2003年1月15日(水)
<<ささやかなもの>>
雪である。小雨がぱらついただけで10分以上遅れる東海道線だから、雪が降っ たらとんでもないことになるだろうと早めに家を出るも、何故かJRは平常通り。 午前中は「代数学IV」(代数曲線論)の最終講義試験。最終的に生き残った常連 メンバー4名と、「離散付値環の定義も知らない君が一体何しにきたんだ?」 のS太郎、および、ひょっとして「離散付値環」を「りさんつき・あたいかん」 と読んでもおかしくないような、見慣れぬ顔ぶれ6名の合計11名が受験。

暖房装置のひそやかな呼吸の気配と、時おり発せられる"もう眠らない眠り 天才"君のなまめかしくも苦しげなため息だけが聞こえる教室の窓から、降り しきる雪を眺め、昨日読んでいた本に書かれていた気になる部分を考え たりしてすごす。どちらかというと殺風景な眺めではあるが、幸せとはいつも ささやかなもの。満ち足りた気分で教卓の前に座っているうちに睡魔に襲われ、 これではいけないと立ち上がり、学生達の答案を覗き込んでプレッシャーを与 えて回ったりする。

午後は線形代数の講義最終回。対称変換のスペクトル分解。スペクトル分 解の意味や計算法、基本定理とその意味を説明する。最後に回した基本定理の 証明は、時間切れで2割ぐらい残してしまったけど、まあいいか。

講義の後、大学に残っていてもロクなことはなかろうと帰宅の準備をしか かっていたところで、一回生の学生が線形代数の質問にやってくる。どうやら、 後期の線形代数が彼らにとって最も難しい講義のようだ。来週の試験の出来栄 えが楽しみである。

2003年1月14日(火)
<<君は座敷童を見たか>>
午後に、(たぶんインフルエンザから)復活した自家養成サクラI君と院ゼミ をするために、昼前に出勤。昼食をとったり、つまらない雑用をしたりしてい るうちにゼミに突入。ネーター正規化定理の応用とアフィン代数的集合の座標 環の定義など。

とろーりとろーりと半分眠っているような語り口のI君とゼミをしている と、時々座敷童(ざしきわらし)が出る。それは私には良く見えていて、I君 に握手を求めたり微笑んだりしているのだが、彼には全然見えないらしく、I 君はあらぬ方に手を差し出したり話しかけたりする。今日の座敷童は「多項式 環の剰余環」。

「ほら、そこに見えているじゃない。一目瞭然だよ」と言いたいところだ けど、見えてない人相手にそんな事言ってもしょうがない。じゃあ、どうやっ たら見えるかって?(定義などの論理的な事は全部押さえたし、具体例も色々 説明したし、あとは心掛けの問題じゃないかしら、ということで)そりゃあ、 見ようとすれば見えるのさ、としか言いようがない。つまり、どう指導したら よいものかわからない。とろーりとろーりとやっているうちに時間が来て しまったので、「自分でよく考え直してみなさい」と放り出して終わる。

ゼミの後もつまらない雑用。これ以上大学に居てもつまらない雑用が押し 寄せてくるだけだと判断し、これまた適当に放り出して大学を出る。山科駅前 SBUXで道草を食ってから帰宅。

今夜の鬱病治療は谷川俊太郎「空の青さをみつめていると」(1965年 刊)。初期の詩を集めたもの。円熟期のうんとこなれた詩も良いけれど、 若い頃の気負ったような言葉遣いも心地よい。

2003年1月13日(月)
<<夢見る数学者の現実>>
今朝もまた嫌な夢で気分の悪い目覚め。大学入試の模擬試験を受験したのだが、 問題冊子がずいぶん分厚く、選択問題の指示が何ページにもわたって複雑で、 どうでも良いような良くないような、そして何が言いたいのか言いたくないの かよくわからない説明文が長々と何ページも続いていたりして、一向に肝心の 問題文が書かれている所が見つからない。(まるで教授会で配布される文書 (もんじょ)と呼ばれる資料みたいだな。)かろうじて英語の問題文を見つけ てどうにかやっつけたのだが、数学、国語の問題文を捜しているうちにどんど ん時間ばかりが経っていく。何じゃ、このわけの分からん模擬試験は!?こん なもん知るか、糞!と布団を蹴飛ばしたところで目が覚めた。

これが「夢見る数学者」の現実である。全く何で私はこういうロクでもな い夢ばかり見るんでしょうね。「これが夢なら覚めないでくれ!」と願いたく なるようなとろけるような夢を!なんて贅沢は言わないけど、もう少しマトモ な夢を見てみたいものである。

気をとりなおして昼過ぎまで色々野暮用。それから山科駅前SBUXでし ばらく過ごしていると、(恐らく)インフルエンザか何かで倒れていた自家養 成サクラI君が復活したとみえて「明日のゼミを行いたい」というメイルが届 く。

2003年1月12日(日)
<<立派な自己チュウ>>
午前中に「アリー・マイラブ5」の録画をひとつ見て、午後からは山科駅前S BUX,京都駅前ホテル京阪ロビーを彷徨。そのあたりで夕食をとった後、ア バンティー・ブックセンターでぶらぶらする。谷川俊太郎「真っ白でいるより も」(1995年刊)を見つけたので購入。

そういえばこの10年ばかり谷川俊太郎からは離れていたような気がする。 今は「鬱病の治療」と称して片っ端から読み返しているのだけど、それでは以 前読んでいた時も今と同じような気分だったかとういうと、それはよくわから ない。ただ心の中にどこまでも突き抜けるような青空が広がっていて、それを ちょっと寂しい気分で見上げているような感じというのは、当時もあったよう な気がする。

思うに、物凄く大変な時期やイケイケどんどんの絶好調時にはこういう気 分にはならないもので、よし、やるぞ!と意気込んでいたところを出鼻をくじ かれて白けている時とか、内心は「あーあ」と溜息をついてたりするのだけど カラ元気を出してる時とか、そういう中途半端な気分のときにこうなることが多いよ うだ。

ところで、小学生時代の通知表には、自主性だの積極性だの責任感だのと いったことを評価する項目があって、協調性は6年間一貫して「問題あり」の C評価をもらってたように思う。今の言葉で言えば、立派な自己チュウである。大 体、箸の上げ下げにもいちいち周りの人間と連絡を取って、彼らの顔色をうか がい、なだめ、すかし、脅し、時には泣きを入れたりしながらチマチマと物事 を進めるなんて芸の細かい事は大嫌いなのである。両親はこんな事で将来職業 生活をやっていけるかと心配していたようだが、幸いこの歳になるまで一人 で黙々とやっていれば良い仕事を中心にウマウマとやってこれたので、あまり ボロが出なかったのだ。

例外は計算機メーカの技術系社員として、ワークステーションのOSの開 発部隊にいた頃。実機デバックをするときは、色々な人と緊密に連絡を取りな がらやっていかないとどうにもならない。まさに協調性がモノを言う世界であ る。ここで私はボロを出し消耗し切ってしまったのだが、幸い間もなく別の仕 事に変わることができた。それから20年近い月日が流れ、今度は教務委員で ボロが出たってわけだ。

全く教務委員という仕事は、まさに箸の上げ下げにも...の世界であり、 「黙れ、ごちゃごちゃ言うな!俺の好きにさせろ!」とわめき散らしたい衝動 に駆られることもしばしば。消耗することこの上無しである。一般に教務委員 の仕事は几帳面であることが適性のように思われているが、実は協調性の方が 重要だと思う。

それに加えて「不機嫌問題」。これは、私にとっては、ここ数年間会った 事も無い、かと言って全く知らないわけでもないという人間に有無を言わさず 一方的に協調させられるという意味をもっており、自己チュウの私としては笑 いゴトでは済まされない話なのである。

ま、要するに、慣れない仕事でくたびれるってことだろうね。

2003年1月11日(土)
<<物語に遊ぶ>>
そうだ、私には気晴らしが必要なんだ。午前中に「アリー・マイラブ5」の録 画をひとつ見て、午後からゲーテ。夕食後はスポーツ・クラブ。ゲーテとスポー ツ・クラブは土曜日の定番スケジュールになってしまったな。

今日の投薬治療は、谷川俊太郎「メランコリーの川下り」(1988年刊) および「うつむく青年」(1989年刊)。「アリー・マイラブ5」にしても 詩にしても、結局物語に遊んで気晴らしをするということでは同じ。詩は小説 と違って私の想像力が物語に参加する余地を残してくれるし、夜明けの夢のよ うに人の一生を数秒ちょっとで語り尽くしてくれるから、せっかちで気まぐれ な私にはちょうど良い。

2003年1月10日(金)
<<ふっと発見>>
今日は絶対に出勤してやるものか、という不退転の決意のもとに午前中は山科 駅前SBUX、そして午後は自宅に戻って久しぶりにショパンを聞きながら心 静かにすごず。確かに、まとまった時間をとって作業をしたい時やゆっくりも のを考えたい時は、大学に居てはだめである。教務委員などをやっていれば、 尚更そうである。

今日の投薬治療は、吉原幸子「ブラックバードを見た日」(1986年刊)。 どうも努力して作ったような工学的な詩が多いような気がする。そういうのは 私の体質には合わないなあ。そこにある言葉をふっと発見したような詩の方が、 私の鬱病には効くように思う。勿論「ふっと発見」するためには、その前に膨 大な努力が必要なんだろうけどね。これは数学でも同じこと。

夜は、だいぶ溜まっていた「アリー・マイラブ5」を2つ連続して見る。 そうか、こういう簡単な気晴らしもあったんだ。テレビ見る事も忘れて、一体 私は何を煮詰まっていたのだろう。

2003年1月9日(木)
<<年度末の道路工事>>
午前中は情報学科「数理モデル論」の講義。試験前とあって受講者は7人に増 えた。整域の商体、代数拡大、超越拡大など。生協食堂で昼食をちょうど食べ 終った時に、K川先生の友人K氏がやってきた。今日は特に急ぐこともないので、 巨大カツのカツ・カレーがK氏の目の前でみるみるうちにこの世から消えて無くな る様子をぼんやり眺めてすごす。その後の昼休みはろくでもない雑用で潰れ、 そのまま卒研ゼミに突入。消去定理とその応用、多項式環の同型定理など。

巨大雑用関係の仕事はまだ続くようだ。去年の11月頃に、一応各先生達 の 「寝言」に沿った時間割を作成したけれど、今後他学科や教職科目等との調 整により、それが少しづつ切り崩される可能性があるそうだ。せっかく苦労し て綺麗にまとめられたと思ったのに、また崩すのかよ。 まるで、年度末の道 路工事みたいだな。例えば、 夢見るH先生などは、毎年今年こそは早起きを習 慣にしようと思うそうだが、今後の調整により朝一番の講義に回ってもらい、 今年こそ早起き人生を実現し ていただく、という可能性も大いにあるわけだ。 数理科学科教員の皆さん、「寝言」言ってられるのは今のうちだけかもよ。

それにしてもこの調子じゃあ、三種混合投薬治療はまだまだ続けることになりそうだな。

2003年1月8日(水)
<<宿題>>
午前中から出勤。今日は講義と会議の日。午前は代数曲線論の最終回。局所環・ 局所化の復習、平面代数曲線の単純点の離散付値環による特徴付けなど。受講 者は、いつもの5人からドピュ沢君こと代打じゃないH沢くんを引いて夢見るH 先生の弟子(その二)を付け加えた合計5名。

昼休み、来年度の卒研生予定者とその付添い人がテキストの件で相談に来 る。とりあえず「代数幾何学入門」(桂利行)にしようと思う、とのこと。また 彼らが言うには、ガロア理論の講義がさっぱりわからないらしい。可換環論自 主ゼミの3回生F君も、拡大次数とか最小多項式といった基本的なことがあま りピンと来ないようだった。これらのことから推察するに、今年の3回生で代 数拡大体論やガロア理論を理解しているのは高々1名にとどまりそうだ。学生 には、卒研ゼミで桂さんのテキストで倒れたら、ガロア理論のテキストに切替 えることも視野に入れておきましょう、と言っておいた。

午後は線形代数の講義。心なしか受講生が多い。対称行列の対角化が終り、 対称行列のスペクトル分解に突入。

ひきつづき3時間弱の教室会議。色々な事務的な取り決めが中心。それに しても、教務委員をやっていると会議のたびに何やかやと宿題が降ってくるな。

今日の三種混合投薬治療。谷川俊太郎「手紙」(1984年刊)、「日々の 地図」(1982年刊)、および「ねじめ正一詩集」(1984年刊)。ねじめの 名作"脳膜メンマ"をはじめとする一連の脂ギトギトのオゲレツ詩と血の気の薄 い俊太郎節の落差でもって、燃え尽き症候群で硬直し切った心を解きほぐせな いかという目論見は不調に終る。しかし、何が効いているのか知らないが、そ うこうしているうちにかなり気分が良くなってきたようだ。

2003年1月7日(火)
<<初ゼミ>>
朝から出勤。午前は、少し雑用をしてから、ほんのり雪化粧の比良山系と琵琶 湖を望む厳寒の最上階角部屋ゼミ室にて、3回生F君の可換環論自主ゼミ最終 回。ネーター加群の性質、整拡大など。 昼休み、S太郎は学生部屋で相変わらず白雪姫のように眠っていた。 午後は自家養成サクラI君の代数幾何ゼミの予定だったが、今朝の予感が的中 し、I君の病欠により中止。思わぬ時間が空いたので、陽当たりの良い暖かい 研究室でしばらくお勉強をした後、つまらない雑用を思い出し、以後それにか まける。

今日の鬱病治療。谷川俊太郎の「定義」(1981年刊)および「そのほか に」(1979年刊)、さらに、またまた本棚の奥から発掘された國峰照子「玉 ねぎのBlack Box」(1987年刊)を加えたの三種混合投薬治療の乱れ読みを 決行。特に「そのほかに」がよく効いたような気がする。

2003年1月6日(月)
<<初出勤 >>
午前中から初出勤。昨日と同じく厳寒の快晴。沢山の郵便物を出したり、集中 講義の山のようなレポートを採点したりと、夕方頃まで雑用をいろいろ。

夕方、図書館で本を返し少し調べものをする。探していた論文が見付かっ たものの、コピー機が使えない。試験前ということで学生達がコピー機を完全 占拠しているのだ。仕方無くどうしても知りたい命題とその証明の概略を紙っ ぺらに書き写して帰る。漫然と論文のコピーを取るよりもこちらの方が勉強に なるけど、お喋りしてないと窒息してしまうような学生達と一緒の閲覧室とい うのがうっとうしいな。

それ以外には、このクソ寒いのに、最近学生達に人気の踊りのサークルは 建物の外でくねくねと練習をしていた。「子供は風の子」という言葉はまだ死 語にはなっていないようだ。学生部屋を覗くと、例によって例の如くS太郎が ソファーベッドで眠っていた。この男は本当に寝てるか起きてるかのどちらか しか無いのだな(当り前か)。

今日の俊太郎、「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」(1975 年刊)。「コカコーラ・レッスン」よりも効き目あり。

2003年1月5日(日)
<< 少し効く >>
厳寒の快晴。短い冬休み最後の日である。こんなに短い冬休みはうちの大学だ けかと思っていたら、某国立大学も同じようなものらしい。何だか会社員時代 に戻ったような感じだ。

8時半頃起床。朝食後少し野暮用をしてから昼過ぎまでドイツ語の勉強。 昼食後はスポーツクラブ。その後山科駅前SBUXで少しお勉強。夕食後はの んびりすごす。夜は少しお勉強。寝る前は俊太郎と幾多郎。

谷川俊太郎は少し効くような気がするな。今日は「コカコーラ・レッスン」 (1980年刊)。

2003年1月4日(土)
<<色々試す>>
朝は8時半頃起床。しかしながら、これは鬱状態が完治したことを意味しない。 本日も引き続き冷蔵庫ご臨終の件で美しき生活の細部を堪能する。天気はどう にか回復するも、相変わらず寒い。近年暖冬が当たり前になってきていて、 「京都の底冷え」なんて言葉はほとんど死語状態。だから、こう寒い日が続く と、日本の冬でも寒い時があるのかとかえって安心してしまう。

朝、テレビを見ていたらドイツのフライブルク市の映像が出ていて、胸が きゅんとする。これは、「ああ、ドイツだ!ドイツだ!」という、ご主人様を 見つけて尻尾を振って喜ぶ犬と同じ興奮と、「エッセンはあんなに綺麗な町じゃ なかったぞ!」という小さな憤慨によるものである。そのせいというわけでも ないのだが、昼間は、生活の細部を堪能する合間に、ドイツ語の勉強など。夕 方頃、相変わらず満員御礼の山科駅前SBUXに出かけ少し数学の勉強。夜は スポーツクラブに行きそびれてゆっくりとすごす。

朔太郎は鬱病には効かないんじゃないかという気がしてきた。朔太郎の言 葉の切れ味はおおいに楽しめるのだが、その詩的世界に共感するかというと、 やや疑問なところもある。月に向かって病気の犬が吠えるってモチーフは大好 きだけどね。

朔太郎がだめなら俊太郎を試してみよう。それ以外にも、本棚をひっくり 返してみたら、言葉の肉弾(小説家に転向する前の)ねじめ正一とか、若気の 至りのランボウ小林秀雄訳とか、女!オンナ!おんな!わたしは女なのよー文 句あるう?と脂っこさがちょっと胸につかえる富岡多恵子とか、スカッとさわ やか吉原幸子とか、ゆあーんゆおーんゆあゆおんの中原中也とか、あまりよく 覚えてないけど北村透、田村隆一、寺山修司とかが出てきたから、色々試して みることにしよう。

2003年1月3日(金)
<<モノクロの絵>>
こじらせた燃え尽き症候群による鬱状態のためか、「んな早うから起きてもしゃー ないやん」という気分で昼の12時前まで眠りこける。今日は久々にSBUX でも行って何か考えようか、それともドイツ語の勉強でもしようかしら、はて また読書でも?と思って目覚めると、14年近く使ってきた冷蔵庫がご臨終と なっていた。それからが色々大変で、終日野暮用にて美しき生活の細部を堪能 する(意味不明か)。天気も終日雨でえらく寒い。朝は雪だったそうだが、私 は知らない。

夜はドイツ語を少し勉強して、あとは読書。「西田幾多郎 -- 人間の生涯 ということ」(上田閑照)。西田は書も嗜んだのか、この本にはいくつかの書 が載っている。私は書を完全にモノクロの絵として見るのだけど、西田の書は とても魅力的だな。私は子供の頃、絵と習字の両方を習っていたけれど、習字 の方は卓球と同じで、そこそこ好きだけど全然思うようには行かないので、結 局嫌になって完全にやめてしまった。今は専ら鑑賞するだけ。

ところで、鬱病は数学が全然効かないほど進行しているようだ。ドイツ語 はかろうじて効いているようだ。こういう時は朔太郎が効くんじゃないかと思 い、本棚の奥から萩原朔太郎詩集をいくつか引っ張り出す。

2003年1月2日(木)
<<陰陰鬱鬱>>
明日まで、さびれ果てた三重県津市の旧繁華街近くにある実家で、町の衰退ぶりと 自らの人生を重ね合わせて陰陰鬱鬱としながらのんびり過ごそうかと思っていた のだが、色々あって今日で切り上げ夜に京都に戻る。やはり京都の街は活気があっ て良い。

昨年末に燃え尽き症候群をこじらせてしまって、今はいくぶん鬱病気味なのだが、 さびれた町への帰省によって症状がいくらか悪化したような気もするし、良くなったよ うな気もする。

2003年1月1日(水)
<<実現可能性>>
新年である.昨年は散々だったから,今年はもうちょっとマトモな年でありた いものだ.今年のスローガンは「心は既に退職者」にしようと思っているのだ が,実現可能性となるといささか心もとない.

先日の同窓会などをみても,30年近く経って皆少しずつ年と取ったけれ ども,人間としての基本的なところはほとんど変わっていないようだ.中学時 代のワルは今でもワルのままだし,当時から何となくずるい感じがしていた奴 は,今でもやはりそんな調子である.あいつは極道に走るだろうなと思ってた のは,案の定極道に進んだし,医者になるだろうと思ってたのはやっぱり医者, あいつは頭がおかしいからきっと学者ぐらいにしかなれないだろうと思ってた (ちなみに,私のことではない)のは,やはりどこかの大学で大学教授をやっ ている.中学時代とは似ても似つかぬ全くの別人格に生まれ変わったようなの は居ない.

人間の本質が容易に変わらないとすれば,「心は既に退職者」なんてのは、 私にはちょっときついのではないかと思う。でもまあ、新年早々弱音を吐くの はやめよう。それに、自分で掲げたスローガンをすぐに忘れてしまうのが、私 の人間の本質だしね。