2002年7月13日(土)
<< 補講 >>
これからはまるで何かを恐れているかのように大学に居る時間を極力減らし、 数学者らしく自宅中心の生活を送ろうと考えている私が、何故土曜出勤してい るのか?土曜日の午後はゲーテでドイツ語三昧の時間を過ごしているはずでは なかったのか?答は簡単である。先日のイタリア出張に係わる補講でCプログ ラミングの演習をやらねばならないからだ。ああ、何て下品な土曜日なんだろ う。

私の良い学生達は既にCプログラミングの下品さがわかっている(?)とみえ て、たぶん土曜日の補講なんかにはほとんど出席しないであろう。これは正し い態度である。おそらくは、少数の物好きな学生と、ただ単にクラスメイトに 会ってWebを眺めたりおしゃべりをしたりするためだけに出席する学生が何人 か来るだけであろう。元々演習科目ではないこともあって私は出席を取るなど という野蛮な行為は行わないし、わざわざ教室に来て只々おしゃべりして遊ん でいるだけの馬鹿者学生は(他の学生に迷惑を掛けない限りにおいて)放置する 主義である。それは、ことにこの件に関してだけ言えば、私は 「十分に馬鹿をやって後で思いっきり後悔することによっ てのみ凡人は進歩するのであって、馬鹿を途中でやめさせる事は教育的観点か らも望ましくない」という立場に立っているからである。

従って私の役目は、授業の前に演習室の鍵を開け、授業中に何か起こらな いか監視し、授業が終ったら学生を演習室から追い出して鍵を掛ける、という 3点に絞られる。たまに質問に来る学生も居るのだが、色々な事情から考えて この時期に質問に来る学生は居ないであろう。

さあ、これから私は演習室に向かう。授業が終ったらこの部屋には戻らずに まっすぐ自宅に帰る事であろう。あるいは、ゲーテの図書館に行くかも知れない。

2002年7月12日(金)
<< 苦渋の決断 >>
14時10分からの可換環論・代数幾何学セミナーのために、その30分前に ピンポイント出勤。代数的閉体が無限体であることの証明、ヒルベルトの零点 定理の一部、根基イデアルと素イデアルの関係、局所環の定義と簡単な例など。 3回生F君はちょっと息切れ気味(?)で、自家養成サクラI君はまずまずの調子。

今日は苦渋の決断の結果、23日の親和会宴会の出席申込みをする。この 教授会メンバーの親睦会と称する年2回の宴会は、言わずと知れた学内政治の 密談の場である。 たまに学術的にすこぶる面白い話が聞けることもあるものの、 それは結局誰か偉い先生を旗頭に研究グループなるものを作って学内のナン トカ研究センターを通して企業からお金集めて人集めて学生動かして云々とい う事につながるわけで、それは立派に工学部的な研究活動の一貫なのかも知れ ないけれど、私に言わせればやはり政治の話に他ならず、やはり「学内政治の 密談」の範疇にくくられる。

こういうことは、静かに数学と向き合って生きていきたい人間には、たとえ 馬鹿にならない額の積み立て金を給与天引きされているから元を取らねば損だ という事を鑑みても、「人生の浪費」として断固として避けねばならない事態 である。と、いうこ とが理由なのか、毎回数学教室からの参加者は最近皆出席の私を含めて 1〜3名程度にとどまり、最近 では親和会の脱会手続きはどうなってるんだというような話まで持ち上がって いる。 とは言うものの数学教室の人の全てが政治嫌いなわけではなく、戦略家と して鳴るA堀先生をはじめとして優れた政治的センスの持ち主は何人かいる。 そういう人達でも、活動フィールドが微妙に違うのか、ほとんど親和会には出席 しない。

ではなぜ私が今回も親和会への出席を決めたのか?私の胸の内で以下のよ うな思いがせめぎ合ったのである:馬鹿にならない額の積み立て金を給与天引 きされているから元を取らねば損だ。うまい物が食べられるのだからいいでは ないか。俺は宴会で一人で黙って飯だけ食べているというのには慣れていて、ほ とんどプロなんだぜ。どんなプロや?!わけわからん!うまい物と言っても 何も親和会で退屈な思いをしながら食べなくても自分で店に行けばいいではな いか。自分で店探して行くのは面倒臭い。(数学教室の)皆が判で押したように 欠席するのなら俺は断固として出席するぞ。それって単なるヘソ曲がりじゃん。いいん だ!数学者はちょっとぐらいヘソ曲がりなぐらいがちょうどいいんだ! もしか して年に2回学内政治家達をじっくり観察するのを楽しみにしてるんじゃない か?そんな道楽にうつつを抜かしている暇があれば数学でもやってたらどうだ い?学内政治家達を観察することによって、ああ自分は彼らとは別のタイプの 人種なんだと確認する。つまり、自分探しのために親和会に行くんだってば。 阿呆!40過ぎのオッサンが「自分探し」してどないするっちゅうねん?!

そして結局「うまい物が食べられるのだからいいではないか。他の事はど うでもよい。」という結論に達したのである。

2002年7月11日(木)
<< うーむ。 >>
台風一過の晴天とは言えない変な曇空の日。午後からの線形代数と蝸牛ゼミの 前期最終回のため出勤。 線形代数は講義終了40分前に前期の予定のところま で終る。最後の40分はまとめと称して、これまでやってきた事を復習しなが ら行列と行列式の理論がどのように構成されているかという概念的な整理をす る。蝸牛ゼミでは5回生I君の蝸牛ぶりが止まらない。。。

ところで、膨大な数の論文を次々と生産する数学者を観察していると、彼らは少しで も暇があれば次々と色々な問題をひねり出し、猛烈に解を探しもとめ、実際い くつかの問題に一定の解を見出してどんどん論文を書いている。少なくとも気 分的には週3本くらい論文を書くつもりでいるような勢いの人もいる。 あんなに次々 に論文が書ければ気分がいいだろうな。それにしても、はた目にはずいぶんせ わしく生き急いでいるように見えるよなあ等々、色々な感想を持つのだけど、いずれ にせよなかなか私には真似の出来ないことだ。

一体彼らと私でどこが違うのか?私なんぞは何か分からないことがあると、 「わからないなあ。わからないな。わからないなあ。.....」といつまでも、 かつ、ぼんやりとそればかりにこだわってしまい、いつの間にかお勉強に逃避 していたりする。それに対して、彼らは少し集中的に考えてみてわからなけれ ばその問題をしばらく置いておいて別の問題を探してそれを考えようとする傾 向があるようだ。次々に別の問題を当たっていくうちに、現段階である程度解 ける問題にぶちあたる。この作業を全速力でやるわけだ。つまり、時間をかけ て粘りに粘って一つの問題に千通りの方法を絞り出して試みるのではなく、軽 快なフットワークで千個の問題を絞りだし、それらに対してとりあえず思い付 く方法だけを試みる、という方法をとっているような気がする。だとすれば彼 らと私の違いを説明する鍵は「問題を見つけ出す能力」と「個々の問題への執 着の仕方」ということになろう。うーむ。

2002年7月10日(水)
<< 給料って慰謝料なの?! >>
台風である。子供の頃は注意報が出ただけで学校が休みになったように思うの だが、それは記憶違いだろうか。少なくとも私が大学を卒業した後は会社も大 学も暴風警報が出ない限り休みにはならないようだ。会社員時代、朝方に強風 注意報が出てたので当然の事の如く注意報が解除された午後になってから出勤 したら、午前中は(無断)欠勤扱いにされてしまったことがある。「うーむ。社 会人ってのは雨が降ろうが槍が降ろうが仕事するんだな」と感心したものであ る。また、私の胸の中に「とにかく職場に出勤する事自体に何か意味があるん だ」という勘違いが芽生えたのもこの頃かも知れない。実際、ロクに仕事もし ないでぶらぶらしてただけのの会社員時代は、「自分は、ラッシュにもみくちゃに されながら通勤し職場では四六時中上司に監視されるという精神的苦痛の慰 謝料として給料をもらっているのだ」と信じていたのである。

本日午後一番からCプログラミングの演習、離散数学の講義、少し長めの教 室会議と台風に関係無く粛々と物事が進行す。

2002年7月9日(火)
<< 「数学者化」完成の時? >>
本日15時50分から数学者向きでない役職の会議があるため、数学者らしく その直前の15時30分頃に出勤。それにしても教務委員会はもう来年度の開 講方針などを考える季節らしく、思わず小学生時代にどこかで読んで仰天した 「大手菓子メーカでは夏頃からクリスマス・ケーキの準備を始める」という話 を思い出してしまった。

ところで、昨日K川先生からWindows用のLaTeXを貸してもらい、自宅のPCで TeXが使えるようにしようと画策している。そうなると益々自宅に引き籠るよ うになり、数学者化が進行することであろう。

自宅PCはWindowsなのだが、私が今も大学の研究室でUNIX(FreeBSD)を使い 続けているのは、ウイルスの事を気にしなくてよいとか、計算機屋時代からか れこれ15年以上使い続けてきたことや、専属システム管理者であるS藤先生 の存在などがあるけれど、結局のところは「WindowsなんてシロウトのOSじゃ ないか」という計算機屋としての妙なプライドがどこかに残っているからだと 思う。「シロウトで結構じゃないか。シロウトはシロウトらしくシロウト用の OSを使えばいいのだ。システム管理や今確保しているシステム 管理者がどこかに行ってしまいはしまいかとか、そういう邪魔臭い事を考える のはまっぴらだ」と思えるようになり、UNIXをやめて(システム管理が比較的 楽とされている?)Windows一本に乗り換えた時が数学者化完成の瞬間となるこ とであろう。

確かに「システム管理は人生の浪費」と心の底から思っている。あれは計 算機技術者達が現在の計算機技術の未熟さをユーザに尻ぬぐいさせているので あって、こちらとしてはそんなんものにつき合ってる暇は無いのだ。しかし、 今はもう計算機のシロウトでしかないのに「シロウトで結構じゃないか」と心 の底から思えないイヤラシサをまだひきずっているというわけだ。

2002年7月8日(月)
<< 数学者向きでない役職? >>
午後から教務委員としての仕事があるので昼頃出勤。ところが、その仕 事はなんと約5分で終了してしまった。すぐに帰宅しようかと思ったけれど、 暑い日中に移動する気力が出ずに夕方頃まで個研室で研究ノートをまとめたり、 線形代数の講義の準備をしたり。明日も夕方の教務委員会のために出勤しなけ ればならない。教務委員というのは年度始めと時間割作成の年度終りにどかっ と働いてあとは何も無いのだと思っていたけれど、結構こまめに大学に呼び出 されるから数学者向きではないな。

線形代数の講義は前回までの「機関銃講義」が効を奏したとみえて、よう やくメドが立ってきたようだ。演習担当のKaz先生が「あんな調子で予定の所 まで終れるのか?」と心配して色々騒いでいたようだけど、今週行われる最終 回で何とか予定の範囲まで終了できそうだ。

2002年7月4日(木)
<< Karen E. Smith さん>>
本日午後一番から線形代数の講義と蝸牛ゼミ。線形代数の講義は相変わらず押 し迫っていてメモを片手に機関銃のようにしゃべりまり、蝸牛ゼミは学生のひ とりが所用で休んだため2時間弱で終る。

"An Invitation to Algebraic Geometry" (Universitext, Springer)の著 者であるKaren E. Smithという人は見たところ30代前半ぐらいの人で、イタ リアの会議でも講演していた。「何で代数幾何学の人が可換代数の会議で喋っ ているんだろう?それにしても、彼女の数学はずいぶん環論的な代数幾何学だ なあ」と思って聞いていた。ところが、MathSciNetで調べてみると、彼女は可 換代数屋と言ってもいいような内容の仕事をずっとしてきていることがわかっ た。代数幾何学と可換代数が融合したような数学をやる人って私が数学に復帰 して以降めっきり見掛けなくなったのだけど、Smithさんみたいな人が元気に 活躍しているのを見ると嬉しくなってしまう。

ところで"An Invitation ..."は、解析学者相手に行った代数幾何学入門の 集中講義をもとに作られたテキストのようである。厳密な証明には必ずしもこ だわらず、代数幾何学の基本的なアイディアから最先端の研究動向まで触れら れており、Hartshorneで一所懸命勉強した事はこういう意味を持っていたのか と目から鱗が落ちることも多々あって、寝っ転がって読むには楽しく有益な本 である。以前卒研のテキストにして学生と一緒に読もうかと思って買ったのだ けど、その機会も無さそうなのでここ1〜2週間の間にさっと読んでしまおう かと思っている。

明日は神戸で開かれる高校の数学の先生達との会合に出かけるため、日誌 の更新は月曜日以降になる予定。

2002年7月3日(水)
<<地獄に堕ちて思い知れ>>
午後一番からCプログラミング演習と「離散数学」の講義。

「離散数学」は数え上げ組合せ論の基礎として母関数の方法を中心に教えている のだけど、基幹科目ではないので自分の気が済む程度までゆっくり話すことが 許される。式変形のちょっとしたテクニックや証明のアイディアを、「ちょっ と考えればすぐわかります」(本当にちょっと考えればすぐわかりのだけど)と 流すのではなくて、素朴な例の計算などをして見せながらゆっくりと説明して いる。私の感触では、約半数以上の受講生が何かわかった気分(それは必ずし も本当に「わかっている」事を意味しないが)になっているのではないかと思 う。そして、教室をそのような状態に持っていくには、これぐらいの(ゆっく りした)ペースが限界で、それ以上盛り沢山の事を速く話せば、ほとんどの学 生が落ちこぼれ状態になるような気がする。

1回生の線形代数の講義なんてのは「離散数学」で教えている内容の最 低5倍の分量の事を話さねばならず、「限界」をはるかに超えている。何だか 話しているそばからひとりまたひとりと落ちこぼれを生み出しているという 感触を持ちながら講義をするというのも、気の重いものである。まあ、数学は 自学自習が最も大事なのにそれをやらない(やれない?)学生が悪いのだ、 天は自らを助くる者を助く、自らを助けない者は地獄に堕ちて思い知れ!と 割り切ることにしているけれどね。

ところで、早々と後期の代数曲線論の講義ノートを作り始めているのだが、 それは講義の準備を口実にして一度この方面の話をちゃんと整理してみたかっ たからでもあり、また、一種の逃避行動でもある。めでたくノートが完成した 暁には「これで分かったからもういいや」と満足し切ってしまい、講義する気 なんか起こらないかも知れない。

2002年7月2日(火)
<< 数学者らしい怒り?>>
最近は私もすっかり数学者らしくなってきて、特に出勤の必要の無いときはできる だけ自宅で過ごそうとする傾向にある。今日は、夕方の会議のために昼過ぎに出勤。 昨日に続いて今日も( 印鑑を忘れて今日も出勤するはめになったらしい) 夢見るH先生を見掛けて、(昨日よりも)簡単な挨拶を交わ す。二日連続で夢見るH先生を肉眼で見ることができるなんて何かいい事あり そうだぞ、とか思いながら少し計算をしてみたり、K川先生と雑談をしたりし ているうちに会議の時間。さて会議場はどこだっけとか思いながら手帳を確 認すると、があ〜んっ!?会議は来週に予定変更されていたのだ!!!くそー お!!何のために今日は出勤したんだ?馬鹿みたいじゃないか!!!と数学者 らしい怒りを自らにぶつけ、くやしまみれに計算を続行す。

ところで、後期の4回生向け講義ではW. Fultonの代数曲線の本をネタに純 代数的な扱いでの代数曲線論をやると宣言してあるのだけど、そろそろどうい う風にやろうか考え始めている。この本は代数曲線の話を題材に代数多様体の 一般論を展開して最後にRiemann-Rochの定理で終っているのだけど、分量的に とても全てを話すわけにはいかない。そこで代数多様体や代数曲線の一般論は 極力避け、思い切って平面代数曲線のブローアップによる特異点解消と Riemann-Rochの定理に限定して、かなり具体的な話を展開してみようかと考えている。

2002年7月1日(月)
<< スキーム論強化ゼミ >>
ワールドカップが終ってしまい、私はこれからしばらく何を生きがいに生きて いけば良いのだろう、と真剣に悩みながら昼前に出勤。事務的な雑用をせっせとこなし、 久ぶりに、本当に久ぶりに夢見るH先生を見掛けて簡単に挨拶を交わし、そして 14時から夕方頃まで京大大学院に進んだY君のための単発的スキーム論強化ゼミ。実際 のところスキーム論は私の主要な商売道具ではないので、どうしても通りいっ ぺんの勉強で満足してしまいがちである。だから、こういう機会があるのは良い事で、 どちらかと言えば私の方が勉強させてもらったような所もある。

スキーム論の"大袈裟さ"にほとほと手を焼いているY君は、「スキーム論っ て何のためにあるのですか?」と聞いてくるのだけど、実のところ私はその辺 の解説記事に書いてある内容の受け売りのような事ぐらいしか答えられない。 それは、スキーム論の有難さが本当に理解できるほど代数幾何学に習熟してい るわけでもないし、「何でこんな面倒臭い事をやらなきゃいけないのだ!?」 と怒りたくなる程スキーム論に感情違和感を持っているわけでもないからで あろう。それにしても、スキーム論に感情的違和感を持つというのは、考えよ うによっては健全な数学的センスなのかも知れないな。

私にとってスキーム論とはほとんど語学であって、勉強すればするほどあ る種の数学者達 --- 私が学生時代から気になっている、何だか面白ろそうな 事をやっている人達 --- が日常話している事が理解できるようになるから、 それが楽しい。聞いてわかるだけじゃなくて、自分でも喋れるようになれれば いいよな、とか思うところも、語学と同じである。