2001年10月15日(月)
<< 局所コホモロジー >>
研究日である。私が使っているMacaulay2という数式処理システムは局所コホ モロジーや層のコホモロジーの計算なんかもできるらしい。今まではせいぜい イデアルの極小自由分解のベッチ数の計算で使っていただけだが、そろそろ局 所コホモロジーの計算をしなければならなくなってきた。それで、今日は Vasconcelos先生の本に書いてあるプログラムの解読を行う。夕方、プログラ ムの解読が終り、それを打ち込んでしばし局所コホモロジーを色々計算して遊 ぶ。局所コホモロジーって、実際計算してみると不思議なもんである。それに、 このコホモロジーは可換代数の便利な道具ではあるのだけど、代数幾何学(こ れは局所コホモロジー生誕の地なんだけど)や微分方程式の人も使っているみたいだ し、本質的に何なんだ?というのが(私にとっては)いまひとつおぼろげな所がまた興 味をそそる。

ところで、Vasconcelos先生というのは可換代数で有名な人なのだが、どう やら電子工学出身らしく計算機の方も結構得意なのだそうだ。トポロジーで有 名なLefschetzも元々航空工学者だったらしく、プロペラの設計や開発をして いたのだが、事故で両腕を無くしてから数学に転向したとか。日本では数学科 出身でないとまともな数学者になれないみたいな雰囲気があるけど、世界を見 渡すとそうでもないような気がする。

明日は大学に来ない予定で、日誌の更新はたぶん明後日になるでしょう。

2001年10月13日(土)
<< 科研費申請書書き>>
Goethe通いを平日に回したので、土曜はゆっくりできる。本日、月曜締め切り の事務書類を仕上げるため出勤。その後、数日ぶりに数学をし、学会出張中に 思いついた計算をMacaulay2で少しやってみる。

事務書類とは、何を隠そう科研費の申請書類である。最近は文部科学省が 「ベスト30大学以外は見捨てる」というような事を言い出し、さらにベスト 30大学を選ぶ基準の一つとして科研費の採択状況を考慮するらしいというこ とで、うちの大学では突然「大学生き残りのために、全教員科研費に応募すべし!」 という大号令が掛けられたのである。

旧文部省は「教育教育」ということをしきりに言っていたようなので、う ちの大学も「教育教育」ってな事ばかり言っていた。それで研究そっちのけ (かどうか知らないけど)で色々無理をした結果、世間的には人気大学の仲間入 りをさせてもらえるようになったようである。それでひところは、独立法人化の話で 暗くなっている国立大の友人から「何とか立命館に移れないものか。教員のポ ストは空いてないのか」なんて事をしきりに聞かれたものだが、 「ベスト30大学」の話が出てからは、国立大の友人も「うちの大学は科研費 採択ベスト20に入っているから、もういいや」ってな事で、もう立命立命と は言わなくなった。

まあ、数学者たるもの、時の政治や経済の動きにいちいち動揺しているよ うではいけない。淡々と過ごすことにしよう。 それにしても、科研費などの研究費を獲得しても、それを使っている暇が あるのかしら。

昔計算機メーカー勤務をしていた時、ソフトウエアの受注開発をやってい る物凄く忙しい部署があって、そこは連日徹夜徹夜の状態だった。のんびりし た研究所勤めの私などは、へえーと思って眺めていたのだが、そこの人達は残 業手当が本給を上回っていて(サービス残業でタダ働きさせる所とは違って、 結構気前のいい会社だったのだ)、高卒2年目、3年目の若いのが私よりもは るかに高い給料をもらっていた。それで一月数千円の独身寮に住んでたりする ものだから、300万円近くする高級乗用車を即金で買ってたりする人が多かっ た。だけど、折角買った車に乗る暇がない。正月にちょっと乗り回して、それ からずっと会社泊りに近い状態なので、次に乗れるのはお盆の頃。そうこうし ているうちに、ほとんど乗ってないのに車検の期限が来るという具合であった。 何だか身につまされる話である。それに、科研費は宝クジみたいなものだから、 面倒な書類書きに時間を費しても当たらない事が多く、そうなると「車も買え ないサービス残業状態」になるわけだ。

残業手当といえば、当時その会社では一月の残業が170何時間かを超え ると総務課に呼び出され、そこでくす玉が割れて「ごくろうさま!」と垂れ幕 が下がり、残業時間を2倍に計算して(つまり180時間残業したら360時 間分に換算する!)手当が至急される秘密の制度があるらしい、ということが まことしやかに語られていた。しかしながら、あり余る体力に任せて一獲千金 を夢見る若い衆が次々と挑戦したけれど、誰一人として170何時間の壁を破 ることができなかったそうだ。あれから20年近く経ったし、その間にバブル 経済の始まりと終りを迎え、「残業200時間うちサービス残業180時間」 なんて当たり前の過労死・リストラ時代に突入し、日本経済も滅茶苦茶になっ てしまった。のどかだった私の会社は今どうなってるんだろう。 「秘密の制度」なんて噂すら聞けないんじゃないかしら。

2001年10月12日(金)
<< 卒研ゼミ >>
午前中はGoethe, その後京大ルネで昼食、そして午後は卒研ゼミ。今日は卒研 希望の情報学科3回生1名がゼミの見学に来た。

今年は情報学科の卒研案内の資料に(去年にも増して)オドシ文句をこれで もかこれでもかと書き並べ、資料に書いてある事以外に特に説明する話題も無 いこともあって卒研説明会もやらなかったのだが、またしても1名希望者が出 た。これで6年連続で毎年きっかり1名ずつ情報学科から卒研希望者が現れた ことになる。不思議なもんだなあ。

本日「すぐわかる代数」による初めてのゼミ。1、2章の集合論のところ は夏休みに自習したというので、3章の群論のところから。いやあ、私は改め てこの本の素晴らしさに感動しましたね。成田正雄「代数学」で90分3行の ペースで進んでいたH君が、今日は10ページ以上も予習してきて、黒板を前 にすいすいと発表を進めているではないか!この調子で、今年度中に群の準同 型定理まで行ければしめたものである。

自家製サクラ養成中のI君は、前回目を白黒させていた成田正雄「代数学」 でイデアル論の内容にも少し慣れてきたようだ。今日は英語で書かれていると 聞いてびびっていた「数理モデル論」の講義ノートが欲しいなどと言い出し、 その成長ぶりがうかがえる。そのうちドイツ語の講義ノートを作って渡すから、 楽しみにしてなさい。

2001年10月11日(木)
<< ノーベル賞めでたし!>>
2年連続のノーベル化学賞だそうである。右手系、左手系、触媒といった高校 時代の化学を彷彿とさせる懐かしいキーワードが出て来て心温まる気分がし、 何だか知らないけど本当に欲しい化合物だけじゃんじゃん作り出せる方法を発 見したとかで、私も数学で興味深い具体例をじゃんじゃん作り出せる方法を見 付けたいものだと思ってみたり。

NHKのニュースではキャスターが「先生は、大変厳しいということで学 生達に恐れられていたそうで。」と聞くと、「私は化学が楽しくて楽しくて夢 中になってやっていたのだけど、それが学生達には『厳しい』と映ったのでしょ うかねえ。」とさらりと答えていた。

うーむ。一般に「私は○○が楽しくて楽しくて夢中になってやっていたの だけど、それが学生達には『厳しい』と映ったのでしょうね」なんて調子でやっ ていると、研究室に学生が寄りつかない。○○の部分が数学の場合は全然困ら ないけど、これが「計算機科学」だとか「化学」とかの実験系の分野だと研究が 進まなくなって困ったんじゃないかしら、と余計な心配をしてみたり。いやい や、昔は、あるいは名古屋大学は(?)、先生が厳しくても、あるいは厳しいか らこそ魅力を感じてその研究室に飛び込んで行く骨のある学生が居たはずだか ら大丈夫だったんだろうと、またまた余計な事を考えてみたり。

数学教室の卒研配属では「仲良しクラブ現象」とか「いじくり合い現象」 というのがあるらしく、仲良しグループが一緒になってどの研究室に行こうか とか、あいつと一緒は嫌だから別の研究室を選ぼうとかいった事が広く行われ ているらしい。まあ、一般の学生が何をやってようがどうでも良いけれど、学 問というのは個人の責任で独立自尊でやっていくものだし、誰がどうしたと かいったどうでもいい事にとらわれず、自分と学問分野だけを見比べて希望研 究室を選ぶような骨のある学生がひとりでも多くいて欲しいものだ。

ちなみに、我らが数学教室の学生達とは違った意味で「誰がどうした」を 気にするというのは、よくあることらしい。結構偉い先生が、多少謙遜を込め てであろうが「東大時代、秀才A君が○○学をやると言い出し、秀才B君が×× 論をやると言い出し etc. それで、残っていたのは△△学だけだったので、私 は△△学者になったのです。」なんて事を言ってたりする。数学者としての生 き残りを賭けて、ライバルの居ない分野を選ぼうというわけだ。夢見るH先生 は、そんな事を考えるのは不純極まりない話でけしからんと激怒し、それで自 分のやりたい分野をあきらめるのは悲し過ぎると涙ぐんで(?)いた。私はどう だったかというと「お前のような阿呆が、あんな厳しい先生の難しいゼミを選 んでどうする!?」と先輩にマジに心配されようが、強力なライバルが居よう が、なあーんにも気にせずに「だって、代数幾何学好きなんだもん!」と言っ て代数幾何学のゼミを選んだけど。そのせいで(本当はそのせいばかりでは無 いのだけど)、20代半ばからの貴重な10年間を「面白ろ可笑しく棒に振る」 ことになったのである。だから、少なくとも凡人にとっては適当に「不純」で ある事は必要なんだろうな思っている。

本日午後「代数幾何学入門」(サクラ付き)と「Young図形」(サクラ無し)の 講義。少し体が慣れて来たとはいえ、やはり2コマ連続はきつい。「代数幾何 学入門」でブイブイ飛ばし、「Young図形」では力を抜いてチマチマのろのろ と説明する。それにしても、「Young図形」の教室のあのけだるい雰囲気は何 なんだろう?

2001年10月10日(水)
<< 本日多忙 >>
風邪の具合は良くなる。本日「位相空間論」と土木1回生の「線形代数」の講義。 途中数理科学科の卒研説明会。最後に教室会議。

やっぱり私は講義が遅い。今日はやっと閉集合が終ったところ。本当は閉 包と開核まで終るつもりだったのに。このままではコンパクト集合まで進みそ うにない!まあ、どうせハイペースで講義を進めても誰も理解しないわけだし、 位相の定義と連続写像、位相同型ぐらいまでしっかり話せば良いかと、腹をく くることにしよう。

淡々と定義と定理と証明を説明すれば話は早いのだろうけど、どうも私は ココロの部分を喋りたがるようだ。位相空間でも「位相のココロ」(昔そうい う題名の本があったけど)みたいなことをぐちゃぐちゃ喋っているのでペース が遅くなるんじゃないかしら。

卒研説明会は淡々と流す。何せこちらには「すぐわかる代数」という無敵 のテキストがあるから、誰が来てもOK、誰も来なくてもOK.

土木工学科の「線形代数」は、皆さん大人しく聞いていた。最初は何だか どうしょうもないお子様学生達だったのだが、一回目の授業でガツンとやって おくと、クラスの雰囲気は良くなるみたいだ。

最後は教室会議。数学者の会議で議題が8つもあるのは無謀である。不吉 な予感は的中し、全ての議題は数学者らしく厳密かつ周到に議論され、さなが らブルバキ・セミナーの如く細部にわたって徹底的に考察される。かくして会 議は3時間にわたった。いやー、くたびれた。

たぶん数学者には二種類いる。数学以外の事にも数学と同じようなスタイ ルで取り組む人と、数学以外の事はさらっと流す人である。私と、たぶん Herzog先生は後者の代表選手で、そういう人ばかりだと数学教室は潰れてしま う。長い会議は、我らが数理科学教室の明るい未来を約束しているのだと考え よう。

2001年10月9日(火)
<< 一番「風邪」が吹いた? >>
出張先の九州大学では、2〜3分毎に福岡空港から物凄い轟音とともに地面す れすれに飛び立つ旅客機を、いくつもいくつも眺めてぼんやりすごしていた。 私は旅行者だからいいけど、九州大学の人は毎日あんな調子だから大変だろう なあ。あとは全国の公立私立大学の数学教員の懇談会に出たり、講演を聞いた り、講演をしたり、久々に遠方の友人と会ったり、東京から出張してきている 数学専門の書店の展示販売で本を注文したり。勿論博多ラーメンは毎晩食べて ました。

学会では全国から多くの数学者が集まり色々な人に会うのだが、どうも数 学者というのは人の顔の認識能力が低い人が多いような気がする。大抵は、こ ちらから「やあ」と声を掛けない限り私を認識できないらしい。(もっとも、 九州は太陽がまぶしかったので、私は例のサングラスを掛けてうろうろしてた のだけど。)

顔の認識能力といえば、今年の秋期賞を受賞したM氏には驚いた。私が3回 生の頃彼が1回生で数学科の演習の授業に現れて、凄いのが入ってきたなあと 思っていたのだが、当時の精悍な少年のような風貌と似ても似付かぬ人が受賞 講演をしていた。まさか代理の人が出て来たわけでもないだろうけど。我々の 年代では、「お前、すっかりオジサンになっちまったなあ」とお互い冷やかし 会ったりするのだけど、大抵はどこかに学生時代の面影が残っているものであ る。人面観察にかけては一家言持つ私が見ても、M氏は昔の彼とは全く別人で あった。

公私立大懇談会は、各大学の様子を紹介して情報交換するという大変有意 義な会議なのだが、昨今の公私立大学の数学教室で景気の良い話なんてあろう 訳が無く(早稲田と慶応と上智だけは、比較的暢気な事を言っていたが)、色々 な大学の暗い話をさんざん聞かされて、どっと落ち込み「もう、こんな会議な んか出るもんか」と決心して帰ってきた。

学会出張から帰って今日から出勤。実は今朝Goetheでまずレッスンを受け て京大ルネで昼食を取ってから大学に戻ってきた。平日午前のコースなんて、 留学試験なんぞを控えて目が血走った学生達が集まるのではと心配していたけ ど、オジサンとオバサンばかりが4人で、「これはチンタラやってられるわい」 とちょっと安心する。

昨日あたりから、どうも風邪をひいたらしく、ちょっと調子が悪い。毎年 秋の学会あたりで初風邪をひき、ひと冬に5回ぐらいはひいたり治ったりを繰 り返すのだ。だいたい秋から冬にかけてずっと鼻風邪のウイルスを飼っている ような感じで、ウイルス達は私が少し疲れ気味の時は急激に増殖して本格的な 風邪の症状を起こし、元気を取り戻すとまた奥の方に引っ込んでしまう。まあ、 鼻風邪ウイルスは、私にとってはいつもそばにいる友人のようなものである。 今年も風邪の季節がやってきたか。

2001年10月1日(月)
<< 元の木阿弥 >>
本日ちょっとした必要があって、去年ドイツで書き散らしたメモを読み直す。 一体どういうつもりで、何を書いていたのだろう?解読に悪戦苦闘する。 このようなメモがろくに整理されていない状態で山積みの状態である。 これらをひとつひとつ読み直して、何らかのヒントを探ろうと思っているのだが、 先の長い話になりそうだ。

週末の作業で「駆け出し数学者ドイツに行く」を脱稿した。「ドイツ便り」 をWebで書き溜めていた時は書きっ放しでよかったのだが、本にするとなると そうも行かず、かれこれ4、5回注意深く読み直すこととなった。かなり時間 と労力を費してしまったが、良かったこともある。原稿を読み直していると、 ドイツでの細々としたことの記憶がリフレッシシュされる。街や大学のちょっ とした風景だとか、色々な人とのやりとりとか、忘れかけていた色々なことが、 あんな事があったなあ、こんな事があったなあ、と思い出されるのである。

特に重要なのは、Herzog先生との共同研究の一部始終の記憶である。立命 館に戻って講義や会議やそれやこれやに流されていると、どうしてもあの時の 緊張した研究の雰囲気を忘れがちになる。そういったものが、原稿を読み直す たびに甦り、すっかり元の木阿弥になりかけていた私に喝を入れてくれるので ある。

怪しい学生K君に対しては「ホモロジー代数ぐらい自分で勉強しないことで どうする!」と目をつり上げて叱り飛ばす一方で、ニコニコしながら卒研のテ キストに「すぐわかる代数」を採用するなど、学問に臨む時の顔と一般の学生 に臨む時の顔を使い分けているのだが、日々押し寄せる一般の学生に「まみれ て」いると、根性無しの私などはいつの間には学問用の顔を忘れてしまう。こ れすなわち「元の木阿弥」状態なり。これではいけない。何としても「俗にま みれながらも俗を超越していく」心構えが必要である。「夢見る数学者」とは そのような境地を指しているつもりなのだが、果たして私はその境地にしっか り根を下ろすことができたであろうか。

しばらく学会出張しますので、更新は10月8日以降となります。