2002年1月15日(火)
<< わからない事だらけ >>
朝はGoetheでドイツ語。その後、久しぶりに京大ルネで昼食をとってから大学 へ。今日は「振替休日で生協も事務もみーんな休み」と思っていたら、「学生 だけは振替休日で、図書館も生協も事務もみーんな先生方のために営業中です」 とのことであった。すると、教員達が仕事をやらなければ生協も事務もめでた く代休が取れるはずだ。私だって一日研究日とすることができてよろしい。で は教員達に代休を返上して仕事をせよと命じているのは一体誰なのかは不明である。

教授会は例によって4時間5分の長きにわたり炸裂の限りを尽くす。しか も「先生方のために営業中」のはずの生協食堂はさっさと閉店してしまい、腹 ぺこ状態で帰路につく。さらに、さらに、夏の教授会はガンガンに冷房が入る が冬の教授会は暖房が入らず寒い。何でこごえながら長時間の会議をやらねば ならないのか理由は不明である。

この大学に勤務するようになって10年近く経つけれど、まだまだわから ない事だらけである。明日は非学術的理由による出張のため、更新は明後日以降。

2002年1月14日(月)
<<面白うてやがて悲しき... >>
今日は祭日で私の大学も一斉休日なのだが、数学者にとってそういうことは関 係ないので構わず大学へ。ところで、明日は私の大学は天皇誕生日か何だかを 蹴飛ばして講義日にした振替休日で、生協も事務もみーんな休みである。しか し、教授会はそういう事とは関係無しに開催されるらしい。教授会って何て 「数学者的」なんだろう!

本日、Herzog原稿のチェックを終えメイルで送る。ついでに「数理モデル 論」最終回におけるサクラのボスK川先生による「深い質問」の答を思いつき、 これもメイルで送る。

ところで、数学が出来ない人というのは(数学に関しては)頭に霞がかかっ ている状態なわけで、色々な事がぼんやりしてよく分らない。学生時代の経験 や現在の研究生活を通じて、ああ俺はやっぱり頭に霞がかかっているんだとつ くづく思う。まあ、霞は根気良く数学とつき合っていれば少しづつ晴れてくる から、そう悲観するにはおよばない(と思うことにしている)。しかし、やはり アタマ冴え冴えの人と一緒に議論した後は、議論がとんとん拍子に進む快感に 浸りつつも「何でこんな事が自分一人ではわからなかったのだろう」と少しへ こみ、「面白うてやがて悲しき数学かな」状態になったりもする。しかし、へ こみっ放しになってはそれまでで、早いうちに気を取り直すことが肝要である。 そう考えると、やはり数学は底抜けの楽天家か、さもなくばマゾでないと続け ていくのはシンドイ。

2002年1月12日(土)
<< 陽がぽかぽか >>
本日またまた風邪気味なれど、1月2日にHerzog先生から送られてきた原稿チェッ クをこれ以上放置するわけには行かないと思い、大学へ。大学に来てみると、 Herzog先生から「おい。2日にメイルを出したのに全然応答が無いけれど、大 丈夫か?」というメイルが来ていたので、あわてて大丈夫だという事と返事が 遅れた言い訳を書いて送り返す。

そして久ぶりの研究日。研究室はぽかぽかと陽が暖かく、風邪気味の体に は気持がいい。

ところで、最近「どうしたら数学ができるようになるか」という本が売れ ているそうで、現在のところ小学校編と中学校編が出ているそうである。「ど うしたら数学ができるようになるか -- 大学教授編」というのが出たら真っ先 に買おうと思う。

2002年1月11日(金)
<< あなたはサド?それともマゾ? >>
朝はGoetheで午後は今年度最後の卒研ゼミ。但し、情報学科から来ている自家 養成サクラのI君は卒業論文を書かないといけないので、卒論指導と称してま だしばらくゼミのような事はやる予定。実質は卒論をペースメーカとして、 来年度からの修士課程での勉強につなげて行こうという魂胆である。

冬休みが明けてからずっとバタバタしていたけど、明日から研究に戻らない といけない。それにしても何だかくたびれた。

そういえばK川先生との昨日の雑談で「サド・マゾもいいもんだ」という話 が出た。教師が「君はこんな事もわからんのかね」と叱り飛ばしても、単にそ の教師が嫌われるだけで何も変わらない(だから私はそういう言い方は決して しない)。しかし、学生同士で「お前こんな事もわからんのか。どん臭いのう! ぎゃはは。。。(軽蔑の高笑い)」(これは私の学生時代に実際に飛び交ってい た瀕出フレーズである)とかサドり合うと「クソ!お前なんかに言われたくな いわい!」と頑張って勉強するようになったり、自然とマゾり方を覚えたりす るのではないか。頑張って注意深く勉強する方向には走らず、単に「あいつム カツク!無視や!」「無視されるのが怖いからサドるのはやめよう」とかいう 非生産的な方向に行ってしまうと何にもならないが。まあ、どちらに転ぶかは 個々の学生の素質次第でしょう、と突き放しておくことにする。

もう一つ、小中高校生に比べて大学生は「勉強から逃げる自由」が大きく、 かつ、「嫌でも勉強しなければならない大義名分」が存在しないため、四の五 の言わずに叩き込まないとなかなか身につかない事-- 例えば初等集合論の記 号の書き方とか、分数や多項式などの計算といったレベルの事 --を大学で教 えるのは非常に難しい、という話も出た。例えば、私の世代は集合論の記号の 書き方は中学一年生で叩き込まれたので、{a,b,c}を(a b c)と書いたり「a が Aの要素」という記号を「aがAの部分集合」という記号と混同したりすること は無い。こういう事は理屈以前に体で覚えているのである。K川先生の世代以 降になると、中学・高校では集合論をほとんど習わないらしく、今の学生達に は上記のようなミスを平気でやる者が多く、それが学生時代に矯正されずその ままになってしまう事が多い。基本と呼ばれるものの多くは、それ自体は大し た事ではないのだけど、ちゃんと身に付いていないと大学での勉強の理解がど うしてもあやふやになってしまう。

じゃあK川先生は、なぜそういう基本をちゃんとマスターできたかというと、 それ彼がマゾだったからだという。学生時代に「勉強から逃げ る自由」を自ら放棄し、「私をビシビシしごいて!」とマゾったからこそ、基本がき ちんと叩き込まれたのだ、という結論に達したのだ。

あと、例えば群論とか位相空間論なんて、それ自体が新鮮で面白いと思え る(私はそうだったけど)人は別として、初めて勉強するときは何のため にこういうモノを勉強しなければならないかサッパリわからない上に物凄く難 しく思えるはずである。だから苦痛のあまり放り投げたり、適当にやりすごし たりする学生が大量に発生する。でも、こういう事をちゃんと勉強しないと数 学の面白い世界は見えて来ない。やっぱり、苦痛即快感のマゾでないとこうい う勉強は乗り切れない。

学生諸君!サドは相当勉強してないと無理だけど、とりあえずマゾから始 めてみればどうですか?

2002年1月10日(木)
<< 来年の事を言えば鬼が笑う >>
午前中は色々雑用に追われ、午後はナイフが飛んでくる心配の無い教室で「数 理モデル論」と「プログラム理論入門」の今期最終講義を終える。情報学科配 当科目の最終回なので試験情報を探りにきた学生達で受講者がふくれ上がるか と思っていたが、どちらもいつもより数名程度多いだけだった。 実際後期試験を受ける学生も、そんな程度だろうか。

来年度後期 -- ということは春休みと夏休みの2つの休みを乗り越えたもっ と先の9ヵ月後である -- 数理科学科4回生配当の代数学を教える事になった のだが、今月中にシラバスを書けという。「来年(度)の事を言えば鬼が笑う」 という言葉を思い浮かべながら、W. Fulton "Algebraic Curves"を使って代数 幾何学入門の講義をするというような事を書いて提出することにした。あと9ヵ 月の間に気が変わらなければ良いのだが。

夕方講義が終って部屋で放心状態でいたらK川先生、そしてしばらくしてA 堀研の某学生が遊びに来た。1時間程とりとめもない話をして過ごす。

2002年1月9日(水)
<< 講義をすっぽかす? >>
本日、ナイフが飛んでくる心配の無い教室で「位相空間論」と「線形代数」の 今期最終講義を無事終える。昼食後、部屋で雑用書類書きに没頭している間に 「線形代数」の講義の開始時刻を5分程度オーバーしていることに気づき、 大急ぎで教室に駆け込む。雑用に没頭していて講義を忘れていたというのは 初めてである。

それ以外には、数学科の卒業生から何だかとりとめの無い事を書いたメイ ルが届いたので、「何だかよくわからないメイル、ありがとう」云々と返事を 出したり、講義の後は今年最初の教室会議。会議は一番騒々しい人と二番目に静か な人とアメリカに行っている人の3名を除いて全員出席していた。会議の後、 S藤先生と雑談しながら雑用書類を片付ける。

2002年1月8日(火)
<< 「教えるのしんどいですか?」 >>
午前中はGoetheでドイツ語のレッスン。昼食をとって午後から大学。最終回の 講義の準備、その他の雑用をいくつか片付ける。

会社員時代の友人で今は会社をやめて高校数学の非常勤講師をやっている 人が「学力崩壊世代の壊滅的な状態」についてメイルで知らせてくれて、「大 学で教えるのもしんどくないですか?」と聞かれた。立命館の学生は皆紳士・ 淑女達であって、講義中にナイフが飛んで来るとか、試験で落第点をつけたら 研究室に「ぶっ殺すぞ!」と金属バット持った学生が押しかけてくるとかいう 事もないから、教えるのは特にしんどくないです、というような事を答えておいた。

これでは答になってないのかも知れない。しかし、私は「私語学生の大量 発生」や「学生の変容」や「学力崩壊」が叫ばれ始めて以降に大学で教えるよ うになったので、それが普通だと思っているし、 それ以前の学生と比べてどうかという事がわからない。

それに、私が学生時代をすごしたのは、概念が全ての形而上学、世捨て人、 サド・マゾ、プライドの塊、数学者になれなければ人生終りといった超エキセ ントリックな世界である京大数学科であり、立命館の情報学科とかそれよりも うんと硬派揃いだけどごく普通の大学であることに変わりない数理科学科とは まるで違う。だから、自分の学生時代と比較してどうだということも言いよう がない。

2002年1月7日(月)
<< 仕事始め >>
仕事始めである。昼前に大学に行くと、1月2日付けでHerzog先生から論文原 稿のほぼ最終版がメイルで届いていた。とりあえずプリント・アウトだけして 後でチェックすることにして、最終回の講義の準備など。

まだ正月惚けでペースがつかめない。

2002年1月6日(日)
<< 「お前も一緒やでー」 >>
冬休み最後の日である。この冬休みの最大のイベントと言えば、20年数年ぶ りに出席した高校の同窓会である。私の出身高校は私が進学するときに作られ た。今の後輩達がグラウンドで体育の授業や部活(当時は「クラブ活動」と呼 んだ)ができるのも、我々が体育の時間にグラウンドの土地にそびえていた小 山をせっせと切り崩したお陰である。勿論我々が第一期卒業生で、同窓会の名 前も「一期会」という。360名の卒業生のうち90数名が集まったというか ら、かなり良い出席率と言えよう。

さて、同窓会というのは、卒業後何年かはぐっと堪えて寄り付かず、20 年ぐらい経ってから初めて顔を出すというのが通のやり方である。記憶の中で は永遠に紅顔の美少年・美少女(ということにしておこう)のままでとどまっていた学 友達の、無残に老いさぼらえ朽ち果てた現実の姿に戸惑い、その衝撃 のあまり頭がくらくらする。この痛痒い苦痛に満ち溢れた快感は、長年出席を ひかえてきた深謀遠慮(本当は単なる気まぐれなんだけど)に報いるに余りあ る。こういう快感は歳をとってオッサンやオバハンにならないと味わえない。 やはり長生きはするものである。

しかし、良いことばかりではない。私は最初会場の受付近くまでやってき て幹事達の姿をチラリと見た時、引き返そうかと真剣に思ったのである。あの、 私が大学で毎日見ている学生達のようなピチピチした少年だった彼らが、世に もむさ苦しいオッサンに変わり果てている事を確認した時、私は以下のように 考えたのだ。彼ら幹事だけではない。同窓会場は膨大な数のむさ苦しいオッサ ン達であふれ返り、あっちを見れば「うわ!何やこいつ。こんなに○○○になっ てしまったのか!?」、こっちを見れば「げっ!これがあの××君の変わり果 てた姿か。むごたらしい...」なんて事を何十回と心の中で叫び続けるはめに なるであろう。そして、--- これが一番恐ろしいことなのだが --- 、私が上 のような事を心の中で叫ぶ度に「お前も一緒やでー。人の事は言えんでー」と いう天の声が聞こえてくるであろう。同い年の男というのは、一人や二人 ならいいけれど、束になってやってくると、自分に対するダメージが大きすぎ る。

しかし、どこの誰だか知らない人--- 実は高校時代、顔はよく知っていた けど一度も話をしたことのない同級生の変わり果てた姿だったのだが --- に 「おう!高山やんけ。俺や。△△や。何やお前、普通になってるやん」(高校 時代の私は「普通」ではなかった、というのが定説のようである。今でもあま り「普通」でもないのだけど)てな声を掛けられた事もあって、帰ろうかと いう気持ちよりも、恐いもの見たさの気持ちが勝ることとなり、予定通り同 窓会に出席した。

さて、実際会場に行ってみると、確かに最初の半時間ぐらいは頭がくらく らし、「痛痒い苦痛に満ち溢れた快感」を味わい、「お前も一緒やでー」とい う天の声も頭の中にガンガン響き渡った。しかし、さすがに私は京大数学科で きちんとしたサド・マゾ教育を受けただけあって、天の声ぐらいではへこたれ なかったのである。さらに、間もなく私の頭の中では「紅顔の美少年・美少女 たち」と「その20数年後の姿」の同一性が確立し、すっかり忘れていたはず の20数年前のかれらのちょっとした仕草や癖が今も変わっていない事を見出 したりして、それやこれやを手がかりとして20数年の時間が一気に解消され てしまったのである。うーん、この学習機能付きパターン認識能力には 我ながら驚いた。人間というのは良く出来ているもんだ。 それにしても、久ぶりにして初めての同窓会、楽しかったなあ。