2002年2月14日(木)
<< ...だったら早く言えよ! >>
入試の採点は終了した。あとは数学教室全体として開かれる唯一の飲み会であ る「採点打ち上げ会」が待っている...はずであった。この打ち上げ会を誰が 仕切るかについては数学教室にある不文律が存在し、それによれば今年 は私とKaz先生という「純粋数学至上主義者コンビ」が仕切り役になるそうだ。

さてKaz先生は「純粋数学至上主義者としての輝かしくも美しい人生を全う するため、一切の飲み会には断固として参加しない」という気高い思想の持ち 主である。上記「不文律」なんぞ眼中にあろう訳が無い。それはそれでよろし い。自分の人生を掛けた思想と職場の不文律を秤にかければ、断固として自ら の思想を優先するという点については、Kaz先生も私も一致するのである。

私は、というと、数学教室の新参者ゆえに、その不文律を知らないままに 「そろそろ打ち上げの話が起こる頃なんだけど、誰も何も言い出さないなあ。 変だなあ。私が楽しみにしている年に一度の飲み会である。今年は無し、なん て事は許さんぞ」などと考えながら刻々と採点日程が過ぎて行く。採点期間が 終ると、数学の先生なんてのは蜘蛛の子を散らしたようにどっかに消えてしま い、もう連絡が取れなくなる。のんびりしていては、本当に「今年は無し」な んてことになりかねない。

それで、たまたまS藤先生に「今年はどうなってるんだろうねえ」と聞いた ところ「今年はKaz先生が仕切り役だから、打ち上げ会は無いんだ」などと言い出 し、そのとき私は"不文律"の存在を初めて聞いたのである。さすがの私も切れ ましたね。そういう事はもっと早く言え!!!何で黙ってるんだ、馬鹿野郎!!!! その不文律によれば仕切り役は2名だ!我々はKaz先生の思想を尊重しなけれ ばならないが、同時にそれは数学教室全体を何ら拘束するものではない。Kaz 先生がやらなくても、私がやれば済むことだ。勝手に私の存在を消去して 考えて良いなどという消去理論なんて、一体どこから湧いてきたのだ。 とにかく、断固として私が仕切らせてもらいます!!!!!

かくして、時間も押している中、急拠「採点打ち上げ会」プロジェクトの 成功を目指して奮闘努力することとなったのである。時間も押しているし私は 飲み会の幹事なんてやった事が無いから、ヘマをやらかすかも知れないけど、 今まで黙っていた皆さんも悪いんだから文句は言わせんぞ。

話は変わる。採点が終った解放感から、久しぶりにHartshorne, "Algebraic Geometry"をぼんやり眺めていたら、可換代数学でよく使う局所コ ホモロジーの理論(これは私のお気に入りの理論の一つである)が、代数幾何学 で使われる層係数コホモロジーのSerre双対性の理論の完全なアナロジーであ る(らしい)ことに気がついた。これは、世の中に多々ある「わかっている人に は当たり前の事だけど、誰もその事をはっきりとは言わずに知らん顔している」 事の一つのようであるが、「知ってんだったら早く言えよ!応答せよ、地球号!」 と全世界に向かって吠えたくなる。私の勉強不足で層係数コホモロジーをよく 知らないのが一番いけないのだろうし、「今頃こんな事言ってる私って何だか マヌケみたい」という気がしないでもないけどね。

それにしても、35年前のGrothendieckの講義録 --- これはコピーは持って いるのだけどHerzog先生が「そんなのどうせ何も書いてないでしょ」なんて言 うのを真に受けて未だ読んでない --- ならともかく、普通の代数幾何学の教 科書には局所コホモロジーの話なんてほとんど書いてないし、可換代数学の教 科書にはSerre双対性定理との関連については「口を閉ざしたまま」である。 そして論文にはそれぞれの「方言」で書かれていて、それが本質的に同じであ ることがわからないようになっているようだ。こういうのって、いけませんねー。

2002年2月13日(水)
<< 宗教上の理由 >>
入試の採点業務には色々なドラマがあるのだけど、何せ事が事だけにここに書 けることは少ない。ただ、大学教師というのは普段は各自バラバラに仕事をす るわけで、学生の顔を見ている時間は長いけど、同僚の顔を見ることは少ない。 お互い顔を会わすのは会議の時だけという場合も無きにしもあらず。しかし、 こういう時だけは数日間四六時中 --- というのはちょっと大袈裟だけど --- 一緒に作業をやるため、色々新たな発見があったりする。例えば、夢見るH先 生の Web日記がある時からがらりと一変し、モノに憑かれたように晩ご飯と弁 当のおかずの記録に終始するようになったのは、宗教上の理由らしいという噂 を耳にしたり(本人に確認したわけではない)、同じ採点業務でもその進め方 に何となく学科のカラーが出ることを発見したり、という具合である。

ところで、数学ができない時の心の支えは数学だ、という事を昨日書いた けど、心の支えが一つだけというのも心細いものである。数学をやる元気も無 い時、自分は一体何をやるのだろうと思っていたら、どうやら「音楽を聞きな がら何でもいいから(数学以外の)ドイツ語の文章を読みたがる」場合がある事 が判明した。

2002年2月12日(火)
<< 受難の季節 >>
この時期の入試関連業務というのは事務サイドが担当するものを除いても色々 な仕事があり、単に採点だけにはとどまらない。それで、ここんところ土曜日 曜祭日関係無しに毎日早朝から大学に出勤して仕事 --- 勿論「研究」という 意味ではない --- をしているため、「心なしか華やいだ活気に溢れているよ うに思う」なんて暢気な事を言う気分でもなくなってきた。先生によっては何 人もの学生の卒論、修士論文の追い込み指導だの後期試験の採点なども重なっ て、文字通り受難の季節なのである。私なんぞは、後期試験の採点はずいぶん 前にさっさと済ませてしまったし、大学院生も居ないから、例えば「24時間 闘えますか」の会社員に比べても楽なもんなのかも知れない。しかし、一日の 大半を拘束され続けて数学から隔離されていると只々「あー、しんど!早く終 らんかいな」という気分になってくるものだ。

こういう、なかなか数学ができない時の心の支えというのは、やはり数学 なのである。仕事 --- くどいようだが「研究」という意味ではない --- のちょっ とした合間や、夜中に採点の夢にうなされて目が覚めてしまった時などは、 「その道の専門家でないと問題自身が理解できない、しかしその道の専門家の 間ではその答は『ちょっと考えればすぐわかる』(これは数学者が好んで使う、 しかしながらなかなか曲者の 言い回しである)ものであり、従ってその道の 専門家の端くれということになっている私としては今さら人に聞けないのだけ ど、以前からわからないままになっている」問題を考えたりする。かくして、 このような類の問題を1つ解決し、さらには「阪大の研究会で小耳に挟んだ 『○○性とは△△双対性定理が成り立つぎりぎり一杯の性質のことです』とい うちょっと興味深くも謎めいた一言の意味」がわかりかけてきた。

2002年2月9日(土)
<< 卒論指導 >>
卒論軽視の私でも、卒論指導はするのである。本日13時に自家養成サクラI 君をパソコンのある部屋に呼び付け、卒論の内容や形式、 TeXコマンドの使い 方について随時コメントを述べながら、彼が書いてきた原稿のTeXファイルに 直接手を入れて5時間ぐらいかかって一気にほぼ完成版と呼べるものをでっち 上げた。本当は数日間かけて、プリントアウトされた原稿に赤を入れて返却し 本人に書き直させて、ということを何回か繰り返すのが「教育的」なんだろう し、実際情報学科時代はそうしていたのだけど、今回は短期決戦型で片付ける つもりである。

2002年2月8日(金)
<< 「お勉強の連鎖」と「近視眼の隘路」 >>
本日も入試採点の予定だったのだが、ドイツ語の神様の御加護によって今日一 日だけ自由な時間が取れた。午前中は、出席をあきらめていたGoetheのレッス ンに行き、京大ルネで昼食の後数学新刊書を冷やかし、午後から大学へ行って 事務的な仕事を少し片付ける。

事務的な用事が終った後は、阪大の研究会で小耳に挟んだ「○○性とは△ △双対性定理が成り立つぎりぎり一杯の性質のことです」というちょっと興味 深くも謎めいた一言の意味するところを少し考えてみたものの、よくわからず。 結局、気にしないことが一番だということになった。

しかし考えてみれば、自分の研究に直接関係しそうな部分に限ってみても 「あれとこれの関係って、たぶん良く知られているのだろうけど、どうなって るんだろう?気になるなあ」という事が沢山ある。しかし、いちいち気にして 調べていると「お勉強の連鎖」にはまり込んで方向を見失うし、自分が良く知っ ている範囲だけで物を考えて行こうとすると「近視眼の隘路」にはまり込んで 出口を見失いかねない。難しいもんである。

2002年2月7日(木)
<< 書き入れ時 >>
本日も入試の採点で、それはそれで色々面白い話があるのだけど、部外秘なの で何も語れない。ひとつだけ言えば、入試の採点作業というのは --- たぶん 何処の大学でもそうだろうが --- 全教員が秘密の部屋に缶詰になってねじり 鉢巻でカンカンになってやるものだけど、私立大学としては年に一度の書き入 れ時ということで、心なしか華やいだ活気に溢れているように思う。少なくと も私は、4時間連続教授会よりも入試の採点の方が好きである。でも、こんな 活気があと何年続くのかは、知らない。

そういえば、企業の研究所勤務時代は、毎日それなりに楽しいことや面白 い事があったのだけど、当然それらは全て企業秘密ということで会社の外では 語れなかった。「うちの企業秘密の中の最大の秘密は、秘密にすべき事--- 秘 密にしなければならないような素晴らしい研究成果 --- が何も無いことであ る」という冗談を言い合っていたものである。本当にそうだったかどうかは、 これまた企業秘密(だと思う)。

2002年2月6日(水)
<< 大阪出張 >>
月、火は阪大の研究集会に出席して、久ぶりに色々面白い話を聞くことができ て有意義であった。本当はその集会は今日と明日もあるのだけど、今日から入 試の採点に突入するため、泣く泣く大阪から帰ってきたのである。

研究集会では、代数幾何学と可換環論にまたがる、丁度私の趣味と会う内 容の講演があったのだが、今日はその講演のノートを眺めて少し勉強する。以 前はその人の言う事がさっぱり理解できなかったのだが、ようやく半分ぐらい わかるようになってきた。

ところで、先週の土曜日に実は情報学科配当「プログラム理論入門」と 「数理モデル論」の採点を終了した。「プログラム理論入門」は大変出来が良 く、全員がBまたはA判定でC判定や不合格者はゼロ。「数理モデル論」は例に よって「正解が一つでも書かれていれば合格」という大甘の採点を行った結果 3分の2が合格し、合格者1〜2名の予想を上回った。

2002年2月1日(金)
<< 靴下も替えられない程の多忙? >>
今日はGoetheのレッスンの最終日である。本当はあと3回あるのだけど、入試 採点業務のため休むことになる。どこの大学でもそうだろうけど、入試の採点 は全教員総出で行う大事業なのである。午後、大学に着くとすぐに夕方まで会 議。

会議が終れば自家養成サクラI君と卒論の打ち合せ。数学科では卒論は無い。 情報学科のI君は私のところで数学科の卒研指導を受けている。よって卒論を 書くのは情報学科がらみの単なる形式的な手続きにすぎない。単なる形式的な 手続きに労力を掛け過ぎるのは得策ではない。ということで、私は卒論にはあ まり重きを置いていない。でも、どうせ何か書くのだったら頭の整理をする良 い機会として利用しましょう、程度に考えている。この気分がI君に そこはかとなく伝わりつつあるような気がしている。

ところで、2週間ぐらい前にHerzog先生にちょっとした問合せをしたのだけど全く応 答が無く、「もしかして事故にでも会ったのか?」「もしかして急病?」「も しかしてまた中国かインドに出張してしまった?」などなどさまざまな憶測を しながら待っていたのだが、今日返事が来て「いやあ、このところ猛烈に忙し くて。特にこの5日間靴下も替える暇が無かったんだ。今晩やっと靴下が替え られる」とのこと。はてな?靴下も替えられない程の多忙って何だろう? とにかくめでたく論文は完成し、某雑誌に提出する運びとなった。

月・火は出張のため、日誌更新は水曜日以降。