2002年12月31日(火)
<<場末のエロ本屋>>
大晦日を実家で過すのは10数年振りである.まったく三重県の津市というの は,私の子供の頃と打って変わってずいぶんさびれ果て,年の瀬なんてのは寂 しい限りである.

たとえば,私の実家の近所にB書店という,津では一番大きい本屋がある. 私の中高校生時代は売り場が3階まであって,3階は豊富な種類の学習参考書 や問題集,2階は工学,医学,教育学,農学などを中心とした大学の専門書, そして1階は一般書や雑誌の売り場であり,ずいぶんと盛況だったものである. ところが私が大学を出てからは,売り場が2階までとなり,2階は僅かば かりの学習参考書と一般書や語学参考書などが中途半端にならび,1階は半分 ぐらいのスペースに雑誌や文庫本が申し訳程度に置いてあり、残りはほとんど 場末のうらぶれたエロ本屋状態だった.そして,今はエロ本屋路線はさすがに 反省してやめたようだが,売り場が1階だけで2階以上は何やら倉庫のように なっている.

もっとも,B書店は津の郊外に大きな駐車場を備えた立派な支店をいくつ も作り,B書店全体としてはおおいに発展繁盛しているようなのだが,本店の さびれぶりは,かつて津一番の繁華街であった私の町の変遷を実によく象徴し ていると思う.

2002年12月30日(月)
<<愉快な時代>>
中学校の同窓会に参加.中学生時代というのは,私のこれまでの人生でもっ とも愉快な時代であり,およそ不安,不満,怖れ,不信,虚しさ,無力感,や り場のない怒り,居心地の悪さといったものとは無縁な毎日を送っていたと思 う.旧友たちとの会話は,私好みの突っ込みのドギツさと,言葉のエグさでき らびやかに彩られており,ああこんな胸のすく会話は何年ぶりかしらとしみじ みと感じ入ったのであった。

さて,この中学校は三重県ではトップの進学校であるが,当時はまだ中高一貫 コースではなかったため高校はそれぞれ色々なところに進学した.そのため半 数以上の人とは29年ぶりの再開である.盛り場でヤクザ狩りをしてたという 極道人生から足を洗って今は堅気の商売をしているのも居れば,末は財務省事 務次官か日銀総裁も夢じゃない超エリート官僚まで,あるいは,もうおじいちゃ んになってあとはクタバルのを待つだけの,やけに人生を生き急いでいる輩か ら,今年10歳以上年下の女性と結婚する淫行野郎まで色々いる.そういえば, 進学校にありがちなこととして,医者になってるのがやたらに多い.

去年参加した高校の同窓会では「あれ?高山君,普通になってるじゃないの?!」 と驚かれたが,今回は「高山,おまえずいぶん大人しくなったな.昔はもっと 見るからにオカシかったじゃないか」と驚かれる.どうやら,中学高校時代の 私はどうしょうもなく頭のおかしい青少年だったらしい.では,一体私はいつ 「普通」で「大人しく」なったのかというと,多分厳しいサド・マゾ教育を受 けた京大数学科時代ではないかと思う.その時期に私のオカシさは,見るから にいかにも,という感じから借りてきた猫のように内向化したものに変化し, 現在のようなねじくれた人格が形成されたのであろう。

2002年12月29日(日)
<< 心は既に退職者 >>
今朝は定番の悪夢2連発で目を覚ます。

最初の夢は、何故か立命の教師をクビになり、昔勤めていた国立研究所に 出戻ったところから始まる。大部屋の研究所だけれど、私の机や居場所が無い。 所長のU氏(実在の人物である)にどういうことかと聞くと、「君をここの所 員として置いておくつもりはない。はしばらく籍だけ置かせてやるから、その 間に外国の大学にでも職を見つけてそこに行きなさい」とのこと。もう日本に は自分の居場所が無い。かと言って、外国に自分の居場所を見付けることがで きるかしら。不安に思っているうちに、二番目の夢に突入。

12月である。3月には京大の入試を控えている。だけども、物理、化学、 世界史を全く勉強していない。古文・漢文も最近御無沙汰で忘れちまったな。 理科は数学に比べて不純だという理由で嫌いで、物理、化学は馬鹿にし切って いて元々ちゃんと理解してないから、教科書レベルから始めないといけない。 世界史は結構好きだけれど、暗記が苦手だから年号とか固有名詞とかを覚える のは時間がかかる。これでは浪人必至だな。外国の大学での職を探さないとい けないし、京大の入試もあるし、どうしよう。うーん(と、目が覚める)。

ちなみに、最初の夢は、国立研究所を契約期限切れでクビになって計算機 メーカーに出戻った時の様子と心理的風景としては同じだし、二番目の夢は実 体験そのもの。この二つの夢は形を変えて繰り返して見るぐらいだから、大学 入試と大学教師への転職先を捜していた数年間は、我ながらよほどこたえたの だろうと思う。いずれも、ふと足元を見れば地獄の底がぽっかり口を開けてい るという、心底背筋が寒くなるような気分があって、それは今でも何となく覚 えている。

”情報学科で長年冷や飯食い”体験も、もう少し続いてれば栄(は)えあ る定番悪夢の殿堂入りを果たしていたかもしれないな。いや、もう既に殿堂入 りをしていて、今は潜伏期間なのかも知れない。

これら全てに共通するモチーフは”自分の居場所の崩壊”。そして、自分 の居場所を学校や職場に求めたがるという私自身の習性が浮かび上がってくる。 この習性はあまり関心しないし、何とかしないといけないと思う。第一に、こ れが色々なつまらない苦悩の原因になっている。第二に、この習性を持ち続け ると間違って長生きしてしまった場合にきつい。第三に、他人の思惑によって 如何様にも変わる、職場の居心地を当てにして生きるというのは、どうもあま り格好がよろしくない。

来年のスローガンは、「心は既に退職者」でいこうかしら。

2002年12月28日(土)
<<オニとホトケ >>
某A先生の日記に書かれていた、我が立命館数学科の(自主)ゼミについての 「軟弱な理由(試験の準備とか予習不足とか)でゼミを休むというのは、本来 許されないはずなんですけどねえ」という言葉がチクリと胸に突き刺さる。

以前から気になっていたことだが、確かにウチの大学の学生は軟弱な理由 でいとも簡単にゼミの発表をキャンセルする。私の学生時代は、そんな事をやっ たら「ゼミは真剣勝負の場だ。それをいい加減に考えている人間に数学をやる 資格は無い。単位は出しておくから、来週から来なくてよろしい。」と”死刑 宣告”されて当然だった。(この”死刑宣告”が死刑宣告としての意味をちゃ んと持っていた事は言うまでもない。)しかし、それと同じ事を立命館でやる べきかどうかは、ちょっと悩むところである。

ひとつは、数学のゼミよりも、バイトや資格試験の準備やレポートやサー クル活動や自動車教習所通いのスケジュールの方を優先したり、予習が間に合 わなかったから自信が無いとか、気分がノラないとかいう理由でゼミの延期を 要求するような「いい加減に考えている人間」に数学をやる資格があるのかど うか、という問題。そんな調子で数学者を目指してますというのなら、彼また は彼女が天才でもない限り、否、天才であったとしても!ぜひ”死刑宣告”で も何でもやるべきだと思う。大天才(故)岡潔先生も言っているではないか、 「数学は生命の燃焼です」と。バイトや資格試験の準備の合間にテレテレとやっ てるようなことで生命が燃焼するものか、笑止!というわけだ。

しかし、「いい加減に考えている」けど数学者を目指しているわけでもな い人間までも資格無しとして全部弾き出してたら、それこそ数学のシンパは数 学者以外誰も居なくなってしまうし、それはかなりまずいんじゃなかろうか。 数学のシンパが居ない世界がどんなに恐ろしく殺伐としたものであるかは、荒 涼とした精神風景が限りなく広がる情報学科で何年も冷や飯を食っていた私に はよーくわかる。世の中全体がこんな風になったらもう終りだ。そう考えるか らこそ、私はホトケの立命館流で数学教師をやろうとしてるんだけどね。

その一方で、「いい加減に考えている人間」のいい加減さを中途半端に受 け入れてしまうと、それが堕落の始まりになりかねない、という問題もある。 つまり、「どうせ数学をいい加減にしか考えていない人たちなんだから、いい 加減に相手しておけば良いし、そうする方がこちらとしては楽だしな」という 考えにとらわれてしまうと、ちとまずい。否、かなりまずいかもしれない。だ けども、私はそんなことは全くございませんなどと言えば大嘘になる。これは、 日々いい加減さに直面しつつも、心の底ではそれを受け入れていないからこそ 起こる 投げやりな考え方であり、その意味ではオニの心を保っている数学者 が陥りやすい罠ではないだろうか。まさにオニの心とホトケの顔の間で引き裂 かれた私、ってやつである。

私は、教育活動とはいえ、数学にかかわっている時間の一部を投げやりな 気分で過ごすのは、それだけで何だか数学者としての堕落を意味するんじゃな いか、という気がするのだ。そうだ!やっぱり私は堕落しているんだ。まずい なあ。これが、某A先生の言葉にチクリとくる理由である。

私の場合、軟弱な理由でゼミの中止を申し入れる学生を(ホトケの立命館 流を心掛けて)ニコニコしながら「そうですか。わかりました」と許すたびに、 あるいは自分の学生でなくてもそういう話を聞くたびに、少しずつ心が荒(す さ)んで行って、上記のような考え方がむくむくと育ってくるようである。だ から、やっぱり徹頭徹尾オニを通さないといかんのではないかと思ったりもす る。

しかしオニを通すのって、結構エネルギーが要るものである。オニという のはある程度学生を信頼してないとできないから、学生に何度裏切られてもく じけないような強い精神力が要求されてくる。しかも、相手に厳しくする限り には、自分にも常に厳しくしていなければならない。これはかなり大変である。 ただでさえ気まぐれな人間なのだから、日によってオニになったりホトケになっ たりする可能性も極大だが、それは何としても避けなければならない。

オニとホトケのバランスって、結構難しいものだな。

2002年12月27日(金)
<<美しい物語>>
短い冬休みの始まりである。昼頃から山科駅前SBUX、京都駅前ホテル京阪 ラウンジと久々にお気に入りスポットをハシゴし、アバンティーのCDショッ プで試聴中古CDを山と積み上げた結果、本日はダイアナ湯川とかいうヴァイ オリニストのCDを発掘し購入。その勢いで昔のお気に入りスポットである近 鉄プラッツに繰り出して紀伊国屋書店を冷かし、プラッツ1階の無印良品食料 品売り場に自家養成サクラI君がバイトでもしていないかと偵察に行く。

と、居ました、居ました!春頃はレジ係から倉庫番に”降格”されていた と思われる彼であるが、何と!今日はレジ係に返り咲き、元気に仕事している ではないか!弟子の出世を物陰から確かめその感激のあまり涙し(嘘)、思わ ず駆け出してレジの前をVサインをしながら通り過ぎた(これは本当)。私に 気づいたI君は落ち着いた物腰でひとこと、「いらっしゃいませ」。ああ、な んて美しい物語なんでしょう。

2002年12月26日(木)
<<デカダンズのまどろみ>>
「年に一度だけ」というのは間違いで、今日もまたケーキだけで朝食を摂るこ とが許される至福の朝を迎える。

今朝、大学に向かうバスの中で、数理科学科1回生の学生が、彼のクラス では情報学科に移りたいという人が少なからず居て、そのいっぽうで情報学科 から数理科学科に移りたいという人は居ないみたいだから、絶対に数理科学科 よりも情報学科の方が良い学科に違いないと思うというような事を話していた ので、思わず「そこの君!

馬鹿言うんじゃないっ!!!!

その腐った性根を叩きなおしてやるから、後で私の部屋に来な さい!」って怒鳴り飛ばしてやろうかと思ったのだが、燃え尽き症候群に由来 するデカダンスのまどろみに気押されて力が出ず。

午前中は情報学科4回生配当「数理モデル論」の講義。受講者4名。有限 生成K代数と準同型定理、および具体例の計算など。年明けに代数拡大・超越 拡大とヒルベルトの零点定理の証明でそれぞれ1回ずつ講義してから後期試験 という予定。ほんのサワリだけとはいえ拡大体論を1回で済ますのは無謀かし ら。

昼休みはつまらない雑用を少しして、午後の卒研ゼミに突入。宗教的雰囲 気たっぷりの5回生I君の発表は今日が最後。ようやく群論を終え、環の定義 など。あと2回発表予定の4回生M君は、消去理論の発表。

そして私は本日をもって年内の営業は終了。新年はたぶん7日頃から営業 する予定。それでは皆さん、良いお年を。

2002年12月25日(水)
<<長足の進歩>>
年に一度だけ(クリスマス)ケーキだけで朝食を摂ることが許される という至福の朝である。

午前中は代数曲線論の講義。先週の残りの離散付値環の特徴付けの証明を終え、 射影平面代数曲線とアフィン平面代数曲線の関係、特異点・単純点の定義と例 に進む。受講者はいつもの5名から代打じゃないH沢君を引いた4名と、例に よって閑散とした雰囲気。あと新顔が2名ばかり。試験情報の偵察に来ていた ようにも見えたけど、ずっとうつむいてたから、うちのクラスの学生ではなくて 、空き教室代りにやってきて何かのレポートでも仕上げていたのかしら。

昼休みは、来年度の卒研生予定者(とその付添人)がゼミのテキストの相談 に現れたので、10冊ぐらい適当な本を積み上げて見せた。その中からとりあ えず2冊を選んでもらい、あとで両方を見比べながらゆっくり1冊に絞り込ん でもらう予定。可換環論プロパーの話をじっくり勉強するか、可換環論と層 (のコホモロジー)論をセットでやるかのどちらかになるわけだが、層とかコホ モロジーの話がその学生の趣味に合うかどうかが分かれ目になると思う。これ ばっかりは、学生自身に決めてもらうしかない。

午後は線形代数の講義。びしばし飛ばし、実対称行列の直交行列による対 角化の直前まで。年明けの2回の講義で、対角化の理論と実践をやり、さらに 実対称行列のスペクトル分解をやって終了とする予定。今使っているものより はるかに薄っぺらい教科書で、固有値と固有ベクトルに入るのが精一杯だった 去年と比べると、長足の進歩だな。

2002年12月24日(火)
<< 夢と希望>>
昼過ぎまで色々あって、午後は山科駅前SBUXで線形代数の後期試験問題を仕上 げ、その足で夕方頃出勤。事務的な用事をいくつか済ませ、後期試験問題を提 出し、ほっとひと息。線形代数の試験問題は、K川先生の進言を取り入れて、 結局昨日よりももう少し難しくしてみた。郵便ポストには先日の集中講義のレ ポートがどさっと届いていたけれど、今年は明日・明後日の講義3つと卒研ゼ ミで終了。それ以外は来年に回すことにしよう。

ところで、"不機嫌問題"はもう完全に既定の事実として処理が進んでいる が、これに対する関係者達の反応は色々なようである。いっぽう当事者達はど うかというと、先日の密談から推察するに、欲しい物は全て手に入れて自らが 失うものは何一つ無いようにできる限りの努力を払うことが目下の最大の関心 事のようだ。これらは全て「人間、そういう状況に立てばそういう風に振舞う のが普通であり、物事はこういう風に進むのが自然なんだな」とすんなり理解 できるし、そういえば以前私も似たような事例で当事者になったり傍観者になっ たこともある。しかし、あまりに身も蓋もない現実をまのあたりにすると、何 だか夢も希望も無くなるような気がする。まあ、変な夢や希望を抱いていた私 が悪いんだけどね。

2002年12月23日(月)
<<密談まみれの一日>>
午前中は山科駅前SBUXでドイツ語の勉強などをやって過ごす。そして、今日は 私にとっては講義の無い日だし、もう二度と大学なんかに行ってやるものかと いう気分だったのだけど、立命は祭日営業日で大学生協は開いているし、「こ んな天気の良い祭日に、何で講義しなきゃならんのだ」とブルーになって講義 に来ている先生達に対してある種の優越感にひたりながら、研究室でのんびり すごすのも一興かなと思い、午後から出勤。実のところ、数学者にとって日曜 も祭日も無いのだけどね。

冬の陽がたっぷり射し込む暖かい研究室で、数式処理システムMacaulay2を 使って計算したり、線形代数の後期試験問題を作ったりしながら楽しく過ごし ていたのだが、ます"不機嫌問題"の当事者が密談に現れ、ちょっと憂鬱になる。 「ちょっと」で済んだのは、この問題についてはなるべく考えないようにして いるからである。その数時間後にK川先生が密談に現れる。これは憂鬱とは無 縁な密談。何だか密談まみれの一日だな。

K川先生が、今年の一回生は実はよく勉強しているのだと言うので、作りか けていた後期試験の問題を少し難しいものに作り変えてみた。

2002年12月22日(日)
<<何かが崩れた>>
何だか久しぶりの平和な日曜日のような気がする。天気も悪くはない。朝はゆっ くり起きて、昼前から色々野暮用にかまけているうちに昼下がりになっていた。 それから、昨夜満員御礼で門前払いを食った山科駅前SBUXに行ってしばら く過ごし、ラクトの中古CDショップで試聴CDを山のように積み上げるも収 穫無くして店を出、次に書店を少し冷かし、ワインを一本買ってから帰る。

夜は色々と野暮用。今回の燃え尽き症候群によって、私の心の中の何かが 崩れたような気配がするのだけど、それが何だか今の段階ではよくわからない。

2002年12月21日(土)
<<世間が騒がしい>>
朝は少しゆっくりめに起き、線形代数の講義準備をほぼ最後まで仕上げる。午 後は楽しいゲーテ。夜はスポーツクラブ。

夜10時過ぎにスポーツクラブから帰ってくる道すがら、何やら世間が騒 がしいことに気づいた。山科駅近辺ではあちこちで、私より少し若いのやら、 うんと若いのやらが酔い潰れたとみえて、地べたにへたり込んでいて仲間に介 抱されていた。また、お茶でも飲みながら昨日衝動買いした本でも読もうかと 立ち寄った山科駅前SBUXはいつになく満員御礼で、道草計画は中止。さら に、いつもは平和な私の自宅の近所では何やら派手な喧嘩でもあったらしく、 パトカーが2台止まっていて警官と当事者達がパトカーに乗れだの乗らんだの と押し問答を繰り返していた。どうも世間では年末の三連休とあって、忘年会 等でたっぷりアルコールを注入する日になっているらしい。そういえば、スポー ツクラブの方はやけに閑散としていたような気がする。

我が立命館大学では、「学園構成員の総意の結集による」1セメスター15週制導入の論理的 帰結として、三連休という言葉も概念も事実も葬り去られてしまったし、数学教室では入試の 採点が終了する2月末頃が年末であり、その頃に開かれる打ち上げが事実上の忘年会である。 従って、私にとっては三連休も忘年会も無縁な静かな年の瀬である。

しかしながら、少し前にゲーテのクリスマス・パーティーに参加し、何故か美しい女性達に囲まれ、 これまた何故か日・独の音大関係者らによるすばらしい音楽とドイツのビール、グリュ―ワイン(薬味 をいれて温めたワイン)、そしてそれぞれが持ち寄ったおいしい食べ物を楽しむという、すばらしい夜 を過ごすことができた。

今年は公私ともに色々あって大変な年だったけれど、せめて年末ぐらいはこのまま心静かに 迎えたいと思う。

2002年12月20日(金)
<<数学は格闘技だ?>>
燃え尽きた心で迎える初めての平日自宅待機日である。もう二度と大学なんかに行ってやる ものか、という気分である。午前中は色々野暮用をやって、昼頃から夕方まで先日までの手探り 闇雲計算を検算しながら整理。久しぶりに本来の仕事に戻ったお陰で、巨大雑用と”不機嫌問題” でぺしゃんこになっていた脳細胞が少し生気を取り戻したような気分になり、ちょっと嬉しい。

嬉しくなった勢いで夕方頃三条河原町に繰り出し、明治屋で切らしていたプンパーニッケル (煉瓦状のカチカチのドイツ・パン)を買い、ブックファーストで「シリーズ哲学のエッセンス」なるい かにも安直な小冊子シリーズの「ニーチェ -- どうして同情してはいけないのか」と「ドゥルーズ -- 解けない問いを生きる」の2冊を衝動買いする。

夜は線形代数の講義準備。何となくフィニッシュの形が見えてきたようだ。

ところで、先日の授業懇なる会合では、「黒板の前で教師に苛められるの を怖れて演習時間にひたすら沈黙を守る萎縮した学生達」という姿が浮かび上 がった。私の認識では、「数学は格闘技だからそんな事で萎縮しているような 軟弱な連中はどんどん沈んで行けばよろしい、沈没するのが嫌なら自力で這い 上がるしかないね」というのがオニの京大数学科流。一方、「そんな事で萎縮 してないで元気を出そうよ。そして我々教員に気軽に質問すればいいのですよ、 何でも教えてあげますから」と暖かく励まし、そのような雰囲気作りに心を砕 くのがホトケの立命館流である。立命館流に慣れ親しんだ学生が京大の大学院 などに進むと、往々にして大きなカルチャーショックに悩むのはこのあたりに 原因の一つがあると思われる。

私は普段、ホトケの立命館流を体現する教師のような顔をして、そのよう に立ち振る舞っているつもりなのだが、それは世を忍ぶ仮の姿であって、実は 心の中はオニの京大数学科の気分でいるのである。ただ、そのようなオニの心 性がだんだん軟化しているという自覚症状があり、「俺もヤキが回ったな。 Kaz先生みたいに、いくつになってもオニの心を保ちつづけなければ」などと 思ったりしていた。

ところが、である!授業懇で明らかになったことは、日頃オニの京大数学 科的雰囲気をぷんぷん漂わせ、それらしき発言を繰り返しているKaz先生が、 実は一皮剥けば完全にホトケの立命館の体現者だったのだ。心密かにKaz先生 を目標にしていた私は大変なショックを受け、それゆえに燃え尽き症候群が若 干悪化し、ああ、この世は何もかも信じられない。ここは何処?私は誰?わーっ!! となったことは言うまでもない。

わが泣くを少女等(おとめら)きかば 病犬(やまいいぬ)の 月に吠えゆる に似たりといふらむ(啄木)

2002年12月19日(木)
<< まだまだ・燃え尽き症候群 >>
燃え尽きた心にはルーチン・ワークが心地よい。余計な事は考えずに、 淡々と先生稼業に励む。

午前中は情報学科4回生配当数理モデル論の講義。剰余環への自然準同型 によるイデアルの対応、整域の定義と具体例、素イデアル、アフィン環とその 例など。受講者は5、6名。講義はあと3回だが、それで代数拡大と超越拡大 の話をさらっとして煙に巻き、ヒルベルトの零点定理の証明を終えることがで きるかしら。ちょっとスリルがあるな。

昼休みは線形代数の講義の準備など。この科目でも、あと3回の講義でど うまとめるか、色々思案にくれる。これもまたスリル満点。

午後は卒研ゼミ。5回生I君の宗教的雰囲気の発表はシローの定理の最終回 と群の直積について、4回生M君はヒルベルトの零点定理の応用を終えて消去 法に入る。卒研の後、少し線形代数の講義メモ作りなどをしてから、教務委員 の仕事の一貫で授業懇(懇談会?)という学生の代表達(と言っても何故か1回 生2名だけ)と教員数名の懇談会。終了は夜8時過ぎ。

ああー。今日はよく働いた。

2002年12月18日(水)
<< 続々・燃え尽き症候群 >>
午前中は代数曲線論の講義。出席者は常連メンバーの5名。今日は離散付値環 の話。適当に質問が飛び出したりして、なかなか雰囲気よろし。昼休みは、後 期試験問題を作ったりして過ごす。午後は、燃え尽きた私が最後の気力をふり しぼり(嘘)鬼気迫る気合いの線形代数の講義。対称変換と対称行列の関係、射 影子とその対称変換による特徴付けなど。教科書の内容を大幅に改編してやっ ているので、ページ数不明(たぶん3ページぐらい分)。「対称変換をやるのな ら、もうひとふんばりして二次形式に突入すべし」というドグマがゆっくりと 頭をもたげ始めているが、そこまで行けるかどうか微妙。

講義の後はまた後期試験問題作りやちょっとした雑用など。燃え尽き症候 群の治療には、このようなルーチンワーク(それは大学には無尽蔵に存在する!) で空回りする頭を調節し、その合間に可換環論寄りの代数幾何学の本を読んだり、 ドイツ語を勉強したりして心を静めるのが良いかと思われる。

2002年12月17日(火)
<< 続・燃え尽き症候群 >>
午前中から出勤。燃え尽き症候群の私には、(一瞬ではあったけど)虹のかかっ た琵琶湖が見える最上階角部屋のゼミ室で、自家養成サクラI君のとろーりと ろーりという独特の口調で語られるゼミ発表「ネーター正規化定理について」 が心地良い。昼食をはさんで午前午後とゼミをやり、その後4時間教授会。こ れもまた燃え尽きた私には心地よい。教授会終了は夜8時。 そうか!大学って燃え尽きてしまうと、こんなに心地良いのか。(いや、それは何 か違うような気がするな。)

燃え尽きの原因は、ここんところ大学の事を考え過ぎたからだと思う。巨 大雑用だとか"不機嫌問題"などは、否応なく自分の職場の事を考えさせられる。 これがいけない。自分と数学が対面しているだけの世界だと、己の非力さに嫌 気がさすことはあっても燃え尽きることはない。それはお前が燃え尽きる程 真剣に数学をやってないからだという説もあるが、とにかく今だかつで 数学で燃え尽きた事なんてない。このあたりが燃え尽き脱出のヒントかな。

昼休みは昼食もそこそこに雑用に駆け回ったり、夢見るH先生と密談をしたり。 この過程でも大学の事を色々考えてしまっている。いかんな。

2002年12月16日(月)
<< 燃え尽き症候群 >>
午前中は自宅で野暮用やゲーテの宿題などをやり、昼食後は教務委員の仕事な どの雑用を少しやるため出勤。雑用自体は大したものではなく、時間の余裕は 結構あるのだが、最近何だか"巨大雑用燃え尽き症候群"みたいになって頭の中 は忙しい時のままでぼーとしている。これは"有意義にぼんやりする"のとは違っ て、あまり意味の無いつまらない仕事をひねり出して体だけはバタバタ動き回り、 頭の中は空っぽという状態。単なる時間の浪費でしかない。いか んな。

ところで、今年の教務委員は例年に無く大変なんじゃないかしら。その理 由は定年等で専任教員や非常勤講師の今年度末での退職・辞職が何人も重なり、 非常勤講師探しや穴の空いたコマの担当者探しなどに追われたからである。 (悪い事って重なるんだよね。) 今のとこ ろ、来年度新たに数名の非常勤講師をお願いする方向で作業を進めているし、 現在でも担当者調整の仕事が少し残っている。 これらの仕事は全て色々な人達 ---そのほとんどは数学者である --- と連絡 を取り合いながら進めていかねばならない。 しかも数学者というのは簡単に 連絡がつかない事が多い。若い人はメイルで簡単に連絡がついたりするが、基 本的には晴れの日を待って火を起こして狼煙(のろし)を上げ、また次の晴れの 日に返答の狼煙が上るのを気長に待つような調子で事が進むのだ。 さらに"不 機嫌問題"のように、無茶をやらかしてくれる人間が出てきたりすると、教務 委員としては益々大変になるのである。 (もう一度言おう、悪い事って重なるんだよねー。)

来年はいい年だといいけどな。