2001年10月30日(水)
<< 週の山場 >>
午前は「位相空間論」午後は「線形代数」の講義で夕方から教室会議、と終日 多忙。それにしても、私は「線形代数」の講義が一番気が重い、というか緊張 すると言った方が正しいか。先日まで高校生だった人達を一次独立だの一次従 属だの線形写像だのの世界にスムーズに引き込むのは、そう容易な仕事でもな いと思う。水曜日のこの講義が終ると「やれやれ今週も山を越えたな」とほっ とする。

2001年10月30日(火)
<< バチ当たり教授 >>
今日は大学に出勤せずに「心の貴族」たることを誓ってGoethe-Institutでレッ スンを受け、さあて昼食でも取ってから数理研の図書館にでも籠っていようと 思っていたところでやおら横槍が入り、仕方なく大学に戻る。ここで思わず 「何だよう!まあった大学へ行かなきゃならんじゃないか!」という言葉が口 を突いて出て来た。

「まあった大学に出て来なきゃあいけないのか?!」というのは、せっか く与えられている個人研究室に全く居付かず、大学に出て来る日と時間帯をで きるだけ極小化しようとしている「バチ当たり教授」達の言葉そのものである。 従来この言葉を聞くたびに、「我々は勤め人なんだ。勤め人が平日に出勤する のは当たり前で、それが嫌ならさっさと今の勤めをやめれて自営業をやればよ ろしい」と思っていたのだが、自分の口からこの言葉が出て来た今となってみ れば、ああ、そういう気分だったのかと妙に納得してしまう。私も晴れて「バ チ当たり教授」の仲間入りができそうだ。

大学に出て来たついでに別の雑用もいくつか片付ける。

2001年10月29日(月)
<< 耳学問 >>
エッセンの秋を思わせるはっきりしない曇り空の研究日。終日大学の自分の部 屋で過ごす。夏休みは雑用ですっかり潰れてしまったけど、最近はこういう心 静かな研究日がちょくちょく取れるので嬉しい。

ところで、来年度の卒研生の配属も決まったので、一応学生達に来週あた りに呼び出しを掛けて、今後の進め方を相談しないといけない。こちらとして は、卒研で学生と一緒に読んでみたい本 -- つまり、あまり難しくなくて、ちょっ と面白くて、だけども自分でわざわざ時間を作ってまで読みたいとは思わない 本 -- が沢山あるのだが、学生を自分の耳学問の道具に仕立て上げようという 企みは必ず失敗する、というのが長年の経験の語るところである。

明日は大学に来ないので、更新は明後日以降。

2001年10月27日 (土)
<< 個人研究室 >>
爽やかな秋の日である。終日大学の自分の部屋で過ごす。

大学教員は一般に「個人研究室」が与えられている。しかし、全 教員が「職員室」に詰め込まれている大学はさすがに日本ではほとんど無いと思うが、 例えば助手は2人部屋という国立大学は多いし、つい最近まで教授も助教授も 助手もみーんな2人部屋だったという私立大学の話を聞いたこともある。

会社員というのは、まあ大きな会社の社長とかそれに近い立場にならない 限り、常に大部屋暮らしである。常に近くに同僚の気配や上司の監視の視線を 感じながら仕事をするのだから、あまり落ち着かない。会社員時代の私は、昼 間は落ち着かないのでルーチンワーク的な仕事を中心にやり、頭を使う仕事は 上司が帰った夜にやったり、人が少ない休日出勤でやったりしたものである。

個室で落ち着いて仕事をしたいというのは、会社員時代の悲願でもあった。 某有名企業の基礎研究所は個室であるとかいう噂を聞いてうらやましく思った りしたものである。会社員から足を洗って大学の先生になろうと色々画策したの も、その動機の何割かは「個室で仕事がしたいから」だったのだ。 だから、大学教師として採用されて「ここがあなたの部屋 です」と言われた時は、「おお!私も個室がもらえる程出世したのか」と、 それだけでもう人生の頂点を極めたような気分になって小踊りしたものである。

こう考えると、教員全員に個室が与えられるというのは有難いことだ。せっ かく大学で個室が与えられているのにほとんどそこに居付かない同僚達を見る と「バチ当たりめが」と思う。彼らにはきっと天罰が下るに違いないから、そ れをじっくりと見届けてやろうと思うのだが、私の指導教官M教授を含めて世 界中の膨大な数の「バチ当たり教授」たちに天罰が下ったという話はいまだか つて聞いたことがない。

こんなに「悪い」ことをしてもバチが当たらないのなら、私も真似してみ ようかとも思うのだが、今のところ今の個人研究室よりも居心地の良い場所は 見つかっていない。

2001年10月26日(金)
<< 殺し屋 >>
午前中はGoetheでレッスン。昼食後大学へ、そして夕方まで卒研ゼミ。二人の 学生が軌道に乗ってきたこともあって、ゼミはほんわかムードが充満している。

ちなみに私はいわゆる「殺し屋」ではない。情報学科時代の最初の頃は、 いわゆる「殺し屋ゼミ」をやっていて、学生の発表の間違いを厳しく(!)指摘し (これを「殺す」と言う)、多少のヒントを与えつつも原則として学生自 ら正解を導かせ(これを「生き返る」と言う)ようとしていたのだが、結局みん な「すぐに殺されて、二度と生き返ってこない」ので馬鹿馬鹿しくなってやめ た。「殺し屋ゼミ」は殺しても死なないツワモノ学生相手でないと、全くやる 意味が無い。そういう状態で何年も情報学科にいるうちに、「殺し屋ゼミ」の やり方をすっかり忘れてしまった、というよりも「殺し屋ゼミ」をやる必然性 がわからなくなり、別にあんな風にやらなくてもゼミはできるではないかとい う気分になってきたのである。

夕方、S藤先生が撫然とした表情で入ってきて、「俺の数理論理学の講義を、 学生のほとんどが理解してくれない」とひとしきり愚痴をこぼして行った。

2001年10月25日(木)
<< 木曜日の定型パターン(?) >>
本日、午前中は色々調べものをしたりしているうちに潰れ、午後は「数理モデ ル論」(サクラ付き)、その後引続き「プログラム理論入門」(サクラなし)。そ して例によって例の如くくたびれ果てる。それにしても、(私が)楽しさ一杯で 元気良くびゅんびゅん飛ばす「数理モデル論」と、何でこんなつまんない話題 を選んでしまったんだろうと後悔しながら、細かい事までチマチマとかつ淡々 と説明していく「プログラム理論入門」と、どちらが学生にとって良い講義な んだろう?

くたびれ果てて、お茶を飲みながらぼんやりしていると、同じく院生ゼミ で疲れ果てたK川先生がやってきて雑談。何だかこういうのが木曜日の午後の 定型パターンになってきたようである。

週末からの読書。「大学という病 -- 東大紛擾と教授群像」竹内洋(中公叢 書)。昭和3年頃から15年頃までの東大経済学部における血みどろ派閥抗争 と学部崩壊を豊富なデータと緻密な論理で検証したノンフィクション。以前読 んだ小説「文学部唯野教授」とは比較にならないほどスケールが大きく迫力満 点!

2001年10月24日(水)
<< 心の貴族 >>
昨日はGoetherでレッスンを受けた後、京大数理研の図書館ですごず。途中、 私の学生時代の指導教官であった数学教室のM教授を訪ね、「来年度からうち の学生の『怪しいK』というのが院生としてお世話になります」との挨拶をダ シに、色々京大の様子を探ってこようかと思ったのだが、M教授は例によって 例の如く不在であった。学生時代からそうなのだが、M教授というのは講義や 会議以外の時はさっさと帰ってしまい、全然大学に居つかない。だから、ゼミ の日以外で質問などがある時は大いに困ったものである。これは今も昔も変わっ ていないようだ。

数学者たるもの、大学に現れるのは講義や会議などの雑事の直前にすべき である。さらに用事が終ったらさっさと帰るべきである。用も無いのに大学で ウロウロしているようでは数学者失格であり、正しい数学者たらん者は断固と して自宅に研究室を持ち、そこで心静かに研究に励むべきである。 これが、私がM教授の背中から学び取った「無言の教え」である。 この「教え」に当てはめると、夢見るH先生は十分合格の優等生である。K 川先生は講義等がある日は、(講義が終ってからも)夜遅くまで大学に残ってい ることが多いから、大幅減点でかろうじて及第点か。日曜日以外は毎日のよう に大学に来て喜んでいる私(やA堀先生?)などは確実に落第である。

それにしても、平日に大学を休んでどこか別の場所で研究に励むというの は大変贅沢な気分になってよろしい。数学者たるもの、どこかで心の貴族の 気分を保ってないといけないのではなかろうか。これからも火曜日はできるだ け大学に来ないようにしよう。

本日午前は「位相空間論」、午後は「線形代数」の講義、その後教室会議 と終日多忙。そういえば、教える立場からすると大学院や学部高回生の講義 が一番簡単で、1回生の線形代数や微積分が一番難しい事に気づく。いつも線 形代数の講義の前になると、どういう風に話そうかと頭を抱え、講義が終って からは色々後悔する。

2001年10月22日(月)
<< ルベーグ測度ゼロ? >>
午前中は会議。午後はHerzog先生から送られて来た論文原稿のチェック。何か につけて原稿のチェックというのは退屈な仕事である。自分達の論文といえど もそれは同じである。Macaulay2で原稿の内容に少し関連した、以前から捜し ている反例である事を期待しつつ、たぶん反例にはならないだろうと思われる 例を計算して、やはり反例でないことを確認したり等々と、逃避行動 を繰り返しながらチンタラと進む。

本日卒研配属希望の締め切り。私のゼミはどうやら2名になりそうだ。2 名のうち1名が幽霊学生になって全くゼミに出て来ないというのはよくある話 である。何故だか知らないが、学生というのはそういうものらしい。 従って、たぶん卒研ゼミは1名の学生相手にやることになろう。その 学生もやれ就職活動だ、教員採用試験だ、教育実習だ、背水の陣必勝モードの 定期試験だとか何とか言っていると、結局 来年度一年の間でゼミをやっている期間はルベーグ測度ゼロになってし まうと思われる。

ところで、来年度は6年ぶりぐらいで大学院生をゼミで指導することにな りそうである。卒研ゼミと院生ゼミの両方面倒見て、それで会議に出て講義を やってetc. なんてしていると研究時間が限りなくゼロになってしまう。そこ で、「君は院生なんだから基本的に自分で勉強しなさい。しかし、疑問なこと があればいつでも一緒に議論しよう」と言って院生ゼミの方を潰してしまおうとか、 「数学の研究会などで、数学経験1年の人の研究会、2年の人の研究会etc.と 分けて議論するなんて話は聞いたことがない。ベテランも駆け出しも皆一緒に 議論する。それと同じで、そもそも卒研生 とか院生とか区別してゼミをするのがおかしい。よって、卒研生が何人 いようと、院生が何人いようと『高山ゼミ』はたった一つだ!」 とゼミを一本化してしまおうかとか、 (これは、ゼミ大魔王のA堀先生に教えてもらった方法だけど)研 究に関連して自分で読んでみたい本をゼミのテキストに指定し、学生が発表に 詰まったら自分で黒板の前に出てどんどんやっていく。結局学生がわからなく ても、自分がわかればそれでよしとする。この方法で、ゼミの時間を自分の研 究時間に繰り込んでしまおうかとか、色々悪だくみをしていたけれど、 卒研のルベーグ測度がゼロだとそういった心配は無用である。

2001年10月19日(金)
<< 居眠り >>
ぐっと冷え込んだ秋らしい快晴の日。午前中はGoetheでレッスン。その後近 くの店で昼食をとり、大学に直行。直ちに卒研ゼミ。イデアル論のI君、 群論のH君 ともども快調に発表をこなしていた。こうなると、私としては半分居眠りしながら 聞いていれば良いのでひと安心である。

ところで、先日情報学科からウチの卒研を志望するとか言っていた学生は、 結局S藤先生のところを選んだらしい。だから10月12日に「6年連続情 報学科からきっかり1名ずつ」と書いたのは間違いで、5年で記録がストップ したわけだ。

正直言って、情報学科から卒研生を受け入れると、やれ卒論を書かせろだの、 卒論発表会で発表させろだのと形式的なセレモニーにダラダラと2月の下旬まで つき合わされるので、気が重いのだ。卒研なんて4回生配当演習科目のひとつに 過ぎないのに、学年歴に示されている開講期間を大幅にはみ出していつまでもや っているなんて、私には考えられない。そんなんじゃあ、教員は何時研究するの だ?と言いたくなる。学生本人には何のウラミツラミも無いのだが、情報学科か らの志望者がゼロになったのには内心ほっとしている。

2001年10月18日(木)
<< 盛り上がりに欠ける? >>
今日もHerzog先生からのアメリカ・メイル。「テロリストがこんな田舎町を狙 うわけがないと思う」とのこと。さすが、自称楽観主義者だけのことはある。 炭そ菌郵便にはせいぜい気をつけてくださいな。

ところで、今年の4回生は「顔が見える」けど、3回生は「のっぺらぼう」 という印象がする。4回生には数学をよく勉強してる個性の強い学生が色々い て、全体的に元気があるけど、3回生には教員から見て目立った学生が少ないし、 全体的に印象が薄い。

卒研配属の希望を書く掲示版を見ても知らない名前ばかりである。いつも この時期には、学生の誰がどの先生のゼミに希望を書いたという話で教員達が 一喜一優して -- なぜそういうことに一喜一優するのか私にはわからないのだ が -- 盛り上がったりするようだが、今年は割とひっそりしている。私はそう いう話にはあまり関心が無いのだが、それでも盛り上がらないより盛り上がっ たほうがいいと思っている。そういう意味で、今年はちと寂しい雰囲気だ。

午前中は局所コホモロジーについて思いを馳せ、午後は「数理モデル論」 の講義。予定通りびゅんびゅん飛ばす。サクラのボスK川先生は出張のため欠 席。ひきつづき「プログラム理論入門」の講義。予定通りのんびり進む。そし て予定通りくたびれ果てる。

2001年10月17日(水)
<< 命がけの数学? >>
Herzog先生からのアメリカ・メイルが届いた。何でも「論文の執筆が遅れて、 すまない」とのこと。まあ、私が今回の仕事にぼんやりかかずらわっている間 に彼は別の研究者といくつも共同研究を同時並行でやっているわけだから、遅 れるのは無理もないことである。それにしても精力的に仕事する人である。

彼はテロ事件の前から「アメリカに行くんだ」とか言っていたけど、予定 通りミズーリー大学に2ヵ月の予定で滞在しているらしい。以前「ミズーリー のHema Srinivasanが招聘してくれているのだが、なかなか行く暇がない」と か言っていたから、たぶんそれだろう。Srinivasanは可換代数でかなり活躍し ているインド人である。彼女のもとには、同じく可換代数で良い仕事をしてい るSrikanth Iyengarがいる。私もSrinivasanの論文で青ざめたり、 Iyengarの論文で熱くなったりしたことがある。一度ミズーリー大学にも行ってみたいものだ。

ところでHerzog先生は、「昔は命の危険を押して、混乱の激しい東欧に出 張したもんだ」なんて言っていたし、「高山、俺は生きて帰ってこれないかも 知れない」と言っていた中国出張も構わず強行したし、「人生最悪の出張だっ た」と言っていたインド出張もやはり強行し、狂牛病騒ぎの時も「今さら肉を やめても遅い!俺は肉を食うぞ!」とメンザで一人閑散とした肉料理のカウン ターに向かって行った人である。命がけで数学をやっているHerzog大先生は、 テロ事件のためにアメリカ出張をとりやめにするような軟弱な人間ではないの である。

本日午前は「位相空間論」午後は「線形代数」の講義。その後、Macaulay2 で局所コホモロジー計算プログラムを少しいじる。