2003年3月15日(土)
<<トクした気分>>
今日はゲーテへ。図書室で不要になった書籍の格安販売と4月からの講座の申 し込みが目的。格安販売では、ドイツ鉄道DBの駅のガイドブック、最近改正さ れたドイツ語正書法の本、 外来語としてドイツ語に入ってきている沢山の英 単語の辞書、ドイツ版家庭の医学大辞典、若い人向け進路情報年鑑2002年 度版の5点お買い上げ締めて1400円也。何か変は本ばっかり。ドイツの料 理の本が欲しかったのだけど、人気があって既に全部売り切れていた。

それから京都駅へ向い、久々のホテル京阪のラウンジへ。近くの席でどこ かの会社の30代前半ぐらいの人事担当者が、スーツ姿の京大の学生と思われ るのを相手に面接をやっていた。この担当者氏のやり方はこうだ。

まず、予約席を一組確保する。ホテルのロビーで学生に会い、ラウンジの 予約席に誘い面接をする。面接時には学生に飲み物を勧め、自分も何か飲む。 一時間程で面接が終わると、学生を先に帰し、カバンからパソコンを取り出し その場で報告書を作成する。それが終わると席を立ち、会計を済ませてラウン ジを出る。店の人はその席を片付ける(しかし、何故か予約席の札はそのまま)。 ほう、面接が終わったので彼は帰って行ったのかと思っていると、数分してか らまた新しい学生とロビーで会い、今日初めてここへ来たような顔をして同じ 席に連れてくる。以下繰り返し!

私が目撃した範囲だけでもこの人事担当者氏は3回同じ事を繰り返し、少 なくともアイスミルク、ジュース、アイスコーヒーを飲んでいた。まだ面接を 続けている彼の腹の中で、大量の液体がタップンタップンしている様子を思い 描きながら、私はその場を退散した。何だか凄い世界を見せてもらったようで、 トクした気分。

それからアバンティーの中古CD屋でホロヴィッツによるシューマンのピア ノ曲の掘り出し物を見つけて衝動買い。その勢いでアバンティー・ブックセン ターに行ってみると、いきなり平積みされた「天上の歌、岡潔の生涯」(帯金 充利)が目に飛び込んで来たので、これもまた衝動買い。

夜は溜まっていたアリー・マイ・ラブ5の録画を消化したり、読み掛けの 「ブルバキ、数学者達の秘密結社」(M.マシャル)を中断して「天上の歌」を 読んだり。岡潔とブルバキを比べたら、そりゃあ岡潔の方が数段面白いわな。 ブルバキの本は、層の概念を導入したのはルレイだと書いてみたり、ヴェイユ が谷山・志村予想に重要な貢献をしたと書いてみたり、所どころ滅茶苦茶やっ ている。

2003年3月14日(金)
<<自動操縦モード>>
朝は少しの野暮用の後、山科駅前SBUXですごす。考え事に夢中になっているう ちに「自動操縦モード」になり、いつの間にかSBUXを出て、電車に乗り、バス を乗り継ぎ、昼食をとって、整理整頓された研究室にたどり着いていた。

「自動操縦モード」は今に始まったことではない。たとえば、朝自宅を出 る直前に、駅前のどこそこでちょっとした用事を済ませてから大学に向かおう と思っても、自宅を出ていつもの道をぽつぽつ歩いているうちに「スイッチが 入って」しまい、足だけが勝手に動いてちゃんと大学まで連れてってくれるが、 心はどっかに飛んで行ってしまうという事もしばしば。当然用事をするのはすっ かり忘れている。

そんな時何を考えているかというと、数学を真剣に考えている事はむしろ 少なくて、もうちょっとどうでも良いような事や漠然とした事をそこはかとな く考えているのである。でも、今日は珍しく数学を考えていた。これが毎日 だったら、私も大数学者になっているかもね。

2003年3月13日(木)
<<僕、アホやし>>
午前中は久々の山科駅前SBUXでお勉強。いくつかの事実がなぜそうなるかわか らず、SBUXを出て電車とバスを乗り継ぎ、大学に着くまであれこれ考えてやっ と全て解決。しかし、お勉強というのは正しいことがわかっている事実を確か めるだけなので、気楽である。正しいことが自分で確かめられると気分が良い し、何となく未来に対する希望も湧いてくる。

しかし研究となると、定理の正しさは自分で保証するしかないし、ウソの 定理を(間違って)証明して信じてしまうこともあるから大変である。私の場合、 半年ぐらい前に証明して3回ぐらいチェックして正しいと思ってた事でも、半 年後の4回目のチェックで間違いが判明することがある。何て自分は愚かなん だろうと思うけれど、愚かな自分から逃走するわけにも行かない。

そういう時は、自分自身に対してある程度疑心暗鬼になってしまうのは避 けられないのだが、昔広中(平祐)先生に間接的に教わったおまじない「僕、ア ホやし。しゃーない」とつぶやいて気分を楽にするのがよろしい。

午後は整理整頓された研究室で過ごす。大学には座敷童のS太郎君が居て、 準素イデアル分解の事を質問に来た。質問のあと、何故かS太郎はすやすやと 眠ってしまった。「眠ってばかりいるS太郎」復活?

2003年3月12日(水)
<<稼ぎ時>>
怪しい学生K君は、京大の院生達は毎日15時間以上数学をやっているとか言っ てたけど、アンドリュー・ワイルスさんみたいにならない限り、そんな幸福な 生活が送れるのは人生の中のごく短い一時期だけである。私も20代の頃一日 じゅう自由に研究していられる幸福な数年間を過ごしたが、残念ながら計算機 科学しかやってはいけなかった。

本日昼頃出勤。午後は整理整頓された研究室ですごず。その間、代打じゃ ないH沢君が謝恩会についてのちょっとした連絡をしに来たり、教務委員の簡 単な引き継ぎをしたり。教務委員を交替してもらったNs先生は、既に来年度の 準備で忙しそうにしていた。それ以外は平和。今がまさに稼ぎ時だな。

2003年3月11日(火)
<<目が釣りあがる>>
昼間はずっと自宅で過ごす。夕方頃気晴らしに久々の山科駅前SBUXなど。

人と会うということは大切である。昨日は怪しい学生K君 と久々に会って、色々面白い話を聞くことができた。その中でも、京大数学 教室の様子などは特に興味深かった。やはり、京大では人びとが「目が釣り あがった状態」で数学をやっているわけで、のんびりした雰囲気の立命の数 学教室とは全然テンションが違うなあという印象を新たにした。 怪しい学生K君は、怪しさばかりではなく京大のハイテンションな風も 運んで来てくれるのである。これで私もちったあシャキっとするな。

そういえば、今でも変わっていないと思うが、私が学生の頃、「目が釣り あがっ」ている京大数学教室では卒業式の後の謝恩会なんてものは全く存在し なかった。そもそも謝恩会なんてのは、ある程度ほんわかムードが漂っている ところでないと存在し得ない概念である。

当時の卒業生は、数学者への道の第一歩として大学院進学が決まり、既に臨戦 体制に入って「目が釣りあがっ」ているグループと、数学者への道の第一歩で つまずき、民間企業などに就職して「今更人生一からやり直せなんて、どうす りゃいんだよー。クソー!」と第一グループとは全く別の理由で「目が釣りあ がっ」ているグループと、なんかそういう数学者になれるだのなれないだのっ ていう事でガタガタ騒いでいるカッタルイ世界とはちょっと距離を置きたいと 思っている(比較的少数の?)グループに分かれていたように思う。こういう世 界で、謝恩会をやろうなんていう発想が出て来るとしたら、それは何かの間違 いでしかない。

2003年3月10日(月)
<<変な奴大好き!>>
山科駅前SBUXには目もくれず、まっすぐに出勤。整理整頓された研究室へ。 何事も起こらない平和な一日になるだろうと信じていたのだが、まずは代打じ ゃないH沢くんが登場。彼はこの週末あたりに猛烈に巻き返しを図ったようで、 (今年は無しかと危ぶまれていた)謝恩会を開くことになりましたからよろしく! と宣言。うーむ、快挙だ。さすが数学研究会元会長だけのことはある。これで 22日夜の東京入り計画は流れ、数学会は23日の午後から参加することが決 定した。

と、しばらくして今度は交換台から電話が入り(交換台を通してかかってくる 電話は要注意である)、不吉な予感は的中して
「(蚊の鳴くような声で)もしもし、私、○○(怪しい学生K君の苗字)と申しますが...」
「○○?ということは××(怪しい学生K君の名前)君ですね。」
「(やはり蚊の鳴くような声で)はい」
「(何で初対面でもないのに『私、○○と申しますが』なんだろう。やっぱり怪しい 奴だなあ)ところで、どんな用件ですか?」
「(自分を鼠だと信じている空腹の猫がチュ-と鳴くような声(?)で)ちょっと□□ 環について質問があるのですが。今京都駅に来ています。20分ぐらいでそちらに 行けると思いますが、よろしいでしょうか」
「□□環ですか、へーえ(この「へーえ」には深い思いが込められている)。 で、あと20分ですかあ(4年間通学してたははずなのに、京都駅から大学まで20分で 来れると思うところが、やっぱり怪しいな)。わかりました。お待ちしております」

さて、怪しい学生K君は、「△△しかやる気が起こらない。それ以外のこと は絶対嫌だ」という言い方を好んでする。これはK君に限らず、学生ぐらいの 若い人でこういう事を言う人は多い。私の見るところ、この口癖の故に怪しい 学生K君はあちこちでずいぶん損をしているようだ。

怪しい学生K君は(私の所で卒研生をやっていた頃から!)半年に一度ぐら いの割合で私の目の前にその怪しい姿をあらわし、「△△しかやる気が起こら ない」の発言などをして帰っていくのだが、△△の部分が会う度にコロコロ変 わるのが特徴だ。しかし無節操に変わっているわけではなく、現実的な選択を しながら少しづつ目標を絞り込んでいるという感じがする。彼の頑迷さは単なる 表現の問題だけであって、表面的なものでしかないのかも知れない。

そして、上記の「□□についての質問」での□□環は、前に会ったときは 「絶対嫌だ」と言っていたものなのである。これが上記「へーえ」に込められ た深い思いの背景である。「彼もそういう事を言い出すまで××(し)たか」の ××の部分に「成長」「堕落」「追い詰められ」「己を知るに至っ」などの言 葉を取っかえひっかえ代入して、何度も感慨にふけったのである。

さてそれからは、案の定40分ぐらいしてもK君は現れず、再び交換台から「K様から、 『今、南草津駅につきました』との伝言です」という連絡が来たり、やっと現れたK君と怪しい 数学の議論をやったり。そして、一緒になった帰りの電車の中で、彼の人生にある画期的 な進展があったという嬉しい知らせを聞くことができた。それは何か。

怪しいK君はこの数年間ある(全く同情に値しない)”呪い”にとりつかれ、立命館時代も 京大大学院に進んでからも、頑として大学への通学を拒否していたのだが、最近その呪い から開放されたというのだ。「やっぱり、大学に通うと色々な人から刺激が得られて良いです よね」なーんて、今ごろそんな事を言っているK君は、やっぱり怪しい。

しかし、大学にまともに通って色々な人と触れ合うようになって、彼の怪しさが心なしか 低減したような気がする。これは「変な奴大好き!」の私としては、ちと寂しいことだ。

2003年3月9日(日)
<<祭日を蹴飛ばす>>
朝はゆっくり起き、美しき生活の細部を堪能しているうちに夕方になる。それ から久々のスポーツ・クラブ。夕食後は、少し数学を勉強したりしてゆっくり すごす。

23日から東大で数学会の年会がある。今年は例年よりも始まりが早く(例 年は25日以降)、しかもいつも後の方にある可換環論のセッションが初日2 3日の朝から始まる。さらに重要な事は、23日夕方には代数学賞受賞講演が あって、可換環論の渡辺先生(日大)が講演する。これは絶対に外せない。とい うことで、22日夜から東京入りしようかと考えている。

ところが、昨日知ったのだが、何と!22日は卒業式である。何で21日 にやらないのだ?祭日を蹴飛ばすなんてナーンとも思っていない我らが立命館 が、まさか21日は祭日だから避けたなんて事は言わないだろうな。東大だっ て23日に日曜を蹴飛ばして学会やってんだぞ!ちったあ東大を見習ったら どうなんだ、なんて事を言ってもしょうがないか。

まあ、学部の卒業式は午前中だからまだよい。修士の方は午後にあるが、 今年は卒業を控えた院生が居ないので、こちらの方は勘弁してもらうことにし よう。問題は、学部卒業生の謝恩会だ。これは絶対とまでは言わないが、やは り外せない。そうなると23日朝のセッションはあきらめて、受賞講演に間に 合うように23日朝に東京に発つことになる。

といった感じでウダウダと悩んでいるのだが、学生達の動きを見るに、ど うやら今年の謝恩会は無しになりそうな雰囲気である。謝恩会が無いのはちと 寂しいけど、出張のスケジュール問題は解決するな。

2003年3月8日(土)
<<昔気質の可換環論屋>>
整理整頓された研究室が嬉しくて、今日も出勤。土曜日は雑用が押し寄せる確 率が低いという推測も働いている。実際、珍しく座敷童S太郎君が来ていた以 外は、大学は平和そのものであった(別にS太郎君が大学の平和を乱しているわ けではないのだが)。思えば私の会社員時代も、土曜の休日出勤は落ち着い て仕事ができるということで、私を含めて愛好者が少なくなかったように思う。

そういえば、エッセン大学滞在中にHerzog先生のところで学位を取り、 Herzog先生の涙を振り切って喜々として「華麗なるビジネスの世界」に飛び出 して行ったTim Roemerさんが、早くも大学に戻ってきたようだ。昨年6月にイ タリアでHerzog先生に会った時、「Timがやっぱり『ビジネスの世界なんて全 然面白くない』って言い出しよって泣きついて来るもんだから、Osnerbrueck 大のW. Bruns教授のところの若手研究者向けのポスト(Juniorprofessorという最近 ドイツで導入された制度による)に応募させている」という 極秘(当時)情報を聞いていたのだが、めでたく採用されたようだ。

Timさんもそうだし、先日岡山で会った吉野先生のところの院生の人もそう だけど、代数幾何学はほとんど勉強していないし、特に興味も無いそうだ。あ る世代から上の可換環論屋は大抵代数幾何学も勉強しているけれど、これから の若い人達はそうでもないのかも知れないなあ。そう考えると、数論や代数幾 何学から「親離れ」して新規の「得意先」を開拓する動きは既に始まっていて、私 なんかはキャリアは浅いけれど、気分は「今だに昔気質の可換環論屋のまま」 なのかもしれないな。うーむ。それは良い事なんだろうか、それとも悪い事 なんだろうか。

2003年3月7日(金)
<<愛だよ、愛!>>
昼前に出勤。やはりいくつかの雑用が待ち構えていて、昼過ぎまで処理に追わ れる。思うに雑用には、できるだけ大学に行かないようにして放置しておけば 自然に腐っていく生ゴミ雑用と、自分で処理しない限り無くならない不燃ゴミ 雑用の二種類がある。今日のは巨大雑用の残務処理がらみだから、不燃ゴ ミ雑用。それ以外に純粋に事務的な用件が2つばかり。雑用で気が散ったのを 治めるのに結構時間がかかる。夕方頃やっと落ち着く。

昨日も書いたけれど、数学にも流行があって、「陽のあたらない分野」の 研究者はそれなりに辛い思いをしたり、巻き返しを図るために必死になったり、 色々なことがあるらしい。

すると若い人などは、できるだけ活気があって流行の分野に進みたいと思 うだろうけど、若い頃にこれは流行の分野だと思って入って行ったけれど、中 年以降にはすっかり時代遅れみたいなってしまう事も珍しくない。計算機科学 だと簡単に専門分野を変えられるけれど、何年も歯を食い縛って勉強しないと 第一線までたどりつけない数学の場合、そう簡単に専門を変えるわけにもいか ない(ひょいひょい変えている天才も居るけどね)。

じゃあ、どうすれば良いかというと、これはもうドンと構えるしか無いと 思う。陽の当たる所で生きて行こうなんて不純な事は考えずに、自分のテイス トに合った分野を慎重に選び、一度選んだら流行遅れになろうと、色々割を食 おうと、何だろうと気にせずにやり続ける。「汝は富める時も貧しき時も、病 める時も健やかなる時もこの○○論を愛し慈しむことを誓いますか。」まさに 夢見るH先生の名言First love is true love 通り、愛だよ、愛!なのです。

2003年3月6日(木)
<<これはいい人に違いない!>>
昨日、今日と岡山大学の吉野先生のところにR. Villarreall さんを中心とす る講演会を聞きに行った。私は数年前にVillarreallさんの仕事に少し関係 した論文を書いたこともあってどんな人だろうと思ってたのだが、ひと目見て 「これはいい人に違いない!」と確信してしまった。

どのぐらいいい人かというと、たぶんHerzog先生にそこはかとなく漂う「人生 に対するドイツ人的(?)Angst(不安)をぐつぐつと煮詰めた中から湧き起るブラッ クな世界」の陰りを取り去り、そのかわりに、メキシコ人的(?)な陽気さと穏 やかさを付け加えたような感じ。電子工学出身の可換環論の権威 W. Vasconcelos さん(この人もメキシコだか、スペインだかの出身のようである) の弟子らしいけど、雰囲気も師匠にちょっと似ている。結構気に入っちゃっ たなあ。

ところで可換環論というのは、決してマイナーな分野ではないと思うけど、現 在では流行の分野ではないような気がするな。由緒正しい深い問題や、新しい 問題、ちょっとした問題、難しい問題等々色々あって、普通の数学者が自分の テイストに合った問題を見つけて一生楽しく研究していくに困らないだけの内 容は十分にあると思う。世界的に見れば、研究活動も活発である。しかし、ド ラマチックな部分が比較的少ないような気がする。ドラマチックでないと流行 にはならないんじゃないかな。

流行の分野というのは、例えば次のような状態にあると思われる。すなわち、

  1. その分野の人なら誰でも重要だと認める、すごく深い大問題(leading problems)がいくつかあって、「この分野はこの大問題を解くために存在する」 と信じている人も数多く存在する。
  2. さらに大問題に関連する一連の中問題がゴロゴロしてて、それらが数学 セミナーなどの啓蒙雑誌に解説記事がちょくちょく掲載され、数学少年 や数学青年達の夢を煽り立てる。
  3. そして、それらの重要問題に対する良いアプローチや思想がいくつか提 案されていて、それに沿って既に良い結果が少し出始めていて、この調子で頑 張ればもっと良い結果が出るかも知れないという期待が高まっている。
  4. その結果、中問題のうち一つが三分の一ぐらい解決されただけでも大セ ンセーションになって、他分野の人からも「何だかあの分野ではナントカ問題に 進展があったって大騒ぎらしいよ」「へー、景気のいい話だねー」なんて調子 で注目される。
  5. また、その分野の進展が数学の他の分野に対して大きな影響を与えるもの と信じられている。
可換環論では今のところ、上記の大問題に相当するものが見当たらないような気が する。大問題というのは、私のようにぼんやりした人間でもいつの間にか何度 も耳にし、何となく知っているはずのものを意味するが、どうも心当たりがな い。

また、中以下のレベルの問題ならいくつか思いつき、そのうちの一つが三分の 一ぐらい解ければ、確かにこの分野では大騒ぎになるはずである。ただし、問 題を攻めるための良いアイディアなり思想なりが提案されているかというと、 一部ではそういう感じだけど、多くの問題では多少のアイディアはあるものの、 基本的には暗中模索状態で、とりあえず攻められる所を探して攻めているとい う感じなのではないか。だからこそ、一発良いアイディアなり思想なりを出せ ば俄然面白い展開になる可能性があるとも言える。

他分野への影響力となると、可換環論発祥の地であり古い得意先でもある 数論や代数幾何学が最近可換環論にはつれないという噂もあり、そろそろ「親 離れ」して新規の得意先を開拓する必要があるかも。そのキーワードは計算機 代数だという話もあるけれど、よくわからないなあ。私は今でも代数幾何学に 片想いしてるけどね。

まあ、数学に流行はあるものの、数学者は流行に左右されて数学をやって いるわけではないのだから、別にいいんだけどね。

2003年3月4日(火)
<<旅芸人の生活>>
大学に巨大雑用があるように、人生には時折巨大野暮用が現れる。2月28日 から3月3日までの4日間は、近鉄特急とタクシーを数え切れない程乗り回し て近畿一円を駆けずりまわり、いくつかの宿を予約したりキャンセルしたり泊 まったりし、そのうち一日は徹夜という日々を過ごす。本日は、寒の戻り の雪空なれど、巨大野暮用終了で気分は台風一過の晴天。やっと一息つくも、 明日からまた2日間岡山に出張という、まさに旅芸人の生活のような今日この ごろである。

26日の打ち上げのアルコールはすっかり抜けたけれど、この数日で数学 もすっかり抜けてしまった。また元のモードに戻さなくっちゃ、と思ってちょっ と本を取りに大学に来たら、巨大雑用がらみの残務処理のような仕事と教授会 が待ち構えていた。とほほ。。。