2003年2月26日(水)
<<電撃的天啓「ど阿呆!」>>
ポアンカレは馬車に乗ろうとした瞬間に電撃的天啓を得て、唐突にフックス型 微分方程式についての重要なアイディアを思いついたという。私も昨日帰宅す る電車の中で突然の電撃的天啓を得た。しかし、それはポアンカレのそれとは 違って「ど阿呆!」という天啓であった。

ここ数ヵ月の間断続的にではあるもののずっと考えていたある問題に対し て得られた、多少複雑な「定理」とそれほど自明でもない証明がある。こ こ1週間ぐらいの間はようやく得られたささやかな発見を少しばかり誇らしく思 いつつも、その「定理」は本当に正しいのか、証明は簡略化できないか、そし て、この「定理」はどういう意味を持っているかという事を色々考えあぐねて いたのだ。「定理」は得たようだが、全体的にどうもすっきりしない。

しかし、南草津からの電車に乗り込んだ瞬間、あまりにも唐突に全てが理解で きてしまった。私の「定理」は完璧に正しい。何故ならば、それは元の問題の、 極めて自然ではあるが同時に誰でも思いつきそうなアイディアに基づく、ほと んど自明な言い替えに過ぎないからだ。証明もドラスティックに簡略化できる。 がびーん!つまり、何ヵ月も考えなくても「ちょっと考えればすぐわかる」は ずの事だったのである。これでは「定理」でも何でもなく、せいぜい「補題」 程度のものだ。何でこんな簡単な事に気づかなかったのか。

巨大プリンを掘って作ったかまくらに済み、カステラのベッドにエクレアの枕 で眠るのが子供の頃からの夢だったのだが、この「ど阿呆!」天啓のため、今 朝は最近手に入った大好物の福砂屋のカステラを食べる気も起こらなかったの である。

まあ、くよくよしてもしょうがない。この電撃的天啓を得て良かった事が少な くとも2つある。一つは、こんな馬鹿馬鹿しいものを「定理」と称して人様の 前で発表してしまう愚が避けられた事。もう一つは、どうも掴み所が無くて モヤモヤした感じだった問題が、非常にクリアに理解できた事である。頭悪い と、自分の考えている問題の意味がわかるだけでもたっぷり時間がかかるな。

本日午後から修論公聴会。夕方に判定会議の後、数学教室の年度末打ち上 げ。

2003年2月25日(火)
<<一切を免除>>
昨夜は、塾屋のS太郎座敷童から巻き上げた「知への旅『解けたフェルマーの 最終定理』」(97年2月7日NHK教育)のビデオを見た。A. ワイルスさんって 「7年間、谷山・志村予想 と家族の事以外は一切かかわらないようにした」 とか言ってたけど、講義とか巨大雑用とか到達度試験問題の作成採点とか4時 間会議とかは一切を免除されていたのだろうか。私だって7年間一切を免除さ れてたら、谷山・志村予想に匹敵する問題のひとつやふたつ解決でき...んな ワケ無いよな、てな事を考えながら、本日午後一番から夕方まで延々と会議。

会議の後、Macaulay2を使った計算でしばらく熱くなってから帰宅。

2003年2月24日(月)
<<発表練習>>
山科駅前SBUXで1時間程過ごしてから昼頃に出勤。夏休みや春休みなどの長期 の休みになると「塾屋」に変身し、全く姿を見せなくなるはずのS太郎座敷童 が、今日は何故か大学に来ていた(彼は夜中に出没しているという噂もある)。 それから、明後日が公聴会ということもあって、あちこちで修論の発表練習が 行われていたようだ。

情報学科時代は卒論が必修ということもあって、毎年今ごろは卒論発表会の準 備で学生達が浮き足立っていた。しかし、発表のためのOHP作りなどは細かく 面倒見たけれど、私の方から発表練習をしなさいとは言わなかった。学生達の 多く、特に真面目な学生ほど練習しないと不安でしょうがないという感じだっ たが、知らん顔しておく。「先生、発表練習は無いのですか?」などと聞いて きても、「はっぴょーれんしゅううう〜?!まあー、やりたきゃあやればああ〜。 だってOHP見て説明するだけでしょ。簡単じゃないですか。卒論発表ぐらいで そんなに恐がる事ないですよ」なんて気の無い返事をしておく。すると連中は しびれを切らして、最後には自分達で徹夜とかやりながらせっせと発表練習し て、ここはこうした方がいいんじゃないか、もう一回やってみるから聞いてく れ、なんてわいわいやっていた。徹夜はやり過ぎじゃないかと思うけど、彼ら にとっては、先生に仕切ってもらうより、そっちの方がずっと楽しかったに違 いない(私もラクチンだったしね)。

午後は整理整頓された研究室で過ごす。

2003年2月23日(日)
<<おい、それは違うだろう>>
日曜日は野暮用などをやりながらゆっくり過ごす。夕方頃からドイツ語を勉強したり、 少し数学したり。

「代数=整数論」論争というのがある。常に美しい生き方を心掛けているKaz先生は 「幾何学=微分幾何学」と単純明解に言い切った、その返す刀で「代数=整数論」 と言い切る。これは純粋に個人的信念の範疇に属する話なので、これ以上コメント のしようがない。しかしこんな事で驚いていてはいけない。D大先生などは 「数学=志村理論」の世界に生きているそうだ。

これとは別に「整数論は代数か?」論争というのがあって、代数的整数・論のK川先生 は「整数論は代数ではない」と主張し続けている。

おそらく代数のはじまりは代数方程式論であり、その先にはガロア理論があり、 もっと先にはたぶん類体論があり、類体論の先か近所かには、私は殆ど何も知 らないのだけど解析的・整数論とか代数的整数・論とか色々あって(この"・" の振り方はK川先生の指南による)、そういうのって整数論だから、やっぱり整 数論は代数じゃないのという気がしてくる。しかし、K川先生によると「だっ たら素数分布は代数じゃないではないか」となる。

じゃあ、素数分布などは除くとしても、整数論の多くの分野は、やはりガロア理論 の先にあるものという意味で、やはり代数じゃないのか。それに対して、「毎日フー リエ係数の計算したり、複素関数の計算するのは代数か?」とK川先生。いやいや、 日々の研究の方法論に惑わされてはいけない。解析を使おうとトポロジーを使おう と、本来の研究対象が方程式とかの代数的対象ならばそれは代数と呼ぶべきでは ないか。「だったら、代数幾何学は幾何学ですね」とまたK川先生。うーん。う〜ん。 ううううーん。その時迂闊にも答え損ねたのだけど、代数幾何学は結局多項式によ る連立方程式の解集合の研究だと考えられるから代数なのだ、と言うこともできる。

こうやって、一応「整数論は代数」の立場で議論して遊んでみたけれど、実のところ 私は「代数」というと何故か非可換環論を思い浮かべてしまう。それは、整数論や代 数幾何学と違って、微分幾何とかトポロジーとか複素解析との関わりを断ち切った、 代数一色の孤高の世界というイメージがあるからだ。しかし、作用素環は一般に 非可換だろうから、非可換環論は自然に関数解析とつながるのかしら。だとしたら、 孤高の世界というのは単なる可換環論屋の偏見か。

いずれにせよ、こういう筋論で議論して遊べる話はまだ節度と貞節が守られている。 筋論が立てられるのは、学術的議論である証拠だからだ。

さて、「数理情報学とは何か。情報数理学と数理情報学は違うものか?」 という論争、というか、疑問がある。これは昨今、大学の数学関係者は避けて 通れない話になってきた。 「数理科学」なら学術用語としてある程度定着しているから、その意味すると ころはわかるのだが、「情報数理学」や「数理情報学」になってくるともう訳 がわからない。学術用語としての広く認められた定義も存在しないように思う。 第一、接頭語あるいは接尾語としての「情報」は「なんでもあり」の同義語 として使われているフシもあるな。

あちこちの大学で「数理情報」とか「情報数理」と看板を掲げている所を調べ てみても、そこのスタッフの専門分野の構成から、そこの学部なり学科なりの 「数理情報」あるいは「情報数理」の定義を推察するのは極めて困難である場 合が多い。例えば、人工知能、素粒子論、非線形偏微分方程式、トポロジー、 確率解析の専門家が揃っている「情報数理学科」に対して、そこで想定されて いる「情報数理学」の定義を推理する事は、少なくとも浅学非才の私には不可 能であり、「『電車』、『猫』、『桜』、『鉛筆』、『納豆』の5つに共通す るものは何か?」というのに匹敵する難問のように思える。まるで落語の三題 噺みたいだけど、これは別に特殊な例ではない。

これらの観察結果から、「数理情報」「情報数理」は学術用語ではなく大学行 政用語なのであって、その言葉を使う人が個別に意味づけして使う便利な魔法 の呪文である。だから、明解かつ普遍的定義などそもそも存在してはいけない のである、というのが私の説。

普遍的定義が存在しないということは、例えば、 「有機化学、数理生物学、数学基礎論、代数的整数論、微分幾何学」 の専門家を揃えた「数理情報」学科や、 「計算機ネットワーク、複素多様体論、天文学、動物生態学、代数解析学」の 専門家が居る大学院「情報数理」専攻課程や、 「数理経済学、スポーツ医学、臨床心理学、制御工学、画像処理工学」 の専門家を集めた「数理情報」専修コースがあちこちの大学で 作られたとしても、 正面切って「おい、それは違うだろう」と誰も言えないということである。

2003年2月22日(土)
<<偉いぞ、ブーちゃん!>>
午前中は自宅ですごし、それから、借りていた本や雑誌の返却のためゲーテの 図書館へ。途中ゼスト御池のスパゲッティ−屋の五右衛門で昼食。ここは私のお 気に入りで、ゲーテに通っている間はいつもここで昼食を食べていたのだ。

先週終了したドイツ語講座に昨年10月から通い始めた頃、この五右衛門で まだ見習いのような感じで先輩達に指導されながらせっせと働いていたコックが いて、私は密かにブーちゃんと呼んでいた。ブーちゃんは一心に仕事に励み、 厨房内で少しづつ責任のある仕事を任されるようになっていたのだが、何と! 彼はいつの間にか厨房のトップに登りつめ、自信に満ちた物腰で新しく入って きた後輩達を指導していた。私は心の中で、偉いぞ、ブーちゃん!と拍手を 送ったのであった。

ゲーテに本を返した後、京都駅前近鉄プラッツへ。無印良品食料品売り場の レジ係にまで登りつめた自家養成サクラI君を偵察。しかし彼は見当たらない。 今日は非番なのか、はてまた何かへまをやらかして再び倉庫番 に転落したのか。しかし、I君の偵察のためにプラッツに来たのではない。先日立 ち読みした非可換環論の本のことが妙に心にひっかかり、買おうか買わまいかず っと迷っていたのである。今日こそ決着をつけようと、旭屋書店に来たというわけだ。

私は視覚的人間である。見た目に美しいものには滅法弱い。この非可換環論の 本は装丁が美しく、そのことがこの本に心ひかれる理由の大半を占めているような 気がする。今日は見た目に惑わされることなく、内容を厳しく吟味しよう。まず、 ぱらぱらっとページをめくってみる。ふむふむ、可換環論に比べて特に数式記号の 並びが美しいという感じではないな。おっといけない、また見た目のことを考えて しまった。もうちょっと内容的なことを見なくっちゃ。どれどれ...そして、やはり買わな いことにした。理由は、可換環と非可換環の両方をやると、頭が混乱してしまいそう だから。でも、例えばM. AuslanderやI. Kaplanskyといった偉い数学者は、可換と 非可換の両刀使いなんだけどね。

その後、久しぶりに京阪ホテルのラウンジで過ごして、京都駅で夕食。夜は スポーツクラブへ。

2003年2月21日(金)
<<美しい生き方>>
春を思わせる暖かい日射しが嬉しい。こんな日はHartshorneを読みたくなる。 山科駅前SBUXで、1時間程Hartshorneの教科書に書かれているある命題の証明 について考えてから出勤。この教科書には時々わけのわからない事が書かれて いる。わけがわからないのはきっと私の頭が悪いからだと思いがちであるが、 自分を責めてばかりいては精神衛生上よろしくない。そこで以前、可換環論の 同業者達に聞いてみたのだが、彼らもやはり同じような事を言うの で、ところどころでかなりギャップがある事がさらりと書いてあるというのは、 どうやら確かなようである。

この時期は、整理整頓された私の研究室は平和なので、午後はこの部屋で過ご す。夕方頃にK川先生が現れ雑談モードに移行。

ところで、Kaz先 生は一度誰かの歓迎会に出なかった事があって、以後整合性をとるために歓迎 会(そしてたぶん送別会も)も一切出ない事に決めているらしい。うーん、例外 を作ってしまった時のこの身の振り方はさすがである。なるほど常に美しい生 き方を心掛けているKaz先生だけのことはあるな、と私は大いに感動したのであっ た。

私は何となく「数学者道」みたいなものを思い描きがちで、数学者は携帯電話 や車の免許を持っていてはいけない(ちなみに私は両方持っている)、というの から始まって、「数学者はかくあらねばならぬ」という浮き世離れした仙人 みたいなステレオ・タイプを幾つか想定して「美しい生き方」の雛型のように 考えている。まあ、これは半分遊びみたいなもので、実際は私の思い描くよう な、いかにも数学者らしい数学者というのは少数である。しかし、実際にステ レオ・タイプそのまんまみたいな数学者も存在するわけで、そういう人々を見 付けて楽しむというのも、この世界でやっていく上での楽しみのひとつなので ある。

2003年2月20日(木)
<<美の厳しさ>>
今朝、山科駅前SBUXで道草を食うべく改札口の前あたりまで来ると、図ったよ うに夢見るNi先生が改札口から出て来るのを発見。理論的にはNi先生は50名存 在すると予想されているが、現在までに2名までしか確認されていない。今日 は、久々登場の「白いコートのNi先生」であった。 昼過ぎに出勤。すぐに会議。短時間で終る。

ところで、今年の採点打ち上げが来週に開かれる予定だが、純粋数学至上主義の巨人 Kaz先生と夢見るNi先生は両方とも欠席らしい。残念である。これでは飲み会の格調を 維持するのは難しいのではないかという不安も無いでもないが、純粋数学 至上主義者としての美しい人生を完結させる目的のためにはやむおえないの かも知れない。

Kaz先生は以前一度だけ数学教室の飲み会に出席した事があるらしい。去年 の今頃、エレベータの中で目撃したのだが、そんな例外はKaz先生らしくない ですよねと某先生に詰め寄られた時、彼はしどろもどろになりながら、それは 当時新しく着任した先生の歓迎会だったからだという見解を示した。 おや、歓迎会なら出席するのかい、と印象深く思ったのでよく覚えている。 単に気まぐれで一度出席してみただけさとは言えないところが、常日頃から 美しい生き方を心掛けているKaz先生の 奥ゆかしいところだと思う。

すると、今回の打ち上げはこの3月で定年退職のYt先生の送別会を兼ねて いるので、結果的に「歓迎会には出席しても、送別会には出席しないとい」と いう注目すべき"判例"が示された事になる。

では、歓迎会と送別会に対するこの対応の違いは何なのだ?今度新しく着任す る先生の歓迎会には出席するつもりなのか?そうでないなら、前の歓迎会に出 席して今度の歓迎会に出席しないのは何故か?等々とKaz先生に詰め寄ってみたら 面白いことに... まあ、そんな意地悪をするのはやめましょうね。

いずれにせよこの話は、美しいものには断じて例外を許さない厳しさがあるの だという事を物語っている、と強引に結論づけておこう。

会議の後は、整理整頓された研究室で 色々事務的な仕事を片付けたりして夕方頃まで過ごす。

2003年2月19日(水)
<<京都を離れる>>
今日は野暮用のため終日京都を離れたが、結果的に大いに気分転換になった。 気分転換は心を清めるために有効な手段のひとつである。

某所で或人に「国立大の先生がいつも忙しそうにしているのに、(私立大学 の)あなたが閑そうにしているのが腑に落ちない」というような事を言われた。 うーん、何か太陽の黒点を拡大して、ほら太陽はこんなに真っ暗!と言われて いるような気がしないでもないが。。。

2003年2月18日(火)
<<閑古鳥>>
今朝は何となく山科駅前SBUXでくすぶる気が起こらず、えいやっと電車に乗っ て大学へ。整理整頓の行き届いた研究室ですごす。雑用が押し寄せる危険性が 低下した現在、整理整頓が行き届いている個室というのは、私にとって確かに 魅力的な条件である。数学教室は週に2回程度会議がある以外はもう閑古鳥が 鳴いていて、おおむね平和。しかし実験系の学科はそうでもないらしく、生協 食堂は実験系と思われる学生達で賑わっていた。

ドイツ語の勉強としては、Zertifikat Deutsch(ドイツ語検定試験ZD)の問 題集でもやってみようかと、ゲーテで借りてきたものを眺めてみる。こういう 問題集は新聞や一般雑誌のように単語が難し過ぎることもないし、ゲームみた いな調子で気楽にできるところが良い。

次の更新は明後日以降。

2003年2月17日(月)
<<漫然とした話>>
本日午後一番から夕方まで色々会議。

今日は、心を清めるために、(数学以外の)物事はぼんやりとしか考えな いようにしているので、漫然とした話をいくつか。

昨日三条河原町ブックファーストで立ち読みしたのが非可換環論の本で、「可 換環論はイデアル論が中心になるが、非可換環論は環の加群への作用を調べる こと、すなわち表現論が重要である」というようなことが書いてあるのが目に ついた。非可換環論って掴みどころが無いような印象があったのだが、「そう いうことか」とわかったような気分にはなった。

職場の人間関係が難しいのは大学でも同じで、色々「内戦」が繰り広げられて いる方々の大学の数学教室の噂を耳にするに、何となく平和ムードが漂ってい るウチの数学教室は例外的存在らしいことがわかる。でもその平和ムードが永 遠かどうかは知らないけどね。数学者同士を寄せ集めて喧嘩しない方が不思議 な気もするし。数学者同士が喧嘩する時って、ガキの喧嘩みたいにおおっぴら にぎゃーぎゃーやるようなイメージがあるな。実際はどうなのか知らないけど。 その点、学生とのつき合いは、原則として数年でリセットされて何度でも反省 してやり直せるから、ずいぶん気楽である。

現在、4月までゲーテの講座はお休みなので、ドイツ語の勉強は何をやろうか と物色中。FOCUSなどの一般雑誌はまだ難し過ぎて読むのがしんどい。基本例 文集などの学習教材ばかりでは退屈だ。それでは、趣味と実益を兼ねて、とい うことでErnst KunzのEinfuehrung in die algebraische Geometrie(代数幾何 学入門)を少し読みはじめると、こんな良く知っている内容の本を読んでいる ぐらいならHartshorneの続きでも読むべきだという気になってきて、また放り 出してしまう。

2003年2月16日(日)
<<丁寧な挨拶>>
朝はゆっくり起き、昼過ぎからは修行の一貫として京都御幸町教会で開かれた 弦楽四重奏団演奏会へ。途中ゼスト御池のトイレの前で、私が学生だった頃に Zナントカ予想を解決して有名になったS大のS先生にばったり会ったが、向こうは 私の顔を知らないはずなのでパス。

御幸町教会は、最近滋賀県のある町で建替え問題が起こっている、例の ヴォ−リズ建築の小学校と同じく、ウィリアム・メレル・ヴォ−リスの設計によるものらしい。 別にどうってこともない建物のように思えたけどなあ。

ところで、こういった小規模のつつましいコンサートには、私のように汚れちまった 心を清める修行のためにやってきた人間、すなわち純然たる音楽愛好者の他に、 その筋の人達が沢山集まってくるようだ。彼らは何故か、必ずと言っても良いほど 「この前は大変お世話になりまして恐縮です」「いえいえ」「○○先生にもよろしくお伝え 下さい」といった調子のずいぶん丁寧な挨拶をし合っていて、私には少し気持ち悪い ぐらいである。

この気持ち悪い挨拶というのは、数年前私が数学に戻って数学会に初めて 顔を出した時にも何例か目撃した。数学者の世界というのは、師弟関係とかが 厳しくて、学会なども先輩や師匠に失礼の無いように常に気を配って、米搗き バッタのように挨拶を欠かしてはいけないのか、と少し不安になってしまった。 それにしても、ぶっきら棒な人間が多い数学の世界で、これは一体どういことか と思い、学生時代の友人に久しぶりに会ったついでに聞いてみたら、そんな馬鹿 丁寧な挨拶をするのはごく一部の人間だけだろう。すくなくとも自分はそういうの はあまり見たことがない、と言うので安心した。実際、馬鹿丁寧な挨拶の応酬という 気持ち悪い光景は、たまたまその時だけだったとみえて、その後あまり目撃していない。

もっともこの話には、その友人こそが、大学院生時代の指導教員を見付けると 何を置いてでも駆け寄って米搗きバッタのように挨拶を欠かさない「ごく一部の人間」 であることが後に判明したというオチがつくのであるが。

それはともかくとして、今日のコンサートでは休憩時間に、誰それ --- それは その日の演奏者のひとりを指すのか、別の人を指すのかは不明--- は自分の弟子 なんだけど、○響(たぶん”○△県交響楽団”の省略形であろう)の採用試験を受け たけれどうまく行かなくって、仕方なく×響に入ったの。でも、そこの●□@×と△△ してしまって、すぐに辞めてしまったんだって。それで今◎△して××の状態らいしの。 それにしても、自分が○響の試験を受けた時も、最終試験で変調が4つも入った○○ をやれってのが出て云々云々でもう滅茶苦茶よ。何か独身の人(女性らしい)が(試験 管か何かを)やっていて云々云々でヒステリーが云々でそりゃあもう大変なもので云々 ってな会話が耳に飛び込んできた。

この話を聞いて次のような事を思い出した。東京の研究所勤務時代も、そ こでバイトをしていた音大出身の女性がミニ・コンサートをやるというので聞 きに行ったことがある。彼女達はこうやって小さなコンサートなどで活動しな がら、晴れの舞台で活躍できる日を夢見て頑張っているのよ、と自宅をコンサー ト会場として提供した主婦から聞いたのだ。

何だか音楽家の世界も色々しんどそうである。 こんな話を聞いてしまったせいか、心を清めるどころの話ではなかった。

コンサートの後、久しぶりに喫茶平野屋でのんびり数学でもと思って行ってみたら、 平野屋は潰れてSBUXになっていた。