2002年9月15日(日)
<<ジョギング>>
空模様はいまひとつはっきりしないが、すっかり秋めいてきた爽やかな陽気。 昼頃近所のスーパーとドイツ・パン屋に買物に行った以外はずっと自宅。 事務的な書類書きや学会発表の準備など。

夕食後しばらくしてから、軽く20分ぐらい近所をジョギング。

2002年9月14日(土)
<<昼寝>>
昼食は京大ルネ。食後の休憩・昼寝は京大会館のロビーで。その後ゲーテの図書室で しばらく過ごし、夕方は御池地下街ゼストのパン屋カスケードでホットミルクともろみ胡桃パン で一息入れてから帰宅。最近進々堂はちょっと御無沙汰。

近頃は明け方ふと目が覚めると、まだ寝足りないのに数学の事が頭の中をぐるぐる回って なかなか寝付けない。ベットの中で何を考えているかというと、昨日一所懸命考えていた事 は実は全くナンセンスだとか、そういえば先日ちょっと面白い事を発見したとほくほくしてい たけれど別の観点から考えれば全く当たり前のことだとか、まあ身も蓋も無いようなことばかり である。たまに新しい事を思い付いて、では今日起きたらじっくり確かめることにしようと 安心して寝付くこともあるのだが、実際確かめてみると全然ダメ!ってことになったりする。 そんな調子でちょっと寝不足気味になり、結局昼寝をしたり、朝寝坊をしたりすることになる。

2002年9月13日(金)
<<駆けずり回る >>
本日会議のため出勤。会議の時間(16時)を勘違いして、3時間程早目に出勤 してしまったのでしばらく自分の部屋で過ごす。会議に伴いちょっとした急ぎ の事務手続きが発生し、西に東に上に下にと小一時間ばかり駆けずり回る。

次回出勤は9月18日(水)の予定。

2002年9月12日(木)
<<泣かせるぜ!>>
本日やはり日中は自宅およびその近辺。夕方頃野暮用にて京都駅近辺に出掛ける。 京都駅はいつ行ってもにぎやかでいいなあ。

エッセン時代の大家さんから、夏のエッセンの写真が10枚ほど届いた。 例年はからっと晴れているはずだが、今年のドイツの夏は異常気象で雨ばかり 降っていたらしい。写真の風景も曇空ばかりが写っていた。それにしても、写 真に写っている風景は私がスケッチして自分 の本にも掲載したものが中心になっている。何でも娘さんの友人に日本語 を勉強している人がいて翻訳してやろうとか言っているそうなので、数ヶ月前 に私の本を彼らに送ったのである。高度なレトリックを駆使した(?)私の文 章が、すこしばかり日本語をかじっただけの外国人に理解できるかどうかはは なはだ疑問であるが、各章の扉を飾るスケッチは万国共通語である。

流石にケルンの大聖堂やデュッセルドルフ駅前とかエッセンの市街地など は遠かったり場所が特定しにくかったとみえて省略されているが、(当時の) 自宅やその近辺のものについては、私のスケッチした時と同じアングルから撮っ た写真などが入っている。あなたが気に入ってスケッチした冬の風景は夏には こんな風になってるんですよ、というわけだ。この辺の心遣いの芸の細かさは 相変わらずで、実に泣かせるとともに、一体何を食べたらこんなに心の美しい 人になれるのだろうかと感心してしまう。あとはエッセン大学への通勤路になっ ていた道や、お世辞にも美しいとは言えないS-Bahnのエッセン・シュティーレ駅と その次のエッセン・シュティーレ・オスト駅、それにいつも行っていた近所のスー パーREWE Marktからの買物の帰り道の写真も入ってい て、なつかしさのあまり(心の)涙腺がゆるむことこの上無しであった。こん なに私を泣かせるツボを心得たドイツ人というのも珍しい。

私は40数年の人生の中で、彼らぐらい人の好い人物を日本人の中に見 出せたことはついぞない。これは大変なことなのだと思う。Herzog先生だって そうだ。

「石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし」(啄木)
私は数学者達にいじめられて育ったので、数学者というのはおしなべ て大なり小なり冷酷で意地悪だと信じ込んでいたのだけど、今では少なくとも 「『日本の』数学者」とか「『○○大学近辺の』数学者」という風に限定して 言うべきじゃないだろうか思い始めている。 ああ、とにかくまたドイツに行きたいものだ。

夕食後はラクト・スポーツクラブ。そうだ!エアロバイクやロードランナー をやりながら数学を考えよう!と素晴らしいアイディアにほくほくして出かけ て行ったのだけど、そういう器用な事は全く不可能であることがわかり、ただ くたびれて帰ってきた。

2002年9月11日(水)
<<コホモロジ―>>
終日ほぼ自宅およびその近辺ですごず。午後は昼寝など。それにしても、去年の今頃 は毎日大学に行かないとどうも気持ち悪い、俺は出勤率でA堀先生とトップの座を争う ぞ!なんて事を言っていたことを思うと、私もずいぶん自宅が好きになったものである。

今回フィールズ賞を受賞したVladimir Voevodskyさんは、代数多様体のコ ホモロジ―理論でいい仕事をしたそうだ。何でもトポロジーの世界で特異コホ モロジ―とK理論の関係が知られていて大変便利なのだが、代数多様体の場合 は特異コホモロジ―に相当する概念が長い間無くて、Grothendieckがモチヴィッ ク・コホモロジ―なる理論が作れればそれが特異コホモロジ―に相当するもに になるに違いないとか言っていたのだけど、90年代になってようやくその理 論が出来上がって、それでもってVoevodskyさんが(トポロジーの世界のアナロ ジーとして)モチヴィック・コホモロジ―と代数的K理論の間の深い関係を明 らかにした、ということ らしい。

そうだったのか! まったく異なるアイディアで構成された別々のコホモロ ジ―理論の間の対応関係を調べる比較定理の話か。なるほど、それは素晴らし い。私は異なる分野の間の、直感的には全く思い付かないような深い関係を調 べるような話は大好きである。また、10年ぐらい前に代数トポロジー・プロ パーみたいな人達と代数幾何学の人達がモチヴィック・コホモロジ―のセミナー をやっていて、妙な取り合わせだなあと思ってたけど、あれは理論が出来上がっ たばかりで結構盛り上がっていた時だったのかも知れない。それと、エッセン 大学滞在中のOberseminarで、代数多様体のコホモロジ―理論の講演がちょく ちょくあって代数的K理論の話もしてたけど、そういうテーマって結構ホット な話題だったのか。とまあ、こんな具合に色々腑に落ちる話である。というこ とで、Voevodskyさんの理論もちょっと覗いてみたいものだ。

2002年9月10日(火)
<<可換環論シンポジウム>>
本日午後から京大数理研図書室。熱烈尊敬独逸在住歴十五年之H先生も来ていた。 喫茶進々堂は定休日。

可換環論研究者の間では20数年前から「可換環論シンポジウム」なるものが ある。代数幾何学の方は、「城崎シンポジウム」というのが昔からあるようだ が、それ以外にも割合あっちこっちで大小のシンポジウムやサマースクールや 研究集会や講演会や談話会が開かれているようである。可換環論の方は研究者 数が少ないせいか、この可換環論シンポジウムが毎年1回開かれる以外は、年 によって単発的に中小規模の研究集会が開かれる程度である。代数幾何学のよ うに、基幹的な大学で定期的に研究セミナーが開かれるということもないし、 単発の談話会で可換環論の講演が行われるようなことも滅多にない。私は基本 的ににぎやかなのが大好きなので、これはちと寂しい気がする。私が代数幾何 学に心引かれるのも「あっちの方はにぎやかそうでいいな」とか思うことが大 きな理由の一つになっていると思う。

とにかく、可換環論シンポジウムというのは大学院生を含む日本の可換環 論研究者達のほとんど(70〜80名ぐらいだそうである)が集まり、従って 国内の研究動向のほとんど全てが鳥瞰できる会議のようである。だから、私も 一度参加してみたいと思っているのだが、これがなかなか曲者なのである。こ の会議は毎年11月頃にどこかの簡易宿泊施設で合宿形式で行われるようであ る。そのためか、宿泊日程を明記した参加申し込みをしないと参加が許されな くて、さらに例年申し込み締め切りが8月下旬とか、遅くとも9月上旬といっ た早期に設定されるようである。

私などは、8月は「暑いなー」とか言っているうちに終わり、9月の声を聞い てようやく先の事が考えられるようになると、「そう言えば秋の終り頃に可換 環論シンポジウムがあるみたいだな。まだずっと先の話みたいだけど、参加申 し込み要領を調べなくっちゃ」なんて思うのだが、その時にはもうとっくの昔 に締め切られているのである。去年も今年もそんな調子で参加のチャンスを逃 してしまった。それで今日は数理研で過去の可換環論シンポジウムの会議録を いくつか引っ張り出してきて、くやしまぎれに眺めていたのだ。

しかしもう一つ問題があって、それは合宿という形式である。参加者の親睦と 濃密な数学的議論の促進のため数人が相部屋に寝泊りするようだが、これがい けない。私は計算機科学者時代に何度か合宿形式のシンポジウムやワークショッ プに参加した事があるが、良い思い出は一つも無い。誰かの鼾で一晩じゅう眠 れなかったり、自分の鼾で誰かを寝かさなかったり、とにかく酒をガンガン飲 んで早く寝た方が勝ち!の世界が展開されたりした。寝酒も上手に飲まないと かえって目が冴えてしまい、この鼾闘争に手痛い敗北を喫することもしばしば であった。こういうものは、3日ぐらい寝なくても平気という人か、どんなに 厳しい状況でも寝る時は寝る!というツワモノでないとかなりつらいのではな かろうか。鼾問題以外にも色々誠に情けない話があり、相部屋なんてもう勘弁 して欲しいという気分なのである。

だから、毎年可換環論シンポジウムの申し込み期限を逃す度に、しまった!と 思うと同時にほっとしたりもするのだ。

2002年9月9日(月)
<<労務管理>>
昼頃様子見出勤。大学に来てみると色々メイルが届いていて、それに伴う雑用 が色々。ちなみに私は自宅からはメイルが読めないし、読めるように努力する なんていう自殺行為も今のところ行っていない。あくまで大学に来て久しぶり にメイルを読んで、それからびっくりする、という手はずになっている。

大学に来てみると、メイルサーバのマシンが老衰のためぶっ壊れていて、S 藤先生と算太郎君が嬉しそうに(?)新しいサーバーマシンの設定をやっていた。 その合間に自家養成サクラI君がふらりと計算機室に姿を現したりしていた。

思うに私の計算機嫌いの何割かは「労務管理」嫌いが原因であると思う。S 藤先生のようにパソコンいじりが大好きで、それさえやってれば幸せという人 ならいざ知らず、然らざる者は誰かに計算機のお守りを頼ることになる。計算 機の管理を一元化したり集中管理したりすることが多い企業の研究開発部門や 国公立研究機関やヨーロッパなどの大学と違って、タコツボ・アカデミズムの 日本の大学では、研究室なるタコツボがそれぞれ独立していて、計算機のお守 りもタコツボの中で全てまかなうのが原則である。工学部のタコツボ研究室に 限らず、数学教室などの小規模の組織でも似たような状況である。となれば、 お守り役を買って出てくれる学生なりスタッフをどうにか確保し(これがまた 悩みの種なのだが)、さらに彼らをなだめ、すかし、おだて、おどし etc. 色 々なことをして働いてもらわなければなら ない。人は決して思うようには動いてくれないものだが、これを如何に理想に 近づけていくかが知恵の出しどころである。これはまさに労務管理の世界であ る。そして大学において計算機実験を伴う何らかの研究を行うとなると、大な り小なりこの手の労務管理とかかわらざるを得ない。

そもそもこの手の仕事が苦手な上に、システム管理者というのは概して意 地悪である。人格的に意地悪な人が管理者をやる場合は勿論最悪だが、そうで なくてもシステム管理者という立場が人を意地悪にたち振舞わせるようである。 過去20年間にその折々のシステム管理者をぶん殴ってやろうかと思った事も たびたびであり、実際に怒鳴り飛ばしてやったこともある。それだけに、例外 的に親切なシステム管理者が居る時の有難さはまさに身にしみるものがあるの だが、その場合はその管理者がどこかに行ってしまいはせぬかという事で不安 になる。

およそ計算機のお守、あるいはシステム管理者とのつき合いや彼らの労務 管理というのは人生の苦悩の種である。

2002年9月8日(日)
<<ちょっと嬉し>>
講義ノートの作業を少しやってからプリントアウト。56ページになった。ま だ8割ぐらいの出来ばえだけど、今から9月末までに色々やることがあるので、 残りは講義をやりながら半ば自転車操業で完成させていくことにしよう。ちゃ んと完成させれば70ページ近くなるだろうけど、これを全て講義する機会は まず無いだろう。

夕方散歩に出掛け、山科書店で石川啄木の詩歌集を購入。懐かしい歌々に 再会できてちょっと嬉し。夕食後はゆっくり過ごす。

2002年9月7日(土)
<<啄木恋し>>
今日も朝から講義ノート作り。この週末じゅうに一通り終わらせるぞ!との不 退転の決意で臨むも、夕方頃にはまだまだ先は長い状態であることが判明。 Riemann-Rochの定理って、層のコホモロジ―論を使わずに証明しようとすると 細々ごちゃごちゃした議論が多過ぎて厄介である。かと言って、コホモロジ― 論を使うとなると、それの準備でまた延々とした議論をしなければならない。 どう転んでも大変である。

とにかく「不退転」は取り消しにし、ふて腐れて京都駅近辺に野暮用に出 掛け、ついでにアバンティー・ブックセンターで石川啄木の歌集を探したけれ ど見つからず。小学生時代は本なんて読まなかったのだけど、何故か啄木歌集 だけは持っていて良く読んでいたように思う。何となくまた読みたくなってき たのだ。

ふて腐れついでに夕食後は久しぶりにスポーツ・クラブへ。とにかく切り が無いから、明日一日で講義ノートの作業は一旦中止することにしよう。

2002年9月6日(金)
<<じっと手を見る>>
終日親のカタキのように自宅で代数曲線論の講義ノート作り。働けど働けど猶 (なほ)わが生活(くらし)楽にならざり、じつと手を見たり、泣き濡れてTeXと 戯れたり。やってもやってもなかなか終わらないのは何故なんだろうと思って いたのだが、分量が優に2講座分以上あるのだからそれは当然だという単純な 事に今日やっと気がついた。ま、代数幾何学のお勉強は私のライフワークなん だからいいんだけど、と日記には書いておこう。

2002年9月5日(木)
<<精神衛生>>
昨日今日と野暮用にて京都近辺を離れて、あちこちうろうろする。こういう時、 頭の中で数学を考えるようにすれば、立ちながらでも座席に座ってでもできる から良いように思えるのだが、実はさにあらず。考えても何も進展が無ければ 「ただうろうろしていただけ」になってしまい、後味が悪いのである。特に、 作業的な仕事を積み残しているときは文字通り俺は一体何をやってたんだろう? と後で焦ることになるのだ。

そこで、立ちながらでも読めるドイツ語基本例文集、はてまた30分以上 座席に座れる時は代数曲線の講義ノートの追加・校正などをやるようにすると、 うろうろしている間でも何かやったような気分になって精神衛生上には良い。 ということで、最近サボり気味だった講義ノートが少し進みA4で50ページを突 破したもよう。まあ、講義ノートというよりは、既にほとんど自分の勉強ノー トになってしまっているけど。

ところで3日は大学から帰宅する直前に図書館に寄って日本霊異記を借り てきた。これは室町時代ぐらいの作だと思っていたけれど、どうやら奈良時代 に書かれたもののようだ。

2002年9月3日(火)
<<教授会出勤>>
午前中はゲーテにビデオと雑誌を返しに行き、ついでに秋からの講座のパンフ レットをもらってくる。ゲーテのドイツ語講座は、受講者の多い初級レベルは 複数クラスが開講されており都合の良い曜日が選べるのだが、より上級になる と受講生数がぐっと減るため開講クラス数が1つだけになってしまう。私のよ うにいつまでも嬉しがってドイツ語を習っている閑人はそう多くはないようだ し、曜日の選択の幅が狭まることによってますます受講生は少なくなることも あろう。今秋通うとすれば土曜日の午後になる。

午後は久々の教授会のために大学へ。少し早めに行ったのだが、色々雑用 をやっているうちにそのまま会議に突入。教授会は大した議題もないまま1時間ちょっとで終る。

次回出勤予定は来週以降。

2002年9月2日(月)
<<秘密の小部屋>>
ああ、もう9月になってしまった!今日も自宅。朝からある非数学的な用事で 忙殺される。夕方頃一段落したものの、気分的にくたびれ果て数学をやる気力 もスポーツ・クラブに行く気も起こらず。そこで夜は、そういう時のた めの秘密の小部屋「古文研究法」と「方丈記」とドイツ語の世界に遊ぶ。

しかし「方丈記」ってあんまり面白くないな。無常観だの平安時代の天変 地異などによる地獄絵図だのというのは、中学・高校の国語や社会でさんざん 習ったり何となく京都に住んでいるうちに頭にしみついているせいか、読んで いても「へー!そうだったのか!?」と思うところが乏しく新鮮味が無い。そ れとも、私の読みが浅いだけなのか。