2002年3月31日(日)
<< 師匠と弟子 >>
東京お茶の水の明治大学で開催された数学会に行ってきた。20代の頃は花の 東京で会社員をやっていて、お茶の水はお気に入りの街としてよくうろついて いた。また、会社員時代の友人達と、これまた当時の職場にも近い慶應仲通り 界隈で飲み、20代の時の気分を思い出して懐かしい気分に浸ることができた。 東京はちょくちょく出張しているのだけど、これまでは図らずしも会社員時代 の私の生息範囲を微妙に避けた形だったようだ。今回は今までとは違い、ひと きわ心温まる良い出張であったと思う。

さて、数学会は数学のあらゆる分野の講演が総花的に行われる一種のお祭りの ような行事で、数学の風景を広く眺めるにはちょうど良い。普段は自分の専門 分野の殻に閉じこもってシコシコやっているのだけど、自分がやっている事は 数学全体ではこういう位置にあって、こういう風に広がっていくのだというこ とが何となくわかった気分になり、ちょっと元気が湧いてくる。さらに言え ば、趣味と実益を兼ねて読んでいる Hartshorne ”Algebraic Geometry"の 方がかなり進んできたこともあって、代数幾何学関係の講演が割合よく理解で きるようになってきたのが嬉しい。自分のまわりの風景が見えてると元気が出 てきて、その風景の中に自分の位置を確認して安心するというのは、誰でもそ うというわけでもなく、私の習性かのかも知れない。

ところで、学生時代からの友人Y大学Y君の大学院時代の指導教授であったO先 生が亡くなり、通夜・告別式と学会の日程がぶつかってしまったらしい。Y君 は五反田の告別式会場とお茶の水の学会会場を行ったり来たりしていた。定年 直前に修士の2年間だけお世話になった先生らしいけど、師匠の死は弟子であ るY君に相当の喪失感をもたらしたらしく、彼はいつになくしんみりとしてい た。

私は大学院で学んだ経験が無いので、どうもこういった師弟関係の気分がわか らない。学生時代の指導教官であったM先生も、卒研ゼミで1年間みっちり絞 られて厳しく指導して頂いたものの、何故か「師匠」という気分はしない。先 方も私の事をあまり「弟子」とは思っていないようである。少なくとも学会な どで久しぶり会っても、「おう、高山君か。その後元気でやってるかい?」っ てな調子ではなく、何となく他人行儀である。まあ、学部だけの指導教官とい うのはそういうものなのだろう。

そういう話をして、Y君に「どうもわからんな」と言うと、 彼は「お前も Herzog先生のところに2年間滞在して色々面倒見てもらってたら、俺の気持が わかると思う」などと言う。そう言われてみると、半年だけ面倒見てもらった だけなのだが、なるほどと思う。そういう意味ではHerzog先生は私の指導教官、 師匠と呼んでも良さそうだ。そう考えると、私には実は沢山の師匠が居て、計 算機科学者時代には少なく数えても2名の師匠と4名の兄弟子が居て、彼らの 研究指導の元で学位を取ったと言っても良さそうだ。数学に転向してからの師 匠はHerzog先生以外に少なくとも1名居る。それでもいわゆる「大学院時代の 指導教官」というのとは、何か違う感じが残る。

2002年3月26日(火)
<< 春休みの病理 >>
2日間を置いて本日出勤。明日から週末まで学会出張で、その前にやっておか なければならない事務的な仕事を色々片付けたり、出張先で会う人と連絡を取 り合ったり。そういえば、個人研究室というのは机や椅子、パソコン、資料、 電話などが完備されていて、事務的な雑用をやるのに最適な場所である。

夕方頃、ぽっと暇が出来たのだが、しばらくして我に返ると「雑用におけ る慣性の法則」により無意識に「何か他に雑用は無かったか?」と捜し続けて いる自分を見出す。これではいけない!と、紙とペンを持って生協喫茶に脱出 し小一時間ほどそこで過ごす。いちいち生協喫茶に行かないと数学が考えられ なくなっている所に、春休みの病理...あれ?!土曜日と同じ事言っている! 早くこういう悪い癖を直さなくては

生協喫茶から部屋に戻ると3回生のF君がやってきて、自主ゼミがやりたい ので付き合って欲しいという。私はホイホイと自主ゼミに付き合う親切で熱心 な先生ではないので、こういう場合は他の先生に振るのだけど、「可換環論を 勉強したい」と言われればぐうの音も出せないし、かなり腰を据えて数学に取 り組んでいる学生のようだから、「よっしゃ!受けて立ってやろうやないの!」 ということとなった。テキストはMiles Reid "Undergraduate Commutative Algebra", London Mathematical Society Student Text 29, 1995 にする予定。

2002年3月23日(土)
<< 頭の中が忙しくなる >>
そろそろ春休みも終盤で、自宅待機力の鍛錬ばかりもやっておれず、昨日に引 続き今日も出勤。こまごまとした用事、特に6月のイタリア出張の準備に関連 したことなどをする。新学期が始まる嵐の4月はもう目の前である。平和な3 月が終るのは悲しいけれど、今度はどんな新入生が入ってくるのか楽しみでも ある。講義の準備はいつから始めようかしら。来年度は教務委員だから 学期始めに色々手配しておかなければならない事もあるなあ。いや、まだ ちょっと早いから来週の東京出張が終ってから動こうかしら。それやこれやの 事を考え始めると、もう頭の中が忙しくなってきて、ゆっくり数学を考えて いられる状態ではなくなってくる。

しかしながら、雑用ばかりでは耐えられなくなり、夕方頃紙とペンを持っ て生協喫茶に脱出し小一時間ほどそこで過ごす。いちいち生協喫茶に行かない と数学が考えられなくなっている所に、春休みの病理の全てが現れている。

ところで、昨日A堀先生と「今年は卒業生の進路として(大学院に)東大1名、 京大2名、阪大および東工大各1名、立命館6名進学という風になって、わり と良い結果になりましたね」などと話していたのだけど、後で考えてみると、 これって例えば私が通っていたような地方都市の公立高校の進路指導と区別 がつかない話である。アメリカのカレッジの中には、ハーバードやエールといった有名大学大 学院への高進学率を売りモノにしているところもあるようだけど、うちの数学 教室も何だか似たような雰囲気になってきたのかしら。それを情けないと思う べきか、めでたいと思うべきか。いずれにせよ、数学教室というのは「死して 屍拾う者無し」の数学者志望の道を歩む学生が何人かいるうちが花であって、 そういう学生がゼロになったらオシマイだろうと思う。

2002年3月22日(金)
<< 今日は卒業式 >>
本日は卒業式である。何でも午後遅くから学科の卒業証書授与式があり、その 後場所を変えて謝恩会なるものがあるらしい。ということで昼食後大学へ。注 意しておくが、今までは午後から大学で用事があっても午前中から出勤してた のであって、自宅で昼食を取ってから出勤するのは私にとって画期的な事なので あって、この春休みに自宅待機力が向上した事を示しているのである。

卒業証書授与式では、まさか数学教室ではやるまいと思っていた「各先生 方から一言づつお願します」ってのがあった。Kaz先生は純粋数学者としての 輝かしくも美しい自らの人生を貫くという美学ゆえに断固固辞。私も立命館を 代表する純粋数学至上主義者として、Kaz先生に続いて断固固辞しようかと思っ たのだけど、結局喋ってしまう。人間二十歳前後の時期にヤクに立つ事ばかり 勉強していると馬鹿になる。数学科の卒業生の強みは、ヤクに立つ事を何も学 んで来なかったことであり、それ故に皆さんは他学科出身者よりも断然有利な 立場にあるのだから自信をもってやっていくべし、というような事を話してお いた。実は、これ、学生時代に教授から聞いた話の受け売りです。ただし、 「ヤクに立つことばかり勉強していると馬鹿になる」の部分は私のオリジナル。 他の先生達からは「人間真面目に生きるべし」とか「酒が飲みたくなったらま た来てください」とか「『ダメだから優れている』というUnixの哲学と数学と の類似」とか「私がここで何を言いたいかは演習!」とか色々な「一言」が飛 び出していた。

ところで、今朝のテレビで4月から学校教育で導入される「総合学習」の 事をやっていて、現場の先生達がしきりに「教科書が無いので教えにくい」 か「教育効果や評価方法が曖昧なので不安だ」という事を言っていると報じて いた。 私の場合、大学で教科書を使って講義することの方がむしろ少ないし、教科書 が指定されている方がかえって教えにくいと思うし、教科書が必要なら自分で 教科書を作れば良いわけだし、教育効果や評価方法が曖昧というのは要するに 何を教えても良いのだからむしろ教師冥利に尽きると考えるべきだと思ってい る。 だから、ベテラン、若手問わず先生達がえらく「マニュアル世代」とか「指示 待ち世代」的な事を言うのにはちょっと驚いてしまう。 高校以下の教育の現場がどうなっているのか詳しく知らないけどね。

2002年3月19日(火)
<< 彷徨癖 >>
今日は喫茶進々堂の定休日なので、仕方なく大学へ。事務的な仕事などコマゴ マした事を片付ける。最近、進々堂にかなり「投資」をしているけど、だから と言って研究が思うように進むとは限らないのが悲しいところである。

計算機科学をやっていた頃は「研究成果は時間の狭義単調増加関数だ」と考え ていて、良い研究環境、すなわち雑用が少なくて研究時間をたっぷり取れる環 境を常に追い求めていた。しかし、特に純粋数学に転向してからは、時間さえ 掛ければ良いってもんでも無いという気がしてきている。勿論時間がたっぷり あれば、あれも調べてみよう、これも計算してみよう、と色々な事が試せるの だけど、そこから何か良いアイディアが出て来ない限り研究成果は出ない。だから、 たっぷり時間があって既知の結果について十分調べ尽くし、色々計算してみて、 色々な方法を試してみたけれど、全部失敗で何も新しい事を見付けられなかっ た、なんて事も起こりうるわけだ。もっとも、新しいアイディアなんて そうやってたっぷり時間を掛けて悪戦苦闘しないと出て来ないだろうから、 やはり時間的な余裕は必要なのだろうけど。

それはさておき、進々堂は有名な喫茶店だし、何時間でも落ち着いて勉強 していられる雰囲気の所なのだが、学生時代は慢性的な金欠病に罹っていたこ ともあり、専ら半分以下の投資で済む生協喫茶ばかりに入りびたっていた。こ うやって毎日のように進々堂に入りびたれるなんて俺も出世したものよ、と感 慨に耽ることもある。いずれにせよ、街をさ迷いながら、特に喫茶店などで数 学をやるというスタイルは今に始まったことではなく学生時代からのものであ る。数学をやっている時間というのはほとんど「うーっ!わからん!なんでや ねん?」と頭をかかえている時間なわけだから、春の風を感じ街の風景を眺め ながらの方が気が紛れて良いってわけだ。

それにしても、最近のように彷徨癖がついてしまうと大学の個人研究室で はどうも落ち着かなくて勉強という気分になれなず、無意識に雑用を捜してそ れをやって時間を潰してしまう。これではいかんと、紙とペンを持って生協喫 茶へと逃れる。新学期が始まるまでに、この彷徨癖を直さないとまずいんじゃ ないだろうか。

次の更新は22か23日頃の予定。