2001年12月15日(土)
<< 証明を読む >>
寒い。曇りがちの空からそれでもときおり気持ちの良い陽が差し込む大学の部 屋で、久しぶりに論文などを読む。これが結構難しい論文で、だからこそ力が ついて良いと言うべきか、時間ばかり無限に食うから困ったも んだと言うべきか、一筋縄では行かない論文なのである。しかし、これは今ま で、ここぞという場面で結果は使ってきたのだけど、その証明はまじめにフォ ローしてなかった論文だから、読まないわけにも行かない。

私が尊敬する学生時代からの友人Y君は、「最近の若い数学者は、自分で証 明をきっちりフォローしないで他人の定理を使い、それで平気な顔をしている」 と苦り切っていた。証明をきっちり読んで納得してないと、その定理の正確な 意味がわからず使い方を誤ったりする可能性がある。Y君はそこを危ぶんでい るのである。実際、研究会などでの発表を聞いていると、時々誤って定理を使っ ているケースをまの当たりにするので、見付け次第やんわりと(?)イジメテ いるそうだ。

数学は単調増大で難しくなっていて、一つの定理を理解するために、それ に関連する膨大な定理や理論を理解しなければならない傾向が強まっていく。 だから勉強しなければならない事はどんどん増えていくわけだ。しかし一方で、若い 人は早く結果を出してできるだけ沢山論文を書いてポストを見付けないといけ ないから、そんなのんびりした勉強ばかりしてられない。彼らは時間との闘い を繰り広げているのである。いきおい、今や日本における○○論業界のお目付役 を自認する(?)Y君に睨まれることになったりするわけだ。 Y君にニラまれた若い数学者諸氏には同情申し上げるが、「若い人」ではない私と て、平均的にみれば若い人に比べて研究者余命は短いはずだから、やはり時間 との闘いであることには違いない。

しかし、新聞でどこかの政治学者が「ヒマでないと学問が薄っぺらになる」と書い ていて、私は目から鱗が落ちた気分になったのだけど、心にヒマを持ってじっくり証明 を読むようにしないと、数学も薄っぺらになって行くような気がする。

2001年12月14日(金)
<< まるで私の講義みたいだ... >>
朝はGoetheで昼は卒研ゼミ。何だかあわただしかった今週も終りである。 先日はGoethe-Institut主催のクリスマス・パーティーに参加した。 受講生有志によるピアノ、フルート、ソプラノ、合唱等のミニ・コンサート や、福引、そして参加者が持ち寄った食べ物やGeotheの講師の先生達が 準備した(ドイツ風の)飲物を楽しみ、久しぶりに楽しい宴の夜を過ごした。

本日書店からL. Badescu, "Algebraic Surfaces" (2001年発行)が届いたの で、数日前に安く仕入れたO. Zariski, "Algebraic Surfaces" (1935年初版発 行)と見比べてみた。結論として、60年以上前のZariski本は、記述が古過ぎ て数学史の貴重な資料以上の意味が無いような気がする。この本は、1970年に D. Mumfordらが解説を書き加えていて、私が手に入れたのはその解説付きのも のなのだけど、「解説者による前書き」からも「問題の本質を本来の素朴な形 で知るには良いかも知れないけど、読むのは苦労しますよ。覚悟してください よ。私は知りませんからね。」と言いた気な雰囲気が伝わってくる。

いっぽう、最新版のBadescu本の前書きには、現代の代数幾何学に関して 「既にあらゆることを知っている」ことを前提にして話を進める、というよう なことが書いてある。それではまるで私の「数理モデル論」の講義みたいでは ないか!?「あらゆる事」を既に知っている人はこの本を読む必要などないの だから、結局こんなのは誰のための本でもないのではないか!と憎まれ口の一 つも叩きたくなってくる。(ちなみに、「あらゆる事」を既に知っているはず のK川先生や彼の学生さん達は、私の「数理モデル論」の講義を楽しんでくれ ているようである。)まあ、どちらも私にとっては精読に耐えない本とい うわけだ。しかし、この2つの本をぼんやり見比べていると、この60年間の 代数幾何学の発展・変貌の雰囲気がなんとなく分るような気がしてくる。

私は、主に可換代数屋としての必要性から、断続的に代数幾何学を勉強し ているのだが、層だのスキームだのコホモロジーだのといった一般論以上のも のの勉強が私に必要かどうかは少し疑問を持っている。代数幾何学の人は、曲線とか曲面 とか3次元代数多様体とかいうカテゴリーを一つ選んで、例えば曲面の性質を 徹底的に調べるというような事をするようだ。そうする方が、一般の代数多様 体を一般的に議論するよりも、面白い結果が出て来るようである。それは可換 代数屋からすれば、可換環のクルル次元を具体的に2とか3とか固定して考え るのと同じで、可換代数のコンテクストにおいては、そういう問題の切り口と いうのは余り興味深いものではないように思う。それに、例えば代数曲線論や 代数曲面論といったものが、可換代数を研究する際の面白い具体例を与えてく れるかどうか、私自身はまだ確信が持てないままでいる。(単に私が無知なだ けかも知れないけど。)そういうわけで、代数曲面論は、ちょっと覗いてみた い気は大いあるのだけど、勉強となるとかなり腰が引けてしまう。

2001年12月13日(木)
<< 凍りつく... >>
この3日ほどコマネズミのように働いたおかげで、後期試験問題4科目分の全てが完 成する。やれやれ。

本日午後の「数理モデル論」で、おそるおそる「ここに来ている人で、情 報学科の人はどれぐらい居ますかね。ちょっと手を挙げてもらえませんか?」 と聞いてみると、親ザクラと子ザクラの3人組ともう一人を除いた8名全員が 手を挙げるので、一瞬凍りついてしまった。(彼らは数学の学生だとばかり思っ ていたのだが。。。)自家養成中サクラである情報学科4回生I君の旗色の悪さから推 察するに、I君を除いた7名が天才ではないと仮定する限り、彼らは全く何もわ かっちゃいないということになる。こりゃあ、後期試験が楽しみじゃわい。

その後、「プログラム理論入門」の講義。講義の前後は勿論後期試験問題 の作成作業に没頭す。

2001年12月12日(水)
<< 今日も大忙し >>
午前中は「位相空間論」の講義。その直前に、昨夜考えておいた位相空間論の 後期試験問題をTeXで清書する。講義、昼食の後は「線形代数」講義。その直 前に線形代数の後期試験問題を少し考える。線形代数の講義の後は教室会議で あったが、所用のため大急ぎで大学を発つ。何だか猛烈サラリーマン(死語?) みたいな一日であった。

2001年12月11日(火)
<< バチ当たりの大忙し >>
昨日は日曜日の延長気分で何となく「バチ当たりの日」を決め込み、今日は午 前中にゲーテのレッスンを終え、昼食をとり、おもむろに大学に来て、図書館 で昨日から見たいと思っていた文献をコピーして、「今日の午後はこの文献を 読みながら過ごそうかしら」なんて考えながら個研室に向かう。と、ここまで は十分平和ボケしていたのだが、個研室に入った途端、「そうだ!金曜日まで に後期試験の問題を4セット作らなければいけなかったんだ!明日から講義と ゼミと会議の目白押しで、時間が取れない!」と気づく。

普段はメイルもあまり来ないし来客も無いのだが、こういう日に限って膨大 な(と言っても全くのゴミ・メイルも含めて10通程度の)メイルが届いており、 さらに来客2件、電話1件の処理に追われる。それらをやっつけてから、4科 目中2科目、「数理モデル論」と「プログラム理論入門」の後期試験問題を作 る。あと、「線形代数」「位相空間論」の問題も作りたかったのだが、 力尽きる。嗚呼。。。

一見難しそうな顔をしているが実は阿呆みたいに簡単で、真面目に講義に 出て勉強している学生にとっては立派な楽勝問題。真面目に講義に出ていない けれど、ノートのコピー入手等の「要領」は心得えており、そして何よりも日々 数学に親しむ生活を心がけている学生には、何とか合格圏に食い込める問題。 しかしながら、日頃から数学と縁遠い生活を送り、かつ全く勉強していない学 生には手も足も出ない問題。そう、私はまさに「人生をナメ切った」学生達だ けを正確に検出し、彼らだけを落第させるための問題作りに知恵を絞るのであ ります。しかしながら、毎回講義に出てはいるけれど全く何も理解していない 学生と、人生ナメ切り組学生を区別する問題作成技術はまだ開発されていない。 (まあ、開発する必要も無いだろうと、思ってるのだが。)

2001年12月7日(金)
<< お勉強の金曜日 >>
午前はオジサン、オバサンばかりの最大5名のクラスでドイツ語を教わり、午 後は若いコばかりの最大2名のクラスで代数を教える金曜日である。

Goetheのドクトル・カシアン先生は最近古代ローマ時代の歴史に凝ってい るらしく、授業中にライン川はローマ帝国とゲルマニア(古代のドイツ)の境界 だっただの、シーザの「ガリア戦記」を読んでみろだのタキトウスの 「ゲルマニア」は面白いぞ、などなど、こちらの気をそそるような事をぼんぼん言う。そ れで私もゆうべは20数年前に使っていた山川出版の世界史の教科書や年表、 世界史地図なんぞを引っ張り出して、ドイツ史をさっと復習してみたりした。 ドクトル・カシアンは言語学の博士号を持つ立派な研究者らしく、ドイツ語の 授業も妙に理屈っぽくて私の趣味に合う。

卒研ゼミでは、一時期「破門直前」まで追い詰められたH君が無事(群の)準 同型定理の証明を終え、めでたく後期のテキスト「すぐわかる代数」を終了す。 残る1〜2回のゼミは、彼のリクエストにより行列式の定義と性質をやること となった。もう一人、「数理モデル論」の自家養成サクラのI君は、 風邪とバイトの波状攻撃にさらされやや苦戦気味。

かく言う私は、この週末に何とか「可換環(体)の導分」のお勉強を やっつけたいところ。

2001年12月6日(木)
<< そういえば怪しい学生達 >>
くたびれ果てて仰ぐ天に人生のデフレ・スパイラルを見る木曜日である。

午後の「数理モデル論」の教室に行くと、何故かいつものサクラ軍団が居 ない。があああん!サクラ無しでどうやって講義をやればいいんだよう!と心 の中で叫びつつも平静を装い、講義を始める準備のふりをして、バケツに水を くみに行ったりワイヤレスマイクなどをひねくり回したりしながら時間を潰し ていると、しばらくしてドヤドヤと軍団が入ってきた。どうやらさっきまで、 ロボティックス学科のA先生の数学コロキウムがあったらしい(しまった、忘れ てた!)。今日の講義もまた、いつも元気なK川先生と、少なくとも人前ではい つも元気そうなY木君らの適切なる茶茶で盛り上がりつつ、無事Hilbertの零点 定理の証明を終了し、準素イデアル分解に少し入ったところで終る。それにし ても、毎週せっせとこの講座に通ってノートを取っているサクラ軍団以外の学 生達は、何者なのだろうか。少し気になる。

次は、サクラなし、茶茶なし、嬉しがっているのはもしかして私だけの 「プログラム理論入門」の講義である。この講座も受講生は7名程度なのだが、 少なくとも1名は面白がって聞いてくれている学生がいるようだが、それ以外 の学生達は何を考えて毎週通ってきてるのだろうか。黒板は一所懸命写してい るけど、板書を離れて思想的に大事な事を説明している時は必ず「白目をむい て気を失っている」女子学生コンビ。私が黒板の左(右)側に書いている時は、 必ず(少し前に書いていた)黒板の右(左)側を見てノートを取っている、多分私 の話はほとんど聞いていない男子学生。何だか知らないけど、若い時の西田幾 多郎にそっくりな男子学生。最前列に座って、常に目深にかむっている毛糸の 帽子の下から鋭い視線を投げかける怪しい男子学生。否、この学生だけではな い。この大教室の前の方でもなく、後ろの方でもなく、何とも言いようのない 位置に、惑星の多体問題よろしく常に一定かつ絶妙の間隔に分布して座ってい て、嬉しそうでもなく悲しそうでもなく疲れている様子でもなく、かと言って 元気そうでもなく、講義を全く聞いてないふうでもなく、かと言って一言も聞 き漏らすまいと真剣に聞いているふうでもなく、完璧に理解しているふうでも なく、かといって「でんでお手上げ状態」というふうでもなく、淡々とノート を取り、時々白目をむいて気を失い、常に無言で反応に乏しく、かと言って次 の週にはちゃんとこの閑散とした教室にやってくる彼ら受講生達は、十分怪し い!そして、この数名の怪しい学生達を前に大教室で講義をしている私は、ま さに彼らが怪しいが故に実はとても幸せ者なのではなかろうか、という気が してくるのだ。

2001年12月5日(水)
<< 本棚の肥し >>
昨日は久しぶりに「バチあたりの日」。京大とGoethe近辺で半日すごず。 本日午前は「位相空間論」午後は「線 形代数」の講義。風邪はまだ少し残っているようで、しばらくおさまっていた 「エッセンの風景のフラッシュバック」も再び激しくなってきた。 心身ともにちょっと危うい今日この頃である。

K川先生から紹介されたある「チャリチティー・バザール」で、O. Zariski の "Algebraic Surfaces"を買うことにした。ちなみに私は代数幾何学はアマチュ アでしかないので、21世紀初頭の今、この本を読む価値があるかどうかは全 くわからない。図書館で現物を借りて眺めてみたのだが、私が将来この本をま じめに読むことになるかどうかも見当がつかない。

しかし面白いもので、「これは買ったけれど、読むことはまず無いだろう な」と思っていた本を、真面目に読まねばならなくなるという事は往々にして ある。Hartshorne "Algebraic Geometry", Brun & Herog "Cohen-Macaulay rings", Brodmann & Sharp "Local Cohomology", Cartan & Eilenberg "Homological Algebra", MacLane "Homology", Mumford "The Red Book of Varieties and Schemes" などはみんなそうである。まだまだ Griffiths & Harris "Principles of Algebraic Geometry", Weil "Foundations of Algebraic Geometry", Fulton "Intersection Theory", Gelfand & Manin "Methods of Homological Algebra", Steenrod "Topology of fibre bundles", Milne "Etale Cohomology" 等々が本棚に眠っているが、どうなる ことやら。Zariski "Algebraic Surfaces"もこれらの仲間になるわけだ。

今どき WeilのFoundationsなんて買ってどうすんだよ!?という説もある し、Milne "Etale Cohomology"なんてのは、「並列計算モデルの理論にエタール・ コホモロジーの方法を導入して一旗揚げて、それが一段落したら数論幾何学に 参入するんだ」なんてアホな事を真面目に考えていた頃の「勢いの名残り」で しかない立派な不良債権である。でも、Steenrod "Topology of fibre bundles"なんてのは、今ではちょっと時代遅れの本みたいだけど、いつの日か ちゃんと読んでみたい気もする。実は私は学生時代からトポロジーが大好きな のである。ホモトピー論に深入りする元気は無かったものの、永田「可換環論」 に青春を捧げる前から、ポントリャーギン「連続群論」、松島「多様体論」、 横田「群と位相」、ケリー「位相空間論」を愛読していたのだ。計算機科学を やめて純粋数学に転向する「学術的契機」も、実はトポロジーだったのである。

一方、これは卒研のテキストにちょうど良いかなと思って買った本は、ま ず読まれることは無さそうだ。Fulton "Algebraic Topology", Kinsey "Topology of Surfaces", Serre "Local Algebra", Kunz "Einfuehrung in die algebraische Geometrie", Harris "Algebraic Geometry"等々。自分でも一度ちゃんと読ん でみたいけど、かと言って卒研とかいった外部的圧力が無い限り読む気がおこ らない。しかるに外部的圧力は起こり得ない。よって読むことはありえ無い。 Q.E.D. というわけである。

2001年12月3日(月)
<< 鬱病に効く薬? >>
今日は風邪気味だったのだが、午後に会議が入っているので少し無理して出勤 する。会議の前後は代数幾何学などのお勉強。風邪(あるいは風邪薬)のせいで ぼんやりするため、いまひとつ調子が出ない。

そういえば、先週末頃までいまひとつ気分がすっきりしなかったのだが、 それは西田幾多郎全集(第1巻)のせいではないかと思う。あれは今の値段にし て6000円ぐらいで買ったわけで、学生時代の私にとって はかなり思い切った出費であったはずである。にもかかわらずほとんど読まず に終ったのはもったいないという貧乏根性が頭をもたげ、暇々に読むことにし たのだ。しかし、読んでいるうちに、何だか私という存在が暗い宇宙の中に唯 一人放り出され、あてどなく漂っている図が思い浮かんできて、そういうのが 毎日続くうちにだんだん憂鬱になってきた。これではいけないと思って全集を 放り出し、Michael EndeのMomo, 朔太郎全集、Hartshorne "Algebraic Geometry"と読書傾向を意識的に変えてみたら症状がおさまった。特に Hartshorneが一番効いたようである。

2001年12月1日(土)
<< 悪だくみ >>
今日は本当に何も考えずに大学へ。午前中は雑用をいくつか片付け、午後は代 数幾何学のお勉強。局所環についてのあるとても役に立ちそうな定理の前身に あたる代数幾何学版の定理を理解したいのだけど、スキーム論なんていう複雑 極まる言語はちょっと御無沙汰しているとすぐ忘れてしまう。しょうがないの で、基本的な定義や性質の復習から丁寧に見ていくことにするのだが、これは 複雑に絡み合った紐をすこしずつ解きほぐしていくような作業である。

こういう勉強は、ノートにまとめて4回生か大学院の講義で1〜2セメス ター繰り返し教えてみると大変良く身につく。漫然と理論を展開するのではな く、何か目玉の定理を目標にして話を進めるというのは、私の講義ではよくや る手でもあるし、講義で話すってのも悪くないアイディアだ。それに、講義を しなければならないとなると、サクラも確保せねばならぬ。サクラの前で変な 事は喋れないから、手抜きは許されない(これは必ずしも、サクラ無しの時に 手抜き講義をしていることを意味しないのだけど)。となると、自然と勉強に 力が入る。私にとっては良いことずくめである。

しかし、「代数=(数論幾何学以外の)数論」と固く信じているウチの学生 達相手にスキーム論の講義をするのはちと無理があるし、「代数」以外を専攻 している圧倒的多数派の学生相手だと物凄く無理がある。可換代数の「基礎」 と層の理論の「基礎」の類は全て既知と仮定して話を進めるのも、ほとんど犯 罪的行為である。(ここでいう「基礎」とは「それをちゃんと説明していると、 それだけで半期の講座になってしまうようなこと」を意味する。) やはり、学生を自分の勉強・研究の手段に利用してやろうと いう悪だくみは簡単には成功しない。勉強は自分一人でやるものであっ て、学生に頼りながらやろうなんて魂胆がそもそも間違っているのだろう。