2002年7月31(水)
<<悔いの無い人生>>
午前中は代数曲線論の講義の準備を少しやり、昼食後は京大近辺へ。

そろそろ代数曲線論の講義のサクラを確保しないといかんな。こういう時のた めにI君を自家養成してきたわけだし、この講義を聞かせて修論のネタにでも させようかしら。しかし、今のところ彼は青春最後の夏休みということで遊び まくっているようだし、大丈夫だろうか。私は学生時代の夏休みに結局遊んで しまって今だに後悔しているけれど、I君は逆に後悔しないために遊びまくっ ているらしい。まあ、せいぜい悔いの無い人生を送ってくれたまえ。

本日大学の事務から電話があり、「離散数学」の追試対象者が1名出たの で8月9日の午後に追試を実施せよとのこと。追試はあらかじめ前期試験問題 を自分で解いてきて、さらに口頭試問を受けるというもの。 ありうるパターンとして一番可能性が大きいのが、課題が全く解けなかったた めか、あるいは単なるずぼらか、当日本人がすっぽかして出て来ないこと。 次にありうるのが、口頭試問の場が「単位おくれ!」の直訴の場になること。 さらに考えられるパターンとして、既に試験を受けた学生から答を教えてもらっ て、それをマル暗記して口頭試問に臨んでくること。しかし、この場合は教え てもらった解答が間違っていて結局落第となる、というストーリが予想される。 一般的に言って、当該学生が情報学科の学生の場合は、正解を教えられる学生 なんて高々1名程度しか存在しないのが普通である。 それ以外にも、想定外のとんでも無いことが起こるかも知れない。 とは言うものの、当該学生がまともに口頭試問をパスする可能性も無いわけで もないから、「おめでとう!あなたは合格です」というくす玉でも用意してお こうかしら。

2002年7月30(火)
<<『間違い』というのは間違い!>>
29日(月)は自宅待機日。京大近辺にも喫茶進々堂にも行かず、自宅でじつと していた。本日は採点済み答案および成績表の整理をした上で事務に提出し、 夕方の教務委員会に出席するために昼頃出勤。

メイルをチェックすると、某大学の同業者からメイルが来ていて、プ レプリントとして出回っているHerzog先生との共著論文のある補題にミスがあ り、従って主定理の証明も間違いである。反例はかくかくしかじかである。こ の間違いをどう修復すれば良いかわからない、というメイルが届いており、肝 を冷やす。やれやれ困ったな。しかしあの補題は私もかなり細かく何度もチェッ クしたし、一体どこで間違ったのかなあと思いながら次のメイルをチェックす ると、次の日に出された同じ人からのメイルで「私の勘違いでした。『間違い』と いうのは間違い!どうもお騒がせしました」とあり、ひと安心。我々の論文を ちゃんと読んでくれる人がいると分かって、ちょっと嬉しくなった。

しかしメイルを何日分かため込んでからチェックしたから良いものの、毎 日チェックしてたら大変な事になっていたはずである。少なくとも一日は「間違 い発見」のメイルに肝を冷やして大騒ぎし眠れぬ夜を過ごしたことであろう。 やはり数学者にとって、自宅待機は正しい姿なのである。

明日からはいつ大学に出て来るか不明かつ不定。日誌の更新もたまに数 日分ぐらいまとめてドカッと、という風になるかも。

2002年7月26(金)〜28日(日)
<<採点三昧油の地獄なり>>
26日(金)。 夏本番のカンカン照りの今日は自宅待機日なり。終日前期試験の採点に励む。

採点にあたっては、まず卒業をひかえた高回生の答案だけをさっと眺めて人生 をナメ切った“お願い作文”答案を見つけ出してとりあえず全部不合格にし、 夢見るH先生よろしく 「あーはつはつは、愉快、ゆかい!」 と気分をすっきりさせてからおもむろに作業に入る。 こういう人を食った”お願い作文”で世の中を渡って行けると信じているのは情報学 科の学生達に多いようで、学科の雰囲気が実によく表れていると思う。

数学の学生達のやり方は少し違っていて、試験の出来が悪かった時は教員の所 に押し掛けて「レポートを書くからそれで単位をよこせ。何でもいいからレポー ト課題をくれ」と迫ったりする。場合によっては、勝手に図書館でその辺の本 を写経して、彼らの言うところの「レポート」をあらかじめ作成し、それを教 員に無理矢理受け取らせようとすることもあるらしい。私としては、間抜けな” お願い作文”に比べれば多少なりとも芸があって良いと思うのだが、押し の強い学生ばかりトクをする形になっては不公平だと思うので、”救済レポー ト”は一切受け取らないことにしている。

ま、そんな事までしなくても、私の試験はほとんどの場合ほんの少し努力 すれば簡単に単位が取れるのだけどね。ただ、ほんの少しの努力も惜しむ学生 はぜひ地獄に落ちて欲しいから、情け容赦なく落第させるのである。

27日(土)。じりじりと油照りの日である。本日午前中に一回生の線形 代数の採点終了。一回生の最初の試験だから「この程度で単位が取れるのか。 大学って楽だな」と思ってもらっては困るし、線形代数は数学科の基幹科目で もあるので、(私としては珍しく)甘くも優しくも無く「普通に」採点したの だが、結果は

A判定19%、, B判定15%、 C判定31%、 そして不合格(不受験者を除く)35%

となった。A判定者の中でA+(特上)判定者は2名。 細かく見てみると、演習の時間に受験指導塾よろしくきめ細かく面倒を見ても らっていた学生達は概して成績が良く、そうでない学生達の成績はかなり悪い という顕著な傾向が見られた。自分で勉強する習慣および能力が身についてい ない彼らに、講義ばかり何回聞かせてもほとんど進歩は無いだろうと思っていた が、それがはっきりと実証 された形となった。

午後は京大ルネと喫茶進々堂に逃避して代数曲線論の講義の準備を少しやった り、古本屋を 冷やかしたり。夕方頃帰宅して今度は「離散数学」の採点に取りかかり、深夜に終 了。その結果は 数理科学科2回生は

A判定23%、 B判定39%、 C判定24%、 不合格14%。

A+(特上)判定者は3名(あと5回生に1名)いた。彼らは満点かほとんど満点近い出来ばえであった。 情報学科は4回生以上だけが受講可能で、

A判定3%、 B判定25%、 C判定36%、 不合格36%。

それ以外では、過去数年間合格者ゼロの経済学部と経営学部ファイナンスコー スから3名の合格者(C判定)が出た。4名中3名合格だから大躍進の快挙と いえよう。もっとも判定基準は大甘で、C判定は講義を全く聴いてなくても解 ける「救済問題」として仕組んでおいた高校数学レベルの問題だけが何とか解 けたことを意味する。しかし昨今あちこちで「分数も小数も出来ないどうしよ うもない連中だ」などとさんざんな事を言われている私立文系の学生で高校レ ベルの数学の問題が解けるのだから、彼らは平均レベルをかなり上回る学力と 言うべきか。その意味でもやはり快挙だな。

いっぽう、今や温情主義の権化と化している高山大先生なので、不合格判定は 寝言のような事しか書かれていない非の打ちどころの無い零点答案だけにとど めた。 卒業をひかえた情報学科の学生達の中に寝言学生が36%いるのは別に不思議 でも何でもなく、今まで人生と数学をさんざんナメ切ってきたツケを払って地 獄でもどこへでも落ちればいいのだけど、数理科学科の学生の14%が寝言を 言っているのには困ったものである。

28日(日)。太陽の暴力的な光が静かな爆音のように響き渡る夏の日 (こういう日って結構好きなんだよなー)。朝はゆっくり起き、適当に昼食時 間をはさんで線形代数と離散数学の成績表の記入。合計200数十名分の成績 なので、案外時間がかかるのである。まあ、1000数百名分の成績をつけな ければならない先生も居るのだから、私なんか楽なほうである。

成績表を記入していて気づいたのだけど、男子学生に「ゆうき」と読ませる名 前が多く、大体男の子全体の3〜4%ぐらい占めているようだ。ざっと見ただ けも「優希」「有希」「有規」「裕貴」「優生」「祐己」。とにかく「ゆうき」 という読みの名前にすることが至上命令で、その制約の中で親御さん達が色々 知恵を絞ったことがうかがえる。 問題はなぜ「ゆうき」が至上命令だったのか?「ゆうき」とは”勇気”のこと か?ならばなぜ「勇気」という”そのまんま”の名前が無いのか?だ。彼らが 生まれた約20年前というと、私が大学を卒業する前後の時期だが、「ゆうき」 という名前が流行るような社会現象でもあったのかしら。その頃の私は人生と 数学に忙しくて、世の中の事なんかとんと知らなかったと思う。

2002年7月25(木)
<< 上品な学問の限界 >>
昨日の夕方は、7月に入ってからずっと行方不明だったS藤先生が突然現れて、 "最近得られた全く画期的な研究成果"の自慢話をたっぷりとして帰っていった。 「全く画期的な成果」の自慢は今回が初めてではない。どうやらS藤先生の絶 好調はとどまることを知らず、画期的成果の必殺連射、上昇気流まっしぐら、 イケイケどんどん状態らしい。何ともうらやましい限りである。

ところで先日の親和会の時に、Y田先生と少しだけ「数理科学科の落ちこぼれ 問題をどうするか」の意見交換をした。多くの大学の数学教室では「数学の出 来ない学生には計算機でもさわらしておけ」というやり方をしているのだけど、 私はこの方法には限界があると考えている。

すなわち、数学科のカリキュラムに中途半端に情報教育を増やしても、そうい うものは「落ちこぼれ対策」の決め手とは思えない。なぜならば、数学科で導 入される(プログラミング入門以上のレベルの)「情報分野」というのは 数学者の審美眼に(かろうじて)耐えられるものに限られ、さらにその教育・研 究の進め方もある種の上品さが求められる。教員人事にしても、あまり「下品 な」人はまわりの数学者とうまくやっていけないから採用したくない、という 判断も働くであろう。こういう、数学者好みの上品な学問は、筋金入りの本物の落ち こぼれ学生の前ではほとんど無力である。実際、例えば本当の落ちこぼれ学生 がS藤先生の研究室で楽しくやっていくのはほとんど不可能だと思う。それはS 藤先生のやっている事が「上品」過ぎるからだ。(私は十分下品だと思ってる けどね。)

そこで私は以前から「全く数学が出来ないしやる気も無い学生は情報学科 に放り出せ」と主張している。これで言葉が悪ければ「大学の数学に魅力を感 じられなくなり学習を続けていく意志を喪失した学生に対して、情報学科への 移籍の機会を保証する」とでも言い直そう。 要するに在学中に心機一転人生やり直すチャンスを与えるってこと。 現状だと完全に落ちこぼれてやる気ゼロ状態になっても、 卒業まで死んだフリして我慢しながら単位が降ってくるのを 待ちつづけなければならないのだ。そしてその間に持たなくても良い劣等感と 数学に対する怨みつらみが溜っていくのだ。

いちいち頭使って考えなくても、ぱっと見ただけで何の事か何となくわかり、 理屈はほとんど無く、あったとしてもオマケ程度に考えておけばよく、手足を 動かしているうちに何となくわかってくる。 手足の動かし方すらわかず、わかる気も無く、結局何もわかっていなくても、 とりあえず楽して体裁だけは整えられて、運が良ければ自分でも何かやった気 になれる。 どんちゃんどんちゃん年がら年中景気の良いような悪いような話で騒々しくて、 その中でわーっとやっていくのはそれなりに楽しいし、「何だ自分よりもはる かに馬鹿な奴が結構ちゃんとやっているじゃん」ってこともある。 はっきり言って計算機屋の世界って、超天才級の逸材もゴロゴロしているし、 とんでもない馬鹿もゴロゴロしている。下限がはっきりしている数学と違って、 上限も下限も事実上無しの世界である。 そんな世界で色々やっているうちに「数学で落ちこぼれた」という心の傷も少 しは癒せるであろう。 こう考えると何だか馬鹿みたいな世界に思えてくるけれど、それは半分正しいけど 半分誤りで、実はとても奥が深くて難しい。結局、馬鹿も天才もそれぞれの レベルで取り組める何でもありの下品極まる世界。それが情報学科的「情報」 の世界です。

「数学科の落ちこぼれ」というのは、上品さを重んじる数学者的世界に適応障 害を起こしている人たちだというのが私の仮説で、もしそうだとすると根本的 な対策はその世界から出ることしか無い。 できれば途中から入ってもほとんど 問題なくやっていけるいい加減な --- (それで言葉が悪ければ「学問の体系がまだ確立 していない世界」とでも言っておこうか) --- 所が良い。情報学科なんてうってつ けの所だと思うけどね。

本日午後一番の線形代数の前期試験の監督のため昼前に出勤。

2002年7月24(水)
<< 皆勤賞受賞 >>
数理科学科からの親和会の出席者は、私以外では初登場「野望と戦略のA堀先 生」と久々登場のY田先生のみ。レギュラー・メンバーは私だけ。今回は初め ての試みとして琵琶湖ホテル宿泊券とバイキング昼食券が当たる抽選があって、 何と!?私はバイキング昼食券が当たってしまった。苦節○×年。退屈な宴会に 出席し続けてきた皆勤賞だと思っておこう。

さて、悪名高い(?)くじ引き制座席指定の結果、今回私の右隣は昔から顔 だけは知っている一般教養(という言い方はもうしないのかもしれないけど)の 某先生。左隣は情報学科の新任の先生(と私に自己紹介してきた)。「何だ、情 報の先生か」と思った途端にもうどうでもよくなり、私の眼中の人では なくなる。もうひとり情報の新任の先生が私の所にたち寄って話して行ったけ ど、彼は何だかよくわからない事ばかり言っていたような気がする。ま、どう でもいいけど。

今回は某学科の黒幕教授との美しくも危険な隣合わせとか、「権力は 禅譲を待っていたのではダメだ。権力は奪取してこそその使い方がわかる!」 という感動的な名言の連呼や、学術的に興味深い話等々の面白い事はちっとも 起こらず。あーあ、飯も酒もうまいけど死ぬほど退屈だなーと周囲を見回すと、 野望と戦略のA堀先生は退屈するどころか隣近所の先生達と何やら熱心に話し込んで いた。帰りには「いやー、理工学部にこんなに沢山知らない先生がいたことが 初めてわかった」とか言っていたのだけど、これは「野望と戦略の要は人脈で ある。これからは理工学部人脈も開拓するぞ」という意味だと解釈すべきか? A堀先生、今回に懲りずにまた親和会に参加してくださいね。

本日午後の離散数学の試験監督と教室会議のため出勤。

2002年7月23(火)
<< 乞う!御期待 >>
午後の教授会と"苦渋の決断親和会"に参加するために午後から出勤。 何と!私の日誌に触発されて、「野望満々!戦略家のA堀先生」も 親和会に参加するらしい。宴会にてA堀先生がどんな学内政治活動を 繰り広げることか?詳細は明日(以降)の日誌を御期待あれ。

2002年7月20(土)・22(月)
<<感動のSchulterverspannung>>
19日(土)午後はゲーテ最終回。レッスン終了後、私を含む時間に余裕のあ る受講生数名とGenetat先生とで近くの創作中華料理の店で軽く打ち上げ。前 からGenetat先生に一度聞いてみたかった事を質問する。「西洋人には肩こりが 無いそうですが、本当ですか?」その答は、「ドイツ人にも肩こりはあります。 私もよく肩が凝ります。ドイツ語ではSchulterschmerzen(肩の痛み)もし くはSchulterverspannung (肩の筋肉のこわばり)と言います。後者の言い方の方が よく使われます。ドイツには鍼もマッサージもちゃんとあります。」これは私にとっ て感動的な答であり、その日は私にとって記念碑的な意味を持つのである。

というのは、以前書店で何気なく立ち読みした一般向けの肩こりの本に 「欧米には『肩こり』に相当する言葉も表現も存在しないし、肩こりは日本人 特有の現象である」などということが書いてあり、おまけに「欧米に留学した 人が医者にかかって肩こりの症状をうったえたら、逆にそれはどういう病気か と聞き返されたことがあるくらいである」なんて話まで書かれていたからであ る。さらには、私の知っている医者がやはり同じような事を言い、だから西洋 医学には肩こりという概念も肩こりの治療という無いのだと言わんばかりの事 まで大威張りで言うものだから、「ほんまかいな」とずっと気になっていたの だ。

西洋人と日本人の体格の違い(骨格や筋肉の付き方の違い)から、肩こり を訴える人の割合が大きく異なるというのならありうる話だろうけど、「西洋人には そういう概念すら無い」とか、体格的にほとんど同じと思われる中国人、朝鮮 人、モンゴル人などの事はすっとばして「日本人だけにしか無い」と言うのは 大いに嘘臭い。だれかががこういう嘘を広めていて、それを鵜のみにした人が また嘘を広めるのにひと役買ってるんじゃないか。これではまるで嘘の鼠講で ある。上記の医者だって、どこかの本で読んで自分で確かめずに信じているん じゃないだろうか。医者は科学者じゃないからこういう話を鵜のみにするかも 知れないが、私は数学者だから大いに抵抗がある。 いつの日か必ず真実を確かめてやるぞ。

そんな事を思いながらイタリアに出張したのだが、レヴィコ温泉での会議 でちょっと肩が凝っていて、自分で肩を揉みながら講演を聴いていたら、それ を見ていたHerzog先生が「おまえ肩でも凝ってるのか?」と聞いてきた。実際 は肩の筋肉に痛み(pain)でもあるのか、というような聞き方をしたと思う。で、 いやーあ、最近肩がよく凝るんですよー(Lately I often have Schulterschmerzen. 英語とドイツ語のちゃんぽん)。そうか、それならマッサージが良く 効くと思うけど、俺がマッサージしたらかえって悪くしちまいそうだしな。 (いえいえ、Herzog先生に肩を揉ませるなんて滅相もない。)なんて会話が あって、私としてはHerzog先生は「肩こり」という現象をごく当たり前のこと として認識しているという印象をもった。「よし!真実があばかれる日は近い ぞ!」

しかし、本当に私とHerzog先生が「肩こり」という概念を正しく共有して 会話をしていたとは断定し切れず、同床異夢的会話だった可能性もある。 したがって、日本語の「肩こり」という言葉、日本人の肩こりという現象の両方 を知っている西洋人に聞いてみる必要があり、Genetat先生はうってつけの人 だったというわけ。

22日(月)は京大数理研図書室である論文を探し出し、喫茶進々堂など で読み耽る。

2002年7月19(金)
<< 夏休み >>
前期最後の可換環論・代数幾何学セミナーのために昼頃出勤。Hilbertの零点 定理の証明、局所環の例など。3回生F君、自家養成サクラI君ともに M. Reid のテキストのたっぷり癖のある記述に当てられ気味で少々苦戦。とにかく二人 とも区切りの良いところまで進めて無事前期のゼミが終了し、いよいよ自家 養成養成サクラI君待望の夏休みに突入する。

私も、去年はある用事のため夏休みが完全に潰れてしまったけれど、今年 はゆっくり勉強したり考えたりしてすごしたいものだ。とは言うものの、まだ 前期試験の採点や会議が目白押しで、休みという感じはしないけどね。

明日はゲーテ講座の最終回。月曜はたぶん自宅待機日。次回の更新は 教授会と親和会がある火曜日かその翌日になる予定。

2002年7月18(木)
<< 夢見るN木先生 >>
本日自宅待機日。午後から喫茶進々堂に行ったのだけど、そこで共同研究者の M氏と打ち合わせをしているN木先生とばったり会ってしまった。 自宅で一日中奥様とアルプス一万尺をやって暮らしている夢見るH先生同 様、私が大学でN木先生を見掛けることは滅多にない。N木先生が自宅でアル プス一万尺をやっているかどうはは知らないけれど、京大近辺をふらららあっ と風に吹かれながら歩いている姿や、山科駅前ラクトの食料品売り場あたりをふらあああああっ と漂っている姿はよく見かける。また一度だけだがラクトの洗面所でふあああ あっと歯を磨いている姿を見掛けたような気がする(あれは夢だったかしら?)。

それを目撃している私も、ラクトや京大近辺をあても無く ふらふらしているんだけどね。

2002年7月17日(水)
<< A堀先生の性格 >>
ゆうべは突然「夕食後に祇園祭の宵山に出かけよう」と思ったのだが、 ちょうどニュースで見た人だかりの凄さを見て思いとどまる。 本日午後一番からCプログラミング演習と離散数学の前期最終授業。

今年の一回生諸君は既にCプログラミングの下品さについては十分熟知してい ると思われるし、先日の補講にも誰も出席していなかったことから、今日も誰 も来ずに15分で自然休講となるものと予想していた。しかし実際は3名程度 の学生が現れ、Cプログラミング、線形代数、微積分学の質問を交互に寄せて きてかなり忙しい90分を過ごすこととなった。

どうやら明日がA堀先生の微積分学の試験らしく、学生は「A堀先生の性格 から考えて、どこが出ると思いますか?」などと試験のヤマを聞いてきた。面 白い事を聞く学生だと思いつつも、「うーん。A堀先生の性格ねー。よーわか らんけど、たぶんこのあたりと、ここと、あそこと、もひとつここらへんが出 るんとちゃう?あ、そうだ。彼の性格から考えて、ここも要注意やね」とか言っ て試験範囲内の要所と思われる部分を全部挙げておいた。まあ、しっかり 勉強しておくれ。

明日は講義も何もないのでたぶん自宅待機日。日誌の更新は明後日金曜日 になる予定。

2002年7月16日(火)
<< 「それはいいことですね」 >>
私の学生達は良い子達で、土曜日あれから教室に行って10分程待っていたの だが、結局補講の出席者はゼロであった。つまり彼らは全て師である私の思想 を正しく継承し、大学に入学したばかりの未来ある自分達がCプログラミング などという下品な事に手を染めてしまうとセンスと人間が悪くなってしまって 本業の数学の勉強に著しくさしさわると判断し、補講を欠席して自宅にて線形 代数や微積分学の勉強などに専念していたのであろう。そこで私は誰も居ない 教室で「本日の補講は自然消滅した!」と高らかに宣言し、急遽ゲーテに向かっ たのである。そして完全にあきらめていたその日の講座の後半にどうにか間に 合い、さらには17時の閉館までにゲーテの図書館でドイツ語雑誌FOCUSを借 り、ドイツ語ビデオの貸し出し延長手続きを済ませることができたのである。 これも全て良い学生達に恵まれたお陰である。

昨日15日は自宅待機日。昼間は京大ルネと喫茶進々堂あたりで、そして 夕方頃からは自宅ですごす。今日も自宅待機日のつもりだったのだが、 大学での用事がいくつか発生したので午後から出勤。明日は講義の日だから できれば用事を明日に全部かためたかったなあ、などと思えるようになるぐらい 私の数学者化が進行している。めでたいことだ。

エレベータの所で情報学科のF先生とばったり出会い、「高山さん、最近あ まり大学で見掛けませんねえ」と聞かれた。そこで「実は最近は数学者らしく 自宅中心の生活を送るようにしているのです。講義や会議の直前に大学に現れ て、終ったらさっさと帰ることを心掛けています。夢見るH先生のように週2 回の出勤だけでサラリーマンの悲哀をたっぷり味わい、例え自宅で忙しく働い ていても誰にも信じてもらえずに人知れず逃避行動に走っているような生活が 理想なんです」という返答を思いついたのだが、時間が無くてその一部分だけ 答えておいた。(さて、実際に答えたのはどの部分でしょう?)物事の理解が速 く、かつ、深いF先生は満面の笑みをうかべて一言「それはいいことですね。」