2002年4月29日(月)
<< マイナー指向? >>
本日祭日なれど立命館は営業日。講義やゼミの担当は無いの だけど、研究室に置いてある本で調べたい事があったこともあり、昼過ぎに出 勤。調べものはすぐ終り、そうこうしているうちに私の出勤を何らかの方法 でか察知したのか、K川先生が現れ密談。その後、夕方頃まで個人研究室で計 算をしたりして過ごす。途中、解析をやっている4回生の某君(初登場)が「代 数幾何学の良い本は無いか」と訪ねてきたので、解析ちっくな代数幾何学の日 本語の本を何冊か貸してやる。

ところで、私は大学を卒業して以来マイナー指向が定着しているような気がす る。学生時代に専攻(という程大袈裟なものではないけど)していたのは代数幾 何学だから、これはかなりメジャーだと思う。ところが大学を卒業後、どんど んマイナーな方向に進み始めたようだ。計算機科学者時代にやっていたプログ ラム理論というのも、計算機科学全体の中で見れば極北のマイナー分野と言え なくもない。ここでマイナーとかメジャーというのは、単に多くの人が関心を 持って関わっているか否かという事であって、それは その分野の価値の有無や高低 とは全く無関係だし、むしろマイナーな分野こそ由緒正しい深い分野であった りもする。そして、私は誇りを持ってプログラム理論の研究に励んでいたのだ。 しかし、マイナーな世界はそれなりに元気の出ない話が色々あり、私が計算機 屋をやめたのは「もうこんなマイナーな世界は嫌だ!オラ、きれいなべべ着て うまいもんが食いてえ!」という気持があったことは確かである。 つまり、自分の研究がより多くの分野と地続きの繋がりを持ち、研究を通じて より多くの人々と直接・間接に意見やアイディアを交換し合える、より活気のある世 界を夢見たのだ。

私に言わせれば、純粋数学はプログラム理論よりもうんとメジャーである。こ の世界で「きれいなべべ着てうまいもんが食」う生活を夢見た私であるけれど、 私の選んだ可換環論という分野はどうなんだろう?プログラム理論よりもかな りメジャーだと思うけれど、純粋数学全体の中で見れば「どちらかと言えばマ イナー」な分野なのではないか、という気がする。(その意味では私のマイナー指向は 相変わらずと言えなくもない。) しかし、今のところこの世 界で「元気の出ない話」というのは(少なくとも私の周りでは)余り聞かないし、 そこそこ面白くて居心地がいいわけだし、この際メジャーだろうがマイナーだ ろうがどうでも良いじゃないの、と思える程度にはメジャーだと思う。

2002年4月26日(金)
<< やっぱり殺し屋? >>
昼前に出勤。部屋で調べものをしたり、昼食に出てその帰りに図書館で論文の コピーなどしているうちにゼミの時間となる。今日は、自家養成サクラI君の 院生ゼミと3回生F君の自主ゼミの合体ゼミ。ヒルベルトの基底定理、代数的 集合の定義、Spec(k), Spec(Z), Spec(k[x]), Spec(k[x,y]) の構造など。

私は「殺し屋ゼミはやらない」と標榜していたのだけど、今年度にはいって私 の精神構造が微妙に変化したのか、それとも内容が私の専門の範囲のものであ るせいか、高山ゼミはかつての「ほんわかゼミ」から「殺し屋ゼミ」にじわり と変化しつつあるような雰囲気である。自家養成サクラI君などはゼミ中少々 きつく締め上げられた上に、「最近君は宿題をさぼっているね。うん、少なく ともさぼっているのとほとんど同値だ」と説教まで食らわされている。まあ、 この学生ならもうちょっとやれるはずだと思っているから、厳しく当たるんだ けどね。

2002年4月25日(木)
<< 実は殺し屋ゼミ? >>
午後一番で「線形代数」の講義。あまり進まず。1年でジョルダン標準形まで 終るという野望の実現はかなり怪しい雰囲気になってきた。その後卒研ゼミ。 部分集合で生成された部分群、部分群であるための必要十分条件、剰余類、代 数的集合V(I)とイデアルI(V)など。

卒研ゼミというのは、学生がつまらない所で立往生してじっと待たねばならな い場面が多い。3時間程のゼミの多くの時間は静かに待つことに費やされる。 数学って、結局自分で考えてわからない限り本当にはわからないものだから、 些細な事でも彼らが自分で解答にたどり着くのをじっと待つしかない。 もっとも、待っていればいつかは解答を見付けてくれると期待できるから待つのだけど。

卒研ゼミのあとは、最近やる気減退気味の自家養成サクラI君から、「携帯メイ ル演習問題」の今日の進展内容を聞く。

2002年4月24日(水)
<< 体育会の真髄? >>
本日昼食時間もそこそこに「情報処理」「離散数学」「教室会議」の3連チャ ンで日が暮れる。

ところで、「進化するS藤理論」に関連してK川先生の友人K氏が「体育会系の 世界では、先輩が口に含んで吐き出したコーラーを『飲め!』と命令された場 合、後輩には拒否権が無いそうな」という話を教えてくれた。それは大変な話 だなと思い、S藤先生に「本当にそうなのか?」と聞くと、「体育会の真髄は そういうものではない」という。先輩、後輩の厳しい上下関係の裏側には、 「先輩は後輩よりも強くなければならない」という物凄いプレッシャーがある という。そのようなプレッシャーの中で後輩に負けまいと必死に努力すること により、心身ともに鍛え上げられる。それこそが体育会の真髄である!とのこ と。努力の甲斐あってめでたく強い先輩になれれば良いけれど、強い後輩と (どう頑張っても)弱い先輩、という取り合わせの場合、弱い先輩の心中は複雑 であろう。しかし、そういう場合でも弱い先輩は苦しい状況を生きる 中で心が鍛え上 げられるのだという。 そういうものなのかしら。学生時代、体育会の卓球部をたった2週間でやめちまった 私にはよくわからない。

私は高校生の頃卓球部に入っていて、公式試合、練習試合、ヘルスセンターで その辺のガキ達相手の遊びの試合、とにかくありとあらゆる試合で一度も勝っ た事がない。毎日放課後に練習して、夏休みは朝は自分の高校で、昼は隣の高 校で、夜は近くのヘルスセンターでと、一日8時間ぐらい練習し、フォアハン ド、バックハンド、サーブ、突っつき、カット、ボレー etc.の個々の技術が 向上しても、試合になると全く勝てなかった。高校2年3年になっても、中学時代 に遊び程度にしか卓球をやってなかったような新入生にボカスカに負けるので ある。では私は心身ともに鍛え上げられたのか?さあーてね。少なくとも18 才にして「人間いくら努力しても全く進歩しない事ってあるもんだ」という事 は学んだけれど。こういう事を早くに学んだお蔭で、 その後色んな場面で気分的に助かったけどね。

あとは数学科。この世界では知識の量ではなく、頭の切れがモノをいう。頭の 切れはその人固有のものであり、年齢とはあまり関係無いし、訓練で進化した りするものでもないと思う。 従って「学年が上の者は学年が下の者より数学が よく出来なければならない」という事は原理的に成り立たないし、そんな事を 信じている人は誰もいない。その意味で、例えば3回生の演習で発表していて、 冷やかしに来た1回生に「それ違うでしょうに?こうやればいいんでしょ?わ かんないの?」ととっちめられても、少なくとも体育会系的心理的葛藤に陥る 必要は無い。むしろ、「ま。出来る奴はできる。出来ない奴はできない。しょうがない さ」と自分に言い聞かせて終るしかないのである。

さて、このような数学界で私の精神は鍛え上げらているのだろうか?

2002年4月23日(火)
<< 闇雲に計算する >>
出勤途中のバスの中で、また可換環論の演習問題を思いつき携帯電話で自家養 成サクラI君にメイルを送る。 先週末から始まった、この携帯メイル演習問題シリーズは、それを解くことに より基本概念の理解が得られ、逆に基本概念の理解があれば直ちに解けるもの である。従ってそれが解けないということは、基本的な事がわかっていない事 を意味する。本当に基本的な事は自分の頭で考えて理解するしかないわけで、 私がくどくど説明してもしょうがないのである。実際、私は何度もくどくど説 明したのだけど、全然わかんないみたいだし、わかんないままで放ったらかし にしているみたいだから、「じゃあ、この問題から考えてみたらどうだ」と演 習問題路線に切替えたというのが本当のところなのだが。とにかく、I君はこ の演習問題を解かない限り前には進めないわけである。

と、まあ、先生の方は張り切っているのだけど、I君の方は何かいまひとつや る気が無いようだ。やる気が無ければやむおえない。やむおえなければ、仕方が無い。

今日も大学で色々計算。計算するということは、暗闇の中でまぎれ込んだ見知 らぬ部屋を手探りで様子を探っているようなもの。うまく行けば灯のスイッチ が見つかってメデタシメデタシということになるが、元々そういうものが存在 しない部屋だといくら計算していても何も出てこない。3月末から細々とやっ てきた計算は、「そろそろ別の部屋を捜してみた方がいいかもね」という事を 示しているような気がしてきたのだが。。。

2002年4月22日(月)
<< 宿題携帯メイルの恐怖(?) >>
今日こそは久ぶりに街へと思ったのだが、色々な理由で午後から大学へ。暑い。 こんなことならサングラスを持って来るんだった。ところで「色々な理由」と は、つまるところ大学の部屋に資料や計算機が置いてあって冷暖房も入り、研 究に便利ということ。本日数式処理システムを使って雲をつかむような計算を いくつか行って様子を見てみたり、いつの間にか高校数学的手計算にハマって しまっていたり。

手近に計算機があると漫然と計算ばかりして何かやった気になってしまう ので、「今日は計算機を使うために大学へ」という10年か20年前みたいな 計算機環境にしておくぐらいがちょうど良い。

途中、お茶を汲みに行った帰りに自家養成サクラI君を見付けたので、先週の 宿題を考えているかと突っついてみるも反応鈍し。これは先週金曜日の夜に思 い付いた演習問題を携帯電話のメイルで2通程送りつけたもの。携帯電話とい うのは便利なものだ。今後もこういう風に使って行こう。しかし、こんな調子 でやっていると、I君のもとには未解決宿題メイルが雪ダルマ式にたまっていく かも。

2002年4月19日(金)
<< 可換環論・代数幾何学セミナー >>
昨日と一昨日の「進化するS藤理論」「(続)進化するS藤理論」を読んだS藤先 生は一言、「これじゃあ、俺と高山がマジで喧嘩してるみたいじゃないか。」 そこで、学生諸君があらぬ心配をしないようにコメントしておこう。私とS藤 先生は20代の頃から過去15年以上にわたってこういうえぐい会話をやってき たわけで、それは愉快な日常生活の断片に過ぎなのである。当然、喧嘩でも何でも ない。

本日午後は院生ゼミと自主ゼミを合体した可換環論・代数幾何学ゼミ。剰余環 のイデアル、ネーター環の局所化、素イデアルおよび極大イデアルとそれらの 特徴付けなどやり、最後にSpec(A)とm-Spec(A)の定義。 自家養成サクラI君はまだ剰余環と自然準同型がしっくり来な いらしく、このゼミの内外で色々とのたうち回っているようである。のたうち 回る努力は決して無駄にはならないよ。

それにしても、私の主催するゼミはやっぱりあっちこっちで同じような議論ば かりしているなあ。来年は趣を変えて、複素多様体とかトポロジーの話でも加 えてみようかしら。

2002年4月18日(木)
<< (続)進化するS藤理論 >>
のっけから一昨日の夜の会話の続きである。

だいたい2年を4年に言いくるめてでも「俺の方が年上なのだから偉い」 と言いたがるのは幼稚なのにも程があるよ。それに君が自慢の筋肉だって是が非 でも「俺は一番だ!」と言いたいばっかりに、ベンチプレス大会で東京都何と か地区第N位 (Nは2以上の整数)になったとき、「でも体重比で比べれば俺が 一番だ」などと強引な論理を展開して僕に自慢していただろう。大体僕みたい なへなちょこにそんな事を自慢して何になるってんだい!?それに、自分に都合の良い 強引な庇理屈を捻りだして無理矢理「俺が一番だ。どうだ、すごいだろう!?」 と自慢したがるなんて、まるで子供じゃん!大体君が2年を3年だ の4年だのに言いくるめるような発言を後生大事に暗記して機械じかけの人形 のように繰り返したがるのは、日頃精神年齢の低さにひけ目を感じているから じゃあないのか。そうだろう!? (ここでS藤先生「そうなのかも知れない」 とバツの悪そうな顔をする。) 立命館を代表する計算機管理者としてのゆるぎ なき名声を確立しつつあるS藤大先生も、もう今年で51才になるのだから、 そういうのは卒業しなきゃだめだよ。(ここでS藤先生の顔が嬉しそうにパッと ほころぶ)

さてここで問題。最後に「S藤先生の顔が嬉しそうにパッとほころ」んだのは 何故でしょう?正解は現在46才のS藤先生のことを「51才」と呼んであげ たからです。以下、会話の続き。

ほらAさん(R大の先生のことである)、見ただろう。S藤先生嬉しそうにしたで しょう。彼は体育会系だから歳を取ってるように言われると嬉しいんだわさ。 こんな簡単な事で喜んでもらえるんなら、何回でも言うぞ。(そして、 その後数時間の間に数回折りを見て 「S藤先生は51才だからね」とか「S藤先生は僕より も10才年上だからね」とか言ってやる。)ほら、これで同じ事○×回言ってる んだけど、その度に同じように嬉しそうな顔をするんだよね。面白い人だなあ。 同じ状況になると前から覚えておいた同じフレーズを何回でも喋るし、同じ事 を言われると何回でも同じように反応する。何だか正確無比の機械みたいだね。 その場その時の気分でいい加減な事ばかり言っている僕とは大違いさ。

かくしてAさんの関西歓迎会は、S藤先生で盛り上がりつつ無事終了したのであっ た。単位の危ない学生諸君は、一度S藤先生のところに行って「先生と高山先 生はいつもタメ口きき合ってますけど、本当はS藤先生の方が10才ぐらい年 上なんですよね」と言ってみるとよい。ひょっとしたら単位がもらえるかも知 れない(嘘です)。

本日午後一番で線形代数の講義。思うように進まず。その後引続き卒研ゼミ。 群の定義、部分群、多項式の定義、代数的集合、多項式環とそのイデアルなど。 卒研ゼミでも院ゼミでも自主ゼミでも同じような事ばかりやっているなあ。

2002年4月17日(水)
<< 進化するS藤理論 >>
国立研究所時代の友人がR大の教員として関西に移ってきたので、昨夜はS藤先 生と一緒に彼女の歓迎会を開く。ところで、身も心も体育会系のS藤先生は、 人間関係を学校時代の学年に還元して、学年では何才上だから俺の方が偉い、 という思考から今だに抜け出せないらしい。たぶん死ぬまで抜け出せないだろ うと思う。新設高校を第1期生として卒業し、「歳が上だろうが下だろうが数 学が出来るほうが偉い」という弱肉強食の数学科で学んだ私には、高々数年程 度の生物的年齢差による「先輩・後輩」なる概念に特別に意味があると信じる このような『宗教』は理解不能であり、漫画としか思えない。まあ、いく ら可笑しくてもS藤先生の寄って立つ所の基本思考なのだからしょうがない。

それでS藤先生は、まるで子供が精一杯背伸びするように、「俺は高山よりもN才上 だ」というNの数値をできるだけ高くするのに大変熱心である。S藤先生は1956 年生まれで私は1958年生まれだから、単純に考えれば2才しか違わないのだけど、 それが彼には我慢ならないのである。「高山と俺とは2才違いだけど、俺は早 生まれだから学年では3年上なんだ!」というのが彼の口癖であり、基本理論 なのである。彼は普段かなりたどたどしい話し方をする人なのだが、このセリ フばかりは常に、論点ブロックを暗記した司法試験受験生のように、縦板に水 の流れる如くよどみなく語れるのである。そして、彼はいつもこのセリフを語 るチャンスを待ち構えていて、多少文脈的に苦しくても「これは行けそうだ!」 と見れば機械仕掛けの人形のようにこの台詞を語り出すのである。

さて、昨夜は久ぶりに昔の仲間同士で夕食をともにし、我々は気分も上々で話もはず んだ。やはり若い時に「同じ釜の飯を食べた」仲間というのは、いくつになっ てもいいものだ。気分のいいついでに、ここでもまたS藤先生のお気に入りの 台詞が炸裂した。しかし、それは次のようなものだった。「高山と俺とは2才 違いだけど、俺は早生まれだから学年では3年上なんだ!」ここまでは、今ま でと同じ。さらに、驚くべきことには、一拍置いて次のような発言が飛び出し たのである。「それに高山は1年大学浪人しているから、大学の学年で言えば 4年違う。大学の柔道部で4年違えば天と地程の身分差だ!」という新しい発 言が飛び出した。まさに、2年を4年と言いくるめるS藤基本理論の新展開の瞬間である。我々の友人と 私は、昨晩のこの歴史的な瞬間に立ち会うことができたのである。

本日「情報処理」と「離散数学」の講義。その後、K川先生や算太郎、U君らが 代るがわる部屋を訪問してきて、適当に談笑する。

2002年4月16日(火)
<< 書簡集 >>
今日も特に雑用は無し。引続き具体例の計算など。

少し前に、注文しておいたA. GrothendieckとJ.P.Serreの書簡集が届いたのだ が、なかなか読む気になれない。ざっと見たところ、内容は現代的な代数幾何 学の基礎が建設されつつあった1960年前後当時の研究の雰囲気が垣間見る ことができる、とても刺激的なものなのだが、全てフランス語で書かれている ところが問題なのだ。元々フランス語がすらすら読める程語学力があるわけで もなく、復習がてらに辞書を引き引き読もうかと思って買ったのだけど、日本 語で講義したりこの日誌を書いたりし、英語の文献を読み、ゲーテでドイツ語 をやり、さらに半分趣味でフランス語で読書となると、私の左脳が脳梗塞を起 こすのではないかと心配になってくる。

新たに何か読むものを増やすよりも、たまには美しいものでも眺めて、左脳の いびつな使い過ぎを休めなければいけないのではと思うし、さらにはここしば らくは今を生きるのに忙しくて古き良き時代の数学研究の雰囲気を楽しむ余裕 まで無いとも言える。書簡集はいましばらくは眺めるだけになりそうである。

夕方からS藤先生と二人でR大学を訪問する。