2002年11月15日(金)
<<心の引出し>>
午前中は自宅で野暮用とドイツ語の宿題を片付ける。昼頃山科SBUXで来週の線 形代数の講義の準備をして、そのまま山科駅からJRに乗り大学へ。偶然出勤途 中のK川先生と一緒になる。相変わらず楽しい人である。大学では、自分の部 屋で巨大雑用がらみのメイルを待ちながら、講義の準備の残りをやったり、巨 大雑用をやったり。この手の連絡は何故か夕方7時頃に来ることが多く、それ からメイルの返事を書いていると、帰宅時間がずいぶん遅くなる。

ところで、感情の底流としての不機嫌は変わらず、というか、私は理不尽な事、不条 理な事に対してそれを水に流すという事はしない人間だから、時間が経てばど うなるというものでもない。しかし、不機嫌を心の引出しにきちんと 整理してしまい込み、必要な時だけ取り出してくるという風にしていかないと、 一生四六時じゅう不機嫌なままで終るという馬鹿馬鹿しいことになってしまう な。

2002年11月14日(木)
<<小康状態>>
午前中は情報学科「数理モデル論」の講義。受講者10名。代数的集合とイデ アルとのI-対応とV-対応の性質と簡単な例など。午後は卒研ゼミ。5回生I君 はいきなり沈没。まあ、難しい部分を読んでいるのだから仕方無いとも言えるけれど、 やはりそんな調子ではダメだと、穏やかにしかしながら内容的には 厳しく30秒ほど説教をして、来週また出直すよう命じる。 4回生M君はグレブナー基底の応用の章に進む。

不機嫌の方は小康状態。というより、色々考えると益々腹が立ってくるので考えな いようにしている。

講義、ゼミの合間は巨大雑用。ゆうべは「時間割制約解消問題がどうして も解けない!」と頭を抱えている夢でうなされてしまった。今日はいくぶん進 展。非常勤講師手配がかなり逼迫していたのだけど、多くの人達の協力を得て 少しずつ光明が見え始めているようだ。

2002年11月13日(水)
<<不機嫌>>
「この男、危険につき近寄るべからず」状態は相変わらず続いている。巨大雑 用のストレスというのも確かにあるのだけど、それと関連はするものの出処は 全く独立の話があって、そちらの影響の方が大きい。その不機嫌の根本原因の 詳細をここに述べることはできない。関係者には直接言っていることでもある ので、ここでは「不条理な事をやらかす人間に限って自分のやっている行為の 意味を論理的に理解する能力が圧倒的に欠如しているものだ」とだけ述べるに とどめよう。

本日午前は代数曲線論の講義。受講者は眠り天才君、Mぴー、代打じゃない H沢くん、夢見るH先生の弟子、S藤先生の弟子、私の弟子の計6名。代数幾何 学における次元の概念、商体の構成、射影代数多様体の関数体の定義など。

午後はがんがん飛ばしの線形代数を予定通り3ページをクリア。教卓から 見ていると、前期の単位を落してがっくり来てそのまま自主脱落し、講義中は 専ら"内職"に励んでいる学生も居るようだ。他の学生も一所懸命ノートを取っ ているけど、大丈夫なのかなあ。演習を担当している先生がうまくフォロー してくれているものと信じることにする。

午後の講義のあと学生が質問に来た。学生と不機嫌は無関係なので、機嫌 良く対応したら、学生は機嫌良く帰っていった。これでよし。

その後、巨大雑用を再開。

2002年11月12日(火)
<<ぬるぬるぬる...>>
京都賞記念ワークショップに参加。ロシア人のグロモフ先生の話す言葉は、6 割ぐらいは英語として聞き取れるが残りの4割ぐらいは、本人は英語つもりで 喋っているのだろうけど、物凄い早口のロシア語にしか聞こえない。例えば、 "The symmetric structure of this space ぬるぬるぬる which is ぬるぬる ぬるぬるぬる. And this basic idea ぬるぬるぬるぬる. ぬるぬるぬる next point." といった調子。「ぬるぬるぬる」の部分は、例えばプーチン大統領 がテレビで演説している時の話し方と似ているから、おそらく強いロシア語な まりなのだろう。

グロモフ先生の講演では、OHPは使っていたのだが、まっさらのシートを取 り出してその場で何かキーワードを書くのだけど、ロシア人はアルファベット とは違う文字を使いなれているせいか、それとも西洋人とはそもそもそういう ものなのか、あるいは(本人はアルファベットのつもりかも知れないが)実はキ リル文字で書いているのか、とにかく何だか読めない文字を書く。Herzog先生 の字も凄いけど、この人も負けてはいない。で、「これはだめだな」と思って いるうちに、つい気を失ってしまう。

これでグロモフ先生というのは、数学に新しいテクニックを導入するタイ プの数学者というよりは、数学に新しい思想や基本的なアイディアをもたらす 数学者であるということだけはわかった。だからこそ、数式も定理のステート メントも定義も一切示さずに、OHPに時おり丸だの線分の切れ端だの、解読不 能なキーワードのような呪文のような単語を書き殴るだけで延々と話ができる というわけだ。しかし有難い思想もアイディアも、ぬるぬるぬる...じゃ 全くわからない。

幸い、その前後でフランスの高等科学研究所の所長とかいう人と 京大の深谷先生がグロモフ先生の重要なアイディアの解説 講演をやってくれて、これは(技術的な詳細は別として)とってもよくわかった。 何がわかったかというと、彼らのやっている事は、私が興味を持っている事と はずいぶんかけ離れていることがわかった。で、「遠い世界だな」と思って、 次の講演とかパネルディスカッションとかを聞かずに大学に戻る。

微分幾何学は遠い世界である。ひとつ注意しなければならない事は、微分 幾何学者にとって「幾何学」と言えば微分幾何学を指し、それ以外は「何か別 のもの」なのである。微分幾何学者以外の数学者は、「幾何学者」と聞いた時 「じゃあ、その人がやっているのは代数幾何ですか、微分幾何ですか、それと もトポロジーですか?」と聞きたくなるだろうが、微分幾何学者にとってはそ れは「あれは猫です」というのに対して「じゃあ、それは犬ですか?猫ですか? 虎ですか?」と聞き返すのと同じぐらい愚問なのであり、そもそも微分幾何学者に とって「幾何学者」という言葉は存在しても、「微分幾何学者」という言葉は存在しないのである。

こういうのは誇り高き微分幾何学者達特有のメンタリティーだと思ってい たけれど、そういう情緒的な話だけでもないようだ。微分幾...いや、幾何 学者のKaz先生がちょっと前に、「代数幾何学は幾何学じゃない。あれは、代 数かあるいは複素解析だ」って言っていたのが胸の中でずっと不響和音として 反響していたのだけど、今日の講演でちょっと腑に落ちたような気がした。

大学に戻って、巨大雑用が中断する原因となっているいくつかの連絡待ち をチェックするも進展なし。もうチョット若い時だったら「どいつもこいつも 俺の仕事の邪魔ばかりしよる!ウダウダやってないで、早く返事をよこさんか い!!」とキレているところだが、心を静めて月末の集中講義の準備などに励 む。

しかし、一般的に言ってペース配分が掴みにくい馴れない仕事でカリカリ しているため、今の私はキレやすい。背中に「危険につき、不用意に近付くべから ず」と紙でも貼って歩こうかしら。

2002年11月11日(月)
<<忙中閑あり>>
本日午後は京都国際会議場で京都賞の記念講演会に参加。お目当ては微分幾何 学のグロモフ教授。微分幾何の人達がよくグロモフ、グロモフと騒いでいるけ ど、どんな数学をやっているのかしら、とちょっと覗いてみようという訳。

巨大雑用はまだ、半分ぐらいしか進んでいないのだけど、こういう仕事は 根を詰めて一気に片付けようとしてもダメだという事がわかってきた。こうい う色々な人と連絡を取りながらやらなければならない仕事って、先走って色々 やっても全部無駄になるから、のんびり構えるのが良さそうだ。

ということで、「忙中閑あり」で明日はグロモフ教授を中心とした 京都賞記念ワークショップに参加することにする。

2002年11月10日(日)
<<一寸先は闇>>
言わずと知れた日曜日である。しかし、今や人生よりもはるかに大きい教務委 員という世界に生きる私には、日曜日など関係無いのである。午後は学園祭で ごった返しているBKCに出勤し、巨大雑用に取り組む。専任教員の時間割とい う制約解消問題は昨夜でとりあえずひと段落ついたようなので、今日は非常勤 講師手配師の世界に突入する。

非常勤講師手配というのは複雑系の世界である。非常勤講師の主力は、本 務校の就職先が決まる前の過渡期にある若い先生方で、現在のところはそれだ けで生活している人達である。だから年度末に急遽本務校が決まって遠くに転 居するため、来年度の非常勤がドタキャンになる可能性を常に含んでいる。今 のところは非常勤講師のことばかり気にしているけれど、大学というものは専 任教員だって次年度急遽他大学に転出するって事は、可能性としては常にある のである。

だから、11月頃に色々来年度の事を決めてやれやれと思っていても、2 月頃にはちゃぶ台がひっくり返って大騒ぎ、なんて事が無いとも限らない。一 寸先は闇であり、誰もあらかじめ未来を確定させることはできないのである。 ああ、やはり教務委員というのは人生を包含する概念なんだなあ。

2002年11月9日(土)
<<人生は教務委員の縮図なり>>
午後ゲーテでドイツ語三昧していた以外は、午前も夜も巨大雑用に取り組む。 教務委員というのは初めての経験であるが、時間割作成などはやってみると色々 大変である。

何が大変かというと、学部横断科目が入るからこの時間帯に講義を入れるなという コマがやたら多い上に、皆さん、 やれ朝は起きられないから一限目は嫌だ、 やれ道路が混むから午前中は嫌だ、 何曜日はダメだだの、 授業を分散させてくれだの固めてくれだの、 卒研の曜日を決めずにしばらくシュレディンガーの猫でいたいだの等々と、 民間企業(立命館も民間企業なんだけど)ならまずネゴトとしか 扱われないような好き勝手な事ばかり言って来る。 こういう事がまかり通るのだから、思えば大学というのは不思議な世界である。

それはともかくとして、虫食い状態でほとんど授業を入れられるコマが無 いところに、同僚教員の皆様のネゴ..., いや、御都合をいちおう全て考慮し て制約解消問題を解くのである。これはいくぶん挑戦的な問題であって、うま く解ければそれはそれでめでたい。まるで何かの写像の計算をやっていてとて もきれいな結果が得られたときのようなすがすがしい気分になる。しかし、場 合によっては解が存在しないことが証明されてしまい、頭を抱えるはめに陥る。 まさに人生は数学の縮図(cf. 「数学は人生の縮図」の書き間違いではない) で、数学は教務委員の縮図。よって、人生は教務委員の縮図なのだ!

まあ、解の非存在性が証明されたとしても、誰かの要望を制約条件から外 せば必ず解は見出せるのだ。だけども、誰のどの要望を却下するかについては、 それなりに色々気をつかうことになる。

さらに非常勤講師とか、他学部、他学科への出張授業が多数あるという、 数学教室特有の事情が事態を益々複雑にしている。そして、もっとも頭の痛い 事は、こんなにゴチャゴチャしたものを扱っていて、何か大事な条件を見落と していて大チョンボをやらかしていないか?という不安と戦わねばならないこ とである。

2002年11月8日(金)
<<可換環論シンポジウム>>
昨日まる一日と今朝は可換環論シンポジウムに参加。日本の可換環論研究者の 誰がどんな研究をしているのか大体理解できたし、色々勉強になってとても有 意義だったと思う。

色々な方向の面白い話を聞いいていると、一体自分は何がやりたいのか考 えさせられる。話を聞いていて何となくわくわくしてしまうのは、ナントカ層 だの層係数コホモロジーだのスキームだのという話が直接出てくる代数幾何学 的な話題で、次にわくわくするのは定式化は完全に環論的になっているけれど 明確な代数幾何学的意味を持った話。環論的に興味深い問題でも代数幾何学的 意味がよくわからないものは、聞いていていまひとつ元気が出てこない。やは り私が一番やりたいのは代数幾何学なんだな、ということを改めて自覚させら れる。

とは言うものの、本格的な代数幾何学研究のレベルまでは、単にまだ勉強 が不十分という内容的な話以外の事も含めると遥かに遠い遠い道のりだし、代 数幾何学的な可換環論の話というのはよほどうまい切口を見付けないと中途半 端な内容に終ってしまいそうである。だから、もうしばらく愚図愚図と模索す ることになるだろう。

昼前に最後の講演が終り、その足で直接大学に出勤。いよいよ本番!巨大 雑用の本格作業に取り組み始める。

2002年11月6日(水)
<<何とかなるでしょう>>
朝一番でシンポジウムの講演をひとつ聞き、すぐに大学へ向かう。午後一番で 線形代数の講義。がんがん飛ばし5ページ弱進む。ひきつづき教室会議を夜7 時頃までやり、生協で夕食をとってまた大阪にとんぼ返りする。合宿制のシン ポジウムで朝が早いので、会場近くに宿を取っているのである。明日と明後日 の午前はシンポジウム。明後日午後に出勤するかも。

巨大雑用と出張の嵐が重なっているけど、まあ何とかなるでしょう。

2002年11月5日(火)
<<わけのわからない思い込みの激しさ>>
昼間は出勤して雑用。夕方頃、可換環論シンポジウムに参加するために大阪に 向かう。〆切が異様に早いシンポジウムで申し込みそびれたのだけど、9月の 学会で会った世話役のK大のM先生に泣きついて何とか参加させてもらえるよう になったのである。

このシンポジウムには、何と!京大に進んだあの"怪しい学生K君"が来てい た。私は彼には実質的に何の指導もしておらず時たま雑談の相手をしていただ けだけど、京大で教授達に「高山君も怪しげでうさん臭い奴だけど、やっぱり 君も高山君の学生だっただけあって怪しいな」と変に濡れ衣を着せられてはい ないだろうかと心配していたのだが、持ち前のずうずうし...いや、ものおじ しない明るい性格とでも言っておこうか、を武器に結構元気にやっているみたいだ。 しかし、あのわけのわからない思い込みの激しさは一向に変わっていないらし く、それで数学において道を誤るような事が無いようにと祈るばかりである。

2002年11月4日(月)
<<誰が「可哀想」なのか?>>
今日は振替休日であるにもかかららず(!)我等が立命館が営業していない珍 しい日である。眠い眠い病の治療として午前中はゆっくりとすごし、午後は手 と数式処理システムSingularを使って色々計算。夕方からはスポーツクラブ。 夜は昼間の計算を整理したりドイツ語のテープをダビングしたり。

以前、S藤先生の「可哀想理論」が今でも存在するかしないかという話 があったが、やはり「可哀想理論」は健在であり、それどころか、それは S藤先生の大学教師としてのありかたと深くかかわっていると思うに至った。

私が純粋数学に転向して以降も、例えば学生とアルティンの「ガロア理論」 のゼミをしようとした時や、卒研配属前の学生の課題図書として佐武一郎の 「線型代数」を指定した時、S藤先生は「それでは学生が可哀想だ!」とかな り執拗に言っていた。どうもS藤先生が学生時代にそれらの本を読んで難しい と思った事が根拠らしいが、私はあーあ!またS藤先生の寝言が始まったなと 真面目に取り合わなかった。

また、S藤先生は情報処理の授業で私がCプログラミングの初歩を教えてい ると言うと、やはり「それでは学生が可哀想だ!」と言っていた。これについ ては、私自身が情報処理教育などという下品な話題に触れたくないという理由 で、「可哀想」な訳を聞きそびれたが。

あと、我々教師の間でよく議論になるのは成績のつけ方の問題。世の中的 には大学の成績をもっと厳しくつけよという話があるが、事はそう簡単ではな い。成績の良い悪しによって就職や留学などの進学、大学院での奨学金の有無 がずいぶん変わってくる。学生の将来を左右しかねないのだから成績をつける 方の責任は重大で、だからこそ慎重さと公正さには十分注意を払いつつも基本 的には厳正に成績をつけ、その結果学生が悪い成績を取って不利な立場になっ たとしてもそれはそれで仕方がないという立場と、だからこそ成績は(何でもA にせよとまでは言わないが)極力甘くつけるべしという立場に分かれる。私は 2つの立場のバランスが大事だと考えているけど、S藤先生は後者の立場を主 張する事が多い。その理由は、S藤先生が学生時代に悪い成績をつけられて、 アメリカ留学するときに苦労したためらしい。「学生がそんな目に合ったら 可哀想だ」というのである。

以上のことからまず推察されることは、S藤先生にとって「可哀想」な のはまさしく学生時代の自分自身だということである。次に推察されることは、 学生時代のS藤先生に似ている学生は「可哀想」なのである。例えば、か つての自分と同じように一所懸命やっているのに悪い成績を付けられて色々不 利になる学生が居れば、それは「可哀想」という理屈になる。一方、S 藤先生の学生時代とは全く違いタイプの、勉学意欲ゼロで要領良く卒業して就 職できれば良いと考えているような学生に対しては(私と同じぐらい)冷淡なよ うである。また、秀才タイプの学生に対してはどう思っているのか知らないが、 少なくともS藤先生は自分とは違うタイプだと思っているためか、「何とも思っ ていない」といったところではないか。

数理科学科には、はっきり言って剃刀のように切れ味抜群の秀才タイプと いう学生はほとんど居ない。いっぽう、勉学意欲がかなり減退している学生は 少なからず見られるものの、それに加えて心の底から腐り切っているようなタイプ の学生はほとんど見当たらない。それぞれ数学に対する深い思いを持ち続けて いるのである。その意味では学生時代のS藤先生と似たような学生が多く、だ からこそ少なくも数理科学科では学生は「可哀想」なのであろう。

こういうところから見ても、大学教師の学生に対するスタンスは自分自身 の学生時代、あるいは学生時代の自分自身を現在どう見ているかが深く影響す るのだと思う。

では、私はどうなのか、というと、「学生が可哀想」といった情緒的 表現には生理的違和感を感じるし、学生はうらやましがられる事はあっ ても可哀想がられるような存在ではないと思っている。これもやはり、私 自身が学生時代の自分をどう見ているかが影響しているように思う。先生、 先輩、同輩、そして後輩にまで(!)阿呆だ阿呆だと馬鹿にされ苛められて、 院試に落されて、大学追い出されて、そのトラウマを卒業後10数年ひきずっ ていたにもかかわらず、学生時代の自分の事を「可哀想だ」とは思ってい ない。「さんざんな目に合わせてもらって、結構刺激的でいい青春送ってたじゃ ん!」という気分。やっぱり私はマゾなのかしら。

2002年11月3日(日)
<<眠い眠い病>>
午前中にドイツ語の宿題および予習を終了させる。午後はお気に入りスポットをハ シゴしながら9月の学会で紹介してもらった論文を眺めるも、やはりえも言われぬ違 和感がぬぐい去れず、とりあえず放り出してそれまでやっていた計算に戻ることにし た。いくらお前が考えている問題に関連する話だと言われても、この感覚的な気持 ち悪さはどうにもならぬ。しかし、私は自分の感覚が全面的に信用できると思うほど 自信家ではないので、この論文についてはもうすこし時期が来るまで様子を見ると いうスタンスにしておく。

季節柄か、最近「眠い眠い病」に罹っていて、いくら寝ても眠い。どうも調子が出 ず。夜は昼に作った具体例を数式処理システムSingularで少し計算して調べ、それ が失敗作であることがわかり、ふて腐れて寝る。。

2002年11月2日(土)
<<前世>>
昨日は東京で国立研究所時代のOB達の会合に行って来た。全部で300名弱 のOBのうち100名程度が集まったもよう。私以外の参加者は相変わらず計算機 屋のままであり(そのうちの一人が悪魔に魂を売り飛ばしたS藤先生である)、今と なっては私にとって遠い世界の人達ではあるものの、しかしながら同じ釜の飯を 食った仲間であることも確かである。オラハシンジマッタダー♪状態になってあの 世に生まれ変わった幽霊が久しぶりに前世の様子を覗きに行ったような気分の夜 であった。 

今朝東京を発ち直接ゲーテに向かい、授業が始まる5分前に到着。今日から 新しい生徒が加わっていた。どうやら夫婦で非常勤講師をやっている(歴史を教え ている)奥さんの方らしい。またぞろ同志社関係者かしら。来週も出張の嵐が吹き荒 れるので、逆算すると来週のゲーテの予習と宿題をこの週末にやっておかねばなら ない。ということで、夜はせっせとドイツ語の辞書引き。