2002年8月31日(土)
<<まとも結社>>
夕方頃山科駅近辺に買物に出た以外は終日自宅ですごす。

もう15年以上前になるが、私が某国立研究所で定理自動証明システムとか証明の 自動検証システムの研究開発にたずさわっていた頃、当時の職場の同僚が「(数学の) 証明の正しさの保障は社会活動として行われる」という論説文を見つけてきて、ずいぶん 話題になった。それは大体以下のような内容だったと思う。

現代の数学は高度に専門化し、ひとつの論文を完全に理解しようと思えば、膨大な 文献を孫引きしてひとつひとつ潰していかねばならない。そんなことは普通行われない。 では数学者はどうやってひとつの定理の正しさを保障しているかというと、それは論文の 著者を見て「あいつが正しいと言っているのだから、正しいに違いない」「あいつが言って いる定理だったら信用できない」という具合にやっている。数学者が論文に書かれている 証明の全てを厳密にチェックした上でその定理を受け入れていると思うのは素人の幻想 であり、実際は証明をチェックするのではなく人をチェックするのである。人をチェックする ということは計算機にはまずできないであろう。従って、計算機科学者の一部が定理自動 証明システムだの証明の自動検証システムだのといったものの研究を行っていて、いつか は数学者の仕事の一部を自動化しようなどと考えているようだが、これは馬鹿げたことなの である。

最後の結論の導きかたがいささか強引でいただけないのだが、証明の正当性の 保障が「社会活動」として行われるというのは、原則的には嘘だけど、ある意味では当た っていると思う。ある程度以上の年齢の数学者同士に間では「...ところで○○って人だけど、 彼(または彼女)って『まとも』なの?」というようなヒソヒソ話が頻繁に交わされているように思う。 私は数学者の人事に立ち会ったことが無いので単なる想像でしかないけれど、たとえば貴方 がある大学の数学者のポストの公募に応募した場合、その大学の内外で上記のような密談が 交わされ、それが採用の可否に少なからぬ影響力を持つのではなかろうか。

数学者集団というのは『まとも結社』みたいなところがあって、自分が『まとも』だと思って いる数学者達がひとりの人を「まとも」かどうか判定し、『まとも結社』の仲間に入れるかどう かを決定する。では一番最初の「まとも」は誰なのかというと、それはユークリッドでもアルキメデス でも関孝和でもなくてガウスなのだという説を聞いたことがある。さて、めでたく『まとも結社』への 仲間入りを果たすと、例えば一時間の講演などをやらせてもらえて、そこでは自分が証明したと 主張する定理を証明ぬき(!)で延々と説明することが許されるという具合である。講演の聴講者 は割合「そんなものか」と信じて証明抜きの話を聞いているようである。少なくとも私はそうやって聞 いている。

しかし、例えば証明抜き講演で聞いた定理を自分の仕事で実際に使うとなると、証明が ちゃんと書かれた論文を取り寄せてしゃかりきになってチェックしたりするものだ。自分でチェック してみると、大抵の場合証明が正しいことがわかる。しかし、そこでトンデモナイ証明ミスが見つか ったり、証明のミスが重なると『まとも結社』から追放される可能性も十分考えられる。その場合、 最初にその人を「まとも」と判定した人の責任問題なんて出てこないのかしら。責任とって数学者 やめます!なんてね。まだそんな話は聞いたことがないけど。一方、「あの数学者は、証明は嘘ばかり 書いているけど、よくよく考えてみると正しい証明が見つかり定理自体はいつも正しい」ということにな ると、追放どころか「深い洞察力を持った優れた数学者」としてかえって尊敬されたりする。数学者の 中でも貴族中の貴族クラスになると、自分はただ正しい定理をどんどん発見するだけで、それらをい ちいち証明するなんて下品な事のは下々の人間がやればよろしい、なんて調子だったりするらしい。

ところで計算機屋の世界では「まとも」かどうか問われることなんてまず無かったように思う。それは、 この世界では誰も「まとも」じゃないからだという説もあるし、そもそも計算機科学では「まとも」な奴にロク な仕事はできないのだという説もある。どちらの説も当たっていると思う。ただし、私をふくめた計算機科 学の超マイノリティーであった理論指向の研究者達の間では、「いい加減な奴」かどうははよく話題にな った。多少理論っぽい話ながら、商業ベースで受けの良さそうな話など泥臭い不純な要素を一杯入れ た研究テーマを設定することはよくある。この場合、あくまで問題を理論的に解決することを目標に勇猛 果敢に泥臭い問題に取り組み「身は汚れても心は譲らない」のならば「お行儀の良い理論研究にとらわれ ないスケールの大きい研究者」ということでかえって尊敬されるが、その初心を忘れて予算の獲得とか会社 の中での評価とか延命に重点が置かれ「悪魔に魂を売り渡し」た状態にあるときは「いい加減な奴」と軽蔑 されるのである。しかし「いい加減な奴」というのはほとんど「要領の良い小ずるい奴」という意味に近く、そう いう輩が跳梁跋扈するのは世の常だし、あまり潔癖主義者だとこの業界では生きていけないし、そういう意味 では「いい加減な奴」というのは決して計算機科学者失格といった性格のものではない。こういうようなところ にも数学と計算機科学の根本的な違いが現れていると思う。

2002年8月30日(金)
<<夏惚け解消>>
今日は大学院の入試の面接と判定会議・教室会議等があるため、昼前から出 勤。ついでに図書館で本を返して論文をコピーして、と思ったけれど閉館日。 月末の図書館は要注意という事を忘れていた。

昼頃S藤先生がやってきて密談。帰り際にS藤先生は「最近研究のアイディ アが止めどなく湧いてきて、色々新発見なんかも出来てしまって、どうしょう もない状態なんだ。こんな調子じゃあゆっくり勉強している暇がない」とぽつ りと一言。死ぬまでに一度でいいからこういう事を言っていたいものである。 それにしてもS藤先生の絶好調はいつまで続くのだろう。

教室会議では、夏休みボケの頭に相変わらず前途多難な数学教室の諸難題 が突き刺さり、何か一気に夢から醒めたような気分になる。夏惚け解消には会 議が効く?

2002年8月29日(木)
<<穴あき体質>>
昼間は京大数理研図書室へ。数理研の後で立ち寄ろうと思っていた喫茶進々堂 は、遅めの夏休みなのか来週火曜日まで休業らしい。講義が始まるのはもう少 し先だけど夏休みも今日で一区切りで、明日からぽつりぽつりと会議などの学 校行事が始まり頭の中が忙しくなる。

ところで私は計算機のシステム管理というものが大嫌いで親のカタキのよ うに思っているのだが、その理由はほんのちょっとした情報が無いと全く先に 進めなくなることがよくあり、それを手に入れるのに全く不条理な苦労を強い られ、多くの場合は膨大な時間を空費させられるからである。OSでもハードウ エアでも色々なバージョンのものが次々と作られ、マニュアルなども一通りの 事は書かれていても、各バージョンに対応した細かな事となるといちいち改訂 されないし、書かれていても正確でなかったりする。しかし、誰にでもわかる 所にはっきりとは書かれていない細かな情報--- それは大抵ちょっとした操作 法の類のものだが--- が大事なわけで、それを得るために常々膨大な時間と労 力を費やして色々なものに目を通すようにするか、そのちょっとした操作法を あてずっぽうで推察する勘を働かせなければならない。それは、数学とか計算 機科学の研究などで論理的な推論を働かせながら色々な情報を集め、それをも とに考察を深め、疑問を解決していくのとは質的に全く異なる作業である。

何故こんなことを書いたかというと、私が計算機メーカに入社して最初の仕事が 世界初の逐次型推論マシンのOSの開発というものだったのだが、それとシステム管理 の類似点にふと気づいたからである。

OSの開発チームは40〜50名程度の技術者で成り立ち、当時としては最 新の大規模ソフトウエアの開発手法である徹底したオブジェクト指向仕様記述、 オブジェクト指向プログラミング、論理型プログラミングによる強力なデバッ ガ機能などを採用した。それらが効を奏して開発の途中までは比較的順調だっ たと思うが、やはり最後の1年ぐらいは、少なくとも開発最前線は完全な泥沼 状態であった。

それぞれのメンバーが色々な部分を分担して作っていて、しかも自分が作っ ている部分は別の人がつくっている部分とリンクさせないと動かないという関 係にある。つまり自分以外のメンバーが作った部分 -- これを仮に「環境」と 呼ぼう -- の上に立ってはじめて自分の仕事ができるのだ。そして各メンバー がどんどん作業を進めると当然ながら色々なバージョンの環境が錯綜し、昨日 ちゃんと動いた自分のプログラムが今日は動かない。何故だろうとまる一日潰 してあれこれ原因を調べると、ある部分を作っている人がその部分の仕様をほ んの少し変更したことが原因とわかる。しかも、変更したプログラムに微妙な バグまであることがわかり、自分のプログラムのデバッグをしているのか他人 のプログラムをデバッグしてやっているのかわからない、といった事が毎日の ように起こる。

一応各メンバーがプログラムを変更した時は、担当部分の仕様書に反映し、 チーム内に速報することになっているのだが、細かい仕様変更のためにちいち い仕様書を改訂するなんて面倒な事はやってられない。さらに、仕様書は数学 書ではないし、数学のようにソフトウエアの仕様を厳密に記述する言葉も普及 していないので、仕様書を見てももかならずしも正しい情報が得られない。そ して、まさにこれらがどうしようもない泥沼的混乱の源なのである。

自分でアタリをつけて開発者本人に問い合わせないと決してわからないちょっ とした変更。こういう情報が無いと全く先に進めず、そしてそのような全体的 な見通しとか論理的な推論といった頭脳労働では決して得られない情報を得る ために、文芸書などを読んでも目が文字を上滑りして文章の意味がすぐわから ないぐらいに脳味噌が消耗する日々を私は送っていたのである。この不条理さ はまさにシステム管理のそれと同じだと思う。

さてその後どうなったか?まず第一に、この体験が現場の開発技術者から 足を洗った私の計算機科学研究者としての出発点となったのである。つまり、 いくらオブジェクト指向だの何だのとナマっちょろい事を言っても全く解決さ れない問題が大規模ソフトウエア開発の現場はあるわけだ。その問題に真っ向 から取り組みたいということでプログラム理論の研究を始めたのである。その 結果得られたものは、「ほとんどの計算機屋は私が『解決すべき重要問題』と 思った事を、問題とも何とも思っていないか、少なくともそう解釈せざるを得 ないような思考・言動をする」という認識である。ほとんどの「現実主義の計算機科学者・ 技術者」は勿論のこと、プログラム理論の数学的背景であるところの数学基礎 論などに精通したS藤先生ですら、プログラム理論やソフトウエア基礎論の必 要性や重要性は全く理解できないのである。もっとも、S藤先生の場合はシス テム管理が大好きで、それに全く不条理さを感じないわけだから、プログラム 理論やソフトウエア基礎論のモチベーションがわからないのは当たり前といえ ば当たり前だが。つまり、あのような不条理さが好きな人達 --- 本音のところで は"現場の泥沼のような混乱"という自分達の無上の楽しみを取り上げようとす るいかなる動きにも断固として抵抗するぞと決心している人達--- が計算機科学を 支えているのである。これはあなどれない世界ですぞ。

だから、プログラム理論やソフトウエア基礎論は、いくら世のため人のた めに良かれと思って頑張って研究しても誰も感謝してくれない。そもそもそう いう不純な理由でやるにはあまりにも高尚な学問なのかも知れない。つまり、 それを研究していればそれだけで自分は限りない幸福感にひたれる。それで十 分なのだが、できれば自分の幸福感を伝え、より多くの人達を幸せな気分にし てやりたい、ぐらいに考えられる人でないと手を出してはいけないのだと思う。 (私は数学だったらそういう風に考えられるけどね。)私の場合は、あの頃 「数学をやってはいけない立場」だったし「他にやることが無かった」しそし て何より「こんな不条理なことがあってたまるかという義憤にかられ、見当違いの 男気を出して」プログラム理論に手を出した不純者だから失格なのである。まあ、博 士号が取れて大学に戻れたのだから個人的には十分意味があったわけで、もう それでいいではないかと思って完全に手を引いたのである。

それからもうひとつある。今振り返ると、私はいつの間にか、システム管 理にせよOSなどの大規模ソフトの開発にせよ「つまらない情報を得るための不 条理な苦労を強いる仕事」を押し付けられる、あるいは押し付けられそうにな るたびに体が拒否反応を起こし十二指腸に穴が開くワガママな体質になってし まったように思う。本格的に穴が開いたのは会社をやめて大学に移る数年前と、 情報学科をやめて数理科学科に移る数年前である。いずれの場合も「穴」が大 きくなってどうしようも無くなる前に職場を変われたのは実に幸運なことだけ ど、欲を言えば「穴」が開く前に職場を変わりたかったと思っている。

2002年8月28日(水)
<<なまっていた筋肉>>
昼間は一歩も外に出ずに自宅で過ごす。夕食後、ひと休みしてから山科ラクト のスポーツクラブへ。ジムは結構な賑わいで、平日の夜にスポーツクラブに通 う人がこんなに居るのかと驚かされる。

トレーニング・マシンの負荷を最初の頃に比べてうんと上げているのだけど、 特にキツイ感じはしない。通い始めてまだ3回目だから、筋肉がついたというより も、 なまっていた筋肉がまともに働くようになっただけのことだと思われる。頭も日常の あれやこれやにかまけてしばらく使わないでいると、(脳細胞が死滅したわけでは なくても)ぼんやりしてしまい、それを我慢してしばらく使っているとまた少しは働 く ようになる。それと同じ現象なのだろう。

方丈記を少し読んでから寝る。

2002年8月27日(火)
<<方丈記 >>
昼間は主に自宅で過ごし、夕方頃京都駅近辺に外出。緑ゆうこ「イギリス人は 理想がお好き」によれば、イギリス人には人生には不可抗力によって諦めなけ ればならない不条理なこともあるのだという日本人にとっては当たり前の認識 が全くなく、それが地震・雷・火事・台風に翻弄され続けてきた「方丈記」が ある国民とそうでない国民の違いなのだそうである。それは本当かしらと思っ て、「方丈記」を買う。これは中学生や高校生の時によくお世話になった対訳 本の類である。本当は中世の妖怪変化のおどろおどろしい話が一杯書かれてい るという「日本霊異記」が読みたいのだけど、対訳本は見当たらず残念。つい でに学習参考書コーナーで「古文研究法」(小西甚一)をみつけたので、懐か しくなって思わず買い、京阪ホテルの喫茶店で夕食をとりながら読み耽る。

この「古文研究法」は私が高校生の時定評があった学習参考書であるが、 国文学者の著者が「学習参考書だからこそ本格的な古典入門書を書かねばなら ない」と並々ならぬ気合いを込めて書いた本のようである。高校生だった私は 著者の心意気におおいにうたれ、学者の気概とはこういうものかと感心すると ともに、この本はぜひ読まねばならぬと思ったのである。しかしながら、結局 大学受験生時代はほとんど読まないうちに終り、「いつの日かまたちゃんと読 んでみたいな」と思いつつ20数年の年月が経ってしまったのだ。この本が今 でも売っているのには驚いたけど、今年の3月になんと(!)改訂98版が出 ているぐらいだから、ちょっとしたロングセラーのようだ。

2002年8月26日(月)
<<様子見出勤>>
本日久ぶりに様子見出勤。ずっと待っていた郵便物がやっと届き、それに従っ て色々事務手続きをし、岩波基礎数学「代数幾何学I,II,III」(飯高茂)他2冊を 図書館で本を借り、部屋に戻って講義ノートに少し手を加える。学生時代は、 いきなりデパートの屋上遊園地の話が楽しげに始まるものの、そこにたどり つく階段もエレベータもエスカレータも無く、一体どこから読み始めれば良い のだろうと取り付くしまの無いように思えた「代数幾何学I,II,III」だけど、今なら 読めそうだ。たぶんきちんと読む暇は取れないけれど、寝っころがって本文の 要所要所に散りばめられているあの独特の飯高節を拾い読みするだけでも楽 しいであろう。

また、研究室の本棚の隅に放り込んであったC. Hunekeさんのtight closureの 講義録が目にとまり、ふと「読んでみようかな」なんて気を起してかけて踏みとどま る。 最近可換環論ではtight closureの研究がえらく盛んなようで、学会などでよく講演 を聴く機会があるけど、私はこの話が全くわからない。とても重要な理論らしいので 基本的なアイディアや概要だけでも理解したいのだけど、今考えていることと直接 関係は無さそうだし、あまり手を広げすぎると収拾がつかなくなるからなあ。

夕方頃日誌を更新しようと思ったらネットワークの障害が置き、システム管理者 のみならず誰も居ないので、しょうがなくそのまま帰宅。

2002年8月26日(月)
<<様子見出勤>>
久々の様子見出勤。先週から待っていた郵便物が届いたので色々事務手続きを したり、図書館で本を借りたり、講義ノートを少し書き加えたり。講義ノート のページ数はA4版で50ページを超えるのは確実のようである。

2002年8月25日(日)
<<景気付け>>
お勉強モードで行き倒れたものの研究モードに移行しそびれたため、昨日は ぼんやりと過ごしてしまった。今日は喫茶進々堂へ行って少し景気付けをして、 10日程前まで考えていた事を思い出す。

2002年8月24日(土)
<<便利な魔法の呪文>>
最近どうでも良くなってきたから余りやらないけれど、私は数学を軽視する 情報学科を批判してきた。しかし、だからと言って計算機科学と(多くの純粋) 数学者が思い描くところの数学が本質的に深い関係にあるとか、計算機科 学者がそういった数学を大切にするべきだという風には考えていない。正確 には、「数学を軽視する」ことに象徴される「物事の原理的な理解を軽視する」 態度を批判していたのである。

私がかつて主張していたことは、次のようなことである。世の中のニーズ だの流行やらに踊らされて次々と新しいプロダクトの開発につまみぐいのよ うに手を出すのは今日明日の事しか考えられない企業のやることであって、 学問として計算機科学をしっかりやっていくには、プロダクトの原理的な理 解を追求する必要がある。そのためには、世の中の表面的な流行から少し 距離を置いて、設計を見直したりコードを書き換えたりして一つのプロダクト を何年もかかって練り上げていく態度が必要である。そこでは、完成度の高 いプロダクトのみならず、その背景にある普遍的な設計原理が追求されるべ きである。あるいは、設計原理よりもさらに高い立場に立つことも必要である。 この場合、理論モデルを作りそれを数学的方法で研究するのである。その ような理論研究の成果は、実際の設計にも還元することによって評価され、 そこで見出された新たな課題は理論研究にフィードバックされるべきである。

これは要するに、計算機科学は工学としてちゃんとやっていくべきだ、と 言っているに過ぎない。工学というのは単に次から次へと物を作るだけでは なくて、「誰でもこの手順に従っていけば良いものが作れる」「誰でもこの理論 や原理をふまえて設計していけば大きな間違いは起こらない」という理論なり 原理を追求するからこそ学問と呼ぶに値するのである。私が情報学科を批判 していたのは、このような問題意識自体が希薄だと判断したからである。

ところで、厳密科学(exact science)を軽視する世の中の動きから数学教室 を守るため(?)、あちこちの数学科では「情報関連分野」を取り込むことが流行 っているが、ここに困った問題がひとつある。ずっと数学だけでやってきた数学 者たちが「情報関係の分野」と言うとき、それが何を指しているのか私にはさっぱり わからないのだ。「情報関連分野を取り入れた」とされる各大学のカリキュラム や教員構成を見ていても、やはり私にはよくわからない。

「情報」という言葉に込められた意味は数学者によって多少の違いはある ようだけど、何か「情報数学」という名前で講義するのにふさわしい応用数学の 分野があって、適当に計算機を使って計算したりするようなものを想像しているよう でもある。数値計算だとか、数理計画法だとか制御理論だとか、符号・暗号理論 だとか、色々あるようなのだが、残念ながら私はそういう方面はよく知らないし、興味 も無い。

それに、どうも「情報関連分野」というのと私がかつて専門にしていた 「計算機科学」というものは別のもののような気もする。私の知っている 「計算機科学」は計算機アーキテクチャーと基本ソフトウエアに関係するもの を指しており、アプリケーション・ソフトは含んでいない。大雑把に言って、 計算機メーカーが計算機本体を設計・実装する時に関連することを考える学問 が私が知るところの計算機科学であって、ソフトウエア会社などがある特殊な アプリケーションを開発するときに必要なアプリケーション対象領域(科学技 術計算とか金融システムとか)の知識やそれを計算機で処理する方法論だとか は計算機科学の中に含めて考えてないか、あるいは「端ばしの諸分野」 程度にしか考えていない。そういうのは「計算機科学」というより 「情報関連分野」と言うのだろうと思う。

例えば、計算機代数などは数学の新しい一分野としては面白いと思うけ れど将来性は今のところ未知数で、計算機科学サイドから見れば現代の計算機 科学の広がりの中では相対的に小さな一部分でしかない数学アプリケーション・ソ フトのひとつに過ぎず、私の考えるところの「計算機科学」の根幹には何ら関係して いない「端々の諸分野」のひとつなのである。別の言い方をすれば、計算機代数は 数学の一分野として多くの数学者の評価に十分耐えるもので無い限り、ほとんど何 の価値も無い学問分野になってしまうというのが私の考えである。 「だから、そのつもりで気合を入れて頑張ってくれたまえ!」と常々S藤先生には 言っている。まあ、S藤先生が頑張らなくても、計算機代数は既に多くの数学者が 認めるところとなっているようである。他にはそういう分野はないのだろうか? 私はよく知らない。

ところで、私がかつてやっていたプログラム理論というのは、理論計算機 科学の一分野としてまさに私が考えるところの計算機科学の根幹にかかわる最 重要分野のひとつであるが、数学として見た場合の価値は低い、というより数 学的には1930年代の計算の理論から殆ど何の進歩も無いと思う。では、計 算機科学者の評価はどうかというと、残念ながら最低である。何故かというと、 今や大多数の計算機科学者というのは抽象的で理屈っぽいことが大嫌いだから である。論理的な話が大嫌いなのは、何もウチの情報学科に限ったことではな い。そしてその分野に直接関っている(奇特な)人間以外誰からも理解や敬意 が得られない分野というのは、学問としての価値が「ある意味では低い」と私 は考えている。何故ならば、予算も人も後継者育成も研究者のポストもそれら を勝ち取るための政治力も何もかもがんじがらめの圧倒的孤立無援状態の中で は、学問の継続はかろうじて可能だとしても、大きな発展はあまり期待できな いからである。まあ、誰か天才が「ホームランを打って」くれれば話は別かも 知れないが。

さて、数学だけやってきた数学者の言うところの「情報関連分野」の意味 はよくわからないし、心あたりもないので、それについては考えようもない。 つまり、私はこの件について何かまともな意見が言えるほどの見識は持ち合わ せていない。だから、とりあえず誰かが何か言ってきても、聞き流すだけにと どめておこう。

それに、一般的に言って日本の数学者が「情報関連分野」だの「応用数学 分野」だのを数学教室に取り込もうなどと画策するときは、学問論からという よりもむしろ教員定数の確保等の組織論として議論するのが通例である。この 場合、本音のところ「情報関連分野」の中味なんて辻褄が合えば何でも良いの であって、もしかしたら「情報」という言葉も、何か便利な魔法の呪文のよう な気分で使っているのかも知れない。

まあ、組織論も魔法の呪文も別に悪いことでも何でもないし、おおいに結 構である。しかし、元計算機科学者として私などが変に責任感や使命感を感じ てしまって、こういう話に真面目に学問論を振りかざしながら付き合うのはほ とんど見当外れであって、そういうみっともない真似は厳に慎むことにしよう と思う。そういう場合は、単に一人の数学者として淡々と議論に加わることに しよう。このとき、私が注目するのは「それは数学として意味がある分野か?」 という一点に尽きるであろう。

2002年8月23日(金)
<<行き倒れる>>
講義ノートとりあえず版の修正を終え、リーマン・ロッホの定理の部分に少し はいったところで嫌になってきて行き倒れる。残りの作業はもうちょっと後回 しにしよう。

お勉強モードが続くと嫌になってきて、少しは創造的な頭の使い方をした くなり研究モードに移りたくなる。お勉強のように人のやった仕事を忠実にフォ ローするだけじゃあつまんないから、自分で新しいことでも考えてみようかと いうわけである。しかし、新しい事を考えるというのは、言うは易く行うは難 しで、研究モードでしばらくやっていると、なかなか良いアイディアが思い浮 かばず悶々とする状態が続き、それで嫌になってきて行き倒れて、講義の準備 などを口実にお勉強モードに戻るのである。まさに揺れ動く私である。では、 お勉強モードにも研究モードでも行き倒れた時には何があるか?それはドイツ 語である。ドイツ語でも行き倒れたら絵でも描こうかしら。それでも行き倒れ たら卓球?いや、それはちょっと悲し過ぎる。

2002年8月22日(木)
<<焦る>>
昼頃醍醐図書館に本を返しに行ったついでに少し買物をし、帰宅してからは講 義ノートの修正に励む。修正が終わったら、手をつけ始めたばかりのリーマン・ ロッホの定理の部分を書き足さねばならない。講義のタイトルはいつの間にか、 「代数幾何学入門 -- 代数曲線論を中心として --」に変わってしまっている。 「代数幾何学入門」とはいささか僭越な大看板になってしまったが、内容がそ うなのだからやむおえない。どうりで準備が大変なはずである。私にとっては 結構勉強になるから、いいんだけどね。

後期の授業の開始は9月の終りだから、夏休みはまだ1ヶ月残っているは ずである。講義の準備をして、それ以外のことにも手を出すには十分な時間が あるわけだ。しかし、甲子園も終り猛暑も一息ついた8月の終りって、何がど うって訳ではないのだけど気分的にけっこう焦ってくるんだよね。

2002年8月21日(水)
<<フィールズ賞>>
先日の台風の影響か、秋のように涼しくて快適な天気である。窓を開けてエア コンをつけずに畳の部屋に寝転がり、まだ完成には程遠い講義ノートの校正な ど。

今回のフィールズ賞授賞者は数論のラングランズ予想に関した仕事をした フランスのLaurent Lafforgueと、代数幾何学の新しいコホモロジ―理論に関 した仕事をしたロシアのVladimir Voevodskyの2名のようだ。O坂先生が北京 でやっているICM2002に出席しているみたいだから、また授賞式の様子なんか を聞いてみることにしよう。

ところで、フィールズ賞って最近は毎回4人ぐらい授賞してたけど、何で 今回は2名なんでしょうね。前回のICMで、4名の授賞者以外にフェルマー予 想を解いたA. Wilesさんに特別賞を出して合計5名の大盤振るまいだったから、 今回はちょっと締めようとしたのかしら。とにかく、授賞者の専門が数論と代 数幾何学ってところが、いかにもフィールズ賞だなって感じがする。まあ、私 の専門と興味に近いのは嬉しいけれど、可換環論でフィールズ賞ってのはまず ありそうにないのがちょっと悲しい。何故可換環論でフィールズ賞があり得な いと思うかというと、それは数学の深さの問題である。気のせいかも知れない けど、少なくともはた目には数論や代数幾何学の方が可換環論よりもうんと深 いように思えるのだ。

2002年8月20日(火)
<<空振り出勤>>
今日あたりに届いているはずの某国立大学からの連絡を待って、ある手続きを しようと当たりをつけて大学に来たのだけど、連絡は来ずに久々の出勤は空振り。 一体彼らは何をしているのか。長期の夏期休暇を決め込んでいるのか、はてまた 独立法人化の準備でてんやわんやになっているのか。

しょうがないので、生協の書籍部に行って「現代ドイツを知るための55章」 (浜本・高橋)を買い、「代数曲線論」(小木曾)を買おうか買わまいか悩んだ末 買うのをやめ、教務課に「情報処理」の成績表を提出し、ポストに入っていた給 与明細を受け取り、数物事務室に置いてあった某先生のスイス土産だとかいう お菓子を頂戴し、部屋に戻って講義ノートに少し手を入れたりしてから、早々 に帰宅する。

次回は少なくとも30日には出勤する予定。

2002年8月18日(日)
<<ピンポン玉が一番偉い世界>>
本日「西卓会」に参加。西卓会とは毎年この時期に行われている三重県立津西 高等学校卓球部のOB会で、昼は母校で現役の卓球部員と一緒に卓球大会をやっ て、夜は場所を変えて宴会をするという催しである(私は宴会は参加しなかっ た)。私はかつてこの卓球部において「人間、いくら努力しても何の進歩も無 いってこともあるもんだ」という人生の不条理を初めて学び、連敗セット数記 録を更新し続けていたのである。そしてまさにそれ故に、私が津西高校卓球部員で あった事は、私立高田中学校卓球部で万年素振り・玉拾い部員であった事や、 一ヶ月だけではあるが京都大学体育会卓球部部員であった事と、それやこれや の忌まわしき経歴が人事部経由で関係者に知られてしまったために入部するこ とになってしまった沖電気工業株式会社卓球部宴会およびスキー・テニス合宿 専門部員であった事とあいまって、私の限りなく輝かしくも美しいはず(!)の経 歴に暗い影を落とし続けているのである。ああ、何で私は卓球なんかにかかわっ てしまったのだろう。 もう一度人生をやり直せるならば、卓球と計算機科学とは無縁の人生を歩 みたいものである。

そもそも8月に卓球大会なんて、もってのほかである。夏の卓球ほど狂っ た営みはそう滅多にお目にかかれるものではない。明るい太陽が嬉しい夏の真 昼間に、まぶしくてピンポン玉が見えなくなると言っては体育館の窓という窓 を全て理科実験室で使うような暗幕でふさいで太陽光を完全に遮断し、風が入ると ピンポン玉が吹けて玉筋が狂うと言ってはやはり体育館の扉といい通気窓とい い全て閉め切ってしまう。連中は二言目にはピンポン玉がこうだからどうのこ うのと、ピンポン玉の御機嫌ばかり取っている。とにかくこの世界ではピンポ ン玉が一番偉いのである。そして昼なのか夜なのかわからない青白い蛍光灯の 光だけを頼りに、サウナ風呂のように蒸し暑い室内で、吹けば呼ぶようなピン ポン玉を気ぜわしく追い掛け回し、わざと相手が取りにくい陰険な玉を打って、 目論み通りに相手が玉を取り損ねたら「よし!」とか言って底意地悪く喜んで みせたりするのである。百歩譲ってこれを狂っていると言うのは言い過ぎだと しても、そこに麗しい人生の雛型なりヒントなりを見て取るのは至難の技であ ると言わざるを得ない。

以上の理由でこれまで一度も西卓会には参加しなかったのだが、今回は同 期の友人に強く誘われたことと、「怖いもの見たさ」が手伝って、ちょっと覗 いてみようかということになったのだ。卓球大会では、予想通りサウナ風呂状 態の体育館で水を飲んではそれを汗に出すということを繰り返して新陳代謝を おおいに促進し、高校時代からの連敗セット数記録を(正確に試合の数だけ)更新し、 ついでに私が入学するのに合わせて建設された(何故ならば私達が第一期生だ からである!)校舎の中をうろついて20数年の時の流れを確かめたのであっ た。

で、結局何が面白かったか?というと、私を誘った同期の友人の発言「若 い人と一緒に何かするって、結構面白いでしょ」に尽きるような気がする。 ああ、何ておじさん臭い発言なんでしょう!まあ、しょうがないか。 OB会と言っても、私を含めて第一期生は3名だけで、あとはいきなり第1 8期生に飛び、それから第21期生、第24期生、第26期生なんて調子で、 参加しているOBのほとんどが大学生か大学院生ぐらいの人である。普段職場で 相手にしている学生達と年齢層が近い。それにプラスして、参加したOB達とほ ぼ同数の現役高校生達である!うーん、さすがに高校生ってのは若い。こんな に若いものとは知らなかった。

2002年8月16日(金)
<<私もよくわらない>>
日本数学会の会誌の一つに、全国の大学の数学教員に行ったアンケート調査の 結果が出ていて、近年の大学生の様子について色々書かれている。それをパラ パラと見ていたら、「抽象的な概念が理解できない、または拒絶反応をおこす」 だとか「自分で考えることを拒絶する」だとか「数学の面白さが分からない」 だとか「数学を必要とは考えていない」などと書かれていて少し驚いた。何故 かというと、私はこれまでこういうのは(ウチの大学の)情報学科の学生の特性 だと思い込んでいて、どの学部学科ということではなく全国的に広くみられる 一般的傾向であるとは考えてなかったからだ。

世の中の数学教師はこのような傾向を困ったことだとか、何とかしなけれ ばならないと考えているようである。では、数学教師以外はどう考えているの かしら。少なくともウチの大学の情報学科の教員達は何とも思ってないようで、 むしろ学生達のそのような傾向を逆手にとって、より一層の受験生集めや、自 分の研究室の人気集めを画策するのに一所懸命のようだ。確かに世の中の大き な流れに逆らっても何も得るところは無いだろうし、むしろその場その時の時 流に乗ってうまくやる方が賢い生き方であるとも言える。ただし私の場合は、 時流に乗ってうまくやる事に何か意味があると思う感覚が圧倒的に欠如してい るので、彼らのノリにつき合うのはまっぴらだが。

さて、学会誌にはそういう学生が増えてきた原因は何だと思うかというア ンケート結果も出ていて、それを見ると結局色々な憶測があるものの、それら が全て原因となっている複合汚染的な事態のようにも思えるし、実は本当の理 由は誰も知らないのではないかとも思える。私もよくわからない。