2001年11月30日(金)
<< 忘年会 >>
午前中はGoethe. 午後の卒研ゼミのために大学に戻ったが、学生の一人が風邪 でダウン。もう一人の学生と短時間で終える。すこし時間が出来たので、御無 沙汰していた代数幾何学のお勉強を少し。

もう明日から12月である。12月といえば忘年会である。情報学科時代 には学科全体の忘年会というのがあった。工学部の先生達というのは一般企業 と同じくごく普通の常識人の集まりであるから、これは当り前のことである。 しかし約15年ぐらいの情報(工)学科の歴史の中で、一回だけ忘年会が無かっ た年がある。何を隠そう、私が宴会係をやっていた年度である。

立命館に来た最初の年に、私は学科全体の宴会係をおおせつかった。これ は、その年度を通じて各節目毎に適宜宴会を企画・手配する役目である。12 月になった時、さて忘年会はどうしたものか。私は会社員時代の職場での忘年 会が嫌いだったし、できればそういうものは無い方がすっきりするのだが、と 思いながら周囲を見渡すと、各先生達は自分の研究室単位でそれぞれに学生達 と忘年会をやっている。なるほど、工学部というのは研究室単位のタコツボ・ アカデミズムの世界だし、学科の教員が全員出席する建前の忘年会などはやら なくて良いのだろうと判断し、知らん顔していたのだ。年が明けてから「そう いえば今年は忘年会が無かったな」と誰かが気づき、宴会係のお前は何をやっ ていたのだ!?と大目玉を食らった。しかし、年が明けるまで気づかないぐら いだから、(無いと寂しいかも知れないけど)無くても別にいいのだろう。

さて、我らが数学教室では教室としての忘年会など存在しない。あるのは、 2月末の入試採点終了の打ち上げだけである。これは数学という学問の性格を 正しく反映した、個人主義と合理精神が全てに優先する我が教室ならではの事 なのか、はてまた数学教員にとって本当の「年末」は入試の採点が終了する2 月下旬だからなのか、本当の理由は知らない。

2001年11月29日(木)
<< 人生のデフレ・スパイラル >>
Herzog先生との共同研究も最後のヤマを越したような雰囲気である。さて次は 何をやろうかしら?色々考えている事があるのだけど、どれから手を着ければ 良いものやら。とりあえずもうちょっと代数幾何学の勉強をやらねばいかんな と思い、午前中にすこしHartshoneの教科書を眺めてみる。

午後はサクラ付き「数理モデル論」とサクラなし「プログラム理論入門」 の2連チャン講義でくたびれ果てる。そもそも学校の先生の日常というのはそ ういうものなのだが、こう毎週毎週同じ曜日に同じ事が起こると、7日周期の 人生のデフレ・スパイラルなるものに飲み込まれてしまってるんじゃないかと いう気がしてくる。

2001年11月28日(水)
<< 会議はお好き? >>
午前は「位相空間論」の講義、午後は「線形代数」の講義。そして、 何ということか!?引続き今日も会議である!! 会社員時代の私は会議というものが大嫌いで、会議の席では露骨に機嫌が 悪くなった。大学に移った時、会社員時代の仲間から「あれ程会議が嫌いだっ た高山さんが、よく会議が仕事みたいな大学教員になろうと思いましたねえ」 と冷やかされたこともある。

一般に日本の企業には「研究者」という身分概念は存在せず、「たまたま 研究所という名前の部署に配属されている技術系社員」のことを研究員と呼ぶ ことがある程度である。研究員というのは、いつ会社の都合で研究の現場から 永久に引き離されるかわかったものではない。研究員だからといって研究がで きるとは限らないし、「赤紙」一枚で今日までは研究員明日からは突撃営業部 員なんてことも十分ありうる。そうすると、今日明日はフルタイムで研究でき るけれど、明後日はどうなるか知れたものでない会社員が良いか、会議だの何 だのに邪魔されてあまり研究時間は取れないが、今日も明日も明後日も、もし かしたら来週もたぶん「研究者」でいられるであろう大学教員が良いか、とい う選択になる。そこで私は後者を選んだというわけだ。

講義と会議だけで終ってしまう一日というのも、たまには良いものである(と 日記には書いておこう)。

2001年11月27日(火)
<< 4時間会議炸裂 >>
午前中はGoethe. 午後は珍しく教授会(+関連するいくつかの会議)があるので そのまま大学へ。今年はずいぶん教授会が少ない。本当に大事な事は教授会以 外の所で議論されてどんどん決まっていくのだから、教授会なんて年に4回も やれば十分だという考え方も成り立つ。今日のは久しぶりに4時間連続の本格 的なやつ。ドイツ語と会議だけで終ってしまう一日というのも、たまには 良いものである(と日記には書いておこう)。

2001年11月26日(月)
<< 哲学の道 >>
24日(土)は小春日和の好天に誘われて、ふらふらと京大の近くまで行ったの だが、11月祭については「にぎやかでよろしおすなあ」とひと声かける以上 に踏み込む気も起こらず。だいたい学園祭なんてものはおじさんの行くところ ではないのであって、おじさんはおじさんらしくもっとしんみりした所に行く べきだ、との思いを新たにする。

さて11月祭をパスして一体何処へ行こうかしらと、ふらふらと喫茶進々 堂に行くも満員状態。さらに今出川通りをふらふらと東の方に歩いていくうち に、20数年ぶりに大文字山にでも登ってみるかという根性は出ずに、 20数年ぶりに哲学の道でも歩いてみようかと思うに至る。実際行ってみ ると、夏の上高地の大正池界隈と同じぐらいの物凄い人出だったが、根性で人 の波を観海流(伊勢湾に伝わる古式泳法の名前)で泳ぎ、南禅寺を抜け地下鉄蹴 上駅までたどりつく。

およぐひとのからだはななめにのびる。 およぐひとの心臓はくらげのように透きとほる (朔太郎)

途中、哲学ダンゴだの、哲学饅頭だのといったものまで売っていて、 京大11月祭にも負けないぐらいの大賑わいであった。 とてもじゃないが、数学を考えながら歩けるようなところではない (ましていはんや哲学をや!?)。 学生時代の記憶では、 もっと閑散とした所だったはずだけど。あれは観光シーズンでない時の平日だっ たのかも知れない。

本日研究日。ある論文に出ていた具体例を、Macaulay2などを使って色々 計算してみる。

2001年11月23日(金)
<< 母校というトラウマ >>
本日Goetheのレッスンも卒研ゼミも休講で、何も考えずに大学に出て来る。 「何も考えず」というのはちょっとウソで、今日から京大の11月祭が始まる からちょっと行ってみようかと思ったのだけど、自分の勤めている大学の学園 祭は完全に無視していたことだし、公平を期して少なくとも今日は行かないで おこうと思った次第。

私の母校は京大で、現在給料を貰っているのは立命館大学である。立命館 大学は「縁あって」(別の言い方をすれば「はずみで」)就職したのであり、腐 れ縁なのか何だか知らないけど10年近くとどまっている。京大は自分で志望 して進学して10年近く居るつもりだったのだが、縁が無くて5年で追い出さ れた。従って両者に対する私の思いは微妙に異なる。立命館の学園祭はほとん ど眼中に無く「にぎやかでよろしおすなあ」ぐらいしか思わないけど、この季 節になると必ず「ああ、そろそろ京大11月祭だなあ」と思い出す。京大11 月祭がそんなに面白いわけでもないし、学生時代もほとんど無視してたのだけ ど。

また、自由放任主義の京大こそ大学の理想だと思っていて、学生に対する 管理主義的発想が根強い立命館は「大学ではなく、単なる『学校』である」と しか思っていない。また、少なくとも私の頃の京大数学科においては、学部学 生と教員は極めてドライな関係にあったし、今となってはそれが必ずしも良い 事だとは思っていないけれど、当時はそれが当り前と思って過ごしていた。そ のこともあって、学生に対してウエットなつき合い方をしたがる同僚教員達に はいささか(多少の羨望も込められた)違和感を持ってしまうし、この大学に時 折見られる、学生とのウエットなつき合いを制度化して(全)教員に強制する動 きには正直言ってへき易する。

しかしながら、実際のところ京大数理研の図書室よりも自分のオフィスに居 る方がずっと気分が良いので、何だかんだと言って毎日嬉しそうに立命館大学 の自分のオフィスに通っているし、気が向けば用も無いのに学生達の溜り場を なんとなく覗いてみたりもする。また、立命館大学生協には早々と 「駆け出し数学者ドイツに行く」の販売依頼をしに行ったし、友人 を介して他大学の生協にも販売依頼をした。 しかし、京大生協に「この本を置いてくだ さい」と頼みに行く気は起こらない。実際、時間と資金と体力が許せば全国の 大学生協に「この本を置いてください」と頼んで回りたいぐらいなのだが、京 大だけには頼みたくない。

それはなぜかというと、京大には「大学院入試に落第し民間企業に就職し た数学科の落伍者」である24才の私が、いまだに幽霊の如く徘徊しているか らだ。普段京大近辺をうろつく時には、その幽霊との再会を喜び、彼と楽しく 遊んでいるのだけど、例えば京大ルネなんかに「駆け出し数学者ドイツに行く」 (高山幸秀著)なんてのが並んでしまうと、その秘めやかで個人的な営みが壊さ れてしまいそうで、ちょっと恐ろしいわけだ。

2001年11月22日(木)
<< 辺境における平和と苦悩 >>
昼食をはさんで、Macaulay2で具体例の計算をしたり、ぼんやり考えたり。午 後は、300名ぐらい収容できる同じ大教室で、サクラ付き「数理モデル論」 とサクラ無し「プログラム理論入門」の2連チャン講義。例によってくたびれ 果てる。

私自身は「プログラム理論入門」の講義を結構楽しんでやっているのだけ ど、受講者は7名前後まで減ってきている。12月末には4〜5名程度になる んじゃないかしら。これは分ろうという気になれば誰でも分るはずの講義だが、 分ったところで何が嬉しいのかいま一つよく分らん講義のはずである。何って たって、やっている本人がまだそれを理解していないのだから。ヤング図式と はやはり不思議なもので、第一それがつまらないシロモノか否かもよくわ からない。

「数理モデル論」は、益々「分ろうという気になっても分らない講義」に なってきてるんじゃないかしら。元々「数学指向の情報学科の学生」という、 ほとんど形容矛盾にも近いものを対象とした絶対矛盾の自己同一的講座だから、 ただ単位が欲しいだけの有象無象の学生の事なんかハナっから考えてない。で も、ここ2〜3回は超越拡大体論の話をしているけど、これは代数拡大の議論 を十分理解していないと簡単には分らないと思う。(K川先生以外の)サクラ軍 団の人達は分っているのかしら。この講義も受講者が減ってきて、サクラ軍団 を除くとやはり7〜8名ってところか。

秋も深まった夕方、閑散とした大教室での2連チャン講義というのは、 「辺境における平和と苦悩」を絵にしたような趣がある。

2001年11月21日(水)
<< 目標達成? >>
午前は「位相空間論」午後は「線形代数」の講義。本日教室会議は無し。 夕方は時間が空いたので、Macaulay2を使って色々具体例の計算を やってみる。

「心の病」はまだ続いており、私の心はいまここにある立命館大学数理科 学教室やそこの学生達、同僚教員達からはるか離れた所を漂っている。そして、 それは必ずしも私の魂が遥かドイツを徘徊していることばかりを意味せず、単に 「ウワの空状態」だったりもする。これが真の「夢見る数学者」たるべき悟り が開ける前兆ならば良いのだけど。少なくとも4月に掲げた目標「大学の日常 を遠くの風景を見るように眺めること」というのは、達成されている。

2001年11月20日(火)
<< 心の病? >>
午前はGoethe. 今日は自分の部屋で作業したかったので、京大数理研の図書室 には行かず大学に戻る。今日もまたHerzog先生からのアメリカ・メイル。そし て夕方、帰り際にその返事としていくつかのコメントを送り返す。何だか最近 Herzog先生とのやりとりが頻繁になってきたなあ。

そういえば最近心理的に妙な感じになってきている。ちょっと前まで収まっ ていたのだが、ここんところやたらにエッセンでの何気ない風景がフラッシュ バックするようになってきた。そしてA堀先生に負けまいと(?)毎日のように 大学に通っているにもかかわらず、気分は半分ぐらい大学の外をふわふわと漂っ ている。エッセンに滞在していた秋から春先にかけて、魂が身体を離れて勝手 に地球の裏側のドイツに行ってしまう心の病気なのかしら。

2001年11月19日(月)
<< 解析的整数論 >>
午前中は会議。午後は、今朝送られてきたHerzogメイルのコメントと最新版の 論文原稿に目を通したり、それに関連した事を少し考えたり。ちょうど面白い 例が見つかったような感触を得て、詳しくチェックしようとしてたところで夕 方の会議。

夕方の会議とは何を隠そう博士論文の公聴会と判定会議。講演の内容は解 析的整数論。思うに解析的整数論は出てくる式がどれもこれも異様である。あ のような異様でかつ極端にゴタゴタした式が次から次へと出てくると、なにか の間違ではないかと不安になりはしまいかと思うのだが、その道の専門家たち はいたって平気で、むしろそれらの式を見て「うーむ、深い!」とか「うっ。。。 美しい!」などと喜んでいたりもする。面白いものである。

2001年11月17日(土)
<< 魔がさす瞬間 >>
終日大学の研究室に籠る。最近会議とかが多くて研究時間の確保もままならな いから、土曜日は(研究時間の)稼ぎ時である。一日あれこれ考えた事をコメン トとしてまとめてHerzog先生にメイルで送り、本日の作業は終了とする。

研究といったって、どうしよっかなあー。何でこうなるんかなー。わらな んなー。あーあ(茶をすする)。こうするのかなー。あれ?やっぱりダメだなあー。 ふーっ(空を眺める)。はあー(ため息)。もしかしてこうかな?ナルホドそうだ。 じゃあ、これはどうなる?へ?!ぜーんぜんワカリマセーン。困った...(とト イレに行ってから上の階まで散歩に行く)。と、いう事を一日繰り返して 部屋の中や廊下をうろうろしているだ けなので、「充実した研究日」という感じとはほど遠い。

それに対して、「雑用日」というのはバケツとスポンジ持ってビシビシ講 義はするわ、卒研ゼミで学生をちくちくイジメるわ、窓の無い部屋でアタマが おかしくなるまでガンガン会議するわ、自分でも何を書いているかわからない(?) 事務書類をばんばん書きまくるわで、肉体疲労に精神的疲労が加わり「いやあ! 今日はよく仕事したなあ」という気分になる。いっそ研究を放棄して講義と 会議と書類書きだけに命を賭ければ、きっと充実した職業生活を送れるのではないだろう か、という思いが一瞬脳裏をかすめたりする。魔がさす瞬間とはこのことを言 うのだろう。

2001年11月16日(金)
<< 善の研究 >>
朝はGoethe, 午後は卒研ゼミ。その合間に、 「駆け出し数学者ドイツに行く」 を立命生協の書店で取扱ってもらうべく交渉に出かける。 同じ大学の教員の本ということで、 すんなりOKしてくれた。

最近、西田幾多郎、田辺元を中心とした戦前の京大哲学科およびその周辺 の人々を描いた中公叢書「物語『京都学派』」(竹田篤司)を読んでいささか影 響され、本箱の奥から学生時代に買った西田幾多郎全集を引っ張り出して眺め たりしている。以前若い哲学の先生が「西田哲学は戦争協力をしたため、現在 その価値は大いに疑問視されている」というような事を言っていたのがずっと 気になっていたのだが、そのあたりの事情もこの本によってある程度わかった。 また、数学会で数学基礎論の先生が田辺元の論文がどうのこうのという講演を していて、何で数学基礎論と田辺元が関係するのだろうと疑問に思っていたの だが、そのあたりの事も何となくわかった。

西田幾多郎全集(の何回目かの版)は、ちょうど私が大学に入学した年に岩 波から刊行が始まり、「これから本格的な現代数学を勉強していくには、まず 哲学をしっかりやらねばならぬ。そのためには西田幾多郎全集は必須の基本書 である」と思い、とりあえず第一巻「善の研究」を買った。しばらくしてから、 「でも、ひょっとして俺は何か勘違いしてるんじゃないだろうか」と思い、お 金も無かったこともあって、それ以上の購入をやめた。これは正しい判断だっ たと思う。しかしながら、数学に対するある種の勘違いはその後しばらく続 き、取り返しのつかない失敗に繋がっていったのだが...

それはさておき、「善の研究」は確か最初の20〜30ページぐらいだけ 読み、触発されるところ大であったと記憶している。(ただし、当然ながら 「触発」は必ずしも「理解」を意味しない。) そのおかげで一般教養科目の哲 学だったか美学だったかの試験で「優」をもらって得意になっていた。 しかし、自分が大学教師になってからしばらくして、その教 授はもしかして「優」以外の成績をつけたことがないのではなかろうか、とい う気もしてきた。