2001年6月15日(金)
<< 自分用のバイブル? >>
Herzog先生からメイルが来て、「ドイツ便り」の出版に際して実名を使う事は 構わないが、俺の事ばかり書いても誰も興味を持たないのではないか。だから、 ドイツの事を中心に書いたらどうか、という。んな事言われても、私はドイツ では一日14時間数学ばかりやっていたから、その時に書いた事といえば8割 ぐらいが研究の事ばかりだし、今からドイツの一般的な事を沢山書く時間も無 ければネタも無い。というわけで、山あり谷ありの数学研究の物語は、数学者 にとっては当り前の事で興味が湧かないかも知れないが、一般の人には新鮮か も知れないし、エッセン大学で起こった色々な出来事を交えた研究物語を通し て、ドイツ流の生活や考え方が自然に描かれている、と「ドイツ便り」の概要 を返事する。

数時間後返事が来て、初めて知らされた(そう言えばHerzog先生は全然内容 を知らなかったんだ!)「ドイツ便り」の内容に満足していて、「日本語の本 だから、俺には読めないのが残念だ」というような事が書いてあった。同時に、 例の「幻のGrothendieckの定理」の件で、少し進展があったという良い知らせ も書かれていた。糠喜びに終らない事を祈る気持である。

「ドイツ便り」の原稿の整理は大体山を越した感じである。代数幾何学が どうの、数論幾何学がこうのといった専門的な話や、テンションの低い話、同 じような話の繰り返しなどは大幅にカットした。また、ドイツで描いてきた数 枚のスケッチも挿入する予定である。普段数学なんて眼中に無くて、従って当 然Web版「ドイツ便り」なんて読んだ事の無い人達に読んでもらえたらと思っ ているが、一方で全然売れなくてもいいやという気もある。つまり、今後の研 究生活の中で、苦しい時や困った時に読み返す、自分用のバイブル、心の支え としてコンパクトにまとまればそれでいいや、とも思うのだ。

本日Cプログラミングの講義を挟んで、明日のドイツ語の宿題と予習、およ びHartshorne "Algebraic Geometry"を少々。学会発表の原稿はまだ完成して いない。自分の論文を読み直して、残されている問題などを整理しなおす作業 も残っている。

2001年6月14日(木)
<< 抽象的なことが分らない >>
午前と午後に大学院と一般教養科目の講義。大学院の講義は5名程度に減った。 うち2名はわかっていると思われるが、他の学生はどうだろうか。何もわから ないけど、単に板書だけせっせと写して根性付けているだけかしら。

昼食時に「わかっていると思われる」ひとりの学生と一緒になる。情報学 科の数学演習でTAをしているらしく、「情報学科の学生に数学教えるのは大変 です」と言っていた。別のところで聞いた話であるが、情報学科に最近着任さ れた先生も似たような事をこぼしているらしい。まあ、一言で言えば情報学科 の学生の大半は「抽象的な事が考えられない。だから、抽象的な事が大嫌い。」 という事に集約される。「抽象的な事は考えられるけれど、そういうのは余り 好きではない。」というのは一つのテイストだけど、「考える能力が無い。だ から、大嫌い。」というのは、只々情けない。抽象的な事がわからないと、具 体的な事も大規模になればわからなくなるはずである。彼らの多くが25行以 上のプログラムが書けないのは、それが原因だと思う。情報学科時代はそうい う事をことある毎に主張していたのだけど、情報学科の先生達はどうもそれが わからないらしい。ま、どうでもいいけど。

講義の合間は何かと落ち着かないので、「ドイツ便り」の原稿整理をした りする。何だかドイツ時代を思い出してしまい、またまた心の中で涙ぐんでし まう。(いつまでもメソメソするんじゃない!)と自分に言い聞かせる。

夕方7階の事務室でお茶をくんできた帰りに、H先生と天才Y君のゼミにふ らりと乱入する。「ゼミのためにやる数学は嫌いだ」と言っていた天才君が、 立派に発表していた。部屋の隅で黙って聞いていると、H先生が最近脱稿した 自慢の論文のコピーをくれた。美しい論文である。何が美しいかというと、記 号の並びが美しいのである。それ以外の事は勿論私には理解できない。

2001年6月13日(水)
<< 日々多忙 >>
本日「離散数学」の講義をはさんで、秋の学会発表のための原稿作成。今やっ ている研究の前の話なので、すっかり内容を忘れてしまっている。原稿はたっ た2枚なので、とりあえずのものは出来るけど、もう一度論文を読み直さない と内容的に不安である。

通勤および昼食時のちょっとした時間はHartshorne "Algebraic Geometry" のprojective morphismの所を読む。これはP先生とのゼミの準備作業。 そういえばBruns & Herzog "Cohen-Macaulay rings"の「心を込めた読み直し」 は進んでないなあ。あ、いけない!ドイツ語の宿題もあったんだ。

また、「Herzog先生最後の幸せそうな顔」の画像CD-ROMが届いたそうで、 Herzog先生からお礼と「俺もビデオ・カメラを買ったんだ。あのCD-ROMはどう やって作ったんだ?」というメイルが届く。私が知っているわけないので、 Kaz先生に聞きに行く。パソコン・マニアにして「教え魔」のKaz先生喜んじゃっ て、山のように沢山の事を教えてくれる。頭がパンクしそうになるのをふんばっ てメモをし、聞いた事を忘れないうちにHerzog先生への返事を書く。 さてKaz先生の教えを正しく伝えられたかしら。

2001年6月12日(火)
<< 「ぼんやり」の時間 >>
土、日、月曜日は「ドイツ便り」の出版準備として、原稿を3分の2に減らす 作業を集中的にやっていたので、日誌の更新ができなかった。数学の内容的な 話や、ドイツでの活動と直接関係無い記述を機械的に削除するだけですぐに2 割ぐらい減らせたのだが、あと1割ぐらいは少し文章に手を加えないといけな い。原稿整理の他に、今日のP先生との代数幾何学セミナーの準備と Goethe-Institutと重なり、常時原稿をいじっているか、Hartshorneを読んで いるか、ドイツ語を勉強しているかのいずれか、という状態であった。

数学者には、というよりも私には、ぼんやりする時間が必要であるのだが、 ここんところ「ぼんやり」の時間が原稿整理に費されている。この「夢見る数 学者」もぼんやりの時間を使って書いているのだが、しばらくは休みがちにな るかも知れない。

2001年6月8日(金)
<< 「ドイツ便り」出版か? >>
私の「ドイツ便り」が、ある出版社から本になって出版されるかも知れない雰 囲気になってきた。私としてはエッセイ集なんかよりも、一つでも多くの数学 の論文を出版したいものだが、家族や親戚が(面白半分で)しきりにに勧めるの で、新聞によく出ている「あなたの原稿を本にします」ってやつのひとつに出 してみたのだ。

こういうのは審査があって、「ボツ原稿」は自費出版を勧められるが、そ うでない場合は、出版費用を著者が一部負担する形で企画出版されるらしい。 また、費用を全額出版社が持つのは、よほど有名な著者が確実に売れそうな事 を書いた場合に限られるようである。出版社の方もちゃっかりしたもんである。

で、審査結果のレポートを読むと、自分 でも読み返す気が起こらないあの膨大な原稿が実に丁寧に読み込まれていて、 人からこんなに誉められたのは生まれて初めてだと思うぐらい色々誉め言葉が 書いてあり、ぜひ企画出版として出させて欲しいとある。「これが学会誌に投 稿した論文の査読レポートだったらなあ」とため息が出るのだが、まあ誉めら れて悪い気がするわけもなく、実際かなり「木に上った豚」状態に近付いてい る。

出版社の人の話を聞いていると、原稿担当者と販売担当者がひとりづつ付 いたり、全国の数百の本屋に一定期間並べられたり、新聞の広告を出したりと、 えらく本格的なプロの出版のラインに乗っかるような感じである。「ドイツ便 り」をそのままプリント・アウトすると、A4サイズで5センチぐらいの厚さの 巨大な原稿になってしまう。そのまま本にすると460ページ近いものになる らしい。460ページといえば、Bourbaki, "Elements of Mathematics, Commutative Algebra Chapters 1-7" よりは薄いが、Brodmann & Sharp, "Local Cohomology -- An algebraic introduction with geometric application"よりも少し厚く、Matsumura, "Commutative ring theory"よりも 遥かに厚い。もし出版するならば、面白い所だけを取り出して内容を3分の2 ぐらいに絞り込み、ドイツで描いてきたスケッチ数枚も挿絵に入れて、手軽に 読めるようなものにしたい、とのこと。

まあ、今から原稿を書くわけでもないから、それ程時間は取られないと思 うし、そもそもその事に余り時間を取られたくない。だけど、数学を研究する 事がいかにエキサイティングな事なのかをより多くの人に知ってもらえれば、 数学者のハシクレとして、少しでも数学に貢献することになるのではないか、 と思う。まあ、数学者の「社会啓蒙活動」ってやつですな。

それに私が大好きなドイツに対して、より多くの人が「ジャガイモ、ソー セージ、勤勉、厳格、環境問題にうるさい」といったステレオタイプではなく、 「もしかしてあそこは天国かも知れない」と思ってくれれば、これほど嬉しい ことはない。

今日は学生が教育実習とかで卒研が無く、臨時研究日としてHartshorne "Algebraic geometry"を読もうかと思っていたのだが、結局出版社の人とのや りとりや、それに関係する細々した事で一日が潰れてしまった。

2001年6月7日(木)
<< 数学教師稼業 >>
本日講義の日である。午前中は大学院の代数幾何学入門。超越拡大体論の基本 定理である、超越基底の濃度の一意性定理の証明を9割ぐらい。実のところ、 学生時代はこの証明が全然わからず、数学者になってからも特に理解する必要 に迫られることは無かった。で、この講義ノートを作った時もどうもしっくり 来ず、今日講義してみて初めて「わかった!」という気分になった。誰かの前 で説明する必要に迫られて初めてわかることって、ちょくちょくあるものだ。

この講座に出ている自称天才Y君は、最近ちょっとメランコリーになってい るようである。1年程前、「自分が何をやりたいのかわかりません」なんて言っ てたけれど、どうやら自分がやりたい事が何かを掴む兆しが出て来たのかしら。

午後は工学部の線形代数の講義。連立一次方程式の掃き出し法の小テスト をしてから正則行列の説明に進む。この小テストは、教科書やノートを見て も良く、隣の人と相談しても良い。20分ぐらい経ってから、すぐに解答を説 明し、自己採点させて回収する。テストの出来、不出来は成績にカウントせず、 もっぱら出席点のように扱うことにしている。まあ小テストというよりも、演 習と言った方がいいかも。数学が商売道具である事がよくわかっている電気・ 電子工学の学生なので、割合皆さん真剣に取り組んでいるし、質問などの反応 も良い方である。

講義が終了したら、明日のCプログラミングの講義プリント作り。その後 ひと息ついてHartshorne "Algebraic Geometry"を少し読み進める。

2001年6月6日(水)
<< 光陰矢の如し >>
午後の離散数学の講義の前に、ちょっとメイルの返事でも書いておこうと思っ ていたら、アメリカ帰りのS藤先生がひょっこり現れる。アメリカ出張中に 「大発見をした」そうで、その自慢に来たのだ。で、二人で少し議論してから 雑談。ってな事をやっている内に講義の時間が迫ってきて、メイルを仕上げて 送り、あわてて昼食を取って、すぐに講義。講義の後は教室会議。あっと言う 間に一日が終る。

数学の教室会議ってのは面白いもので、小さな問題でも根本から徹底的に 考えるのでえらく時間がかかったりする。まず問題がwell definedかどうかを 延々と議論して、それが確認されてから「それでは、この問題について考えま しょう」ってこともあるらしい。何事も明晰をもってよしとするのである。勿 論、議論の対立は感情の対立とは別物である。こういうスタイルは数学者にとっ ては職業柄慣れたものである。これは悪いことではないと思うし、徹底的に考 えて答を出した時の気分は、数学の時と同じくある種のすがすがしさが感じら れたりもする。

それと対極にあるのが情報学科の教室会議で、そこでは物事を根本から考 え「そもそも論」を率直に論じる事は固く禁じられていた。多少乱暴ではある ことを覚悟して極端に単純化して言えば、各案件に各教員がYesとNoだけ表明 し、多数決だけで物事が決まっていくという感じであって、「何であなたは Yes(あるいはNo)なのだ?こういう風に考えたらNo(あるいはYes)になるじゃな いか。そう思いませんか?」なんて議論はしてはいけないのである。情報学科 がそういうやり方を取っているのは、それなりの理由があるのだけど、論理に 基づく議論の無い会議ほど虚しさの残るものはない。

2001年6月5日(火)
<< 久々に会議のテンコ盛り >>
最近教授会が無くて比較的平和な日々をすごしていたのだが、いよいよ今日そ の日がやってきた。教授会と研究科委員会と学位審議委員会の3点セットであ る。午後4時前に始まり、大した議題も無く、あるいは大した議題が無かった からこそ、夜7時前で終る。これをかつては「殺人会議」と読んでいたのだが、 大正生まれの私の母親が、「飯を食わせてもらっている職場の事をそのように 言うとは何事か。猫でも一宿一飯の恩義は忘れんぞ!(ホンマかいな?)」と激 しくわめき散らすので、最近は少々反省して普通に「教授会」と言うことにし ている。それにしても、会議が憂鬱であることには違いはない。Herzog先生も 「俺は会議と名のつくものは、数学の会議を除いて全部大嫌いだ!」とよく言っ ていた。

昼過ぎP先生が来て、来週の代数幾何学のゼミについて打ち合せをした後、 少し雑談。その前後は教授会の時間までHartshorne "Algebraic Geometry"の divisorの章を読み進める。divisorというのは代数多様体の興味深い不変量で、 divisor class groupを計算することによって色々な事がわかるし、線形系の 理論とか抽象代数多様体の射影空間への埋め込み写像の構成とか、色々幾何学 的に面白い話と深く関連するようだ。しかしdivisor class groupを計算する ことは一般に難しい。難しいから面白いという事は言えるのだが。数論の方で はdivisor class groupの特殊なものとして、イデアル類群というのを考えて いて、K川先生によるとある種のゼータ関数を使ってイデアル類群の位数を解 析的に計算する方法があるらしい。それを聞いたとき、私はおもわず「そんな のズルイやんけ!」と叫んでしまった。

2001年6月4日(月)
<< 真っ暗? >>
昼過ぎまで色々雑用をし、それからP先生とのゼミの予習としてHartshorne "Algebraic Geometry"のdivisorの章を読む。ここんところ、研究日は Hartshorneの本でほとんど潰れているような気がする。そろそろ何か、面白い 例の計算をわっとやってみたい衝動に駆られるのだか。

大きな作り付けホワイトボードは快適である。Hartshorneの本のよくわか らない部分をホワイトボードに書き出して、さてどうしたものかとぼんやりし ていると、A堀先生が登場し「どうしたんですか?真っ暗にして。」と言う。 何が真っ暗なんだろうと思ったが、どうやら部屋の灯を消している事を指して いるらしい。窓から適当に陽の光が入ってくるし、これぐらいが数学をやるの に最適の明るさだと思うんだけど。

2001年6月2・3日(土・日)
<< インド哲学とホームレス >>
土曜は例によってドイツ語のレッスン。休憩時間にいつも隣の席に座っている オニイチャンと少し話をしたら、彼が京大文学部博士課程2回生でインド哲学 をやっていることがわかり思わず興奮してしまった。私は大学に進む時、数学 をやるかインド哲学をやるか迷ったのだ。大学の教養課程でも、数学や物理の 講義にはまともに出席した事がなかったけど、人文社会系の講義には欠かさず 出席し、特にインド哲学の荒牧先生の「東洋社会思想史」の講義は一番前の席 でかぶりつきで聞いていたものである。荒牧先生のことを話すと、オニイチャ ンは「荒牧先生はもう定年退官されました」と言う。当時は新進気鋭の助教授 だったのだけど、時の流れは速いものである。そういえば、やはりかぶりつき で聞いていた「美学」の講座でイデア論(イデアル論ではない)の話をしてい た新田先生もずいぶん前に定年退官された。講義の時はまずおもむろに毎回銘 柄が違う洋モク(西洋煙草)を一服し、それから閑散とした教室で静かにゆっ くりと話し始めるという独特のスタイルであった。まあ煙に巻かれたわけでも ないが、嫌がおうにもソクラテス、プラトン、アリストテレスの世界に引き込 まれたものである。

今そういう事をやったら大変なことになるが、当時の京大教養部では教室 でまず一服してからおもむろに講義を始める教授がちらほら居たのである。数 学の森毅先生なんかは、今でこそ好々爺然としていつもスーツを着て登場する が、大学教授時代はいつもポロシャツ、ジーパン、ゲバラ髭、長髪、サングラ スのようにも見える色の濃い眼鏡を掛けて、ショート・ホープをプカプカやり ながら、これまた閑散とした大教室でのらりくらりと講義をしていたものであ る。それで数学というのは、極めて怪しい学問だなあと思っていた。しかし、 2回生ぐらいから学部の講義や演習に乱入するようになり、皆さん全身に力が 入って目がツリ上がっている「サド・マゾの世界」を知ることとなった。それ で、同じ数学でも教養部と理学部ではずいぶん雰囲気が違うもんだなあと思っ たものである。

さて、文学部で東洋哲学をやるというのは、大変魅力的な進路だったのだ が、原典主義で鳴る京大文学部でまともにやっていくには、英語の他に最低2、 3カ国語、しかもインド哲学をやるならウルドウ―語やパーリ語などとの古代 語や希少語をマスターしないといけないと知りあきらめた。語学はまあ好きな 方ではあるが、商売道具として数カ国語も勉強するほど好きでもない。そのオ ニイチャンによると、ドイツではインド哲学の研究レベルが高く、現地の学者 がウルドウ―語やパーリ語の多くの原典をドイツ語に翻訳しており、重要な研 究論文もドイツ語で書かれたものが多いという。「だから僕はゲーテ・インス ティチュートでドイツ語を勉強しているのです。」という。なるほどそれでは 気合いが入るわけだ。

ゲーテの後、丸善で「ホームレス入門」(風樹 茂)を買って読み耽る。 文学部東洋哲学科を断念し、数学科を目指そうと決心した私は、「数学では飯 が食えないぞ」という、ムカシの親の古典的脅し文句をマトモに信じ、”数学 者かさもなくばホームレスか”という悲壮な考えに凝り固まっていった。名古 屋の河合塾に通っていた時、名古屋駅前に何人かホームレスが居るのを毎日目 撃した。私は彼らの何割かは名古屋大学数学科の卒業生に違いないと固く信じ、 自分の将来の姿とだぶらせていたものである。名古屋のホームレスの支援団体 として、当時「越冬炊き出しの会」というのがあり、この名前は結構気に入っ ていた。私は京大を志望していたので、京都に「越冬炊き出しの会」に相当す るものがあるのだろうか、と気にしていた。そういうことがあったので、新聞 で「ホームレス入門」の宣伝を見たとき、すかさず「これは一度読まねばなら ない」と思ったのである。それに昨今大学教授とて、いつホームレスになるか わかったものではない。今後の参考のため、ぜひ読んでおかねばならない。思 うに数学者のホームレスというのも悪くないのだが、哲学者のホームレスのほ うがうんとサマになる。やっぱり東洋哲学に進んでおけばよかったかもしれな い。

そういうことをつらつら考えつつ、半分ぐらい読み進んだのだが、猛烈に 気分が落ち込んでしまった。ホームレスの生活は、物理的にも精神的にもとて も厳しい。少年時代は美しい人生のひとつの姿として、甘味な夢を見るように ホームレスを思い描いていたのだけど、すこしはモノがわかってきたこのトシ になってから読んでみると、あれはどうしょうもなく厳しい。私はあのような 状況で、数学者ホームレスとして「ボロは着てても心は錦」とばかりに、誇り を失わず飄々と美しく生きつづけられる自信は、今のところ全く無い。まず現 在の立命館大学数理科学科においてすら、未だ「夢見る数学者」の境地に達し ていない私が、どうして正しい数学者ホームレスとしてやっていけようか。や はりまだ修行が足りない。

2001年6月1日(金)
<< 夢のホワイトボード >>
午前中に、夢にまで見た壁掛け型ホワイトボードが納入された。業者の人に設 置してもらいながら、事務書類を書き、昼食後すぐにCプログラミングの講義。 今日は再帰呼び出しプログラミングについて。8年間の情報工学科、情報学科 の経験から断言できる事は、情報学科のほとんどの学生にとって、再帰呼び出 しプログラミングは理解不能であるということだ。だから、最初はLispや Prologプログラミングを教えていたのだけど、「猫に小判」であると判断して、 かなり前にやめてしまった。再帰呼び出し云々の前に、大多数の学生がせいぜ い25行×3回ぐらいプログラムしか書かずに、情報学科学士様として卒業し ていく問題の方が大きいと言えば大きい。まあ、私にはどうでも良いことだけど。

しかし、例えば再帰呼び出しは数学の漸化式がいわば論理モデルになって いるので、数学の学生にはループを使ったプログラミングよりも馴染みやすい と信じるのだけど、どうだろうか。数学の学生が情報関係に進んで有利なのは、 まさにこの点においてである。つまり、多少物は知っているかも知れないが頭 の固い情報学科の出身者よりも、プログラミングの新しい考え方に早く馴染 めることである。

その後卒研。夢のホワイトボードを使って 数学をやるのは、来週以降になりそうだ。あとはソファーかな。