2001年5月15日(火)
<< 研究日 >>
本日研究日。昼過ぎまでは、Herzog先生との共著論文の原稿を見直す。この作 業はカタツムリの歩みのようにゆっくりしたペースで進んでいる。当初は4月 中にカタを付けようという話だったのだが、例のGrothendieckの定理の件で引っ かかったままで、うろうろしているのだ。SGAをざっと眺めてみたけれど、ど うもこれといったものが見付からないし、困ったものだ。また、私が出した細 かい結果のいくつかが、まだ原稿に書かれていない。たぶんHerzog先生は忘れ てしまっているようだし、私もよく覚えていない。それらを思い出して、本当 に論文に載せる意味があるかどうかの吟味もしなければなならい。でも Grothendieckの定理の方が先決であることには変わりない。

Herzog先生も今忙しそうだし、この件は何だかんだといって夏休みまで持 ち越しになるのではないだろうか。私もこの問題に関連して、ちょっとした事 のいくつかを自分で納得したいし、ゆっくりしたペースというのは悪い事でも ない。で、もし夏休みに2週間程集中的に議論しようって話になれば、またド イツに行けるから嬉しいのだけど。その時は、日本で手に入らないドイツのパ ンを、トランク一杯に買い占めて来たいものだ。

午後はP先生とHartshorne "Algebraic Geometry"のゼミ。1時間ぐらいし か時間が取れなかったが、前回打ち合せたように疑問点だけに絞って議論する。 演習問題は飛ばして、1週間後までにsheaves of modulesの部分で疑問点を見 付けてお互いに知らせ会い、2週間後にそれについて議論する予定。

P先生にドイツ・テレコムの事を話したら、やはり「連中はどうしようもな い!」と言っていた。

2001年5月14日(月)
<< ばたばたする >>
本日研究日であるが、色々バタバタして終る。ドイツ・テレコムとの闘いが終 局に向かいつつあり、そのためにやたら難しいドイツ語の注意書きを読んだり、 あちこちに電話で問い合わせたり。やはり、ドイツ・テレコムというのは、ど うしようもなく脳味噌の腐った会社であることが確認されたが、もういい加減 手を切ることにする。また、他大学の友人からメイルが来て、あ る文書のコピーを取って速達で送る手続きをする。それから懸案の「Herzog先 生最後の幸福そうな顔の画像」を編集する仕事で学生に相談したり、あちこち 電話で問い合わせたり。最後のパソコンがらみの話が一番うっとうしい。改め て自らのパソコン嫌いを確認する。結局ひとりで頑張るのは放棄して、Kaz先 生に泣きつくことにする。それやこれやで一日がほぼ終る。やれやれ。

夕方、図書館からSGAとそれ以外のGrothendieckのレクチャーノート合計8 冊借りてきて少し眺める。

本日唯一心の中に爽やかな風が吹抜けた瞬間は、エレベータの中でNi先生 と少し話した時である。「ちょっと調べてみたら『factorial Cohen-Macaulay ringは Gorensteinである』というのは、一般的な事実でした。だからGorenstein singularityの中でfactorialなものを探せば良いんですよね。」と私。「うー ん。factorialってのは特殊な条件だから、なかなか無いかも知れませんねえ。 次元にも依存するかもしれないし。」とNi先生。先週は「Gorenstein local ring探すよりも、regular local ringで探すって手もありますよね」なんて会 話もあった、ああ、何て数学者っぽい会話なんだろう!うっ美しい!そういえば、 立命館大学でこの手の話ができるのはNi先生だけである。

嬉しい事もあった。3月21日にエッセンから日本に送った3通の封筒の うち、最後の1つが今日届いた。もう紛失したものとあきらめていたのだけど。 この封筒の輸送には、3月10日頃にドイツのアマゾンから送ってもらった本 と同じく、大体50日かかっている。4月9日にアマゾンから再送してもらっ た本は、まだ届いていない。たぶん5月下旬に届くのだろう。不思議な事に、 ドイツ国内から日本へ送ったドイツ語の本というのは、50日ぐらいかかるよ うである。これではエアメイルではなくサーフェス・メイルと同じである。ネッ クはドイツの郵便局か、鉄の要塞ドイツ関税局のいずれかである事は確かだが、 一体そこで何が起こっているのか誰も(ドイツ人も)わからない。

2001年5月13日(日)
<< ぼんやりする >>
ドイツ滞在後反動症候群のため、一日ぼんやりする。

昼間、 「駆け出し数学者の数学日誌」 「ドイツ便り」をぼんやり眺める。我ながら凄い事が一杯書かれていると 驚く。数学の内容的な事や、数学者の世界の内部の事、「情報学科の悪口」等々 が延々と書き連ねられている。今こういう事が書けるかというと、どうもそう いう気がしてこない。ドイツ滞在後反動症候群による虚脱症状というのは、 「折角ドイツで色々修行してきたのに、また元に戻ってしまうのか」という不 安も含まれているのだが、そういう事は無さそうな気がする。

ドイツで修行して、やっと数学者になれたような気がする。数学者になっ てしまえば、数学者の世界の内部の事は「アタリマエのこと」になってしまい、 特に書くようなことでもない気がする。また、あれこれ勉強して自分の問題を 模索している段階は一応終った感じなので、数学の内容的な事をあれこれ書く こともあるまいし、Herzog先生との共同研究における手に汗握る息詰まるよう なやりとりも、今後しばらくはありそうもない。要するに、今は淡々と数学を やっていく段階にあるわけで、Web日記ネタにはなりにくい。

「情報学科の悪口」はどうか。もう一大学の一学科が何をしてようと、ど うでも良いではないか、という気もしないではない。世の中一般的には、「情 報学科的なもの」と数学(者)の世界の対立の構図というのはやはり存在するわ けだし、数学者のひとりとしてそういう構図の中で数学を守っていかねばなら ない立場にある事には変わりないし、今でも色々思うところはある。しかし、 あまりそういう事にこだわるのも「夢見る数学者」的ではない。

かくして、ドイツでの修行によって、私の心の中で確実に変化が起こって いて、これから考える事やこういう所で書く事が変わっていくような気がする。 どう変わっていくのかはわからないけど。

夜は我に返って少しドイツ語を勉強する。単語の整理をしたり、ゲー テで借りて来たビデオを見たり。いつの間にか沢山の単語を覚えているのだけ ど、特に名詞の性(男性形、女性形、中性形)の区別が曖昧になっていて、これ がネックになっているのだ。

2001年5月12日(土)
<< ドイツ滞在後反動症候群 >>
  本日ゲーテの日であるが、最近少し気分的に疲れ気味でいまひとつ気合いが 入らない。何故「疲れ気味」なのか?それはドイツ滞在後反動症候群が原因であると 思われる。 薬物中毒者が治療のために薬物を断つと、最初は禁断症状を起こして暴れ回るが、 しばらくすると虚脱状態に陥り、それを乗り越えるとゆっくり健常者に戻るというプ ロセスを たどるというような話を聞いたことがある。それと同じような事が起こっているので ある。

そういえば4月の間は、「俺に数学をやらせろ!ドイツは何処へ行ってしまった !? なにい?地球の裏側だと!?そりゃあ、けしからん!」とか何とか言って、大学でも 自宅でも 禁断症状で暴れ回っていたように思う。ところが最近は、講義だの何だので2,3日 数学を離れて いても何とも思わなくなってきた。また、4月頃は、ろくに話せもしないしわかりも しないのに、 いつも頭の中でドイツ語が渦巻いている感覚があって、ゲーテのレッスンを受けてい るときでも、 自分の知っている表現ならば何の苦労も無く口から出てきた。しかし、今は頭の中に しっかり 日本語が充満してしまっていて、ちょっと考えないとドイツ語が出てこない。

4月の私は、目の前から去ってしまったドイツと数学三昧の生活を惜しみつつ も、 まだそれがどういうものであったかという感触をはっきりと覚えており、自分が求め る ものが何かを明確に把握していたのである。しかし、それが時間とともに風化し始 め、 自分が何を求めていたのかがわからなくなり、スポンジとワイパーで黒板を拭いてい ても、 それにリアリティーを感じることも少なくなり --- 「じゃあ、いい加減やめれば ?」 という声が聞こえてきそうだが、私はやめないぞ! ---、エッセンの町の風景と重 なって 見えた京都の町も、只々京都の町の風景でしかなくなり、ドイツ語を勉強していても 「ただ遠い国の言葉を勉強している」という気分の方が強くなってきた。少し前ま で、 私の心を隅々まで満々と満たしていたはずのものが、気がついたらずいぶん消えて 無くなっていて、大きな空洞が出来ているのだ。風化の力に無力な自分と 心の中の巨大な空洞を前にして途方に暮れている状態、これすなわち虚脱状態なり。

さて、この先私はどうなっていくのだろう。

2001年5月11日(金)
<< 今日は生臭い話です >>
学生時代の友人X君 --- と言っても、例によって私はよく知っているのだけど 相手はたぶん私の事は覚えていないってやつなのだが --- が、某「旧制帝大」 理学部の教授をやめて、某私立工科大学の一般教養の教授に転出したらしい。 この事を現在某大学で教授をしている学生時代の友人から聞いた。最近は、 「旧制帝大」教授の私立大学への「天下り」が難しくなって、定年を前にして 定年が遅い転出先の私立大学が見付かり次第そこに移るという事も珍しくない らしい。しかし彼の定年は20年先だったはずである。これにはちょっと頭を かかえてしまった。

40代前半というのは、数学者にとって「歴史に残る大発見」をするには 歳を取りすぎているのかも知れないが、まだまだ仕事ができる年齢である。数 学はどこでも研究できるけれど、できるだけ研究環境の良い所で、余計な事に 惑わされずに研究に専念したいと思うのが普通ではないか。彼の転出先の大学 がどういう所なのか全く知らないのだが、一般に私立のしかも工学部というの は、数学者にとってうんざりするような事が日常茶飯事のように起こる所であ る。まあ、そういう事が気にならない人も居るのかも知れない。私の見るとこ ろ、既に「夢見る数学者」の境地に達しているグル(悟りを開いた人)H先生な んぞは、何処に行っても瓢々と数学を続けられる人のようである。X君もそう いう人だったのだろうか。それとも前の本務校の「旧制帝大」で居心地が悪い 特別な事情でもあったのだろうか。それとも、今まで研究環境の良い国立大学 理学部ばかりを渡り歩いてきたため、私立大学工学部の事を良く知らなかった のだろうか。それともそれとも、どこかの学科に工学の教員達と一緒に配属さ れた場合はかなり悲惨な状況になるが、一般教養の教員として採用される と案外気楽にやってられるのか。よくわからない。一般に数学以外の事で わからない事というのは、考えてもわからない。よって考えない事にする。

本日午後一番で1回生にCプログラミングの講義をし、引続き 卒研。加群の諸定義、射影空間の諸定義と例など。

2001年5月10日(木)
<< どうなってるんでしょうね? >>
今年から工学部の1回生に線形代数を教えている。前期は電子電気工学科で後 期は土木工学科の担当だったと思う。これが結構いい子達で、割合真面目に勉 強しようとしているし、質問にもよく来るし、小テストをやっても成績良好で ある。4月の間は授業中の私語が多かったのだが、今日からはしんと静まり返っ ている。実は4月の終りにある学生が「私語がうるさくて講義に集中できない」 と苦情を言ってきたので、今日の講義の最初にその事を話し、「ひとりでもそ う感じる人がいれば、その人の講義を受ける権利を侵してはいけないのです」 と言って「今日から私は鬼に変身し、私語をしていれば見付け次第退場を命じ ます」と話したのだ。そしたら、皆しんとしてしまった。結局女子学生2名の 退場を命じたのだけど。

これは従来情報学科の2、4回生を教えていた時とはずいぶん感じが違う。 私語については、昔からバンバン退場を命じていたので、やはり静かな講義で あった。しかし、学力や真面目に勉強しようという気分はかなり違う。一言で 言って情報学科の講義で試験をすると惨澹たる結果となるのが常であり、特に 4回生ぐらいになると、数学の力は中学生レベルまで落ちている。つまり、中 学校の数学の授業でもやらない限り、いくらやさしく講義しても何も理解して いないことには変わりない。従って「大学生の一般常識の範囲」、あるいは 「高校数学レベル」を想定して話題を慎重に選び丁寧に講義をしても、「あら ゆる事」を予備知識として仮定して数学科の大学院レベルの話をしても、学生 の側からすれば何ら違いは無く、「全く分らない講義」あるいは「全く分るつ もりが無い講義」であることは同じなわけである。よって、自分の頭の整理を 兼ねて、大学院レベルの講義をしても一向に構わない、という論理も理論的に は成り立つ。

この現象をどう考えれば良いのかわからない。教えている学年も内容も違 うのだから、一概に比較できないし。多分入学当初の段階では、電子電気工学 科の学生と情報学科の学生のレベルはほとんど同じはずである。そして今教え ている電気電子の学生も、高回生になればやはり堕落するのかも知れない。あ るいは、「1、2回生の数学ぐらいは商売道具だからちゃんとやっとけよ」と か「コンピュータの使い方さえちゃんと覚えれば、数学なんか勉強しなくて良 い」とか、学科によって教員達が発する無言あるいは有言のメッセージが違っ ていて、学生達はそれを無意識のうちに敏感に感じ取って、そのメッセージに 従って実力を維持したり堕落したりしているのかも知れない。

私はけっこうこの「メッセージ反応説」を信じているのだが、最近は「数 学なんか勉強しなくて良い」という強いメッセージの影響下にある学生には、 数学を教えてもしょうがないと思っている。縁無き衆生は度し難し、どうぞ御 自由に好きなだけ堕落していって下さい、ってな調子である。しかし、その論 理を適用すれば極端な場合、全国の中学、高校から数学の授業がほとんど消滅 してしまうかも知れないし(それは現実に起こりつつあることかも知れないが)、 いくつかの大学では情報関係の学部学科のカリキュラムから数学の講義が消滅 してしまうだろう。それは「数学者の研究者層の確保」とか「日本の数学研究 のレベルの維持」とか、もっと露骨に言ってしまえば「数学者のポストの確保」 という立場から大変まずいらしい。それに、「数学なんか勉強しなくて良い」 というメッセージを打ち崩すために、日夜努力している人達の足を引っ張る気 もさらさら無いし。だから、あまり自説を主張しないようにしているし、他の 人にそうしろと言うつもりは無いのだけど、個人的にはちょくちょく(黙って 素知らぬ顔をして)実行している。

2001年5月9日(水)
<< へえっ、驚きましたねえ >>
今日、河合塾から私の所に代数学、幾何学、解析学、確率論、組合せ論・離散 数学、カオス・フラクタル・複雑系をリードする大学・学部ランキングなるも のが届いた。これは2年程前に河合塾が全国の大学教員を対象に行ったアンケー ト結果で、何故か私もそのアンケートに答えた覚えがある。何と、立命館大学 数理科学科は確率論でベスト10には入れなかったものの、Next Excellence の中に入っていた! H先生によると「今はW先生も居るからベスト3以内は堅 い」とのこと。今、立命館は確率論の研究者が合計4名居るので、「確率論の 立命館」と自慢しても良いのではなかろうか。

代数学の方では、京大数理研、東大理学部、京大理学部、大阪大理学部、 名古屋大理学部、東工大理学部、東北大理学部、東京都立大理学部、神戸大学、 九州大学がベスト10で、Next ExellenceとUnique!のところには立教大、明 治大、東海大などが入っている。それぞれの大学の代数学者の顔ぶれを思い起 こすに、まあ順当な線じゃないかと思う。ただ北大が入っていないのが、よく わからないし、企業として富士通と日立製作所の名前が上がっていたが、計算 機代数の有名なグループがある(あった?)富士通はわかるとして、日立製作所 は何で入っているのか私にはよくわからない。誰か有名な人でも居るのかしら。

もう一つ驚いた事。午後の「離散数学」の講義を終えて帰ってくる途中、 プリズム・ホールからショパンの皇帝ポロネーゼが聞こえてくるではないか。 覗いてみると、学生が舞台のピアノを弾いていた。へえっ、こんなのが弾ける 学生がいるのか。(まあ居てもおかしくはないわな。)

本日午後は、「離散数学」の講義の他に、大学院推薦入試の面接と教室会 議。面接でわかった事は、「情報学科では、数学を勉強する事が好きか、少な くとも苦痛でない学生が100名に1人の割合で存在する」こと。今まで26 0名に1人だと思っていたけど。これもまた、へえっ、と思った。

「EGAから一つの定理を見つけ出す」仕事は、結局「そんなもの無い!」と いう結論に至る。Herzog先生も何も言って来ない所を見ると、やはり見付けら れないままのようだ。しばらく暗中模索が続きそうである。今日は、教室会議 の後でNi先生に複素代数幾何の方で似たような話は無いかと質問してみたが、 ちょっと面白い話を教えてもらったものの、決定的な答えは得られず。

2001年5月8日(火)
<< P先生と三種の神器 >>
本日P先生とHartshorne "Algebraic Geometry"のゼミをする予定だったのだが、 P先生はテキストをどっかに無くしてしまって(もともとコピーだったのだが)、 MunfordのThe Red Book (of Varieties and Schemes)で予習してきたという。 The Red Bookは良い本なのだが、私が特に疑問に思っている話題は書かれてい ないので議論ができない。従ってゼミは来週に延期。私がよく理解できなかっ た所を伝えて、P先生も考えておいてください、ということになった。

ところでP先生はドイツ人である。早速"三種の神器"を見せて「ゼミではこ れを使いたいでしょう?ゼミ室には黒板と水道設備がありますよ。」と水を向 けると、やはり「使いたい」と言う。彼はアメリカ生活が長いせいか、それほ ど感動した様子を見せなかったのが少し残念だが、とにかく来週からのゼミは ドイツ人とドイツ式黒板拭きを使っての麗しいものになりそうだ。 ドイツ語でゼミができるようになるのは、いつの事になるだろう。

という事で思わぬところで時間が空いたので、またHerzog先生の書いた論 文原稿について色々整理をしたり、考えたりして過ごす。

2001年5月7日(月)
<< Hartshorne "Algebraic Geometry" >>
昨夜のお気楽読書の夜更しで猛烈に眠い。眠いけど、明日はP先生とのゼミな ので、今日は連休中にさぼってしまったHartshorne "Algebraic Geometry"の separated and proper morphism の所を読まねばならない。この章は何度読ん でもいまひとつピンとこないところがある。後のsheaves of modules や divisor のところのほうが読みやすい。

泣きながらHartshorneを読んでいると、K川先生が雑談に現れ院試問題談義 その他。K川先生は予想通り横浜の実家に帰っていたらしい。「そのうち高山 さんにも『院試問題を作れ』という話が来ますよ。」とのこと。そこで一応 「私は計算機の先生だから、数学のことはわっかりませーん。」とシラを切っ ておく。その後もシコシコとHartshorneを読む。

夕方H先生の部屋に押しかけ、少し「密談」。

2001年5月6日(日)
<< もてない男 >>
あーあ、今日も一気読みしてしまった。朝はゆっくり起き、午後は京都駅前プ ラッツの旭屋書店とアバンティーの書店をハシゴして「もてない男」(小谷野 敦)[ちくま新書]を買いもとめ、「これは寝る前に少しずつ読むとして、今日 はHartshorneを読もう。」と思っていたにもかかわらず、一気読みしてしまっ たのだ。この連休は「数学とドイツ語にまみれる」予定だったのに、お気楽な 読書にかなりの時間を費やしてしまった。これはドイツに半年居た間、英語と ドイツ語と数学の「三ヶ国語漬け」状態が続き、日本語の活字といえば自分の 書いた「ドイツ便り」ぐらいだった事の反動だろうか。

「バカのための読書術」でも思ったのだが、文系の人の読書量ってのは凄 まじい。しかもただ読んで「あー面白かった」で終わるのではないところがプ ロなのでしょう。これは「サラリーマンって凄いよね。毎朝会社に出勤してい るんだから」と言うのと同じぐらい間抜けな感想であることはよく分かってい るつもりなのだが、やっぱり言わずにおれない。

「もてない男」も、「好きな女性に全く相手にされない孤独な男はどうすりゃ いいの!?」という一言のために、と言うべきかあるいは、その一言を足場に してと言うべきか、とにかく膨大な(と私には思えてしまう)量の文学作品、 映画、漫画、評論等々を引用して文学評論をし、独自の恋愛論を展開し、暴言 も吐き、さらにしっかり笑いも取るのだから、大したものである。

アバンティーの書店で「算数のできない大学生」が出版されているのを知 る。2002年度の新指導要領の事をさしているのだけど、どちらかというと 「分数のできない大学生」「小数のできない大学生」と来たから、次は「算数」 としか言いようが無かったのでそういうタイトルを付けたという感じ。パラパ ラっと立ち読みしたところ、某「旧制帝大」の数学科の学部教育が既に破綻し ている、ってな話も書かれていて、へえっっと思ったけれど、「学力崩壊」本 には手を出さないという決心はゆるがず。

「毒食らば皿まで。」お気楽読書ついでに、「もてない男」と一緒に買っ た「韓国人とつきあう法」(大崎正瑠)[ちくま新書]も3分の2ぐらい一気読み して、夜更しする。どうやら日本人の「語らない」美学は世界的にも例が無い らしく、その点では喧嘩腰で言い合って後はけろりとしている韓国人や 中国人の方がうんと国際的に有利であるらしい。

2001年5月5日(土)
<< 拍子抜け >>
今日の午後は京都国際交流会館でゲーテ・インスティチュート主催の「ドイツ祭」に 行く。 本来なら、今日は「いやあー、ドイツ祭は楽しかったよー」ってな話を一杯書く予定 だったのだが、 実際は完全に「外れ」。こう言っちゃあ何だけど、シロウト向けの企画であって、 私のような"プロのドイツかぶれ"には食い足りないのだ。 何だかつまんなくて、人がゴチャゴチャ一杯いて、それでも あるつまんない事情で すぐに帰るわけにも行かず、等々で、夕方自宅に帰るときから何だか頭痛がしてき た。

今日良かった事と言えば、ドイツ祭を途中で抜け出して1時間程休んでいたCafe Riddleの「八朔ジュース」 がおいしかったこと。Cafe RiddleでH先生なんぞに会えたら、退屈しのぎができて良 いだろうな、なんて 事をぼんやり考えていたけれど、彼はどうやら自宅で昼寝をしていた模様。

そしてもうひとつ良かった事は、例のレクチャー・ノートの疑問点2つが両方とも解決した ことだ。 ドイツ祭の会場をあちこちウロウロしながら、つまんないなーとか、わけわかんねー とか、頭痛くなってきたなー とか、思いながらも(これらは「ドイツ祭」に対してである)、ずうーっとぼんやり考えていたのだ。しかし例のEGAの1000 ページから一つの定理を探し 出す、という話はまだ収穫なし。それに近い定理はいくつか見付けたのだけど。SGA の間違いじゃないかね。

2001年5月4日(金)
<< 「学力崩壊」本 >>
学力崩壊関係の本は面白い。「分数のできない大学生」に始まり、ドイツに行く前は いくつか 読んだ。えらいことになっているなと思ったり、大学教師として大学入試という形で この問題に コミットしているし、現に「学力崩壊」の学生を教える立場だから、そうそうヒトゴ トでは済まされない なと思ってみたりはするのだが、その一方で何だか楽しい気分になってくるのは何故 だろう。

大学で講義していて、「これは困った学生達だなあ」と思うことがしばしばある。こ れはこの大学 の学生の特性か、はてまた全国的傾向か。この問題は、ちょっと気になる。多くの大 学教師がそう だと思うのだが、私もまた、より良い素質を持った学生を相手に講義をしたい、そう でないと講義すること 自体が苦痛である、という気持ちを持っている。立命館大学の学生が、特別悪い学生 であって、そ れゆえに講義に苦痛を伴うというのであれば、この大学で教えなければならないわが 身わが運命を恨 みたくなる気分も起こらぬでもなかろう。

しかし、学力崩壊本を読むと、私が講義で経験していることの多くは全国的傾向であ ることがわかる。 さらに、今日立ち読みしてきた大野晋・上野健爾「学力が危ない」(岩波新書)によ ると、どうも京大理学部 の学生(上野氏は京都大数学科の教授である)も、立命館大学の理工学部の学生も、 同じように 「ここ数年困ったことになっている」ことがわかる。なんだ、どこも同じなのか、と 思うとかなり気分が楽になるのだ。学力崩壊、皆で困れば恐くない(これはほとんど 暴言である)。

それから、「後世恐るべし」と言うが、私としては若い連中がどんどんバカに なって、私を 追い抜く可能性が少なくなるのを心密かに喜んでいる部分も無きにしもあらずであ る。 若いのが、IT世代だとか何とかおだてられて、マウスをクリックしたり、携帯電話を 親指で押すことだけが 得意で、後は何も知らない、何にもわからない、何にも興味が無い、ということにな れば、 私としては老いぼれ糞ジジイになってからも「お前らバカだ!」と胸を張っていられ るわけだ。 若いのがバカで使い物にならなくなれば、今、年齢制限(これは若い奴の方が使いも のになるという 信仰の証である)などで、ほとんど(再)就職市場から締め出された形になってい る、 オジサンだのオバサンだのジイさんだのバアさんだのの 実力が見直され、高齢化社会対策にもよろしい(これもほとんど暴言である)。私と 奥さんは 「いい時代が来そうだね」と手を取り合って喜んでいた(嘘)。

しかし、ドイツから帰ってからは一冊だけ学力崩壊本を読み、その後深く反省してそ の手の 本は一切買わないことにしている。せいぜい本屋でちらっと立ち読みする程度であ る。 で、何を反省したのか?思うに学力崩壊本なんぞを読んで深刻そうなフリをしてみた り、 密かにほくそえんだりするのは、全く「夢見る数学者」的ではない!

私は今「夢見る数学者」たらんと修行中の身である。「学力崩壊」は現実の 具体的問題として粛々と対応すれば良いのであって、それについて本を読み漁ってあ れこれよからぬ 事を考えるのは、よろしくない。そんな暇があれば、自分の学力崩壊問題を何とかし ろ! Bruns & Herzog "Cohen-Macaulay rings"はちゃんと読み直したのか?Hartshorne "Algebraic Geometry"はどうなってるんだ?というわけだ。

2001年5月3日(木)
<< バカのための読書術 >>
昨日今日と少し肌寒く、曇時々雨ところによって晴れ間が見えるでしょうといったと ころ。 雨ばかり降るドイツ中西部の冬に過剰適応してしまった私にとっては、これは 「大変良い天気」なのである。天気も良いことだし、傘を持って外をほっつき歩こう とする のだが、連休のさ中、そうそう行く所も無い。昨日は大学に置いてある本が見たかっ たので、 午後は大学の研究室で過ごしたが、今日は自宅の近くでウロウロするだけで終わる。

それにしても、エッセンやデュッセルドルフにはやっと遅い春が訪れたようで、 気温は12度から23度ぐらい、たまに雨も降るけれど、基本的には晴れの日が続い ているらしい。 ドイツの春ってどんな感じなのだろう。

本日「バカのための読書術」(小谷野敦)を読み終える。 この小谷野敦という人は、上野千鶴子と大喧嘩しているところを偶然発見して (と言っても新聞紙上での話だが)、なかなか威勢のいい人だなあと思っていたら、 「もてない男」 なる魅惑的な題名の本も書いているらしく(これはぜひ一度読まねばならぬと思って いる)、それやこれやで 彼が阪大の助手をしている頃から何となく気になっていた人である。

それにしても、文科系の人って沢山本を読んで、色々考えて、 そんでもって「お前はまだ『読み』が浅い!」だの「あんな本に書かれている与太を 真に受けてる ところを見ると、お前は○○も未だ読んでないのだな」とか言い合いながら、オリ コーサン競争まで しなければならないのだから、大変だよなあ(当事者はそれが楽しくてやってるんだ ろうけど)、 というアホみたいな感想ばかりが強烈に残ってしまった本である。

数学の世界で、「グロタンディエックの書いていることは与太ばっかり。何でこ ういう人が フィールズ賞もらって、現代数学の巨人のように言われているのか」なんて話はあま り 聞いたことがない。「グロタンディエック流の代数幾何学は終わった」なんて言い方 は聞いたこ とがあるけれど。社会学関係だと、ある時代に非常にもてはやされて、次の時代には ぼろ糞にけなさ れるってことはよくあるそうだが、数学ではあまり聞いたことはない。

私はミーハ―なので、会社で仕事する以外何もすることが無かった会社員時代 は、 当時流行っていた「ポスト・モダン」にかぶれていて、浅田彰の本なんか読んで何だ か オリコーサンになった気分でいた。通勤電車の中で、私が辞書を片手にカミュの異邦 人を読み耽 っていたのは、フランス語の力をつけてドゥルーズの「ミル・プラト―」を原書で読 もうなどという、 トンデモナイ事を目論んでいたからなのだ。その後ポスト・モダンがぼろ糞にけなさ れて、そのまた 後でポスト・モダンをぼろ糞にけなした人達が、別の人達にぼろ糞にけなされて、な んて調子で物事 が進行していったのを見て、「あーあ。こういう世界には付き合ってられんなー」と 思って手を引いた。

では、「お前はまだBruns & Herzog "Cohen-Macaulay rings"の『読み』が浅い !」なんてのは どうか。これは十分ありそうな気がする。しかし、「クンマー全集の第○章に書いて ある与太を真に受 けているところを見ると、お前はまだオイラー全集もラマンジャン・ノートも読んで ないのだな」なんて話 があるかどうかは知らないし、数学ってそういうものじゃないんじゃないの、という 気がする。チェロ弾き のH先生によると、解析の世界では「この不等式を知らないところを見ると、お前は まだ○○も読んでない のだな?!」なんて話はあるそうだが。

「バカのための...」を読みながら、文系の人達って、本をバカスカ読んで、読み ながら考えて、考え ながら次の本を読んで、なんて調子で仕事をするのかなあ、と想像した。(文系の学 者に友人 が居ないので、想像するしかない。)良い本を選ぶのは本人のセンス次第なのだろう し、 良い考えが出るかどうかは本人の実力次第なのだろうけど、とにかく本を読むという 作業しながら考 えるのだとすれば、少しうらやましい気がする。少なくとも、何かやっているという 達成感とか手応えは 感じられるのではないだろうか。

「学びて思はざるは則ちくらし。思ひて学ばざるは則ち殆(あやう)し」 というが、数学をやっていると「学びて思えどなほくらし」とか、学ぶものが無く なってしまった後 「思いて学ばさるもなほくらし」とかいうのはよくある。この連休中、以前からよく わからなかった あるレクチャー・ノートを、今度こそは理解してやろうと意気込んで読んでいたのだ が、 ある定理の証明の中でさも当たり前だと言わんばかりに書かれている、ある2ヶ所が わからない。 色々参考文献を調べて考えてもわからない。 しょうがないのでその辺をぶらぶらしたり、買物に出掛けたり、風呂掃除をしたり、 飯を食べたり しながら闇雲に考えてみてもやはりわからない、という調子である。そして貴重な連 休が只々空虚に 過ぎていくのだ。何だか、私の人生が「下手な考え休むに似たり」の言葉通りに 進行しているわけで、こういう憂鬱と戦わないといけないところが数学のツライとこ ろである。

2001年5月2日(水)
<< うるさい日本の私 >>
昨夜は「人生を半分降りる」の著者である中島義道による「うるさい日本の私」 を夜中の3時過ぎまでかかって一気読みした。悲しい結論に暗然としてしまう 本である。

ヨーロッパの街を歩いていて嬉しい事は、ラウドスピーカでの音楽やつまらぬ 「お願い」だの「ご注意」だのの騒音がほとんど無いことだ。ただし、「ほと んど」なのであって「全く」ではない。エッセンの街でも、音楽をガンガン (と言っても日本のものに比べたらはるかに音量は小さいのだが)鳴らしている 店はいくつかあった。私は中島氏の言うところの、これら騒音の暴力を何とも 思わないマジョリティーの一人ではあるが、ヨーロッパの街のような、静けさ が日本に実現したらどんなに良いことか、と(中島氏ほど切実ではないのだが) 思っている事も確かである。

しかし中島氏の分析によると、「うるさい日本」の根本的な原因は、「語 らない日本人」の習性にあるという。なぜそうなのか、という事はこの本を読 んでもらうことにして、この問題は根が深い。確かに日本では、公共の場で私 的意見を語る事はタブーであり、街中で見知らぬ人に「私はあなたのこの行為 に迷惑している。やめてくれ。」と語る事はタブーであり、それに対して反論 を「語る」ことはタブーなのである。「語らない」人々の群れが、沈黙を守り、 他人の不快な行為にはただ睨みつけるだけで「察しが悪い奴だ」と心の中で切 捨て、場合によっては語られた内容は度外視して「言い方に気をつけろ!」と 逆上し、「語り」によって反論することなくすぐにナイフでぶすりとやったり するわけである。

その裏には「察する」美学があり、人は皆同じ事を考えているという前提 があり、違う事を考える奴はけしからんという感情があり、そしてそれが「い じめ」の構造を産んでいる、とまで言っている。日本人の異常なまでの同調圧 力や、いじめの構造の根本に「察する」美学にあるとなると、これは「騒音暴力に何 とも思わないマジョリティー」の私にとってもゆゆしき事態である。

最後に中島氏は、「『察する』美学から『語る』美学への変形法則」 を12個挙げている。その中で注目すべきものをいくつか挙げよう。

(3)なるべく他人の発した言葉の裏に隠された感情、思惑、意図を探る ようなことをせず、あえて文字通りの意味にとらえるようにする。「あの 人はどういうつもりでこんな言葉を吐いたのだろう」とクヨクヨ考える ことをやめる。

(4)他人が沈黙する自由は認めるが、それを尊重しない。「なんで彼女、 黙ってしまったのだろう」と深く考えない。

(8)他人にどなられたり罵倒されたときは--- 馬鹿なやつだと言って 切り捨てるのではなく --- ならなず「言い返す。」
(私の註)黙って「あいつけしからん奴だ」と、江戸のカタキを長崎で、と言わん ばかりに報復行為に出るのは、もっての他である。

(9)相手を傷つけるから、あるいは心配かけるから言わない、という態度を なるべくやめる。

3、4は西洋人に見られる「言った事が全て、言わなかった事は存在しない (言わなきゃわからない)」という言語思想と言ってもよいだろう。今までは、 日本人の「察する」美学というのは、「言語」のレベルの上にさらに「メタ言 語」のレベルがある事を意味し、メタ言語が存在しない西洋人の言語文化より も高級なんだと、むしろ誇りに思っていた。しかし、メタ言語の存在が言語に よる「語り」を阻害し、物事をややこしくしているとなると話は別である。 8、9は「語り」の実際の内容を示している。

私は中島氏の「『察し』の美学を解体しよう」という意見には基本的に賛成で ある。この解体によって、言葉とそして言葉による人と人とのコミュニケーションは より豊かで広がりを持つものになると思う。しかしその実現となると、これは ほとんど絶望的である。元々「察し」の美学を(高級だと思いつつも)うさん臭 いものと考えて排除しようとしてきた私自身も、「察し」の美学から完全に自 由ではないのだから。

今の若い人は、(結局は自分が)傷つく事を極度の恐れるあまり、思った事 を自由に言わず、友人同士でも表面的なつき合いを好むという。それが本当だ とすれば、私が学生の頃よりも今の若い人の方がうんと「日本的」になってい ることになる。事態は中島氏が望む方向とは逆方向に進んでいるわけだ。そう いう若者を作ったのは、「子供に『語らせない』」ことに全力を尽くしてきた、 彼らの上の世代の日本人達であり、そうして作られた若い人達が、さらに世代 間遺伝によって、次の世代の「語らない」人々の群れを生産するのである。 かくして「語り」を排するこのうるわしき日本文化は継承されてゆくのである。

なんて事を考えていると、「悲しい結論に暗然としてしまう」のだ。

2001年5月1日(火)
<< ある数学者の生涯と弁明 >>
遅まきながらG. H. ハーディの「ある数学者の生涯と弁明」を読んだ。勿論こ の本は純粋数学至上主義を称揚するために書かれたものである。しかし、生ま れながらの純粋数学至上主義者である私としては、ここに書かれている事のほ とんどは、「何を今更」と言いたくなるような事ばかりである。

しかし、少しおやっと思った部分もある。ハーディはこの文章で、少しで も知的な人物にとって数学の価値はほとんど自明であろう、というような事を 繰り返して述べている。多くの場合、橋を掛けたり、蒸気機関車を走らせたり、 航空機を飛ばしたりといった有用性を意味しているのだが、これにはいささか 牧歌的「古さ」を感じてしまう。実際この文章が書かれたのは60年以上昔の ことであるから、仕方がないのだが。さらに、この本の訳者(どこかの計算機 メーカの重役をしている人のようである)は、はしがきでこの点に触れていて 「例えば現代の電子計算機に拠る情報処理技術は、基礎理論においても応用面 においても、純粋数学的思考の強い影響化にあり」と書いている。このはしが きが書かれた1994年には、多少現実味があったのかも知れないが、この訳 者はしがきにも、やはり牧歌的「古さ」を感じてしまう。今や、「数学の有用 性」なるものは自明でも何でもない。

最近では、暗号理論や符号理論への純粋数学の寄与が例に挙げられること が多いが、それらは計算機科学者の研究開発活動のごく一部であって、特殊な 専門家が開発したブラックボックスとしての暗号や符号アルゴリズムをどう利 用していくがが多くの計算機科学者の関心事である。そして大多数の計算機科 学者は、純粋数学的思考の影響下には無いし、暗号・符号アルゴリズムの存在 ゆえに、特に数学の有用性をしみじみと感じる事も無い。例えば私の大学の情 報学科は、「純粋数学的思考からの逃走」こそが、これからの情報科学者達の 目標なのだと、公式に態度表明している。ただし「純粋数学的思考からの逃走」 というのは、彼らの意見を私なりに総括した言葉なのだが。

およそイクザクト・サイエンスと呼ばれるものには、形式言語とそれに基づい た論理的思考が存在する。電気、電子、機械工学の場合は、数学であったり回 路図であったりするのだろうし、化学の場合は化学式であったりする。歴史も 新しく、それゆえに未だ固有の形式言語を持たない情報科学が、曲がりなりに も形式言語、論理的思考を支えていた純粋数学的思考から逃走して、一体何処 へ行こうとしているのか。まあ、そんな事は私にはどうでも良いことである。 しかし、IT, ITと騒いで、こういうものが世の中で一番大事なのだ、という風 になると、ハーディ先生や訳者が言うところの、数学の有用性なるものは自明 では無くなる。

そう言えば、今まで「象牙の搭」で静かに数学的思考に耽っていた有名な 数学者達が、最近教育やそれ以外の色々な所で社会的発言をするようになって きた。これはまさに「ある数学者の生涯と弁明」がその力を失い、「時代遅れ の旧世代の学者のたわごと」と切り捨てられるようになってきた事の危機感か らだろうと思われる。私がもし、そういった偉い先生達に意見できる機会があ れば、こう言うだろう「少なくとも大多数の計算機科学者は貴方の味方ではあ りませんよ。」と。

もうひとつ気になる点は、ハーディが「ある数学者の...」を書いたのは、彼 が「数学的創造力を失って」無力感に浸っている時であるという。そして年老 いて創造性を失った数学者には、何の存在価値も無く、そして数学はもう彼ま たは彼女の友人ではなくなる、などということが書かれている。これはハーディ が自分自身のことを自嘲して書いたようである。

一流であることを自他ともに認めていた数学者は、いつかは訪れる数学的創造 性の消滅を恐れ、そして実際その訪れを感じたときには、大変な無力感を覚え るようである。ハーディーはそのために自殺を試みている。ヴェイユ大先生は、 晩年に「数学が私を置いてきぼりにした」とずいぶん寂しそうにしていた。物 凄く偉い数学者が、晩年に寂しそうにしているというのは、よくある話のよう だ。Herzog先生が常々「俺は定年後は数学はやらない。少年時代からの夢だっ た映画の世界に転身し、映画監督になるのだ。」と言っているのも、自らの数 学的創造性の消滅の瞬間を見たくないため、それより前に自分で「おとしまえ」 をつけようとしているのではないだろうか。こう考えると、一流数学者というのも 色々気苦労が多そうである。

「ペトロス伯父とゴールドバッハ予想」でも、二流で終わるのは耐えられない 悲劇だ、しかし一流数学者の最後も決して幸福なものとは思えないとして、 「私」は数学の道を断念する、というくだりがある。

それにしても、どうして皆さんこうも切羽詰った考え方をするのだろう。 数学が出来なくなったら、絵を描くなり音楽を聴くなり、何なりすれば良いで はないか。なんて事を考えるのは、二流以下である事の動かぬ証拠なのであっ て、お前は存在自体が悲劇であり、それに気づかないほど取るに足らない知性 の持ち主なのだ、ということになるのかも知れない。 でも、20代30代とい う数学者にとって最も大切な時期を、計算機科学などきつまらぬもの(「つま らぬ」の意味についてはここでは述べない)に浪費してしまった私としては、 「そういう切羽詰まったゲームには、最初から参加してないんですけどー」と 言うだろうし、衰えを恐れなければならないほどの数学的創造性も、元々あ りやなしやという感じだから、何も気にすることはないのである。