2002年2月28日(木)
<< 御座敷 >>
昨日はあれから「食うことこれすなはち修行なり」と日々宗教的生活に励む夢 見るH先生と、筋肉絶頂期の栄光の日々を忘れられないたそがれの筋肉中年S藤 先生のところの修士の学生達が「公聴会終了万歳打ち上げ会」をやると言い出 し、それに誘われて南草津で彼らと飲んだ。私は自分のところで独自に飲み会 を組織できる人数の学生が居ないので、専らよそから御座敷の声が掛かった時 に学生と飲むことになるのである。今後もより多くの御座敷から声をかけても らえるように、三味線か小唄でも習おうかしら。

さて今日も昼前に大学へ。「春休みは休み!」だけど、天気がぱっとしな いから街に繰り出すにもちと元気が出ない。大学の研究室で終日過ごす。

2002年2月27日(水)
<< 修論公聴会 >>
昼前に大学へ。「春休みは休み!」だけど、今日は修士論文の公聴会と教室会 議である。S藤先生から修士論文の副査を頼まれている院生N君の発表を最初に 聞き、その後は代数グループの発表会場へと移動する。公聴会は代数系、解析 系、計算機系の3つの部屋に分かれて行われたのだが、どの部屋を覗いてみても 院生が沢山聞きに来ていて、ウチの数学教室にこんなに院生が居るのかと驚い た。公聴会の後は教室会議。

2002年2月26日(火)
<< お客様第一主義でございます! >>
昼前に大学へ。「春休みは休み!」だけど、今日は教授会である。教授会の時 間まで、今だ未練断ち難きHartshorne "Algebraic Geometry"と、昨日届いた ある国際会議の論文集を交互に眺めて過ごす。

あと1時間ぐらいで教授会という時に怪しい学生K君から電話があり、今自 宅に居るが1時間半ぐらい後に可換代数についての質問に行きたいという。ふ む。お客様を放ったらかして業務会議をやるようでは商売人の魂はどこへやら、 である。株式会社立命館大学の社員である私としては、「かしこまりました! では○○時にお待ちしております」と電話に答え、業務会議(教授会)をキャン セルしたことは言うまでもない。かくして退屈な会議の代りに、怪しいK君と 一緒に怪しくない可換代数の議論を1〜2時間程行うことができたのである。

2002年2月25日(月)
<< 春休みは休み! >>
春休みは休みだからこそ春「休み」なのであって、(2月23日の日記のよう に)春休みにゼミを開かない事のために、色々口実を並べなければならない事 自体がおかしい。こんな当り前の事が何故ゆがめられるのか?敵は私の心の中 に居る。反省を込めて「春休みは休み!」と自分に言い聞かせる。

さて、今日と明日は国立大学の入試のため、京大近辺は近寄らないのが得策であ ろう。ということで大学に出勤。

本日Ni先生の科研費で買ってもらった本が、事務処理を終えてドサッ と届いた。代数幾何学関係の本が多いのだけど、それらは真面目に読むのでは なく「どんな事をやってるのかなあ」と拾い読みしながら覗いてみたい本であ る。まあ、私が読まなくても大学の資産としては結構価値のある本ばかりだと 思うけど。それ以外には、可換代数関係で今すぐにでも読みたい本、いずれ真 面目に読んで見たい本などがちらほら。あとは、Alan BakerやHardy-Wrightの 初等整数論の本、およびWeilによるアイゼンシュタイン、クロネッカの楕円関 数論の本。

そういえば、2、3年前ぐらいは関数論や(学生時代にサボり倒した)ルベー グ積分の教科書をシコシコと読んだり、学生時代に良く勉強したけれどかなり 忘れてしまったトポロジーを勉強し直そうと画策したり、「整数論の立命館」 という風評(?)に影響されたこともあって、整数論の本を眺めてみたりしてい たけど、最近そういう事はやらなくなった。知らない事、理解してない事は山 のようにあるし、それらに全く興味が無いわけでもないのだけど、結局自分の 研究に関係するもの以外はよほどの事が無いと読まなくなった。そんなにせっ せと本を読む暇があれば、自分で何か考えたり計算したり、あるいは数学とは 関係の無いものを読んだりする方が良いと思うようになったからだ。まわりの 同僚の先生達を見ていてもそういう感じだし、これは私もいよいよ数学者っぽくなっ てきたということか。

今日もHartshorne, 層のコホモロジーの部分を突っつき回す。お勉強もそ ろそろ切り上げて研究っぽい話に戻ろうという気分と、ここまでわかったんだ からついでにあれも読んでおこう、これもやっておこう、春休みだし気の済む までお勉強すればいいではないかという気分。2つの気分が、現在私の心の中 で交戦中である。

2002年2月23日(土)
<< 口実 >>
めっきり春めいてきた昨日(22日)はHartshorne, "Algebraic Geometry"を小 脇に抱えて再び街へ。午前中は河原町三条・四条通り近辺で野暮用を済ませ、 午後は進々堂特等席、京大中央図書館のソファーと「極楽スポット」を点々と 移動した。

今日もまた街へ!とも思ったが、土曜日曜は観光客で進々堂が混雑すると予想され るし、京大図書館も17時前に追い出される。さらに、この2つのスポットが 何らかの事情で使えない場合の補欠スポットである、数理解析研の図書館が土日は閉 鎖されているということもあって、大学に出勤することにした。今日もまた Hartshorneを突っつき回してすごす。それにしてもHartshorneは難しい本だけ ど、ハマり出したらなかなか抜け出せないぐらい面白い。

昨日京大図書館で雑誌を読んでいたら、最近数学会の賞を受賞した学生時 代の後輩A氏が「大学院修士課程に進学してしばらくして指導教官のM教授は外 国に留学してしまい、帰ってきたのは修士論文提出後」というような事を書い ていた。M教授というのは私の指導教官でもあった人で、先輩Y氏が修士の学生 の時もY氏を放ったらかしてドイツに留学してしまったのであった。これは研 究者養成大学では別に不思議な事でもないし、放ったらかしにされた方が学生 は何をやれば良いか自分で色々考えるし(何も考えない学生は所詮それだけの 人物なのだから考慮の対象外としてよいものとする)、その方が研究者として 独立するためには良いという事は、私が言うまでもなくA氏自身もその記事で 書いていた。

私は「立命館(の数理科学科)は研究者養成大学ではなく、(研究者ではない) 数学シンパの養成所である」と明確に位置づけていることもあって、結構手取 り足取り親切で面倒見の良い先生をやることにしている。しかし、研究者養成 大学でも学生を適当に突き放すの事も必要かなあと思ったりもする。というこ とで、それを口実に卒研ゼミおよび院生ゼミは4月までやらないでおこうと考 えている。

与えられた課題をこなすばかりではただの「兵隊」である。自分でゆっく り考える時間が無いと一生「兵隊」だけで終ってしまう。 しかし、そう考えて学生に時間を与えても学生はただただ遊び惚けるだけだか らという理由で、講義時間を増やし、夏休みを削り、到達度試験だの、修論中 間発表会だの、何だのかんだのと、学生の尻を叩き続ける方向に向かっている のが我が立命館大学である。 でも、私のゼミに来ている学生はそんなにトロくは無いから、手取り足取り 尻叩きは必要ない。(と、このぐらい理論武装しておけばいいかしら。)

2002年2月21日(木)
<< 病状経過実況報告 >>
今日は自家養成サクラI君が、明日の卒論発表会の練習をするのに付き合うた め大学へ。途中二日酔いで死にそうな顔をしたK川先生を偶然発見し、「本当 に死にそうです」「さっきまでのたうち回ってました」「あ、でも、少し楽に なってきました」等の病状経過実況報告を聞きながら一緒に出勤。 (結局夕方頃、彼は「ほぼ復活しました」という報告をしにやってきた。)

大学に着いてからは、I君の模擬発表に付き合ったり自分の部屋で Hartshorneを読んだりして過ごす。 明日も「街へ出る」つもりなので、更新は明後日以降。

2002年2月20日(水)
<< 街へ >>
先日の日曜教授会の自主代休と称し、今日はHartshorneを小脇に抱えて街で数学。 街と言っても、京大近辺なんだけど。

ま ず、京大前進々堂で道路側窓際の特等席(と私は思っているのだが)が珍しく空 いていたので、早速入ってしばらく過ごす。ここはいつも常連と思われる 人達が陣取って勉強をしており、滅多に空いていない。春休みだから、そういう 人達も居なくなっているのだろうか。

その後京大中央図書館のソファーがあるフロアに移動して、またしばらく過 ごす。春休みにソファーにひっくり返って数学と居眠りに耽るというのは、私 の"幸せの構図その一"である。その後ルネで(無料の)番茶とモンブランのケー キセットを食べる。(ルネって暖かい紅茶は置いてないんだよね。) 食べ終って一息ついてから、少しその辺をふらふらしてから帰宅。

2002年2月19日(火)
<< discipline >>
今日は大学に出勤せず街をさ迷いながら数学をしようかと思ったのだけど、ちょっ とした事務的な仕事もあったので、やはり大学へ。事務的仕事を片付け、つい でに開講期間中に堆積した部屋の紙屑類を片付け、午後からHartshorneを読む。

そう言えば最近おやっと思った事は、数学教室では意見が割れるような事 を議論する時、割合簡単に採決に持ち込む事だ。どこかで誰かが書いていたけ れど「何の準備もせずに唐突に審議して、発散した議論をしたあげく適当に採 決して決める」ってやつだ。これが良い事なのかどうかは、今のところよくわ からない。合意形成のためにもっと努力をしてもバチは当たらんのではないか、 とも言える。その一方で、一般的に言って少数意見は採決によって結果的には 「却下される」のだけど、それは「無視される」事を意味しない。ある意味で 意見の違い、考え方の違いはあって当然という考えに基づいているわけで、 私はそういうのは好きである。また、数学教室では最後の最後まで自説を強硬に 唱えていた少数意見者が、採決で負けると「ま、しゃーないわな」とケロリし ている、という光景は良く見られる。これはこれで、さっぱりしていてよろし い。

ところで情報学科では採決はタブーであった。「採決=学科が割れる事= 学科の危機的状況」という公式があって、何としても全会一致が原則だったよ うに思う。 めでたく全員が合意する事もあるけれども、 その時どきの少数意見 者が「会議の円滑かつ迅速な進行のため」沈黙を余儀なくされる事も少なくな い。もともと教員同士がバラバラの所なので、ことさら「情報学科は一枚板」 を演出する必要があるのだろう。これは学問的にしっかりした discipline を 持ち合わせていない学科の宿命なのかも知れない。

2002年2月18日(月)
<< 夢膨らむ春休み >>
今日は自家養成サクラI君の卒論提出日なので、卒論の最後の修正やOHP原稿の チェックなどに少しつき合う。そういえば、月末に修論発表会 がちょっとあるだけで、大きな雑用もなく(と信じているのだが...)今日から事実上春休みだ。

夢膨らむ春休み。何をやろうかしら。局所コホモロジーとの関連からの 興味と、来年度後期に任意標数の体上の代数曲線論の講義をする予定があるこ ともあって、スキーム上の層係数コホモロジーのところをちゃんと勉強してお きたい。Goetheでのドイツ語講座の復習もしたい。でも、お勉強ばかりではな く、研究として新しい事も考え始めなければならない。あれもやりたい、これ もやろうと、色々希望に溢れるのだけど、あっという間に4月になってしまう ことだろう。

とりあえず今日はスキーム論のお勉強。スキーム論とは結局語学である! 膨大な数の「単語」と「イディオム」を正確に覚えていないとスキーム語は操 れない。スキーム語が繰れないと色々不便な事は確かなのだが、これがマスター できたからと言ってどうってこともないというのもまた確かなような気がする。 さらに、しばらく離れているとボロボロ忘れてしまう。

2002年2月17日(日)
<< 悪意に満ち溢れたアクシデント? >>
採点打ち上げ会は15日(金)の夜に行われ、幹事の私が会計を済ませている間 に帰りの送迎バスに置いてきぼりを食わされ、私一人だけが取り残されたとい う「悪意に満ち満ち溢れたアクシデント」と、この野郎!絶対日記のネタにし てやる!と憤慨しながら自力で駅までたどりつき何本か遅れの電車に乗り、やっ とのことで山科駅にたどりついて改札を出たときに、やおら「どうも、どうも」 と言って現れたK川先生(この人は前にも妙な所から突然現れて私を驚かせた不 思議な人である)に「あれは送迎バスの運転手のオヤジがいきなり発車してし まったのがいけないのであって、我々に悪意があったわけではない」という釈 明を聞かせてもらった、という事を除いて無事終了した。

「和やか」「心温まる」「格調高い」というのが、長年某学科の心す さむ飲み会につき合ってきた私の、数学教室の打ち上げに対する評価なのだが、 残念ながら今年は「格調高い」についてはあてはまらないと思われた。 かつては、ハッセだ!ジーゲルだ!ヴェイユだ!志村だ!とエネルギー全開状 態で吠え続け、嫌がおうにも宴をとめどなくハイソな雰囲気に引き上げていた D大先生がおられた。 また、しんと静まる中「この宴にに集まった人びとは、より高いもの、より永 遠普遍に近いものを求め続けるという点で一致していると思います....」と、 よもや生きているうちに耳にできるとは思っていなかった高踏的な挨拶を切り だし、「より低いもの、そして、よりはかなく虚ろなモノを求め続けて集団 思考停止する」某学科からやってきた私を思わず感涙の涙の海に突き落したNi 先生は、出張のため今回は欠席された。 やはりこういう時に真価を発揮し、打ち上げの格調を著しく高めることが出来 るのは「世俗的な事は何も考えない絵に描いたような超俗の数学者」である。 しかしそういう風格のある数学者は我らが立命館大学でもそう多くは無いし、 数学教室を守るためには「世俗を知り尽くした闘う数学者」も必要である。 最近は計算機屋廃業のちんぴら数学者の高山とか、悪魔に魂を売り飛ばしたS 藤先生とか、妙な俗物連中まで流れ込んで来ている。 数学教室の将来はどうなるのであろうか。

さて、ここんところ入試関係の仕事で土曜も日曜も祭日も無く毎日出勤し ていたので、16日(土)は久ぶりに気楽な休日の一日を過ごすことにした。天 気も良く暖かかったので、京大近辺をうろついて古本屋を冷やかしたり、進々 堂で紅茶を飲みながらHartshorneを読み耽ったり、Goetheに行ってドイツ語の 雑誌をビデオを借りたり、三条河原町の明治屋でプンパーニッケル(ドイツ・ パン)を買ったり。

それはそうと、日曜日の今日、何で大学に出勤しているのかというと、こ れまた入試の関係で一日じゅう花火大会のようにいくつもの会議が開かれるか らである。まあ、入試自体も日曜日にやっているし、採点も土日祭日返上の突 貫工事で行われるわけだから、それに関係する会議が日曜日にあってもいいか、 とも思える。しかし、今まで日曜日に会議というのは無かったのだが、今年度 に入ってから「大学改革の一貫」として祭日を蹴飛ばして講義をし、その代休 も蹴飛ばして会議をする、という事が行われれるようになった。「大学改革の デパート」と呼ばれる立命館大学の次の切札は何か?それは、火曜日に行われ ていた教授会を廃止して、その時間帯に新たに講義をする。そして教授会は原 則日曜日に行う、というものではなかろうか。さすがにこれには(H先生のよう に)宗教上の理由(!)も含めて教員サイドからの強い抵抗があろうが、「ディ ズニーランドだって日曜にやっているではないか(おいおい、遊園地と一緒に するなよ)。」と突っぱねつつ「教授会は(当面)年に4回以内にするから」と なだめながらとりあえず押し切り、数年後には今まで通り普通の頻度で開催さ れるようになる。こうやって、日曜教授会は自然と定着する。これが私が想像 するシナリオである。勿論、それを望んでいるわけではないけどね。