2001年9月14日(金)
<< Bitte! >>
アメリカはまだ目が覚めないらしい。また戦争始めるのかよ。まったくどう しようもない国だ。

今日は前期成績発表の日らしく、学生が沢山来ていた。そろそろ前期試験で落 された4回生以上の学生が、「そこを何とか!」と押しかけてくるんじゃない だろうか。旧制高校時代はこれをビッテ(Bitte)と呼んでいたらしい。bitten はドイツ語で「何かを頼む」という動詞であり、die Bitteとはその名詞形で ある。Professor Takayama will gar nicht die Bitte der Studenten oder der Studentinnen annehmen, obwohl seine Notierung der Pruefungen nicht schwierig ist. (高山教授は試験の採点は甘いが、学生達のビッテは決して受け入れない)。

世界には暗雲がたちこめ始めているが、私の個研室だけは本日ビッテも 無く平和で あった。

2001年9月13日(木)
<< アメリカのテロ事件 >>
今度のアメリカの同時多発テロは、まさに悲惨のひとことである。自爆テロに 使われた飛行機に乗っていた人や、ビルの崩落で押し潰された人達の無念はい かばかりか。しかし、アメリカという国は一度ああいう目に合わないと目が覚 めないかも知れない。

アメリカのあの傲慢で野蛮で暴力的な思考は、いつも外国を爆撃しに行く ばかりで一度もアメリカ本土が爆撃された事がないし、絶対そうならないと信 じていたことも大きな理由の一つだと思う。自分の国が爆撃されるという事は どういうことかという想像力無しに、何でも力まかせに相手をねじ伏せて勝ち 誇る事の無意味さに気づくことはあるまい。

今度のテロの犠牲者が世界平和のための礎になってくれれば良いのだが と思う。「ならず者の小国」と言えどもアメリカの意のままにこの世から 完全に抹殺する事などできない事は、ベトナム戦争や湾岸戦争から容易に学べ る教訓である。小国にも誇りがある。手痛い攻撃を受け誇りを傷つけやられた 小国には深い怨みが残り、テロによる反撃を産むわけだ。アメリカの力まかせ の報復と、それに対する新たなテロの再報復の繰り返しでは、今回のテロでの 犠牲者が浮かばれないのではないだろうか。

昨晩出版社より原稿の最終稿が届いたので、今晩からその校正作業をしな ければならない。タイトルは「駆け出し数学者ドイツに行く」に決定。最初は 「夢見る数学者ドイツに行く」にしたかったのだが、「駆け出し数学者」とい う言葉が本文中に2回使われているし、ドイツに行く前はまだ「夢見る数学者」 ではなかったはずだということで、結局没にした。当初450ペー ジ分ぐらいあったWeb版「ドイツ便り」だが、内容を精選して多少文章に手を 加えた結果、最終的に308ページになるもよう。出版予定日は12月15日 となった。

引続き研究日。夕方頃久々に院生M君が現れ、何だか難しい事を質問される。

2001年9月12日(水)
<< 千と千尋の神隠し >>
私が「幸せを噛みしめ」ているうちに、日本でもいよいよ狂牛病騒ぎが起こる わ、アメリカでは同時多発テロが起こるわと心穏やかではない。大都市のビ ルが崩壊する大災害の映像を見るのは、阪神大震災以来である。

本日も研究日。しばしHerzog先生の巨大なギャップだらけの原稿を突っつ き回しながら、ホワイトボードに沢山のコホモロジー完全列を書いたり消した りしてすごした後、2度目の「千と千尋の神隠し」を見に行くために早めに大 学を出る。

2001年9月11日(火)
<< 幸せを噛みしめる >>
昨日の帰りのバスの中で、「微妙でかつ致命的なミス」の解決方法を思いつい た。やれやれと思って今朝大学に来ると、Herzog先生からのメイルの返事が届 いており、「いま国際会議に来ていて(それにしても良く海外出張する人だな あ)手元に資料が無い。でも、お前に送った原稿はあれから色々チェックして 修正したし、基本的にはOKだと思う」とのこと。

それにしても、幻のGrothendieckの定理の件はどうなったかについては直 接には何も書いてない。「基本的にはOKだ」と書いてあるから、何とかなった のだろうか。まだ良く考えてないので確信は無いのだけど、私も何とかなるの ではないかという気がしてきているのだが。

ゆうべは、大学教師をクビになって会社員に戻る夢を見た。昨今大学の数 学教師がクビになっても、雇ってくれる会社なんて無いだろうけど、とにかく これは私がちょくちょく見る夢のパターンである。キャノン・コピーサービス のかなりうらぶれた営業所(そんな会社のこんな営業所が実際にあるかどうか は知らない)にいて、「こいつは研究惚けしていて商売の何たるかがわかって いないから、ワシの目の届く所でしっかり指導しなければならない」と、上司 の隣に私の机が置かれている。「こいつは授業中悪さばかりしているから、ワ シの目の届く所でしっかり指導しなければならない」と教卓のまん前に座らさ れていた小学生時代と同じパターンである。学級崩壊時代の現代では考えられ ない事かも知れないが、私の時代は授業中大人しくせずに悪さばかりする生徒 はほとんど居なかったのである。

ふと見ると、その上司は沖電気時代ずっと上司だった人である。何だこの人 も転職したのか。彼はニヤ リと笑って「高山君とは腐れ縁だな」なんてのたまわる。まわりは知らない社 員ばかりである。沖電気時代に一緒だった不条理の帝王K君、のらくろR君、無 敵モードM君、遊びの天才O君、不思議の国からやってきたF女史、悪人W、ヤク ザのYは居ないかしら...ここは沖電気じゃないのだから居るわけないよな。一 営業社員である今の私は当然心静かに研究できる御身分じゃないし、上司以外 は知らない人ばっかりだし、その上司は「お前の根性叩き直してやる」なんて 言っているし、わびいしいなあ。しょうがない、外回りでも行ってくるか。そ して、外回りから帰ってきたら、営業所が消えて無くなっていた。本社に電話 してもそんな営業所は知らんし、第一お前なんか雇った覚えも無いという。何 てこった!と思ったところで夢から醒めた。 ああ、私はまだ大学教師をクビになっていなかった。よかった!

私がこういう夢を見るのは、大抵幸せを噛みしめる日々を送っている時で ある。最近やっと研究に戻れるようになって、「よかったなあ」と思っていた ところなのだ。もうすぐ夏休みが終る。短い幸せの日々を大切にしよう。夕方、 毎日何だか楽しそうなK川先生が雑談に訪れる。

2001年9月10日(月)
<< こりゃあ、いかんわい! >>
台風の影響で雲行きの怪しい中、昼前に大学へ。以前送ってもらったHerzog先 生が書いた論文の下書きを読み返す。先週末からどうも気になっていた部分を 詳しく考えてみると、どうも微妙でかつ致命的なミスがあるような雰囲気にな り、夕方その旨メイルで知らせる。私の間違いならいいのだけど、実のところ 結構自信(?)がある。私って微妙で致命的なミス見付けるの得意なんだよねー。 これが本当なら、結構打撃は大きいですよ。Herzog先生のメイルの返事が楽し みだ(とほほ...)。

2001年9月9日(日)
<< 物理学がわからない >>
今日は発作的に「京都人だけが知っている」「不思議宇宙のトムキンス」それ と時事ドイツ語の本の三冊を買い、ラウンド・ロビン・タイムシェアリング・ スケジューリング方式で乱読する。「不思議宇宙...」はジョージ・ガモフ原 作の相対性理論と量子力学の物語仕掛けの一般啓蒙書。

昔から物理学がわからない。相対性理論にせよ量子力学にせよ宇宙論にせ よ、一般啓蒙書の類はあまりにも曖昧な言葉で書かれているので何を言ってい るのかわからない。以前、「数学をあまり知らない経営・経済系の学生でも理 解できる、とてもわかりやすく書かれた数理ファイナンスの教科書」なるもの を読んだ事があるが、こんな曖昧な説明で一体何がわかるのだろうとため息ば かりついて放り出したことがある。結局何ひとつわからなかった。

そこで、啓蒙書はだめだ、専門書を読もうということになる。物理数学は よくわからないのだが、無理して専門書をひっくり返す(真面目に読むわけで はない)と、何やら数式を使っており、こちらの方が法則の内容が正確にわか りそうである。しかし、じゃあ何でそういう法則が成り立つのかがよくわから ない。例えば、光は粒子でも波動でもないそうだ。そういう物理現象を「記述」 する言葉は量子力学で準備されているらしい。そのような現象が数学の言葉を 使って記述できることはわかったとして、じゃあ何でそんな現象が成り立つの? そもそも量子力学で説明できるところの「光」って、一体何なの?という疑問 が起こる。「そもそもそれは何なのかか」がわかれば、量子力学の理論で記述 されるような現象が起こる理由はおのずと明らかになるのでは?と思うのだけ ど。そういう疑問自体が意味を持たないのかしら?

物理学者はこう言うかも知れない。お前は粒子や波動だって「そもそもそ れは何なのだ?」なんて事は気にせずに、これこれこういう性質を持つあるも のとして納得しているじゃないか。だから、光も「量子力学の理論でこれこれ こういう風に説明できるところの『あるもの』だ」と納得しておけばよい。結 局「わかる」「わからない」というのは、自分の心の中に辻褄の合ったはっき りとしたイメージが作られているか否かという事にすぎないじゃないか、と。

とまあ、たまに以上のような事をぼんやりと考えてみるのだが、すぐに 物理に全く関心が無かったと言われているWeil大先生にならって 数学に戻ってしまう。

2001年9月8日(土)
<< 田舎の学問、都の昼寝にしかず >>
今日も何も考えずに午後から大学へ。4日連続で研究日が取れるなんてそのう ち天罰が下るのではないかと恐れつつ、研究ノートを突っつき回す。エッセン で最後の3ヵ月でやっていた事を思い出し、一体何処に問題が残されているの かを整理しようとしているのだが、内容が膨大なためなかなか片付かない。たっ た3ヵ月なのに色々な事をやったものだなあと改めて驚くとともに、4月に日 本に帰ってきてからの8月末までの5ヵ月間、自分は一体何をやってたのだろ うとため息が出る。田舎の学問、都の昼寝にしかず。

大学院受験組の学生達の進路がそろそろ決まり始めたようだ。軟派 な雰囲気が溢れ返っているこの大学でも、真剣に数学者を目指している学生が いる事を嬉しく思う。20年前に大学院入試で全敗を喫して大学を去った私と 比べれば、現時点では彼らは当時の私よりも好調な滑り出しをしたと言えよう。

どこの大学院の学生かによってアカデミック・ポストへの門戸の広さが多 少違うなんて噂もあるが、そんな事考えてもしょうがない。私も学生時代に、 「あの大学の大学院なら行ってもしょうがない」式のセコイ事を考えたりもし たけど、数学者を目指す限り、何処の大学院だろうととにかく数学を続けられ るチャンスを確保することは、数学から全く離れてしまうよりもうんとまし だと思う。

大学院進学は単なる出発点にすぎないし、数学者のポストを得ることは私 の学生時代よりもはるかに難しくなっているようだから、彼らのこれからの道 のりは「厳しい」の一言だと思う。だけど、何事もやってみなければわからな いのだし、覚悟を決めてやるだけやって後は野となれ山となれ、ぐらい楽天的 な気分でやってもらいたいものだ。ただし、中途半端な覚悟では後で後悔する 可能性極大であろう。

常々言っていることだけど、学部時代に優等生だったか否かは、数学者と しての将来とはあまり関係が無い。勿論、学部時代の劣等生が数年後順調に(?) 潰れていたという例は膨大な数にのぼるし、抜群の優等生がそのまま偉くなる 場合も沢山ある。だけど、学部生時代に全く目立たなかった人がいつの間にか 偉くなってたり、偉いかどうかは知らないけどひとかどの数学者として何とか やっている人は沢山いる。学生時代の優等生が10年後潰れていたり、数学者 にはなれたけれどあまりぱっとしない例も少なくない。それやこれやの例は すぐに実名で10名ぐらい挙げられる。大体数学者として芽が出るかどうかは、 修士論文を書いた段階でないと全くわからないというのが本当のところだと思 う。

私は教師をやっている立場上、学部学生の数学的能力に対して、現時点で の、かつ、私が知る限りでの評価はするけれど、それをもってその人の将来の 可能性まで断定的に判断する事は決してしない。それは私自身「モグリの数学 者」としての後ろめたさもあるけれど、それよりもむしろ上記のような事があ るからである。大体、学部を卒業するかしないかの段階の学生に対して、「あ んな奴が数学者になれるわけがない」というような事は、タイム・マシンに乗っ て数年後の世界を見てからでないと言えないはずなのだ。それにWeil大先生も 言っているではないか、「私は若い人が何かをやろうとしている時には、それ が将来性に乏しく思えてもとにかく励ますことにしている。私自身がそうやっ て励まされることによって、成功をつかめたからだ」と。

2001年9月7日(金)
<< 静かである >>
3日連続で研究日がとれる幸運にとまどいながらも、エッセンの冬を思い出さ せる雨空を仰ぐ。雨の日は世界が何だか静かで、ひっそりと数学を考えるには もってこいだ。

夏休みは講義もゼミも無く、学生達とは御無沙汰である。さらに今年は色々 な雑用に忙殺されていたこともあって、何だか彼らからは遠い世界に来てし まった気分である。半月程前は、大学院入試などで色めき立っていた何人かの 学生と会ったりもしたが、最近は入試のシーズンも終ったのかとんと顔を見て ない。

てな事を思って廊下を歩いていたら、いきなり算太郎君とY木君に出会う。 二人とも絶好調のようであった。ジャイアンとか、O村君とか、天才君とか、 のび太とかは何してるんでしょうね。そういえば、以上の学生は皆私のゼミ生 ではない。ちなみに私のゼミ生の3名学生は、遠い昔に会ったっきりで音沙汰 無し。ま、どうでもいいけど。

2001年9月6日(木)
<< Zertifikat Deutsch >>
冬のエッセンの晴れの日の割合と私が研究日を取れる割合はほぼ同じではない だろうかと思いつつ、(明日はどうなるかわからないけど)今日もほぼ一日研究 日。そのエッセンも、夏は例年「からりと晴れた素晴らしい日々」が続くそう だが、今年は雨ばかり降っていたようだ。最低気温は11〜12度ぐらいで最 高気温は22〜23度ぐらいが多かったみたいだが、最高気温が28度という 日も珍しくなかったようだ。エアコンがほとんど無い国で、雨の28度という のはちょっときつかったことだろう。

そういえば、10月からまたGoethe-Institutのドイツ語講座に通うつもり なのだが、今度受講するのは3年間の初級コースの最終年度前期のものである。 引続き後期の講座も受講すれば、来年の夏には初級コース終了である。これを 終了すると、一応「日常生活に不自由しないレベルの語学力」がつくはず、だ そうである。初級コース終了後は、Goethe-Institutが主催しているドイツ語 基礎統一試験ZD(Zertifikat Deutsch)というのがあって、割合多くの人が受験 しているようだ。これはいくつかあるGoetheのドイツ語検定のうちで一番やさ しいものだけど、実際に受けた人の話ではかなり難しい試験だそうだ。私とし ては、ドイツ語は趣味でやっているようなものだし、簡単な雑誌の記事とか数 学の論文が読めるようになり、今度ドイツに行くチャンスがあれば「Herzogグ ループの昼食時の会話」に何とか参加できるようになればそれでいいわけだ。 何も検定試験なんぞ受ける必要は無い。だけど、Goetheの雰囲気にあおられて 「せっかくだから、受けてみようか」という気もしてくる。

Goetheの講座は今まで土曜日の3時間の講座に通っていたのだが、結局週 末の前後に予習や復習や宿題をまとめてやるはめになり、それだけで週末が潰 れてしまう。一週間が講義と会議とドイツ語だけで「ほとんど」潰されるとい うのも、かなり息が詰まる。それに、一回に3時間の講座に出ると、終った時 にはほとほとくたびれ果ててしまう。そこで、今度は火・金の週2回午前中に 1時間半づつの講座にしようかと思っている。これだと一回の講座の負荷は軽 いし、予習復習が強制的に負荷分散され学習効果も高まり週末もゆっくりでき よう。しかし、金曜日などは朝Goetheに行って、京大で昼食を取って、それか ら大学に行って卒研ゼミをするという強行スケジュールになる。それに平日は 講義と会議とドイツ語で「完全に」潰れてしまう恐れも十分ある。まあ、数学 がやれる安らぎの時間を平日に分散させるか、週末に固めるかの違いだけなん だけど。

また、平日コースは留学試験等に人生を賭けている超真面目学生が中心で すこぶるテンションが高く、仕事の合間にチンタラ通っている主婦や勤め人中 心の土曜コースの人間がおいそれと近寄れる世界ではないとの指摘もある。こ れはこれで、かなりしんどい。しんどそうだけど、マゾの血が少しだけ騒ぐ。 いずれにせよ、Zertifikat Deutschへの道は険しいのである。

2001年9月5日(水)
<< 「講義で週2日あと会議で1日」の原則 >>
昨夜はよく眠れず、眠気で少しぼんやりする頭で今日も研究ノートをひねくり 回す。「リハビリ」が少しずつ軌道に乗ってきて、以前何をやってきたか少し ずつ思い出せるようになった。Young Tableauxはとうとう放り出し、もうどう にでもなれという気分。まあ、講義の進度に合わせてぼつぼつと勉強していく ことにしよう。

数学の先生と文系の先生には「講義で週2日あと会議で1日」の原則とい うのがあるらしく、原則として週3日大学に出て来てあとは自宅に籠って(?) いるらしい。私の同僚達の多くもそうだ。大学は雑用をするところであって、 研究は自宅でやるものらしい。

ところが私の場合、毎日出社するのが当り前の会社員時代を経験し、その 後も工学部に勤務して自分の研究室の実験室を抱え込んでいる都合上ほぼ毎日 大学に出勤していたため、どうも週に4日も自宅で過ごす気分にはなれない。 夢見るH先生のような「快適自宅ライフ」を満喫することも当分無かろう。そ れで、何も考えずに毎日大学に出て来ている。たぶん週間出勤率は、毎日学生と ゼミをやっているA堀先生を僅差で振り切って数理科学科トップではなかろう か。ちなみに、Herzog先生も週末を除いて毎日規則正しく出勤していた。代数 幾何学のEckard Viehweg先生やHelene Esnault先生も、ほぼ毎日大学に来てい たと思う。まあ、"味方"は居ないわけでもないのだ。

こういうのは、心理的に職場に束縛されない自由人たることを自ら放棄し ているようなものかも知れない。リストラされて毎朝行く所が無くなってオロ オロするオジサン達と同じで、大学が潰れて毎朝行く所が無くなると真っ先に うろたえてしまうクチであろう。いやいや、大学が潰れたらまず職捜しのため にうろたえるのが先か。私立大学というのは、失業保険が無いので大変である。

2001年9月4日(火)
<< お勉強はやめましょう >>
本日午後は学位審議委員会と教授会と研究科委員会の3点セット。全く形式的 な議事のみで2時間程で終る。

2、3日前から研究ノートを読み返しつつリハビリ。「研究するには知識 は要らん」というのはある程度本当だという気がしてきた。後期はお勉強はそ こそこにして、計算したり考えたりすることに時間を割きたいものだ。数学の 研究というのは、行き詰まっている状態が長時間続くの普通であって、行き詰 まる事なくどんどん進むばかりで新しい事がわかるなんて事は無かろう。この 行き詰まり状態に耐え切れなくて、色々お勉強に手を出してしまうのは一種の 逃避行動ではなかろうか。

とは言うものの、Young Tableauxの講義のため、有限群の表現論の所を少 しお勉強する。退屈なword problemの所は大胆に省略して、最初から表現論を 中心に講義してみようかという魂胆である。しかし情報学科の講義で表現論と いうのは、やり過ぎではないかという気もしないでもない。

2001年9月3日(月)
<< 衣笠キャンパス >>
本日大学の用事で衣笠キャンパスに行く。あそこは何時行ってもほっとする雰 囲気があってよろしい。適当に古びた建物がほど良く密集していて、あちこち に芝生や植え込みなどの緑があって、ところどころに隠れ家的なすき間があっ て、所どころに広場や公園のようなものが作られており、だだっ広くもなく、息が 詰まる程窮屈ではなく、キャンパス自体が住宅地の中にあって陸の孤島状態で もない。これらを全て裏返しにしたのが、BKCである。何でキャンパスのメイ ン・ストリートがあんなにだだっ広いのか?名古屋の100メートル道路よろ しく、災害時に救援物資を積んだセスナ機の滑走路にでも使おうとでもいうの か?キャンパス内部は緑も少なくて、夏は照り返しがまぶしくてしょうがない。 良く見るとメイン・ストリートに沿って木が植えられているが、それが木陰を 作るまでに成長するのは30年先であろう。あと30年したら、BKCも風情の あるキャンパスになるかも知れないけど、そんな時まで私は生きていないし、 大学自体が存在しているかどうかもわからない。

夜今週号のアエラを読んでいたら、「ITは死んだ」特集が組まれていた。 何だ、去年までは「産業革命に匹敵するIT革命!これによって市場は無限に拡 大しつづける」とか「ドッグイヤーで進行するIT革命に乗り遅れるな!」なん て嘘臭い話に、大学まで一緒になってうかれ騒いでいたのに、もう「深刻なIT 不況」だの「IT革命は夢だった」とか言っているのかい?

ビジネス・チャンスを掴むのに必死な産業界はしょうがないとして、大学 までもが「世の中のニーズを掴んで生き残りをかけるべし」という錦の御旗の 下に、何でもかんでも産業界の動きに追従して右往左往するのはいかがなもの か。そろそろ、大学には時代の動きに連動する部分としない部分があってしか るべし、という教訓を学んでも良いのではなかろうか。

2001年9月1日(土)
<< 9月の貴公子 >>
何もしなううちにもう9月である。本日昼前に京大に行き、ルネで昼食後、 Goetheでドイツ語ビデオを返却。ついでに新しいビデオと10月からの冬学期 講座のパンフレットをもらい、早めに予習でもしようかと講座の教科書も買っ てくる。8月中はビデオを繰り返し見る一方、講座のテキストやノートを使っ てドイツ語の総復習でもしようかと思っていたのだけど、結局忙し過ぎてビデ オを少し見ただけで終った。Goetheでは、私が熱狂的に尊敬するドイツ在住1 5年の経験をもつH先生とばったり出会った。最近ドイツ語を喋っていないの で、上級クラスにでも入ろうかと思ってやってきたという。H先生は、 Goetheに通っていると数学やっている時間が無くなるんじゃなかと心配 しているようだが、どこかで無理しないとGoetheには通えない。

H先生と別れてから河原街三条の明治屋に寄って、そろそろ底をついてきた Pumpernickelなどのドイツ・パンを買う。正しい"ドイツかぶれ"は、朝食に Broetchenを食べなければならないが、私は朝っぱらからPumbernickelを食べ るという邪道をやっている。

その後、電車とバスの中で吐き気を押えながらFulton "Young Tableaux"を 読みつつ大学へ。静かな自分の部屋で、すっかり中身を忘れてしまった研究ノー トをぽつりぽつりと読み直す。

日本は全てが破壊し尽くされた敗戦後の焼け野原から復興したという。お そらく、これからは平和な新しい時代が来るという希望を糧に、虚脱感と闘い ながらやってきたのであろう。私は今、虚脱感と闘いながら雑用の嵐で焼け野 原になってしまったカラッポの頭から復興しなければならない。さて「平和で新し い時代への希望」は持てるのか?