2002年1月31日(木)
<< 後期試験最終日 >>
昼前に大学に着き、引続き講演の準備。午後、講演原稿が一応出来上がったと ころで「数理モデル論」と「プログラム理論入門」の後期試験。かれこれ3時 間近くの試験監督の間に何かやろうと「内職道具」を持っていったのだが、結 局何もできずに終る。出席表の名前と顔を見比べてみたところで、 情報学科の学生の顔と名前なんて覚えてもしょうがない。 試験監督って本当に退屈な作業である。

「数理モデル論」は履修登録者83名中後期試験受験者22名。「プログ ラム理論入門」は履修登録者63名中後期試験受験者20名。受験者の少なさ もさることながら、答案をざっと見たところ、「就職が決っているので単位を 下さい」云々と、こちらのサド心をくすぐるような事を書いている正解ゼロ状 態の答案は見当たらず、ちょっと拍子抜けする。日頃から、白紙(同然の)答案 は何のためらいもなく切捨て、就職や進学や(場合によっては結婚?)がパーに なっても一切関知しない、と公言しているのが情報学科の学生達に十分浸透し ているものと思われる。

ちょっぴり余裕があった1月は今日で終りで、明日から「びちびちに予定 が詰まっている2月」に突入する。

2002年1月30日(水)
<< 回転禁止の青春さあ〜 >>
昼前に大学に着き、引続き講演の準備など。

一度論文にして出してしまった自分の仕事を、しばらくしてからもう一度 思い出して人に話すのは何とも億劫である。何で今更昔にもどらなければなら ないのだ?「回転禁止の青春さあ〜」って言うではないか。俺はいつも前につ んのめって生きていくんだ! かくして講演の準備は、少しやってはため息を つき、また少しやってはお茶を飲み、といった調子で逃避行動に走りがちとな り、遅々として進まない。

ちなみに「回転禁止の青春さあ〜」というのは、たぶん50代以上の人な ら誰でも覚えている美樹克彦の流行歌の一節である。私はまだ40代前半だけ ど、元祖ブリキの太鼓のオスカル少年だったからよく知っているのだ。

2002年1月29日(火)
<< 入学試験の季節 >>
朝はGoethe, 午後から講演の準備など。2月初頭の研究集会で話すのだ けど、4日間の研究集会も最大2日しか参加できないのが残念である。

1月2月というのは研究集会が多い。これらの多くは規模の大きい国公立 大学などが主催する。しかしこの時期私立大学では入試の採点が入ってなかな か参加できない。2月下旬以降になると私立大学の教師は時間が取れるように なり、研究会などの参加もオッケーよ状態になる。しかし、今度は国公立大学 が入試の採点に突入して誰も参加できない。なかなかうまくいかないものであ る。

それで、私立大学も国公立大学も暇になる3月になると、予算年度の終り であることが関係するのか、これまたぱったりと研究集会が無くなったりする。

夕方、「いつも地方国立大学のメ一杯景気の悪い話を聞かせてくれる」H先 生@某地方国立大(学生時代の友人)が現れ、1時間ほど景気の悪い話を聞かせ てもらってから帰宅する。

2002年1月28日(月)
<< まだまだ採点モード >>
引続き採点モード。夕方頃まで土木工学科1回生(+再履修高回生)の線形代数 の試験の採点。土曜日に採点した小さな問題は惨澹たる出来栄えであったが、 それ以外の部分は案外良くできていて、1回生に限ればA判定35%、B判定6 0%、C判定5%、不合格無しとなった。講義では一次独立だの対角化だのの 話を狐につままれたような顔をして聞いていた彼らであるが、まずまず理解し ててくれたようで、私としては大いに気を良くした。 また、今回も4回生以上の学生の不合格者は出なかった。

採点後、ちょっとひと休みしてK川先生と雑談したりした後、2月初旬に某 大学で行う1時間講義の準備にとりかかる。

2002年1月26日(土)
<< 引続き採点モード >>
今日も昼頃大学に来て「位相空間論」の採点。夕方には終了する。数理科学科 2回生の受験者64名のうちA判定6名、B判定18名、C判定27名、不合格 12名となった。なお、試験直後に「試験の出来が悪かったので」という事で 複数名の学生から自主的にレポートが提出されたが、試験結果から考えて、提 出するしないはほとんど関係無いこともあって、それらは一切考慮しないこと にした。

なお、私は卒業がかかっている4回生以上であっても、白紙同然の答案に ついては容赦無く不合格にするのだが(という事は何か一つでも正しい事が書 かれていれば合格になるのである)、幸い今回の試験については彼らの中から 不合格者は出なかった。

その後引続き「線形代数」の採点。最初の問題だけを通しで採点したのだ が、あまりの出来の悪さに馬鹿馬鹿しくなってきて、続きは来週になって からすることにした。

2002年1月25日(金)
<< 採点モード >>
午前はGoethe, 午後はI君のための自家養成サクラ・ゼミ。今日は彼の質問に 色々答える。自然準同型と(短)完全列がどうにもスッキリとはわからないらし い。そういえば、この二つの概念は代数をきちんと勉強する際の最初の関門だ ろうと思う。

夕方ゼミが終り、「位相空間論」の答案の採点を少しやる。昨年の到達度 試験の位相空間論が惨澹たる結果で終ったこともあって、今回の後期試験もそ うなりはしまいかと恐れていたのだが、そうひどくもなさそうだ。

そういえば、昨日「私は試験の採点時に学生リサーチはやらない」と書い たけど、正確には「筋の良い答案」と判定されたものだけにAをつけることし ている。要は、採点が終ってしまえば誰にAをつけたかすぐに忘れてしまうと いうことである。それにしても、この基準のもとでできるだけ沢山の学生にA を取って欲しいと思うところは、やはり教師の本能なのかしら。

2002年1月24日(木)
<< 学生リサーチ >>
午前中は野暮用、午後から大学へ。今日は夕方にA堀研の4回生が位相空間論の 質問に来た以外は、学生が押しかけてくることもなく静かであった。 しかし「ああ、今日も研究日だなー」と喜んでいたら、事務から 昨日の「位相空間論」の試験答案がもう整理できたと連絡があり、急拠採点モー ドに入る。

同僚の先生達の中には、試験の答案を採点しながら、数学がきちんと考え られる「筋の良い学生」を選び出している人がいるようである。めでたく「筋 が良い」と判定された学生は、(幸か不幸か)その後その教師に注目され続け ることとなる。良い学生を見出してできるだけその学生を手近に置いておきた いというのは教師の本能みたいなもので、それゆえにこのような単なる答案の 採点以上の学生リサーチが行われるのであろう。

こういう形での「学生の発掘」は広く行われているようである。私の学生 時代も理学部の教授が教養部に講義をしに来て、そこで見出した優れた学生を 数学科に勧誘するという事が行われていた。学生は物理でも数学でも化学でも 自由に専門が選べたからである。この場合は、「教師の本能」というレベルを 超えて、その大学の数学科の将来がかかってくるわけである。

私も情報学科時代の途中まではそういうことをやっていた。実験系の研究 室というのはいかに良い学生を集められるかが生命線だからである。しかし 「良い学生」がみんな他の研究室に取られてしまうから馬鹿馬鹿しくなってく るし、「良い学生ならざる学生」が案外活躍してくれたりする。それで、結局 そういうことはどうでも良くなったのだ。

数理科学科に移ってきた今、「良い学生」が自分のゼミに来てくれるか否 かを気にしてたんじゃあストレスが溜るだろうし、ストレスが溜ると情報学科 でイジメられていた時にできた十二指腸潰瘍がまた悪くなる。 それに数理科学科では「良い学生」が自分のゼミに来ようが来まいが、 私にとってはほとんど違いは無い。

ということで、採点が済んだら誰がどんな答案を書いていたかや、どんな 成績を取ったかは、ぜーんぶ忘れてしまうことにしている。というか、忘れて しまう。たまにある学生がどれだけ力を持っているか知りたい時は、日頃から そういったリサーチをやっている同僚の先生に聞く事にしている。

2002年1月23日(水)
<< 分ってるの? >>
本日「位相空間論」と「線形代数」の後期試験。「位相空間論」の試験の後、 さまざまな学生達が色々な理由でぞろぞろとついてきて、大名行列のように歩 きながらその対応に追われる。そのうちの一人「怪しく危うい学生K」君の用 件は、試験の出来栄えが思う様に行かず単位が心配だから云々といった話では なく、ブルバキの「可換代数」と松村の「可換環論」とアチヤ&マクドナルド の「可換代数入門」とカルタン&アイレンベルグの「ホモロジー代数」をコピー したいから貸してください、というものだった。後期試験期間の真最中でもこ ういう事を考えているのは見上げた根性と言うべきか、「だから危ういのだ」 と言うべきか。単位取らないと卒業できないんだよ、分ってるの?

定期試験の時は紙を回して学生に学籍番号と名前を書かせるので、回収さ れた紙と学生を見比べれば、学生の顔と名前がわかる。これによって、講義な どで顔だけは見覚えがあるが名前がわからなかった学生や、K川先生やA堀先生 (不思議なことに彼らは学生の事なら何でも知っている?!)から名前だけ聞い てはいたけれど顔がわからなかった学生が次々とわかる。面白いものである。

2002年1月22日(火)
<< S藤先生の気晴らし >>
朝はGoethe, 午後は大学で少しばかり研究日。昨日に引続きある論文を突っつ き回して頭をかかえる。以前「可換環の微分とか導分なんて抽象代数幾何を勉 強するときにちょっと必要になるだけで、最近の可換代数の研究ではあまり使 われない」などというハッタリを書いたけど、これはあくまで「(その時点で)私の知 る限り」という前提付きであった。実は、ここんところまさに可換環の微分と 導分で七転八倒しているのである。何だかバチが当たったような気がしないでもない。

S藤先生は最近ある事が原因で不愉快な思いをし続けているらしく、「ウサ 晴らしだ」と言って高いパソコンを発注していた。パソコン買ったら気が晴れ るなんて、やっぱり「悪魔に魂を売り渡した人」は違うなあ。私はパソコンを 買ったらかえって憂鬱になる。否、新しいパソコンを買わねばならない状況 に陥った段階で既に鬱状態になってしまう。そんな私の気晴らしっ て何だろう。さしずめこうやって駄文を書くことかしら(そういえば毎日「気 晴らし」をやってるな)。

2002年1月21日(月)
<< 役立たず? >>
研究日。ある論文に書いてあることが、わからん、わからんと頭をかかえて終 日すごず。途中昼頃に「怪しい学生K君」改め「怪しくも危うい学生K君」が現 れ、小一時間ほど数学の事やその他の話題で怪しい会話にふける。 さて、神出鬼没のK君が次に現れるのはいつだろう。

先週の土曜日は何だか知らないけど大学のエライサン数名と数学教室の教 員達が一緒に酒を飲んだのだが、その中で「数学は役に立つけれど、数学者っ てのは役にたちませんなあ」という発言が飛び出した。うーむ、深くていい言葉だ。 「数学は世の中の役に立つことがある。優れた数 学者は数学の役に立つ。凡庸な数学者は優れた数学者の役に立つことがある。 よって、凡庸な数学者でも(ひょっとしたら数10年か数百年後の)世の中の役 に立つことがないわけでもない」という野暮な反論はあえてしなかった。しか し、数学者は(数学)教師としては物凄く役に立っていることをお忘れなく。

そういえば、ドイツの大家さんから「高山さん、を出されたそうですね。娘の友人で日本語を勉強しているのが居て、 我々のためにドイツ語に翻訳してやろうと言ってくれているので、ぜひ一冊送ってください。 楽しみにしています」との手紙 が届いた。大家さん達は、どこで手に入れたのか(まあHerzog先生経由だろう けど)、既にWebから消去されているドイツ語版ドイツ便り目次のページをプリ ントアウトしたものまで手に入れているようである。いつもながら心温まる善 き人達である。まかり間違ってドイツ語版「駆け出し数学者...」が ドイツで出版されるなんて事になれば、面白いかもね。

2002年1月19日(土)
<< 殺し屋ゼミ >>
私は「殺し屋」ゼミはやらないのだが、学生時代の教授達は皆「殺し屋」だっ たと思う。あれは学生にとっても大変だったけど、 教授達にとっても大変だったんじゃないだろうかと、今にして思う。

「殺し屋」ゼミでは、教師は学生の発表の間違いを指摘し学生が自ら間違 いを正すのを待ち続けるわけだか、彼らがそう簡単に正解を見付けられるとは 限らない。場合によっては、簡単なはずの部分で長い時間を空費する。教師は、 ええい!この学生は何でこんな簡単な所でつまづくんだ?!ばかもん!と思い ながらもじっと我慢する。かなり時間が経ってから、かなり出し惜しみをした ヒントらしきものを与えてみたり、まだわからんのか!?とせかしてみたりす る。この段階で教師の顔はかなりひきつり、声にはトゲがたっぷり含まれてし まっている。それでもまだ学生は頭を抱えたままで、マトモな答を出せない。 最後はどうなるかというと、教師の方は完全にキレてしまっていて、「これは こうだから、こうなるんでしょ!?」と、ほとんど怒鳴り声で正解を早口でま くしたてた後、一度深呼吸をし落ち着きを取り戻し、撫然として「はい、次!」 と次の説明にうつらせる。あるいはよほど気分を害した時は「やる気が無いの なら数学なんかやめてしまいなさい!」「君には数学の才能が無いから、数学なんか やめてしまいなさい!」のどちらかの決め台詞を吐くのである。

このような形態のゼミを行うにあたっての一番の問題点は、極めて優秀な 学生相手でない限り、教師の身が持たないということである。学生が何かを理 解できずにポカンとしているというのは、一般的に言って極めて自然な姿なので あって、そういう自然なありようを許すまじきものとしていちいちガーガーと 怒鳴り散らして血圧を上げたりアドレナリンを分泌させたりしているわけだか ら、体に良い訳がない。数学は厳しい学問であり、教育の水準は落せない。私 は体を張って教育に臨んでいるんだ、と言うのは立派であるけれど、体を壊し ては何にもならないのではないか。

第二の問題点は、このような形態のゼミは極めて優秀な学生か、さもなく ば優秀ではないけれど筋金入りのマゾでない限り、あまり教育的効果が無いの ではないかという事である。元アホ学生として断言できることは、殺し屋教授 に突っ込まれて立往生している学生の頭の中は真っ白なのである。ゼミで突っ 込まれる所というのは、大体「これ、前からよくわからなかった所で、一度誰 かにちゃんと教えてもらいたかった所なんだよなー」という手合いのものが多 い。以前からわからなかったものが、その場でわかる訳がないし、いくら待っ てもらおうが、いくら(出し惜しみの)ヒントを与えてもらおうが、何のアイディ アも浮かんでこないのである。学生としては「もったいぶらずに早く教えろ! この意地悪教授めが」と言いたいところである。しかし、かなり自尊心を踏み にじられるような言葉をさんざん聞かされたあげくにしか、正解は教えてもら えない。これではよほどのマゾでもない限りひねくれてしまう。

数学科出身で今数学と関係無い事をやっている人の中には、もう本当に数 学とか数学者を心の底から目のカタキのように思っている、数学者から見れば 悪魔みたいな人間が時々居るものである。これはただ単に数学に興味が無いだ けの他学部学科出身者よりも、往々にして脅威である。私の推察では、まずこ ういう人は元々マゾではなくサドであって、学生時代に数学の超秀才にはなれ なくて、なおかつ伝統的な殺し屋ゼミでさんざん絞られたクチであろう。殺し 屋ゼミによるトラウマが、まわりまわって数学や数学者の世界を脅かす悪魔を 誕生させる、というのが私の「悪魔誕生説」です。

殺し屋ゼミは、数学研究者を養成(あるいは選別)するための良い方法な のかも知れないけど、時と場合によりけりだと思う。大学によっては一人の数 学者の誕生の陰に凡庸なる学生の屍累々というのもあっても良いだろうし、 数学にはそういう残酷な部分があるわけだけど、「数学科残酷物語」ばっ かりでは社会における数学のシンパの層がやせ細る一方ではないだろうか。今 特に日本では数学嫌いが進み「身内以外は全部敵」に近い状 態になっているけれど、これは数学自身の存続すら脅かしかねない。

そこで私のオススメは、殺し屋ゼミをやりたい場合はまず対象の学生に適 正検査をする、というのである。数学科に入ってくる学生がみんなマゾか超秀 才だというのは、教師の希望的観測にすぎない。心理テストでその学生がマゾ であることが確認された場合だけ、殺し屋ゼミをするわけである。これ、半分 ぐらい真面目です(ということは半分冗談ですけど)。私は、というと、情報学 科時代に体を壊して以来「大学のために体壊してまで働くなんてまっぴらだ」 と思っている事と、まかり間違って「悪魔」を育ててしまってはいけないとい う思いと、もうちょっと積極的に(数学研究者ではない)数学シンパを一人でも 多く世に送り出せないかという思いから、殺し屋ゼミはやらないことにしてい ます。

2002年1月18日(金)
<< 自家養成サクラの卒論 >>
朝はGoethe, 午後は卒研ゼミ改め自家養成サクラ・ゼミ。情報学科からの卒研 生I君が卒論をまとめるに際してのさまざまな質問を受け、代数拡大体につい てのゼミも少し進めるという主旨。卒論の課題は「ヒルベルトの零点定理」で、 これは私の数理モデル論の講義の内容を自家養成サクラ・ゼミ等で学んだことを 踏まえてまとめよ、というもの。勿論講義のノートをそのままTeXで打ち込ん だのではダメ。これでは何も理解したことにならない。ノートの詳細を補って 行間の無い丁寧な証明をゴタゴタ書いたのもダメ。こういう勉強は絶対に必要 だが、これだけでは木を見て森を見ていない。目標は「全てを完璧に理解した 上で、余計な説明を一切省いて明快な記述で極限まで簡潔にまとめる」ことで ある。I君は「完璧な理解は難しいかも知れないので、ダラダラと長い卒論に なってしまうと思われます」と弱気な返事。まあ情報学科の4回生で、1年程 度の勉強だけでヒルベルトの零点定理が完璧に理解できたら大したものだけどね。

2002年1月17日(木)
<< 純粋数学至上主義的会社員根性 >>
久ぶりの研究日。やるべき仕事が3つぐらい(いずれもとても1日では終らな い仕事である)あるのだけど、どれから手をつけようかと迷いつつ大学へ。自 分の部屋に着いてメイルをチェックするとHerzog先生から「Bochum大学の数 学者F氏がいい事を教えてくれた。これで(F氏自身の定理使って証明する)我々の定理 の条件が一つ減らせそうだ」というちょっと良い知らせ。これをきっかけに 今日やる事が決まってしまった。ちなみにBochumというのはEssenの 隣街にある。せっかくドイツに滞在していて、F氏の定理が使えそうだという 所までわかっていたのだから、彼の所に遊びに行けば良かったと少し後悔する。

ところで、最近やっと研究に関することを「仕事」と呼ぶことに抵抗が無 くなってきた。それまではそうではなかった。特に会社員時代は、「研究」と は「仕事」の合間に上司の目を盗んで隠れてやるか、上司をだまして嘘と誤魔 化しとハッタリを重ねながらやるものであり、それ故にこそ近視眼的な商業的 利益とは無縁な自由な研究できるのであった。私のような生まれながらの純粋 数学至上主義者にとっては、研究とは後ろめたさを伴ってこそマトモなのであっ て、会社の(上司の)お墨付きをもらった「(近い将来の商業的利益が見えてい る)仕事」として胸を張って行う研究なんてのは、研究の名にも値しないので あったのである。これはまさに純粋数学至上主義的会社員根性と言うべきもの であろう。

「株式会社立命館」に移ってからも、特に商人の論理と危うい関係を保つ 情報学科に居たことも手伝って、なかなか会社員時代の気分が抜けなかった。 私の心の中での「仕事」の定義はやはり「近未来に商業的利益をもたらすこと が明らかな営み」から大きくは変わらず、それゆえ「仕事」とは相変わらず 「下々の者が行う卑しい営み」であり、私のやっていた「研究」は「仕事と呼 ぶにはあまりにも高貴な営み」であり、私は気持の上では「高貴な営みを行う 貴族」として情報学科に君臨していたのである。まあ、実際には毎日「仕事」に 追われていたわけだから、あくまで「心の貴族」ってやつですな。

しかし商人の論理と一定の距離を置く数理科学科に移籍し、さらに去年の 4月以降は大学教師をやっている年数が会社員時代の年数を上回るようになり、 やっとそういう桎梏から自由になれる兆しが見えて来た。今はちゃんと「『雑 用』に追われて『仕事』ができない」と言えるようになってきた。