2002年6月28日(金)
<< 久しぶりのセミナー >>
久しぶりの可換代数・代数幾何学セミナーのため昼頃に出勤。既約代数的集合 と素イデアルの関係、イデアルの根基と根基イデアル、非整域の特徴付け、極 小素イデアルの存在、被約なネーター環の剰余環の直和への埋め込みとその具 体例 etc. 自家養成サクラI君、3回生F君ともに今日は調子が良かった。ホ モロジー代数に魅せられつつある3回生F君は、古本市で河田敬義「ホモロジー 代数」(岩波)を買ったと言って喜んでいた。

2002年6月27日(木)
<< ワールドカップ >>
本日午後一番で線形代数の講義。今日もまたメモを用意してガンガン飛ばし、 ほぼ予定通り進む。ひきつづき蝸牛ゼミ。今日は5回生I君の蝸牛ぶりが少し 改善されたようだ。

ところで、6月18日のワールドカップ、イタリア vs 韓国戦は、何と!会議場 に設置された大スクリーンで見ることとなった。現地時間では13時30分か ら開始なので、延長戦も想定(実際そうなったのだが)して15時から始まる予 定の午後の講演が16時15分からに急拠変更されたのである。

結果はイタリアの敗北に終ってしまったから大変である。 さすがに数学者の集まりだから、韓国人や韓国人と顔の区別がつかない日本人 や中国人の参加者が吊し上げを食う事態にはならないけれど、 参加者の4分の1以上を占めるイタリア人数学者達はちょっとやそっとではお さらまらない。 午後の講演をし たあるイタリア人数学者は講演中にある定理を参照し、それは自分と誰それと 韓国人S氏との共同研究によるものだと、その3名の名を黒板に書き連ね、最 後にS氏の名前に大きく×印をつけた!「S氏はここに来てるか?あ、そこに居 たのか。悪いな。でも俺は今機嫌が悪いんだから許せよ!」とか言うものだか ら、会場は大爆笑であった。午後の講演最後に話したスウエーデンの大御所R 氏は、「今日イタリアは敗退しましたが、私の国はずいぶん前にワールドカッ プから消滅しました。さあ皆さん、今は落ち着いて局所環の話をしようではあ りませんか」と聴衆をなだめてから講演を始めた。

このような状況は、午前中に講演をしたドイツのB氏の次の言葉に既で 予言さ れていたのである:「講演を始める前に一言ご挨拶申し上げます。(中略) 午 前中に講演できるというのはラッキーだったと感謝しております。午後になる と、皆さん『審判の判定の是非論争』に夢中になって、数学どころではないで しょうから。」

それにしても、Herzog先生によると、イランは可換代数の研究が盛んなと ころで最低30名は研究者が居るようである。この会議でも一人講演してい て合計10名程度の参加者が来ていた。会議が終って彼らが帰国した か否かの時に、イランの大地震が起こったわけだけど、彼らは大丈夫 なのだろうかとちょっと心配ではある。

2002年6月26日(水)
<< イタリアの宿 >>
梅雨寒の日である。先週のイタリアは気温が20度〜34度で推移していて、 昼間は太陽が熱くて戸外に出る気が起こらないものの、朝晩は肌寒いほど 涼しかった。日本だと最高気温が34度とか言うと大抵熱帯夜で 最低気温が29度とかいう話になるのだけど、やはり地中海性気候と 温帯モンスーン気候は違うのであろう。

さて、レヴィコ温泉での宿泊地は、今度の会議の会場にもなっている 四つ星ホテル Grand Hotel Bellavistaのはずだったのだが、実際現地 に行ってみると、「あなたは隣の(三つ星)ホテル Europaに割り当てられてい る」と言われた。会議の参加者は120名程度。Bellavistaは20数名の招待 講演者と会議運営関係者などで一杯になり、それ以外の参加者は、Belavista の前にあるホテル Libertyと隣にあるホテル Europaに振り分けられたようで ある。

このEuropaというのは、高級感溢れる気取った感じのBellavistaと違って、 イタリアの庶民の香りが色濃く漂うホテルだった。 建物の作りもうんと質素だし、 フロントに係員は常駐しておらず、部屋の鍵は自分で鍵棚に引っかけて外出す るようになっており(他人が勝手に鍵を使う事も原理的には可能)、 部屋にはテレビが無く(ワールドカップが見られないじゃないか!?)、 テレビが見たければ共用のテレビ室で見ることになっており、 8時から朝食と言えば(イタリア式に?)8時から準備を始め(したがって朝食 がまともに食べられるのは実際には8時15分頃から)、 部屋には冷房が無く、 ホテルの人の英語は極めて怪しく、 部屋の電話は壊れていて(2日後に復旧したが)、 入口に「カードで支払ができます」というステッカーがべたべた貼ってあるに もかかわらず、実際カードは一日一回カード会社の人が巡回してきた時しか使 えずetc. という状態で、最初は何だかとんでもないホテルに回されたなあと思っていた。

しかしながら、このホテルは実は70歳未満立ち入り禁止なんじゃないか と思われる程、温泉目当ての老人の団体ばかりが宿泊している実にのんびりし たホテルのようであり、ホテルの人はみんな実に親切で、時にイタリア人的大 ボケ(?)をかましつつも一生懸命我々をもてなそうとしてくれるし、朝昼晩の食 事は素晴らしくおいしいかったし、昼間はジャグジー式のブラインドを閉めて直射 日光を避ければそれ程暑くもなく、朝晩は涼しいので冷房は不要だし、電話は 別の方法で掛けられるようにしてもらったし、ワールド・カップは部屋で一人 で見るよりも、イタリアのおじいちゃんおばあちゃん達と一緒にテレビ室で見 た方が楽しいし、それにチェックアウトの時に初めてわかったのだが宿泊費が とても安かった etc. ということで、結局大満足状態でホテルの御主人に厚く 御礼申し上げてチェック・アウトしたのである。

本日、午後一番からCプログラミング演習、離散数学、教室会議。

2002年6月25日(火)
<< 帰ってきたよ >>
23日朝イタリア出張から日本に戻り、昨日から大学に出勤してたのだが、色々 仕事がたまっていて忙しい。9月の学会の講演原稿や前期試験問題の提出〆切は迫って いるし、今日は教授会、明日は講義2つに教室会議、明後日は講義一つに午後 は卒研 etc. といった調子。夢見るH先生は、私と入れ違いにポルトガル へ発ったようだ。

さて、イタリアの国際会議はどうだったかというと、一言で言えば「わか らない講演が多かった」。会議の名称が 「可換代数における最近の潮流」 であるためか、可換代数の研究分野全体が俯瞰できるように色々 な方面の講演が配置されており、この分野だけでもこんなに色々研究することがあっ たのかしら!?と、無知な自分を恥じつつもちょっと驚いてしまった。

だから、初めて聞くような話も多く、さらには肝心な事を早口でまくしたてながら、黒 板に滅茶苦茶な字で、さらにその人固有の省略記法など折混ぜて、ほとんど読 めない数式や説明文を書き殴る講演者や、板書も話も丁寧なのだけど、どうもよ くわからんと思っていたら、話している途中で記号が勝手にどんどん変わって いる(!!)講演者も居たりして、結局「わからない講演」の目白押し状態となってし まったのである。

この会議は、わざわざレヴィコ・テルメ(「テルメ」は「温泉」のことらし い)という山あり湖あり温泉ありの 絶好の保養地 に来ながら、観光にはほとん ど目もくれず、 朝9時から夜7時近くまでびっしり講演が詰まっていて、場合に よっては夕食後夜10時頃まで臨時講演が入るという、どこかの受験塾の強化 合宿みたいな強行日程タコ部屋状態だった。しかも、 一日だけ午後に観光バスに乗ってどこかに遊びに行くという催しがあった のだが、それものんびり観光を楽しもうというのにはほど遠く、連中が「数学 は体力だ!」と考えている事をまざまざと知らされる大変なシロモノであった。

その催しは2002メートルの山に登るというものだったが、 バスで1600メートルのところまで 行くから、そこから山頂までは20分だよ、という話なのでホイホイとついて いった。しかし、山頂に付いたら「あと3時間したらバスが迎えに来ます。それまで 自由行動!」と来る。こんな何も無いハゲ山のてっぺんで3時間も何するんだよ!?よし、それじゃあ ずっと向こうに見えている2037メートルの山に登ろう。 いったんこの山を下りて、そこにある1500メートルぐらいの山を超えて、その次の山 だから、大体片道1時間半ぐらいだろう。だから、行って帰ってきてちょう7時頃かな、 なんて恐い話が始まっている。 おいおい!と思っているうちに、皆「そうだそうだ!登ろう登ろう!」などと 言いながら動き始める。(おいおいおい!何考えとるんじゃ!?) しかし、右も左もわらかない所で置いてきぼり食らわされたんじゃあ たまらんから仕方なくついて行ったのだが、これが私にとっては 「バターン死の行進」的地獄の始まりだったのだ... それまでおいしいイタリア料理を食べすぎて、 カロリー・オーバーが著しく気になっていたのだけど、半日でおつりが来る ぐらいダイエットができたのである。

イタリア料理食べて、山登らされて、それでおしまい!講演はさーっぱりわか らんかったし、心温まる観光も無し。それでは何やってるのかわからない。そ こで私は必死で「わからない講演」のノートを取りまくりました。 明日のために取るべし!取るべし!取るべし!取るべし!なあに、こんな事は 私の学生達が毎日やっている事さ。 わからない講演の ノートは後で読み返してもわからないのだけど、講演の雰囲気や、だいたい どういうスタイルの問題をどういう感じで考えているかはわかるし、もし興味 があれば講演者の論文を取り寄せてノートと突き合わせればかなり理解できる はずであるし、ひょっとしたら近い将来思わぬ所で思わぬ面白い話を聞き、そ れが今回のノートの内容と関連している事がわかったりするかも知れない。 ただ聞き流して忘れてしまうよりも、うんと良いに違いない。

ノート以外の収穫は?Herzog先生や、 エッセン大学滞在中にOberseminarの講演に来ていたチューリッヒ大学のBrodmann先生. エッセン大学の博士課程とコカコーラを卒業して現在故郷のイタリアの大学に 居るSbarraさんにも久しぶりで会い、色々有益な話を聞いたり意見交換をしたりもできた。 (Sbarraさんはコカコーラの飲みすぎのためか、私の事を覚えていなかったけど。) 日本からも何人か参加者が来ていて、そのうちの代数幾何学者である 東北大の尾形さんとも知合いになれた。それやこれやで、まずまず収穫はあったと言えよう。

それ以外にサッカーの話やホテルの話など色々あるけれど、それは また追い追い書くことになるでしょう。