2001年7月13(金)
<< おっと >>
午後一番でCプログラミングの最終講義。ポインタ・プログラミングの初歩を 説明する。

昨日「明日のCプログラミングの講座が最後で、一足早く夏休みに突入する」 と書いてしまったが、卒研ゼミもあったのを忘れていた。で、今日は今期最後 の卒研ゼミ。忘れられていた二人の学生は、いつもの通り無事発表を終える。

そういえば、しばらく放置されていた「幻のGrothendieckの定理」の件だ が、すこし前にHerzog先生から「BrunsさんからHochsterさん(有名な代数学者 である)の古い論文が参考になりそうだとの情報を得た」というメイルが来て いた。その論文を調べていよいよ我々の論文に決着をつけるぞ、とか言ってい たけど、その後音沙汰無し。残念ながら参考にならなかったのか、それとも忙 しくて時間が取れないのかどちらかしら。

私も一緒に考えてみようと、昨日MathSciNetで論文リストを検索したのだ が、数10本ある論文の中から探さないといけないことがわかった。図書館で ちょっと当たってみて、埓が開かなければ、どの論文なのかHerzog先生に問合 せてみよう。

2001年7月12(木)
<< もうすぐ夏休み >>
午前中は大学院の講義、準素イデアルの性質と準素イデアル分解定理を紹介し、 証明は一部だけ与えて、定理の幾何学的意味の方に進む。次回(最終回)は、準 素イデアル定理の幾何学的意味の説明を終え、時間があれば定理の証明を示す 予定。

午後は電気電子工学科1回生配当「数学3」(線形代数)の最後の講義。今 期は前半ゆっくりし過ぎて時間が足らず、今日は全体のポイント(すなわち試 験の山)の整理と、話し足りなかったことを重要と思われる順にいくつか説明 して終る。

学部の講義は明日のCプログラミングの講座が最後で、一足早く夏休みに突 入する。あとは大学院の講義が一回と、7月終りの徳島大学工学部での集中講 義を残すのみ。おっと、試験の採点なんてのもあったな。

夏休みが嫌いな教員はいないんじゃないかなあ。学生にとっても嬉しいは ずである。だったら年中夏休みにすれば、教員も学生も皆ハッピーで、こんな いい事は無いはずである。しかし、ウチの大学ではここ1、2年夏休みがどん どん短くされる方向に変わってきている。世の中うまく行かんものである。今 年の夏休みはただでさえ短くなったのに、さらに色々忙しくて、今までのよう に2ヵ月たっぷり研究に費して、それまでの停滞を取り戻す、なんて事ができ るかどうか微妙だ。

ところで、三種の神器のひとつである、水切りワイパーのゴムの部分が、 そろそろ摩滅してきた。黒板を拭くとキーキー嫌な音をたてたり、水切れが悪 かったりする。このワイパーはエッセン駅前で3マルク99ペニヒ(約200 円)で買ったものだが、日本製の高価な(600〜700円)窓拭きワイパーに 買い替える時期が近づいてきたようだ。私の心の中のドイツも、ワイパーのゴ ムみたいに摩滅してきているのだろうか。

夕方4回生Y君に大学院受験の事で相談を受け、色々雑談する。数学者を目 指して大学院受験をする頃って、色々大変なんだよね。Y君に明るい未来が 開ける事を祈ろう。

夢見るH先生は、既にサングラスを手に入れたようである。ぼやぼや しているうちに先を越されてしまった。。。

2001年7月11(水)
<< サングラス >>
本日雑用、A堀先生と密談、その直後「離散数学」最後の講義、そして教室会 議。

「離散数学」最後の講義は、前期試験の概要説明の一貫として、これまで の講義のポイント(あえて「試験の山」とは言わない)をさっと整理して、その 後集合の「包含と排除原理」を証明して終る。

教室会議はA堀先生との密談に関連した、生臭い議題で盛り上がる。情報学 科時代は、教室会議で生臭い議題が出るとひたすら盛り下がるため、益々気分 が滅入るのが常だったのだが。何においても、盛り上がるのはよろしい。

実は夢見るH先生に対抗して、この日曜日にかねてから欲しかったサングラ スをあつらえたのだが、出来上がるのが今週末になりそうである。今日はもし かして一足早くH先生がサングラスをして現れ、先を越されるのではないかと 心配していたのだが、少なくとも教室会議には普通の眼鏡で来ていた。 サングラスが出来上がったら早速大学で見せびらかそうと思う。

2001年7月10(火)
<< 談話室 >>
京大とか阪大の数学教室に行くと、談話室なるものがある。多くの国立大学数 学教室でも同じだろうと思う。学生時代の私にとって、 談話室というのは近寄り難い存在で、 一度も足を踏み入れたことはないのが、あれはなかなか良いものだと思う。

大学教員というのは大抵は個室を持っていて、そこで一人仕事をする。で も折角何人かの専門家が集まっているのだから、講義やゼミで学生の相手をし、 会議の時に同僚と顔を会わせて非数学的な会話をし、それ以外はそれぞれの個 室に籠っているか大学に居ないというのはもったいない話である。会議のよう な生臭い話ではなく、かといってセミナーのような気合いの入った数学の話で もない雑談、世間話と数学の話を行ったり来たりするような雑談が大事である。 そういう雑談の積み重ねから、新しいアイディアが生まれたり、そこの数学教 室の文化が少しずつ蓄積されていくのではないだろうか。

大抵の談話室は日当たりの良い心地よい部屋が割り当てられているようで ある。そしてソファーがあって、お茶が飲めて、新聞や雑誌が置いてあって、 黒板があって、あまり性能は良くないけどインターネットに継っているパソコ ンが一台ぐらい置いてある。ちょっと暇が出来た教員(やもしかして院生)がそ こに来て、ぼんやりしたり、話し相手を見付けて世間話をしたり、雑談がいつ の間にか数学の話になって黒板の前で議論したりするようである。個室に居る 教員は今忙しいのかどうかわからないが、談話室に居る教員は自ら暇である事 を宣言しているようなものだから、気がねなくつかまえて話ができる。

こういう談話室は私の大学には存在しない。H先生の日記にもあったが、こ の大学のキャンパスは、静かに学問をするようには設計されていない。そして 談話室に適した部屋など元々無い。そもそも講義、会議、教員の個室、ゼミ室 などの必要最低限(以下)のスペースしか作られていないからだ。まさに、大量 の学生を教えて卒業させるだけの工場のような感じである。それに、国立大学 の教官と違って皆さん忙しく、談話室でぼんやりしようなんて気が起こらない のか、うちの数学教室でも談話室を作ろうなんて話は聞いたことがない。

情報学科時代に一度「談話室を作ろう」という話が出て、試験的に会議室 を使っていたことがあった。言い出したのは夢見るH先生である。しかし、誰も寄り つかなくてすぐに閉鎖されてしまった。その原因は、全く窓の無い閉塞感の強 い部屋であったこと -- そもそもそういう部屋しか空いていない --, そして もう一つは工学部では談話室が必要無いということだと思う。私が情報学科で 運営していた研究室は学生が寄り付かず、開設以来閉鎖されるまで一貫してペ ンペン草が生い茂っていた。しかし普通、工学部の研究室というと、物理的にちゃん と○○研究室の部屋というのがあって、そこでいつも学生がたむろしていて、 教員も暇ができるとそこに顔を出すようである。つまり「○○研究室の部屋」 というのが談話室になっているのだ。

それでは研究室毎のタコツボ談話室でしかない。複数の研究室間を横断す るようなものはないのかというと、そういうものはそもそも必要無いようであ る。工学部というのは、研究室という名の町工場が集まった同業者組合みたい なもので、組合のレベルでお互いの利益調整をしたり、たまに組合の親睦会な どがあったりするが、基本的にはそれぞれの町工場でばらばらに生活する。 そういう所に談話室が根付かないのは至極当然という気がする。

そういえばエッセン大学にも談話室が無かったなあ。あれは教員が必要性 を感じていないためか、それとも相当エキセントリックな建物の設計のためかは よくわからない。

2001年7月9(月)
<< 「夢見る数学者、ドイツに行く」 >>
「ドイツ便り」の出版を依頼している出版者で、ようやく編集担当者が決まっ たようだ。何でも内容が数学の話中心だから、大学で量子力学を専攻した人が 選ばれたという。数学出身者で数研出版でチャート式数学とか高校の数学の教 科書を編集したり、日本評論社で「数学セミナー」の編集やってる人は多いよ うだから、量子力学を専攻して出版者勤務というのは珍しくもないのかも知れ ない。

その編集者の提案しているタイトルが「数学者が見たドイツ(の風景)」。 うーん。何か、そのまんまって感じでインパクトがいま一つのような気がする。 20年程前、藤原正彦氏が「若き数学者のアメリカ」なんて本を出して、その タイトルがカッコいいなあと思ったものである。このタイトルは、アメリカは 若い数学者達で活気付いていて、そこに若き日の藤原氏も飛び込んで行った、 という意味にも取れるかも知れない。しかし私はむしろ、「若き数学者」が若 き日の藤原氏そのもので、彼が一人で広大なアメリカに挑戦していくという、 天をも恐れぬ自信と発辣とした精神を表しているのだ、という風に受け取って いる。そう思う方が何だかカッコ良くていいではないか。

では、それを真似して「若き数学者のドイツ」はどうか?やはり「若き数 学者の」の後に「ドイツ」では、何となく清新な緊張感が出ない。それに「若 き数学者」では一体誰の事を言っているのかわからない。少なくとも私の事で はない。かと言って「中年数学者のドイツ」ではかなり情けない。「駆け出し 数学者ドイツに行く」なんてのはどうかしら。これもやはり、そのまんまって 感じだし、もうちょっとカッコイイのは無いかしら。ドイツでたっぷり夢見さ せてもらったことだし、「夢見る数学者、ドイツに行く」ってのはどうか。 色々考えてみるのだが、どれもしっくりこない。

夕方、線形代数を教えている電気電子の1回生が質問に来る。何だか知ら ないけど、微積分や数式処理システムやC言語などの質問まで出て来て、色々 話し込む。こんな熱心な学生がいるのだから、電気電子学科の未来は明るいで あろう。

2001年7月7・8(土・日)
<< 暑い... >>
土曜日はドイツ語のレッスン。このレッスンは7月21日が最終日だ。受講生 の中には、その前後にドイツに旅行する人が多い。既に先週からデュッセルド ルフとケルンに3週間程出張している人、おそらくゲーテ・インスティチュー トのドイツ国内講座に参加するのか、ハイデルベルクに2週間程滞在する人、 音楽関係の勉強をしていてその見学も兼ねて夏休みに3週間程2、3の町を回 る人、またドイツ人の奥さんの父親が急病のため、急拠奥さんと一緒にドイツ に発った人等々。最後の人は不幸な例だけど、何だかんだとドイツに行ってし まう。既にドイツに発ってしまった人や、別の理由で休んでいる人も何人か居 て、我々の12人にクラスも先週は4名今週は6名と寂しい限りである。

夏のドイツかあ、いいですなあ。今年のドイツの6月は、何故か雨ばかり 降っていたそうで、7月に入った今も「カラリと晴れたドイツの夏」という感 じではなさそうである。しかし、ドイツの夏ってのはきっと涼しいに違いない。 私はこの夏休み2週間程Herzog先生の所に行こうかとぼんやり考えていたけれ ど、結局気が狂ったように暑い日本にとどまることになりそうだ。

2001年7月6日(金)
<< やはり忙しい金曜日 >>
午後一番でCプログラミングの講義。その後引続き卒研ゼミを夕方まで。講義 の前は微分加群を少し調べる。何でもスキームの標準層というものは、可微分 多様体の接ベクトルバンドルを代数化したものだそうで、代数幾何学の話で非 常に頻繁出てくるみたいである。そこで中心的な役割をする可換代数の道具が 微分加群というわけ。

そういえば最近は講義と雑用とその間のわずかな時間を縫っての代数幾何 学のお勉強の毎日で、可換代数の研究的な事をちっともやってないなあ。夏休 みも雑用でかなり潰れそうだし。そろそろ何か面白い対象を見付けてがんがん 計算してみたいものである。

Cプログラミングの講義の帰り道、工学部の一般教養のクラスの学生から挨 拶される。「えーっと。どなた様でしたっけ?」「数学IIIの受講生です。電 気電子学科の。」「あーあーそう。試験頑張って下さいね。」「はい。」「じゃ あ、失礼。」そう言えば、Herzog先生も一般教養を教えている経済・経営学部 の学生によく挨拶されてたよな。

卒研ゼミ。H君は相変わらず一回一命題の超スローペース。今日は部分加群 の生成系について。私は今日も、A堀グループの言うところの「集合論の筋ト レ」コーチに専念することとなる。I君は二次曲線の集合の成す線形空間の次 元について。題材が具体的なので、まあ何とか無事に終る。I君の友人(情報学 科)に数学基礎論マニアがいるらしく、来年度の卒研にS藤研、H研、高山研の どれを選ぼうか迷っているらしい。「迷う余地は無い!彼の人生はS藤研で決 まりだ。そう伝えておいてくれ。」と宣告しておく。算太郎君にせよ、I君の 友人にせよ、S藤研で骨を埋めるために生まれてきたような学生はちょくちょ く居るようだ。

2001年7月5日(木)
<< 数学者ではないけど数学教師の一日 >>
午前中は大学院の講義。今日はネーター環の話。小さな事だけど、私が長い間 やりすごしてきたことを、M君が指摘してくれた。この件を含めて、M君とのい くつかのやりとりによって、講義ノートのバグのいくつかが取れた。このこと は、後期に学部4回生で教える時にも大いに助かる。

講義から帰る途中、情報学科から来たうちの卒研生I君が妙な所からが現れ 「先生!こんにちわ。」で、ちょっと話をする。きのうのアンケートにもあっ た話だけど、私は一般に情報学科の学生を馬鹿にしている。数学アレルギーで まともな計算機科学ができるもんか、と思っているからである。しかし数学が 好きな情報学科の学生は尊敬している。まず、数学が好きであることで大量ポ イントが付き、さらにあのような雰囲気の学科の中で「数学が好きだ」という 気持を持続できるのは偉いということで、さらにポイントがアップするのであ る。

昼食時、熱烈尊敬ドイツ在住15年の経験を持つ天然極楽蜻蛉H先生と一緒 になる。H先生によると、ドイツ大好きで現地に半年ばかり行って、ドイツ人 の嫌な面ばかり見てしまいドイツ嫌いになって帰ってくる人は沢山いるとのこ と。私はドイツ大好きになって帰って来たけど、次に行った時はどうなること やら。

昼食後、1回生がCプログラミングの質問に来て、色々議論する。結局「私 はアルゴリズムはわかるが、それをC言語でどう書くかは知らない。自分で頑 張って調べるか、後期の(人造極楽蜻蛉)H先生のプログラミング演習の講義で 教えてもらいなさい。」と言って追い返す。C言語なんて、今年から勉強しな がら教えているわけだし、講義で教えた範囲以上の事は知らないんだもんね。

午後は工学部の線形代数の講義。試験問題は作ってしまったし、今日を含 めてあと2回しか講義は無いし、説明する事は沢山残っているし。かなり焦って 証明はほとんど飛ばして、とりあえず行列式の余因子展開による計算、逆行列の 計算、およびクラーメルの公式のあたりまで説明を終える。

講義の後は明日のCプログラミングの講義のプリント作り。 やれ忙しや。途中Kaz先生が現れ密談を少し。帰り際にKaz先生 「高山さん、いつもこんな真っ暗な部屋でやってるの?」で、 これがドイツ流なんです、と答えておく。

2001年7月4日(水)
<< サドの顔したマゾ? >>
本日午後は「離散数学」の講義。授業アンケートをやった。私はH先生の真似 をして、三種の神器(バケツ、スポンジ、ワイパー)だけ持って教室に行き、何 も見ないで講義をしているのだが、学生からするとそれは「予習をサボってい る怠け教師」に見えるらしい。もっとも、よく見てみると、そういう事を書い ているのは、講義がさっぱりわからずに頭をかかえていて、かつ復習など全く やらない学生がほとんどである(そうでないのも1名ぐらいいたが)。そのよう な学生が、予習を十分しなければ何も見ずにあんな講義などできっこない事が わからないのも無理はない。

あと、「先生は情報学科の学生を馬鹿にしているのですか?」なんてコメ ントもあった。これは昔、天才Y君が同じ事を言っていた。これには2つばか り心あたりがある。昔情報学科配当の科目で、あることを懇切丁寧に40分 ぐらい掛けて説明して、天才Y君に「A堀先生なら5分で説明するような簡単な 事をあんなに丁寧し説明してる。高山先生は情報学科の学生を馬鹿にしている んだ。」と言われたので、今回は反省して5分で説明し、「ここは情報学科の講 義じゃないんだから、これ以上は説明しません」と宣言した事がひとつである。

もうひとつは、集合の交わりの定義を書いて「これがわからないと3、4 回生になって数学が全然わからなくなります。そうなってからでは手遅れです。 今この定義がどうしてもわからない人は、悪い事は言いませんから早いうちに 情報学科に転学科することをお勧めします。」と言ったことである。これは真 実である。集合が言葉として自由に使いこなせないと、現代数学のほとんどの 事がさっぱり理解できない。一方、集合の交わりの定義が分らなくても、情報 学科では十分やっていける。むしろ、情報学科ではそんな余計な事など、わか らない方がいいかも知れない。数学科の4回生ぐらいになってにっちもさっち も行かなくなり、「進路を誤ったなあ」と後悔するぐらいなら、早いうちに自 分に合った進路に変わった方が良いではないか。

いずれにせよ、今回は天才Y君のような数学の学生ではなく、この講座を受 講している情報学科のインスの学生が「馬鹿にされている」と思ったのであろ うと思われる。馬鹿にされて反発するのは筋が良い証拠だろうから、周りの雰 囲気に流されず数学の勉強に励まれんことを希望する。インドがIT革命 -- (極めてうさん臭い言葉だから個人的には使いたくないのだが)--で日本を大きく引き離している秘 密は、数学を大切にしているからだと言うではないか。

さて、今日は「離散数学」の前期試験問題を作ったのだが、阿呆みたいに 簡単なものになってしまった。しかし経験的に考えて、こういう問題の方がよ く勉強して理解している学生と、何も理解していない学生の差がはっきり出る 傾向にあり、かえって良いようだ。試験の結果が楽しみである。

そういえば、学生時代の試験というと、教授がうんうん知恵を絞って「 どうだ?!解けるもんなら解いてみろ!」という問題を出していたように思 う。それで試験が終ると次のような講評が掲示されたものである。

「試験の結果は惨澹たるものであった。答案を見るに、少しでも考えなければ ならない問題には手をつけず、定義と少しの計算と簡単な論証だけで答が出るつ まらない問題だけを解いているものが多い。私は日頃から演習科目の担当や研 究活動の中で、たまたま面白い問題が見つかればそれをストックしておいて、 少しでも諸君に考えてもらおうと定期試験などの機会がある毎に出題するよう にしている。しかし、そのような面白い問題に手をつけた学生がわずかN名 -- (高山の注釈: Nは2以下の非負整数)-- に満たないということは、ほとんどの学生 諸君が考えるという数学で最も大切な事を放棄していると言わざるを得ず、私 は大いに落胆せざるを得ない。」

文面に多少の違いはあるが、試験のたびに色々な教授(全員ではないが)による 内容的に同じ講評が掲示されるわけである。面白い問題に手をつけたN名の学 生は「秀」評価(「優 (=A)」よりも上の評価)で、それ以外のA(優), B(良), C (可), D(不可)の学生は皆「頭使うのを放棄した阿呆学生ばかりだ!ああ、何 て嘆かわしい!」と言われているようなものである。ちなみに私は「秀」評価 なんてもらった事がない。しかし、試験は制限時間があるのだから、面白い問 題に取り組んで花と散るのも美しいが、むしろ何とか単位だけでも 確保しようというのが人情ではないか。頭の回転の遅い私が、その手の人情に 流されたことは言うまでもない。

師の心、学生知らず。学生時代の私は、「そんなに落胆して嘆き悲しむの なら、もっと簡単な問題を出せば教授も学生も皆ハッピーになれるじゃん。こ の教授はサドの顔したマゾじゃないか?」(「マゾの顔したサド」の間違いではな い)と素朴に思っていたものである。私は立命館に来たばかりの頃は、 「サドの顔したサド」だったのだが、次第に馬鹿馬鹿しくなってきて、一時期 「仏の顔した仏」になり、これでは色々困ると思って、 今では「仏 の顔したサド」と「サドの顔した仏」のシュレディンガーの猫状態 になるように努めている。

ちなみに、数年前に名古屋大学に行った時、やはり同じような掲示がして あるのを見付け、思わず笑ってしまった。

2001年7月3日(火)
<< 雑用の夏 >>
雑用の夏である。午前は某企業が求人に訪れ、その後、就職担当の先生よろし く、応募しそうな学生が居ないか探して回る。午後はP先生と代数幾何学の最 後のゼミ。疑問点が3つあったのだが、1つは直前に明らかである事に気づき、 1つはP先生が解決し、最後の1つは結局わからずに「二人のうち、どちらか が解答を見付けたらメイルで連絡しよう」と約束して別れる。ゼミの後、再び 雑用に励む。

ところで、Hartshorneの層係数コホモロジーの部分は面白い。「コホモロ ジーは使いこなすことが大事だから、最初は証明を飛ばしてどんどん進むべし」 という一般的教えに従って読んでいるのだが、確かにそうやって読むと楽しい のである。

昨日「底無し沼」学生が何故存在するのか?を少し考えたら、立命館の数 学の入試が穴埋め問題中心だったことを思い出した。数学の問題って、最初は 「何だ、こりゃ?」と思っても、色々試行錯誤しているうちに糸口が掴めてく るものである。穴埋め誘導問題だと、試行錯誤無しでただ計算だけやってれば 解けてしまう。これでは論理や推理といった、数学で一番大切な力がゼロでも 合格してしまう。それで入試は合格しても大学の数学は完璧にわからない、と いう事態が発生するわけだ。毎年8〜9万名も受験生がいるのに、たった15 名の数学教員では、記述式の問題の採点なんて物理的に不可能だし、まあ、こ の状態は今後も続くでしょう。

昨日、今日と夕方頃にK川先生が雑談と密談に現れる。「学生の研究」をラ イフワークとしているA堀先生と並んで、K川先生も相当の「学生ウオッチャー」 である。彼にあおられて、ドイツ語がわかると思われる学生の掲示版に「君は こないだの日記で『離散数学』の講義がさっぱりわからんと書いていたけど、 まあ、試験が楽しみだねえ」なんてイヤミなことをドイツ語で投稿してみる。私のパ ソコンはFreeBSDだから、掲示版に漢字が書けないのである。英語で書くのも 間抜けているから、書く時はいつもドイツ語にするようにしている。

2001年7月2日(月)
<< 底無し沼? >>
本日雑用日。時々雑用からの逃避行動としてHartshorneの層のコホモロジー のところを読もうと思っていたが、その暇も無く雑用に励む。 途中、K川先生よりメイルが届き、底無し沼のように何も理解できない学生 の存在を知る。私はまだ数理科学科に来て間も無いので、こちらの学生のレベ ルがよくわからない。情報学科でもそうだったが、最高レベルの学生は、どこ に出しても遜色無いぐらい文句無しに良くできる。問題は最低レベルはどれぐ らいか、という事だ。これがまだよくわからない。

情報学科の最低レベルの学生の中には、学力以前に人間として堕落仕切っ ているとしか言いようのないのが何人も居た。何も理解できない、何も知らな い、何も出来ない、何もやる気が無いだけでなく、目上の人に取り付くための 猿芝居と小手先の要領と嘘っぱちだけで世の中渡って行けると信じているよう な人間である。若い身空でもう人生なめきっているようなことで、この先どう なることやらと、背筋が寒くなったものである。

その一方で、成績表の成績が文字通り本当にビリなのに、素晴らしいプロ グラミング能力を持っていて、卒研であれよあれよという間に何だか物凄いシ ステムを完成させた学生もいた。何だか知らないけど、ちょっと偏屈なところ があって、大学の成績にはほとんど無頓着のようであった。偏屈なのはよろし い。大いによろしい。

人間として堕落しているわけではないけど、底無し沼のように何も理解で きない学生も居た。彼または彼女を見ていると、ほとんど脳味噌が働かないこ とがわかり、さぞかし大学でやっていくのは辛かろうと気の毒にすら思えてく る。Herzog先生が私を見る時も、「高山って奴は、こんなに頭が働かないよう で、数学やってくのは大変だろうに。」と、哀れみの気持を抱いていたことで あろう。まあ、こういう事は上にはいくらでも上があり、下にはいくらでも下 があるので、あまりくよくよ考えても仕方がない。

しかし、S藤先生も言うように「頭の悪い奴は、根性出すしかない!」とい うのは真実なわけで、「底無し沼」組の学生は根性を出さない限り浮かばれな い。数理科学科には上記のような「堕落仕切った底無し沼」学生は居ないと 信じているが、「根性無し底無し沼」学生は何割か存在するはずである。 では、一体どれぐらい居るのか?まあ、こういうのは知らないうちが花 なのかも知れない。