Young Tableauxの方は有名なRobinson-Schensted-Knuth対応のあたりまで 読んだけれど、今一つ何が面白いのか良くわからない。word problemなんて理 論計算機科学でも研究されているけれど、只々難しいばっかりで深みや広がり が感じられないよなあ。自分が面白くないものを講義でしゃべるのは気が重い のだが、群の表現論のあたりまで行けば面白くなってくるのかしら。

2001年8月27日(月)
<< 「優しい先生」 >>
本日で雑用がひと山越えた。さあこれで研究ができるかというと、そうも行か ず、まだまだ別の仕事が山積という状態。雑用が終った時点で新学期に突入、 という事になることだけは食い止めたいものだ。

昼食時O先生と一緒になり、東欧から亡命してアメリカに渡った数学者たち について雑談。「苦労した数学者は優しい」という結論に達する。しかし何を もって「優しい」とするかはO先生と私で微妙に基準が違うようである。彼の 基準によれば、ゼミの時などに「馬鹿野郎!数学なんかやめちまえ!!」と建 物中に響き渡る大声でどやしつけられても、ゼミの後の酒の席でフォローしてくれ れば「(心の温かい)優しい先生」となるらしい。苦労人のO先生らしい見解で ある。

私の学生時代は、先生にどやしつけられたり膾斬りにされたりした経験は 数え切れない程あるけれど、酒の席で「君も歯を食い縛って頑張れや」とフォ ローしてもらった事は無いなあ。そもそもゼミでコンパという習慣も無かったし。 だからO先生の話も、いまひとつピンと来な い。

2001年8月24日(金)
<< 大学院入試 >>
今日も気合いの終日雑用。そしてまたくたびれ果てる。国立大大学院受験組の 学生達は、まだまだ気が抜けない状態で大変そうである。ああ、また20年前 の夏休みを思い出しそうだ。。。

私よりずっと上の世代では、大学院は真面目に勉強していれば誰でも入れ たらしく、指導教員の所に行って「就職も無いししばらく大学に居させてくだ い」と言えば入学が許された(今の立命館の推薦入試と似たような)牧歌的な時 代もあったそうだ。しかし、私よりちょっと上の世代から大学院の価値幻想が 広まって志願者が増える一方オーバードクター問題が深刻化し、院入試が極端 に厳しくなった。

その10年ぐらい後、大学院重点化とかで国立大学の大学院の定員が倍増 し、京大などでも7、8割が大学院に進学するようになった。その頃私は計算 機科学なんぞをやりながら、「ああ、生まれるのがもっと遅ければなああ」な んてため息をついていたものである。老子なんてのは、何年も母親のお腹の中 でのんびり過ごしてから生まれてきたそうではないか。私もそうすれば良かっ た。しかし、ここ数年はまたまた入学が厳しくなり、合格者数は定員をはるか に下回るようになったという。私の頃は、例えば定員20名なのに合格者は5 名程度という大学もあったが、定員と合格者数を2倍にするとちょうど今の状 態になるようだ。

夕方、のび太君とY木君がやってきて、大学院入試問題を解くはめとなる。 先日の怪しい学生K君の件もあったし、数理科学科の教員になるとちょくちょ く院試問題を解いて見せなければならないから、院試に合格した事が無い私と しては大いに冷汗ものである。まあ、何年かこういう事を繰り返していると自 信が着いてくることであろう。

2001年8月23日(木)
<< 虚しくない(?)雑用 >>
気合いを入れて終日雑用。くたびれ果てる。以前にも書いたような気がするが、 雑用には虚しい雑用とそうでない雑用がある。虚しい雑用というのは、何のた めにやっているのかわからん仕事である。例えば情報学科時代にやっていた、 誰も使わない計算機の購入・設定・システム管理が代表例である。受講者3名 で、その3名の誰も理解していないことがはっきりわかっている大学院の講義 とか、誰も受験しない事がわかっている大学院入試の出題とか、実験科目の膨 大な量のマル写しレポートの採点なんてのもあったな。こんな形式だけの馬鹿 馬鹿しい仕事で給料貰ってるなんて情けないよなあ、と大学教師の仕事に誇り を持てずにいたものだ。数理科学科の雑用は、今のところ虚しいものが見あた らない。虚しくないから職業生活に適当に誇りが持てるのだが、手抜きができ ないから研究時間がどんどん食われてしまう。まあ、虚しくない事が一番大事 だから、これでよしとしておこう。

夕方、出版社から「ドイツ便り(仮題)」の初稿原稿が入った大きな袋が宅 急便で届いていた。ドイツで描いた私のスケッチや、Herzog先生との共著論文 の断片(!)が各章の扉にうまい具合に挿入されていて、なかなか雰囲気モノで ある。何?1週間でチェックしろだと!?また「虚しくない」雑用がひとつ増 えた。

2001年8月22日(水)
<< 台風一過 >>
台風一過の晴天、とまでは言えない蒸し暑い日。午前中から大学に来たものの、 すぐに片付かない雑用を3つ以上抱えると何をやっていいか分らなくなる習性 に従い、後先考えずにWeil因子まわりの事を調べる。こんな事やってていいの かしら、と思っていたら最優先順位の雑用が行く手を阻む。

そういえば、4月頃は「夏までにBruns & Herzog, Cohen-Macaulay rings を心を込めて読む」と豪語していたな。でも、心を込めて読んだのは結局 Hartshorne, Algebraic Geometryであった。いかんな。

「時間ができたから、論文の原稿を仕上げてすぐに送る」と言ってきた Herzog先生も、ここ3週間程音沙汰無し。幻のGrothendieckの定理の件がコケ たので、どうしようかと悩んでいるのであろう。私なんぞはあきらめが早いか ら、すぐに当初予想していた定理のステートメントに条件を加えて、現段階で 証明できるものにしてしまうだろう。しかし、あのHerzog大先生がそういう事 をするとは思えない。きっと、降参するしか手がないという証拠をさんざん突 き付けられてからでないと後には引かないだろう。これが正しい数学者の姿で あろう。私も見習わなくっちゃねえ。

午後K川先生が、SGAの画像ファイルが置いてあるWebのサイトと国立大の大 学院を受験した学生達のニュースを知らせに来てくれる。学生達の間では色々 大変な事が起こっているようである。私は20年前の自分の院試の事を思い出 して、少し暗くなる。先日は、卒業後20年してやっと京大数学科の院試に受 かる夢を見た。で、京大のN教授(この先生は現実にはもうとっくの昔に定年退 官されているのだが)に呼び出され、目の前に50センチ程本や論文を積み上 げられて、「今年の合格者は皆レベルが低い。院試に合格してから大学院入学 までの間に、これだけの本と論文を読破できるようでないと数学者になれない のだけど、今年の合格者はとてもそれができそうにない。それでも入学します か?」なんて言われて、「てやんでえ!そんな本や論文なんてもう読んでしまっ たぜ。俺はもう数学者になってるんだよ!」と椅子を蹴飛ばして部屋を出よう としたところで目が醒めた。この夢が、この20年間心のどこかで 引っかかっていた院試の呪縛からの解放を意味していれば良いのだが。

それにしても、学生達が元気にしているのは心強い限りである。そういえ ば今日は院生のM君を2回程目にした。夏休み前は運動会帰りの小学生みたい な格好をしていて、赤白リバーシブルの体育帽でもプレゼントしようかと思っ ていたが、今日見たら普通の若者の格好をしていた。

さらに、久ぶりに夢見るH先生と会った。彼は屋内でもサングラスをしてい るのか。負けたな。私のサングラスは屋内では暗くてしょうがないので、しな いことにしていたのだが。

2001年8月21日(火)
<< 台風11号 >>
本日台風11号のため自宅待機。W. Fulton "Young Tableau"を読む。CDを聞 きながら居間にひっくり返って昼間ずっと読んでいたのだが、夕方頃には何だ か吐き気がする程頭が疲れる。「おもしろうて、やがてシンドイ組合せ論。」 高みから世界を見下ろすことも無く、地を這うような細々としたトリッキーな 議論が延々と続くとなると、さすがに疲れる。組合せ論的可換代数から伝統的 (?)可換代数に向かいたい気分になるのは、これが原因である。かと言って、 抽象的な議論ばかりで具体的な計算から離れていると欲求不満が溜ってくる。

会社員時代からそうであったが、私は台風が来るとすぐに仕事を休む。し かし世間の多くの勤め人は、暴風雨警報が出ない限りせっせと仕事に通うよう だ。テレビを見ていると、強風大雨注意報なんて何のその。松茸になった傘 を必死で掴んで、アメニモマケズ、カゼニモマケズ道行く人々の図が何度も 映されていた。サウイフヒトニ、ワタシハナリタイ?

まだ台風の影響の少ない東京の出版社から、「ドイツ便り(仮題)」の打合 せ電話が掛かる。そろそろ第一稿ゲラ刷りの校正の仕事が入りそうだ。

2001年8月20日(月)
<< また忙しい日々? >>
先週一杯大学に寄り付かなかった。前半は実家の津で昼も夜も鰻ばかり食べて いた。何度でも言おう。津の鰻は日本一うまい。後半は前から気になっていた Weil因子、Cartier因子、Picard群を色々調べていた。可換代数や代数幾何学 にとって重要な概念なのだけど、本によって書かれている範囲がまちまちで、 代数と幾何にわたって全容をすっきりまとめたものが見当たらない。しょうが ないので、幾つかの本をひっくり返してみるも、まだすっきりしない。

そういえば、前期の大学院の講義で後期の学部4回生の講義である可換環 論と代数幾何学入門の講義ノートの整理も手付かずである。準素イデアル分解 のところは古典的な扱いをしていたが、これを素元分解環の話ともからめて現 代的に書き直したい気もある。

後期の「位相空間論」の講義の準備もまだ。

後期の「プログラム理論入門」の講義の準備もまだ。これは情報学科の再 履修者のためだけの科目で、何をやるかも決まっていなかったが、ようやくヤ ング図式の組合せ論でもやろうかと思うに至る。ヤング図式って、群の表現論 にも出て来るし、グラスマン多様体やシューベルト多様体の話と関連して可換 代数や代数幾何学でも出て来る何だか不思議な(?)理論である。William Fultonや S. Abhyankarといった有名な代数幾何学者がまとまった教科書を書 いている。一度勉強したいと思っていたのだが、今まで放置していたのだ。

情報学科の再履修者って、たぶんただ単位をかき集めたいだけの4回生以 上の学生だけであろう。履修届は50名ぐらい出してあるけれど、講義に出て 来るのはせいぜい4、5名でそれも毎回顔ぶれが変わる、なんてことになると 予想される。こういう時は、教室に誰も居なくても一人で講義する事も想定し て、自分が以前から一度勉強してみたかった話題を選ぶのが正しい。試験は、 講義を一通り理解している学生にとっては極めて易しい問題を出した上でゆる ゆるの採点をし、それでも白紙(同然)の答案は就職が決まっていようと何だろ うとバッサリ落す方針で臨む。

それ以外に色々雑用が待っている。のんびり勉強できた去年の夏休みと比 べると大違いだ。