2003年2月15日(土)
<<修行する>>
ゲーテとスポーツ・クラブのいつも通りの平凡な土曜日。ただし、ゲーテの講座は今日が 最終日。「平凡な土曜日」は今日が最後である。

ゲーテで同じクラスの、大学の事を「学校」と呼ばずに「大学」と呼ぶ、帰国子女の同 志社の女子学生の一人は、半月後に一年間の交換留学生としてハンブルクに発つそう だ。また、やはり同志社出身の高校の英語の先生は学生時代に出会ったスイス人男性 と去年夏結婚し、この3月に現在担任している3年生を送り出してからチューリッヒに発つ のだそうだ。みんなホイホイ外へ出ていきますねえ。私もそのうちどっか外国に飛び出し たいもんだな。

ところで、最近色々と心が汚れるような事があって、どうもこのままではいかんなと考え ている。心が汚れるのは、自分がよからぬ考えにとらわれているからであって、それは修 行が足りない証拠なのである。日々是修行のはずが、随分タガが緩んでいるようだ。

2003年2月14日(金)
<<盛り上がる>>
今日は期待と不安を胸に山科駅へ。されど流石に今日は夢見るNi先生は立って いなかった。いくばくかの落胆とちょっぴり安堵の気分でSBUXで道草。その後、 出勤し午後一番で大学院入試の面接、ひきつづき夕方頃まで会議。

数学教室の先生達は、学生の誰がよく勉強していて、どのぐらいの実力だ とかいう事に大変な関心があり、彼らを実に良く見ていると思う。そして教員 が数人集まると、往々にしてそういう話題で盛り上がる。学生の側からすれば、研究 室によく質問に通ったとか自主ゼミなどでお世話になったとかいうことでもな い限り、教員達がそんなに自分達の事を見ていないのではないかと思っている かも知れないが、案外そうでもないのである。それどころか、直接担当しても らった事がない先生なのに自分の事を良く知っている、という現象も珍しくな いはずだ。

情報学科時代はどうだったかというと、学生数が多過ぎて誰が誰だかわか らないから、教員達がどの学生がどうだという話題で盛り上がるという現象は ほとんど無かったように思う。

ところで私も、なけ無しの協調性を発揮して誰がどうだという会話に参加 することはあるのだけど、同僚教師達の豊富な情報量と情報獲得への熱意には 圧倒されるばかりである。ということは、私は比較的に学生に対して淡白な教 師なのだな、ということが自覚される。まあ、別に淡白でもいいじゃないか と思ってるんだけどね。

2003年2月13日(木)
<<風に吹かれて>>
巨大雑用も極秘重要任務も終り、再び平和が訪れたものと信じる朝、ゆっくり と山科駅に向かうとまたも改札口とSBUXの間の柱の前で夢見るNi先生がふぁあ あああああっと立っていた。そして、私が先生に挨拶をしてちょうどSBUXに入っ て間もなく、彼はどこかに消えてしまった。前回も同じような事があったのだ が、これは一体何なのか。

夢見るNi先生は数学をやる時、これは電車に乗りながら考えるべき事、あ れは安定した大地の上でぼんやり突っ立って考える事、それは歩きながら考え るべき事等々と色々な区別をしているものと思われる。これは別に珍しい事で もなく、例えば故岡潔大先生は、これは歯を食いしばって考える事、これは夢 見るように考える事という風に区別していたそうである。

そして、夢見るNi先生はおそらく、山科駅で途中下車し、山科 盆地をしっかりと踏みしめて、駅前の雑踏の中で風に吹かれながら数 学を考え続けていたのであろう。誰か知ってる人に会ったらそこで意 識が途切れてしまうから、それをきっかけにもう一度電車に乗ることにしよう と決めているのかも知れない。次に同じ場面の遭遇したら、挨拶などという 野暮な事はせずに、気づかれないようにそっと通り過ぎることにしよう。

2003年2月12日(水)
<<闘争本能>>
今日で私の極秘重要任務は終了した。この極秘生活の中で、やはり数学から隔 離されてしまうと、全てがつまらなく思え始める、という平凡な事実を再確認 した。Herzog先生は数学から数日隔離されると物凄く不機嫌になっていたが、 私は不機嫌というよりも、鬱病みたいになってしまうようだ。

何のために数学をやるのかと聞かれた時の数学者の答は、結構色々だと思 われる。勿論数学が面白いと思うからやっているわけだが、本当にそれだけの 理由でやっているのかというと、そうでもないような気がする。例えば、精力的に研 究している数学者の中には「それが自分にとって自己顕示欲を満たすもっとも 良い方法だから」という答がふさわしい人が沢山いる。こういう闘争本能は 数学をやっていくエネルギーとして十分使える。

私はどうかというと、少なくとも自己顕示欲を満たす手段が欲しいのなら 数学なんてやっていなかったはずである。例えば、情報学科みたいな所で 威張り倒していれば良かったわけだ。私が数学をやっているのは、数学の 無い生活がひどくつまらない事に気づいたからに他ならない。まさに数学は生 活の潤いなのであり、生きるために数学をやっているようなものである。 そういう意味では闘争本能みたいなものは、最初から無いわけ。

2003年2月11日(火)
<<疲れる>>
この時期の私立大学に祭日など存在しないのである。朝は山科駅から出勤。改 札に入る時、やおらふぁああああああああっとただならぬ気配を感じたと思い きや、何と夢見るNi先生も隣の改札をすいっと通って、すたこらとホームに向 かって行った。山科在住でもないNi先生の、この出没頻度にはただならぬものが ある。その秘密はおそらく次のようなものであろう。

すなわち、実はNi先生は約50名程存在し、山科駅近辺でお互いかち合わ ないようにうまく間隔を開けながら全員が常駐し、一人はラクト山科を徘徊し、 別の一人は何食わぬ顔をして駅の改札を通り抜けようとし、さらにまた一人は 地下道をすたこらと歩き、というような事を一日じゅう繰り返しているのであ る。そういえば、今日改札で見たNi先生は、日曜日に見たNi先生とは別のコー トを着ていたから、きっと別のNi先生なのだろう。

Ni先生が50名常駐するなんて、山科駅近辺も大変な事になってきたな、など と思いながら大学に到着。すると学生のA君が、炊きたてのご飯と皿に山盛り のウインナー・ソーセージの匂いをプンプンさせて、朝食を食べようとしてい るところであった(それにしても凄い朝食だな)。彼の寝惚け顔を拝んでから、 今日もまた12回半ぐるぐる廻りの旅に出る。

そして、極秘重要任務は「極秘重要書類」と飽食の構造との終り無き(かの ように思える)闘いである。もはや食べる事ぐらいしか楽しみが無くなり、こ こ数日でぶくぶく太ってきているのを自覚しつつも、やはり"Tee or coffee?" と聞かれながら自分の作業机に置かれる豪華絢爛一歩手前4点セットの栗どら 焼き、洋風焼菓子"梨恵夢"と蜜柑2個や美食昼食整理券に手を伸ばしてしまう 自分に激しい自己嫌悪を感じつつ、今日もまた飽食の構造に巻き込まれていく のである。唯一人、強い宗教的信念を持った某同僚教員だけが、自家製干し飯 に梅干によって凛として我が身を守り続けているようだ。

極秘重要任務を天職とし、気合いの塊と化していた某同僚教師の気力にも、 ようやく陰りが見えてきた。饅頭とどら焼きを食べさせておけば、いくらでも 真空放電できる人かと思っていたが、やはり彼も人の子である。 あと少しだ。みんな頑張ろう。

以上の話のうち、どこまでが事実でどこからがフィクションかは、例によっ て企業秘密である。 それにしても、毎日毎日大法螺話ばかり書くのにも、ちょっと疲れてきたな。

2003年2月10日(月)
<<すくすく育つ>>
再び12回半ぐるぐる廻りの朝である。飽食の構造と梅干し弁当の狭間で苦悩 の日々を送っていた某同僚教員は、作りおきの干し飯と梅干を持参して作業 場のお湯でほぐして食べるようにすれば、朝が早くて弁当を作る時間が取れな いという悩みが解消する事に気づいたようだ。これで全てが解決する。飽食の 構造に巻き込まれる事なく、自らの宗教的信念を貫けるというわけだ。彼はこ のアイディアに満足し、幸福そうな表情を浮かべて「やっとふっ切れました」 と静かに語った。

別の同僚教員は、「高山さん、『飽食の構造』って言いますけどね、去年 の昼食はそうでもなかったですよ」などと言い出すので、すかさず「去年の貴方 はまだ育ち盛りだったのでしょう。今年になってやっと成長が止まったんじゃ ないですか」と一蹴しておく。しかし、おやつにはバターどら焼き、黒糖田舎 蒸しパンに蜜柑2個(!)という豪華絢爛一歩手前4点セットが出て、思わず 「クソッ!俺があと10歳若ければ、こんなの一気食いしてやったんだけどな」 と悔し涙にむせび泣きそうになったのだが、この4点セットの食べっぷりを見 るに、彼はまだまだすくすく育っているのではないかという気になってきた。 ♪♪だけど〜一人でもさびーしくない, 若いってすばらしい〜♪

てな事をやっているうちに、今日の分の極秘重要任務は終了し、また12 回半ぐるぐる廻りの後、無事開放され、整理整頓が行き届いた個人研究室でひ と息つく。以上の話のうち、どこまでが事実でどこからがフィクションかは、 例によって企業秘密である。

ところで、現在使っているサーバの専属システム管理者が退職するため、 3月末頃までに私のホームページを常駐管理者が居る別の所に引っ越す予定で す。詳細は追って連絡します。

2003年2月9日(日)
<<追跡する>>
日曜日の常として、昼前まで寝ていて、それから夕方頃まで美しき生活の 細部を堪能すべく、色々野暮用。そして16時頃山科駅前SBUXへ。

ラクト山科前の地下道を山科駅方向に向かって歩いていると、前方に白っぽい コートにショルダーバック、鬼太郎カットにしたロマンスグレイの髪という不 審人物の後ろ姿を発見。相当速い速度で歩いている。がるるるるるううう... 怪しい奴、と足速に追跡を開始。そしてやっとの思いで近づてみると、ふああ あああああああああ、ううっ凄い妖気だ!これは本物の数学者に違いない。や はり夢見るNi大先生であった。

大先生がSBUXには立ち寄らずに、改札を経て湖西線のホームに 向かうのを確認して、追跡を終了する。それにしても夢見るNi大先生は、何で 日曜日のこんな時間に私の縄張をふぁああああああっと歩いているのか。 今後、パトロールを強化しなければならんな。がるるるる...

夜は再び美しき生活の細部を堪能した後、ドイツ語の宿題を少々。

2003年2月8日(土)
<<異様に燃える>>
ゲーテとスポーツクラブの平凡な一日。寒さは緩み、夕方から雨。

ゲーテの他のクラスに異様にドイツ語に燃えている男の子達が居て、 休憩時間もお茶を飲みながらお互いドイツ語だけで苦しそうに雑談 をしている。そして彼らは講師の先生を見付けると、すかさず寄ってい って何やかやとドイツ語会話を試みているようだ。

先日などは、昼食の途中で食べかけのサンドイッチを片手に、湯沸し ポットなどの受講生用のお茶の道具の様子をチェックしようと、講師室か らちょっと顔を出しただけの先生が、すかさず彼らにつかまり何やかやと話 し掛けられてなかなか開放されないのを目撃したことがある。講師の人も、 今昼食中だから後にしてくれといった事を言うわけでもなく、早く開放して くれないかなあと嫌な顔をするわけでもなく、気前良く彼らの相手をしていた。 エライもんである。

この燃える青年達、私よりも初級のクラスの子達なのだが、ドイツ語会話 の実力は明らかに私よりも上で、さすが気合いの入り方が違うとこうも上達に 違いが出るのかと思い知らされる。

2003年2月7日(金)
<<「きちっと」話す>>
私を含む何名かは、本日極秘重要任務は中休み。今朝は目隠しされて12回半 ぐるぐる廻りさせられずに済むかと思うと、ほっとする。数学者というのは、 大学で雇ってもらえない限りほとんど生活の術が無くなる人種であるくせに、 大学に出て来ない自由を何よりも尊ぶ人種でもあるから、今日は皆 さん何処に散っていることやら。それを思うと、ちょっと豪華な「水と食糧」 につられて、監禁生活も少しの間なら悪くないななどと考えてしまうような、 "自由からの逃走"志向のある私は、数学者失格なのではないかと内心忸怩たる ものが無きにしもあらず。

本日出勤。最近のお気に入りである整理整頓が行き届いた 自分の研究室で、恐ら く同僚教員の皆さんが自宅なり街の喫茶店なりその他の色々な場所でやってい るような事をやって一日過ごす(ただし、研究室内で糠味噌をかき回したり、 キノコ苅りをしたりということはやらないが)。

ところで、私が担当している"どうでも良いような科目"で、時々私の世代 では中・高校生時代に習い、しかし現在の中学高校では教えない内容、例えば、 有理整数環の剰余環や空間図形の話を、懇切丁寧に噛んで含んでお粥を炊いて 延々と教えることがある。特に、空間図形についての直観力が無いと大学の数 学はほとんど理解不能である。なぜならば、重要な数学理論のほとんど全てが 実3次元空間での幾何学的直観の拡張として構築されていると言っても過言で はないからである。

一応入試を経てきているので、昔の中高校生のかなり上位レベル に相当する学力の学生相手である。しかし、試験をするといつも惨澹たる結果 に終る。これはどういう事か? 極秘重要任務の合間に同僚の先生達と話した雑談によれば、その一つの理由は 以下のようなもの。

すなわち、昔の中学高校の教科書のように教えればいいかも知れないが、 それじゃあ数学者として色々気に入らない部分があるわけで、一般論を踏まえ て「きちっと」教えたくなる。「きちっと」教えられると学生にはわからない のであろう、というのである。 数学者は「きちっと」話してもらわないと理解できないのだが、数学者以外の 人は「きちっと」話されると理解できない。これはどうやら真実のようである。

実際、学生時代の演習やゼミで、答案や証明をいくら説明しても「君の説明で はわからん」と言う教授に対し、京大の教授のくせにこいつ馬鹿じゃなかろう かとマジで思った事もある。この頃の私はまだ"数学者以外の一般の人"だったから、 「きちっとしてない」説明でないと理解できなかったのである。

それから時が流れた数年前、まだドイツにも行っていない駆け出し数学者だっ た頃、ある数理ファイナンスの入門書を読もうとした。前書きに「この本はお そらく数学者には非常に読みにくい本であるが、実際に著者の大学で何年か講 義してみて、文系の学生や一般の人々からは『とても理解しやすい説明の仕方 である』との定評を得ている」というようなことが書かれていた。

私はこの本を読んでみて、さっぱり理解できなかったので、自分は数学者 として何とかやっていけるかも知れないと大いに気を良くしたものである(嘘)。

2003年2月6日(木)
<<飽食する>>
今日も極秘重要任務。我々は朝某処に集合し、全員目隠しをされ、その場で1 2回半ぐるぐる廻りさせられて方向感覚を麻痺させた後、目隠しをしたまま バスのような乗物に 乗せられ某処に連れて行かれる。そこで水と食糧を与えられて監禁され、任務 に励むのである。その日の任務が終ったら、厳密かつ入念なボディーチェック の後、また目隠しをされて12回半ぐるぐる廻りさせられて云々の手続きの後、 気がついたら朝集合した所で開放されているのである。ちなみに12回半のぐ るぐる廻りは、高齢者やメニエール症候群の既往症がある者等の要配慮者に対 しては3回以上7回半ぐらいまで軽減してもよいという内規があるらしい。私 は要配慮者ではないが、今日は少し胃の具合が悪く、特に朝の12回半ぐるぐ る廻りはこたえて吐きそうになった。

水と食糧が与えられて監禁されるというと、例えば一人あたり水道水250cc とカップ麺一杯といった苛酷な状況を想像するかも知れない。しかしながら、 実際はそう悪くもない。むしろ、なかなかのものだと言ってもよい。昼食以外 にも何やかやと軽食だのおやつだのが然るべき時刻にあてがわれ、お茶、コー ヒー、その他のソフトドリンクの類はなどは常時好きなだけ飲める状態にある。 まさに"Tee or coffee?"の空の旅の世界である。実際、極秘重要任務担当委員 の先生達は、現場で働く先生達をスチュワーデスand/orスチュワードよろしく "Tee or coffee?"と聞いて回り、これが彼らの大切な仕事のひとつとされてい る。これは人間腹をすかすとロクな事を考えないから、極秘重要任務にさしさ わってはいけないという深謀遠慮があるのかも知れない。ただし、エール・フ ランス機のようにフランス・ワインが飲み放題とか、ルフトハンザのようにド イツ・ビールが飲み放題(だったかどうか良く覚えてないけど)とかいう事がな いのが残念だが、何せ極秘重要任務なんだから、そういう事は言ってられない のである。

新聞報道などでは、例えば「関西私立大学○○者数大幅減!」「不況の長 期化により国立大志向がさらに進む」などといった記事が踊り狂っているが、 教員達は自分の勤務する大学の好況・不況を、そういった新聞記事や大学当局 の発表よりも、この「水と食糧」の質によって敏感に察知するのである。確か にその年の○○者数の増減によって、おやつが蜜柑一個になったり蜜柑、どら 焼き、ベルギーワッフルの豪華3点セットになったりと色々変動するようであ る。また、例えば上記3点セットにさらにどうだ!参ったか!?の苺のショー トケーキを付け加えて豪華絢爛4点セットになったりすると、これは教員の間 では『最後の晩餐4点セット』と呼ばれ、「いよいよウチの大学も倒産の危機 が訪れ、断末魔のヤケクソ大サービスか?!」と暗い衝撃が走るのである。

ただし、○○者数減によって多少景気が悪くとも、昼食の量(できれば質も) だけは決して落さないというポリシーが今のところ堅持されているらしい。何 せ人間腹が減るとロクな事は考えないのである。空腹は極秘重要任務の敵であ る。かくして、若い時に比べて基礎代謝量が減って極めて燃費が良くなってい る我々中年には、おやつ、軽食とあいまって、「こんな昼飯を毎日食べてて大 丈夫だろうか」と次回の健康診断の結果が大変気になるぐらい豪華な昼食が出 る。それが豪華に見えるのは、お前が普段昼食に鰊(にしん)蕎麦ばかりたぐっ ているからではないかという指摘もあるかも知れないが、鰊蕎麦よりも豪華か つボリュームたっぷりの昼食であることに疑いの余地はない。

極秘重要任務における、この飽食の構造はあなどり難い魅力を持っており、 つらい任務もこれによって乗り切ることができるのである。しかしながら、教 員達の中にはある宗教的信念から、自ら苗代をすき、田植えをし、草取りをし、 稲刈りをして作った米を土鍋で炊いて作った白飯に、自ら梅の木を育て、実を 収穫し、自ら瀬戸内海の砂浜で海水を杓ですくって作った塩を使って壷に漬け、 土用の日には天日に干して作った梅干しを使った手製梅干し弁当に執着する者 も居た。その彼も今年は色々根性の足りない理由でもってやはりこの 飽食の構造に巻き込まれているようである。彼の額には、職業生活と宗教的信 念の両立という抜き差しならぬ問題における苦悩が深く刻み込まれている。

以上の話のどこまでが事実でどこからがフィクションかは、企業秘密であ る。眉にべっとり唾をつけて読まれることをお勧めする。

2003年2月5日(水)
<<真空放電する>>
風邪の調子はかなり良くなったようだ。今日から言わずと知れた極秘重要任務 の日々が始まる。この時期になると俄然気合いの塊と化して24時間体制で真 空放電する同僚教員がいて、「流石に××(極秘重要任務関係の名称)に命を賭 けている○○先生だけのことはある」と皆が感心してしまうのだ。私も○○先 生には一目も二目も置いている。勿論○○先生が誰の事か、そしてそのような 人物が本当に実在するのかどうかは企業秘密である。

そういえば今は卒論と修論の追い込みの季節でもあり、実験系の先生達は 膨大な数の学生の論文のチェックに追われているようである。しかし、数理科 学科には卒論は無いし修士の学生も少ないので、この季節は極秘重要任務(だ け)に全力投球という先生も多い。私もそうである。だからと言って 極秘重要任務で真空放電しようとは思わないけど。

2003年2月4日(火)
<<膾を吹く>>
まだ少し風邪気味。山科SBUXにていつもの朝。SBUXの前 -- 山科駅前と言う方 が正確か -- まで来ると、そこに夢見るNi大先生が人待ち顔でふああああああっ と立っていた。私は山科駅前、特に駅前SBUXは自分の縄張(シマ)だと思っているの で、すわ!縄張荒しの殴り込みか!?う〜, がるる...と身構えたのだが、 大先生は結局そのままどこかへ行ってしまった。

ところで、なぜ毎朝SBUXなのかというと、たとえ雑用の嵐が吹き荒れて一 日が終ることになったとしても、毎日少しでも仕事する時間を確保するためと いう深謀遠慮があるからというのが一つの理由。こういうところにも「熱物に 懲りて膾(なます)を吹く」私の性格がよく現れていると思う。熱物に懲りて膾 を吹き、しばらくしているうちにタガが緩んできてまた火傷し、また思い出し たように膾を吹く。私の人生はまさにこういう事の繰り返しである。

今日は特に予定が無いにもかかわらず大胆不敵にも昼過ぎに大学に出勤す るも、幸い邪魔は入らず。たまに学生が質問に訪れるぐらいで、それ以外は部 屋でひとり心静かに過ごす。やっぱり大学というのは、こうでなくちゃいけな い。

そういえば、昨日今日とKaz先生が線形代数の補習自主講座をやっているよう である。Kaz先生は実は(教えたくて教えたくてしょうがない)「教え魔」だと いう話を聞いた事があるが、その噂は本当のようだ。しかし、ちらっと部屋を 覗いてみたら、本当に補習が必要な人は誰も受講していないようだった。まあ、 そういうもんでしょう。

2003年2月3日(月)
<<風邪気味>>
山科駅前SBUXでのいつもの朝を過ごし、昼過ぎに出勤。昼食後すこし会議とそ れに伴う作業。ちょっと風邪気味で頭が(いつもよりも)ぼんやりするので、雑 用が済んだらすぐに帰宅。

2003年2月2日(日)
<<特大のバンソウコウ>>
夕方頃まで色々野暮用。それからちょっと息抜きに山科駅前SBUXへ。相変 わらず満員御礼御同慶の至りで、たった一つだけ空いていた席で一時間程過ご す。不幸にも隣が壊れた機関銃のように喋り続ける女性と、彼女の話に大人し く付き合っているもう少し若めの女性の二人組だったので、本を読んでも目が 文字の上を滑ってばかり。こういう時は何かを考えるか、ぼーっとするかのど ちらかが良い。

そういえば、隣の機関銃の女性 --- 彼女は(元)米米クラブの石井竜也のファンで私 とほぼ同い年らしい --- は、風呂には必ず防水ラジオを持ち込み、それを聞 きながら湯船につかって最低一時間は「ぼーっと過ごす」そうである。そして「そ の時以外はモノを考えることができない」のだそうだ(嗚呼!こんな話を聞かせ てもらうためにSBUXに行ったんじゃないんだぜ)。

よろしい、ひとつ良いことをお教えしましょう。口に特大のバンソウコウを貼れば、 いつでもモノを考えることができますよ。バンソウコウが無ければ猿轡(さるぐつわ) でも代用できます。意外と簡単でしょ。と進言しようかと思ったけれど、またぞろ引っ 込み思案が邪魔をして実現せず。

そこで問題。SBUXでの一時間の間、私は何かを考えていたのでしょうか、 それともぼーっとしていたのでしょうか?

2003年2月1日(土)
<< 引っ込み思案 >>
ゲーテとスポーツクラブの平凡な土曜日である。以前、今回のゲーテのク ラスは同志社関係者が多いという事を書いたが、それ以外の人達は何者 だろうかといぶかっていたら、どうやら大学職員の人が少なくとも2名は居 るようだ。ただし、立命館では無さそうだ。また、同志社関係者の人と話し ている様子から察するに同志社関係者でもないらしい。

気になるんだったら直接聞けば良いではないかと思うかも知れないが、そ ういう事がすっとできないところは若い時から今まであまり変わっておらず、 色々損をしたり、ごく稀にトクをしたりしてきている。要するに引っ込み思案 ってやつである。  

ところで、同じクラスの同志社の学生同士が帰りに、「いまから『大学』に 戻る?戻るんだったら、一緒に行こうか」という会話をしていて、とても懐かし い気分になった。私の学生時代は、彼女達と同じように大学のことをごく自 然に「大学」と呼んでいたのだが、今ではこういう学生は珍しいのではない だろうか。少なくとも立命館の学生は「大学」とは言わずに「学校」と言うよう に思う。「あなた達はいつも『大学』って言うの?『学校』とは言わないの?」 と聞き取り調査しようと思ったのだが、引っ込み思案が邪魔をして実行され ず。やはりフィールドワークが必要な分野に進まなくて良かったと思う。

10年ぐらい前は「立命館大学は大学という名前はついているけれど、実際 は単なる学校なのであって大学ではない」と揶揄する評論家も居て、それが 揶揄としての意味をちゃんと持っていたように思う。しかし、今「『大学』と 『学校』は違うんだ」と大学関係者に言っても、ちゃんと意味が通じるかどう かちょっと不安である。世間一般には、まず通じないじゃないかしら。