2002年8月14日(水)
<<ルーチンワーク>>
Herzog先生からのファックスは昨夕帰宅間際ぎりぎりで受け取れたので今日は 大学へは行くまいと思いつつ、以前から一度試してみようと思っていた喫茶進々 堂の"オリジナルライスカレーセット"780円也で昼食をとり、少し休んでか ら数理研の図書室へ。20日から中国で国際数学者会議ICM2002が開かれるた めか、数理研近辺も前回のフィールズ賞受賞者をはじめとして、海外からの数 学者達がうろうろしていた。今回は誰がフィールズ賞を受賞するのか楽しみだ な。

そうこうしているうちに、以前書き散らしたメモを見る必要が出て来て、 夕方5時頃大学へ出向くはめとなった。個研室の机の上の堆積物の中から、そ れとおぼしきものをいくつか引っ張り出して持ち帰ることにした。メモの解読 はこれからなのだが、当時は確か「わかった!」と思った事をちゃんと書き 留めたかどうかは覚えていない。書き留めてなかったら、また一から考え直さ ないといけないのでちょっと厄介なことになる。

"ニラみ論文"の謎は、色々考えているうちにその多くが氷解してきた。あ とひと息という気がする。こういうのは全て「プロなら誰でも知っているルー チンワーク」の部類なのだろうが、何処にも書いてないのに誰でも知っていると いうシロモノであるだけに厄介である。すなわち、論文レ ベルでは「ルーチンだから」という理由で証明抜きで結論だけ書かれるのが常 であり、専門書には「この本の範囲を超えるから」という理由で結論すら書か れないのが常である。じゃあ新規参入者人は一体どうやってそれを学べばいい の?という問題が起こるが、結局ひとりでのたうち回ってひとつひとつ謎解き をしていくしかないようである。

明日から来週始め頃まで出勤しない予定である。

2002年8月13日(火)
<<様子見出勤>>
本日大学の様子見。一斉休暇期間中であるため、水と食糧、そして停電時 に備えて懐中電灯と暑さ対策を怠ることなく昼頃出勤。雑用をしたり 論文をニラんだりしてすごす。

先週金曜日の深夜の日付でHerzog先生からメイルがあった。「共著論文の改訂を しなければならなくなった。資料を送るからファックス番号を知らせよ」とのこ と。ファックスのメッセージを受け取るために、今や陸の孤島と化している大 学に明日か明後日あたりにもう一度来なければならないかも。

代数曲線論の講義ノート(LaTeX版)をプリントアウトしてみたら、既にA4版で3 0ページ近くになっていた。まだ半分程度しか出来上がってないのに!完成時 60ページとして、15回の講義で各回4ページ分喋って...っと。これはどう考え ても無理である。さてどうしたものか。

夕刻、東京から国立研究所時代にお世話になった事務職員の方の訃報が入 る。告別式は明日という急な話で、たまたま大学に来ていたS藤先生と一緒に あわてる。私もたまたま今日出勤していたから良かったものの、そうでなけれ ば告別式の後になってメイルを読むことになっていたであろう。 比較的緊急を要しかつ重要なメイルなんて滅多に来ないので、自宅に居る 間は大学に届いたメイルが読めなくても平気でいたのだけど、こういう事も あるんだなあ。

S藤先生と今年の一回生についてちょっと雑談。私は彼らに対して(去年の 一回生に比べて)何かが「底割れ」した印象を持っていて、ちょっと厄介 な連中だなと思っているのだが、S藤先生も同様の印象を持っているようだ。

2002年8月12日(月)
<<数学者の掟?>>
午前中は色々野暮用。午後は講義ノート作り。夕方頃山科ラクト近辺および西 友近辺に買物に出る。

ここ数日ある短い論文を読んでいる、というよりはニラんでいる。何としても 理解したい証明なのだが、いくつかの部分で私にはギャップが大き過ぎてよく わからない。日本人が書いた論文なので、秋の学会の時にでも本人をつかまえ て聞いてみたい気もあるのだが、普通数学者同士ってそういうことはしないよ うに思う。

たとえそういう事を聞いても「え!?私の証明が違ってましたか?(「間 違ってる」と言ってるんじゃなくて、「分からない」と言ってるんだけど...) どれどれ、もう一度見直してみよう。えーと、うーん。あ、大丈夫だ。間違っ てませんよ。(間違ってないのは御同慶の至りだけど、何故そうなるか?って 聞いてるんだけど...)ハイ、さいなら!(あれれ!?逃げられちまった!)」っ てな感じであまり親切には教えてもらえないと思う。別に実際そういう経験が あった訳じゃないのだけど、類似の経験から類推して何となくそうなりそうな 気がするのです。

そこをもうちょっと頑張って食い下がり、何でそうなるか?って事を聞いてみ ると、「え!?だって、これは○×性の△□だから、こうなるでしょ!?」ぐ らいの情報が引き出せたりする。(○×性の△□だから、だと??何かようわ からんなあ)と思っても、それ以上食い下がるのは、少なくとも相手と「お前 アホか!?こんな事もわからんのか!」「アホで悪かったな。ごちゃごちゃ言 うとらんと、早う教えろ!」ぐらいの会話ができる程度に親しくない限りやめ た方がいいかも知れない。一般的に言って、これ以上食い下がる事が許される のは、学生のみの特権であると思われる。とにかくこの場は退散することにし よう。では、最後の挨拶はどうするか。これが実はちょっとした問題なのだ。

わかってもいないのに「分かりました」と答えると嘘になるし、そもそも 数学の世界では分かってもいないのに「分かった」と言うのが一番いけない事 とされている。これはたとえ学生でもやってはいけない。もしそれを頻繁にや らかすようであれば、その学生は厳しくて怖い数学科の教授達からおおいに資 質を疑われ、「あいつはバグっている」とか「ぜーんぜんダメ!」等々の烙印 を押されることとなるであろう。

さりとて、「分かりません」などと答えると大変なことになる。くどいよ うだが、ここで「分かりません」としゃーしゃーと答えて許されるのは学生の みの特権である。学生を卒業したはずの者が時と場合をわきまえずに「分かり ません」をやると、相手は”学生以下の存在である何か”(それが何なのか私 は知りません)を見下げるかのようにギロリと貴方を睨みつけ、そくさくと立 ち去っていくことでしょう。

そこで、「ふーん。そうなんですか。どうも有難うございます」ぐらいの 適当な答で誤魔化してその場は退散し、後で独り”○×性の△□の謎”にしゃ かりきになって取り組むのである。ああ、数学って何て孤独でいじましい営み なんだろう。  

2002年8月11日(日)
<<筋トレ>>
もののはずみでラクト山科のスポーツクラブに行き、久しぶりにトレーニング をした。「久しぶり」というのはどくぐらい久しぶりなのかというと、14年 ぶりなのである。

14年前と言えば、私は国立研究所の所員で真面目に計算機科学の研究に励ん でいた。一方、S藤先生もまた同じ研究所の所員だったのだが、研究をほっぱ らかして(本人は「誰も居ない夜中に仕事をしていた」と主張しているのだが) 真昼間から筋肉だのトライアスロンだのマラソンだのということばかりやって、 血尿なんか出して喜んでいた(本人は「喜んでいたわけではない!」と主張し ているのだが)。

最初私は、筋肉のことで頭が一杯の(というよりは「脳細胞が筋肉で出来 ている」というべきかも。弾力性に富む丈夫な脳細胞でうらやましい限りであ る)S藤先生を露骨に馬鹿にしていたのだけど、その後思うところあって彼 に弟子入りし、一緒にスポーツクラブに通って筋肉付けて喜んでいた。小学生 の頃からせいぜい1回が限度の鉄棒の懸垂が、一気に5〜6回ぐらいは平気で できるようになったりして、単純に感激していたりしたものである。

14年のブランクがあると、流石に筋肉はS藤先生に弟子入りする前の状態 に戻っていて、筋トレマシンの負荷も相当軽くしないとしんどい状態。元の木 阿弥ってやつですな。昔と比べて少し新しい筋トレマシンが開発されて面白ろ そうだし、イタリアの会議でも「数学は体力」を痛感させられたし、またちょ くちょくスポーツクラブに通ってみようかな、と思い始めている。

2002年8月10日(土)
<<一斉休暇期間>>
自宅軟禁状態の一日。細々と講義ノートを作ったり、論文を読んだり、ぼんや りしたり。そういえば大学の方は今日から18日まで一斉休暇に入ったようで ある。

一斉休暇期間の大学なんて近寄らないに越したことはない。事務や生協は 当然休みでキャンパスは陸の孤島状態になるからだ。下手をすると計算機のサー バが倒れたままだったり、何故か終日停電だったりするかもしれない。停電と なると、真っ暗な階段を手探りで上って5階の自分の部屋までたどり着かねば ならない。やっと部屋にたどりつけても、エアコンは当然動かずに猛烈に暑く、 早々に退散することとなるが、帰りもまた真っ暗な階段を延々と下りていくこ とになる。のどが乾いてペットボトルの飲物でもと思っても、自販機は品切れ のまま放置状態だったりもするし、昼食をと思っても猛暑の中最も近いコンビ ニに行って帰ってくるだけでも40分以上はかかる。

2002年8月9日(金)
<<追試>>
午後に離散数学の追試として口頭試問を行うため昼過ぎに出勤。追試の前後は 代数曲線のノート作り。ノートの完成度はまだ3分の1ぐらい。先の長い話である。

来週中に1回ぐらいは大学に来るつもり。日程は未定。

2002年8月8日(木)
<<4倍速モード>>
もう8月が一週間以上過ぎ去ってしまった。何せ今や10歳の頃に比べて時間 が4倍速モード以上で流れる世界に住んでいるのだから、2ヶ月弱の夏休みな んてあっと言う間である。小学生ぐらいの頃は夏休みが長く思えて、いつも8 月の下旬には退屈し切って学校が始まるのが待ち遠しかったものであるが、今 や夏休みに退屈することなんてあり得ない。

本日午前中から昼食などをはさんで夕方頃まで講義ノート作り。以前、「代数 幾何学の一般論を極力排し、素朴な計算を中心に展開される代数曲線論の講義 をするつもり」などという大見栄を切ったのだけど、どうもそんな調子には行 きそうにない。射影空間、射影代数多様体、アフィン代数多様体、関数体、局 所環、離散付値環、双有理写像といった一般論を多少なりとも導入しないとど うにも話がしにくい。これは私の力不足なのか、それとも現代的な代数曲線論 というのはそういうものなのか。

2002年8月7日(水)
<<夏の日>>
昼間の街に出れば曖昧さのない日陰のコントラストが潔い快晴の夏の日。午前 中は代数曲線論の講義ノート作り、午後は京大数理研図書室。喫茶進々堂には 寄らず。夕食後、また少しノート作り。

数理研図書室では、熱烈尊敬独逸在住経験15年のH先生や、そういえば2 0年振りの再会!学生時代にはK理論をこよなく愛し奈良女子大生との合コン でナレナレシクも初対面の女性の肩なんぞ抱いて「ねえねえ、K理論って知っ てる?すごいんだよ」と延々とK理論の素晴らしさを語り倒した”面白うてや がて悲しき数学徒”伝説を誇る現在某高専教官のT君も来ていた。

京大からの帰宅途中、花王石鹸ホワイト6個入りセットお買い得398円 也とNHK7時のニュース前の天気予報に従い明日の予想気温と降水確率を書き 付ける冷蔵庫貼り付けの小型ホワイトボード用黒色ペンを買うため山科ニック に立ち寄ったところ、何と!某局テレビ番組の「面白学問人生」にも登場した 教授会以外では滅多にお目にかからない某Y教授がちょうど買物をすませてす たこらすたこらと帰る途中のようであった。

今日は普段会わない色々な人に会うことができたな。

2002年8月6日(火)
<< S藤理論は何故進化する?>>
喫茶進々堂も定休日のようだし、数式処理システムで少し実験してみたいこと もあって、昨日に引続き今日も昼食後大学へ。

昨日K川先生から「人間は自分の今までの人生の長さを基準にして時間を感じ る」という学説を聞き、いたく感心した。20歳の時の1年は「人生の20分 の1」の長さである。ところが40歳の1年は「人生の40分の1」という事 で、20歳の時の半分の長さに感じる。何年生きてようと、人は自分が生きて きた今までの人生の長さを1ととらえる。歳とともに1年が過ぎるのが速く思 えてくるのはこのためだというのである。

ところでS藤先生と私の年齢差は2年半程度である。S藤先生は気持的には20 歳前後の頃の大学の体育会の世界にずっと生きているから「2年半というのは 人生の8分の1だから、かなり大きな歳の差だ!」と考えている。しかしなが ら、今までうんと歳下だと思っていた高山が、最近妙にぐんぐんこちらに迫っ てくるように思えて、S藤先生はプレッシャーを感じ始めているのではないだ ろうか。何せ今や高山との年齢差は「人生の16分の1以下」の長さでしかな いのだから。さらにあと数10年もたてば --- それまでに私はくたばっている と思うけど --- 年齢差は「人生の32分の1」程度 になり、はた目には"誤差の範囲"だったり、もっと恐ろしいことには"高山の 方が爺じいに見える"などという事を言い出す輩も出てくるかもしれない。 断固として自分の方が爺じいに見えなければならない。高山なんぞに 爺じいの座を奪われてたまるのもか、とS藤先生は考える。

つまり年齢的に見れば高山はS藤先生に収束しつつあるのである。しかし、 そういう事態は何としても避けたい、とS藤先生なら考えるであろう。 S藤理論が進化するのは、足元から迫り来る高山の追撃を必死に蹴落とそうと するS藤先生の悲しくもささやかな抵抗だったのだ!

次の出勤予定日は8月9日(金)。

2002年8月5日(月)
<<老舗中の老舗>>
特に用は無いのだが、久々の出勤である。

ところで、こないだから「数学科の落ちこぼれ」というのが何となく気に なり続けている。そういえば実のところ私にとって彼らの実態がどうもはっき りしない。

情報学科の「落ちこぼれ学生」についてははっきりしたイメージを持って いる。マル暗記とマル写し以外何もできないし数式なんて見るのも嫌、何も理 解できないし何も考えられない。それでも大学のネームバリューなのか何なの か知らないけど、何とか就職できるようだし、会社に入ってからはなぜかちゃ んと仕事しているようだ。それでは大学教育は一体何だったの?ってことにな るかも知れないが、「就職できて、ちゃんと仕事もできるんだから、いいじゃ ないの」という事で、結果オーライ。情報学科には「落ちこぼれ学生」は沢山 いても「落ちこぼれ学生問題」は存在しないのだと私は思っている。

しかし、もし数理科学科に「マル暗記とマル写し以外何もできないし数式 なんて見るのも嫌、何も理解できないし何も考えられない」学生が居たとすれ ば、それは本人にとってもかなりキツイものがあると思うけどなあ。免疫機構 がある程度生きていないと抗生物質も全然効かないらしいけど、それと同じで、 ごくわずかでも思考力とか理解力とか、数学に対する興味とかが残っていれば 何とかなるのだけど、そういうのが全然無くていわば学力の底割れ状態になって いると、もう大学の数学教師としては手の差しのべようが無いのです (教師抗生物質説)。

だから、そういう学生がもし居たとすれば、彼または彼女はもっと気楽な 世界でやっていった方がハッピーなんじゃないのかなあ。ということで、「そ ういう学生は情報学科に放り出すべし」なんていう"情報学科姥捨て山"説みた いな事を言ったりすわけです。

それにしても一般的に言って数学科というのは「落ちこぼれ学生生産」に かけては老舗中の老舗である。何せ、数学者になれなかった学生は全て落ちこ ぼれなんだから。私も大学卒業後大学院にも入れてもらえず15年ぐらい下品 な世界でうさん臭い仕事をして食いつないでいたのだから、立派に落ちこぼれ である。しかし、いくら老舗でも長年「落ちこぼれ学生」のケアが悪かったが 故に、社会に出ている卒業生達が数学科の味方をしてくれず、場合によっては 敵に回ってしまったりもして、今数学がえらい目に合っているのだと思う。

2002年8月4日(日)
<<具体例の発見>>
夜、さんまのからくりテレビで"ふるさとビデオレター"を見ていたら、「勇気」 という”そのまんま”の名前の男の子が存在することが分かった。あとは、な ぜ「ゆうき」が流行ったのかという時代背景の謎を残すのみとなった。

漫画「野球狂の詩」に出てくる水原勇気が、「ゆうき」ブームの きっかけではないか、という説があるらしい。

2002年8月2・3日(金・土)
<<単純な信仰>>
野暮用にて京都を離れ、二日間数学は無し。ただ、先日京大生協で買った ドイツ語基本例文集の方は少し進んだ。夏休み中に一度全部やって秋口か ら反復して定着させて行こうなどと思いながらやっていて、ふと「 これって何だ か大学受験生みたい!」 と気づいて懐かしい気分になる。

それにしても中学や高校時代の受験勉強は結構楽しくて、たとえ苦手科目 や嫌いな科目であっても勉強する事自体は苦にならなかった。それは私が「素 直な良い子」であって、勉強することが自分のよりよい未来につながるものだ と極めて単純に信じていたからだと思う。そういう単純な信仰は大学時代でも 社会人になってからも基本的にあまり変わらず、学生時代は例えば群論などを 何も考えずにがむしゃらに(一般的に言って、群論はがむしゃらにやらないと 全く理解できない)勉強していたし、会社員時代に私は計算機ソフト屋だった のだけど、ソフトもハードも計算機の事は丸ごと全て理解している技術者・研 究者たらんことをイメージして、独身寮で仕事に直接関係の無い電子回路のこ とや計算機のハードウエア―などをよく勉強してたりした。今はみーんな忘れ てしまったけどね。

40代も半ば近くなってくると、「お勉強と自分の明るい未来との単純で 肯定的な相関関係」信仰を続けるにはあまりにも知恵がつきすぎてしまって、 「がむしゃらな勉強欲」というのは流石にかなり減退している。例えば、学生 時代は沢山のことを勉強すれば偉い数学者になれると単純に信じていたけれど、 今は「偉い数学者の多くは沢山のことを勉強しているが、沢山勉強したからと いって偉い数学者になれるとは限らず、むしろなれないことの方が多い」事を 身をもって知っているし、自分のこれからの人生どんなにうまく行ってもこの 程度、というのが何となく見えてくるから、「ここでこんな事を一所懸命勉強 しても、結局会社員時代の電子回路の勉強と同じ運命が待っている可能性大」 なんて事を考えたりしてしまう。

早い話が勉強の投資効果を現実的に考えるようになるわけだし、研究とお 勉強は全然別の次元のものである事も熟知しているのだ。だから、自分の研究 に具体的に関連しているとか、ドイツ語のように純粋に趣味としてとても面白 いとかいう理由が無い限り、何かに多少興味はあったとしても実際にそれを勉 強してみようと手を出すことはあまり無い。でも、こういう計算ずくの勉強っ て若い人には余り真似して欲しくないな。

ところで、悔いの無い青春を目指す自家養成サクラI君は、一応勉強の方もやっ ているようだ。「青春する」時間もそうだけど、自分の好きなことをがむしゃ らに勉強できる時間も、人生にそうザラにあるものじゃないから、せいぜいお 気張りやす。

2002年8月1(木)
<<徘徊>>
午前中は代数曲線論の講義の準備を少しやり、昼頃に野暮用にて四条烏丸近辺をうろ つき、 午後は京大中央図書館、喫茶進々堂あたりを徘徊する。