2003年8月31日(日)
<<逃走癖・放浪癖>>
今日も朝はゆっくりめに起き、ほぼ終日自宅で野暮用やモノグラフとの格闘な ど。精読モードに入ると、なかなか進みませんな。

私は割合大学の研究室に通ったり街をさ迷いながら仕事をすることが多い のだが、それは若い頃の逃走癖・放浪癖の名残ではないかとも思う。常に移動 することによって、追っ手から逃れながら仕事をするというわけである。「追っ 手」は具体的に特定されている訳ではなく、漠然と「自分の時間を奪うもの」 としか言いようがないのだが、移動している方が気分的には落ち着くようなと ころがある。

しかし、以前せっせと自宅待機力強化に努めたことだし、自宅に籠るのも 悪くはないか。

2003年8月30日(土)
<< J. S. バッハ>>
昼前に起き、先日ラクト山科の中古CD屋で掘り出したJacques Loussier の ジャズ・アレンジのバッハなどを聞きながら、モノグラフと格闘。3週間ぐら い日に何度もパラパラとひっくり返して眺めているうちに、よくやく筋書きと いうか、全体のムードが少しわかるようになってきた。しかし、ある部分の話 題が面白そうだからちょっと精読してみようとすると、途端に「Kaz先生を呼 んできて著者を吠え飛ばして欲しい」状況に陥る。困ったもんだ。

ところで、少し前までの私はショパン・フリークだったのだが、最近は J.S.バッハにシフトして来ている。しかし、私は長らくバッハを食わず嫌い していたのである。

私は子供の頃から視覚的印象を重んじる人間で、小学校の音楽室に貼って あったバッハの肖像画を見る度に、何て気持ちの悪いヘアスタイル --- これ が当時流行したカツラだということは、ずっと後になって知ったが --- をし てるんだと思い、それが食わず嫌いの原因のひとつとなったのである。現在で も、ショパンの神経衰弱系の顔は結構好きだが、よく見かけるバッハの肖像画 のあの憮然としたオジサン顔はあまり気に入ってない。

さらに、苦い思い出がある。20数年前、中学時代と予備校時代の同級生 だったY君と私はともに数学志望で、ともに目出度く第一志望の京大理学部に 入学したのだが、第二外国語の登録をどうするかで彼と大喧嘩になった。それ がバッハと何の関係があるのか。

私は、何でもフランスにはブルバキという凄い数学者集団がいて、彼らが 世界の数学をリードしているらしいという(誤った!)話を聞きかじっていて、 ガロアがフランス人であることもあいまって、数学をやるなら断然フランス語 だぜ!と主張した。それに対してY君は「俺はバッハが好きだから断固ドイツ 語にするんだ」と言った。アホかお前!何がバッハじゃ。俺たちは数学を勉強 するために大学に来たのじゃなかったのか?バッハなんてあんな変なヘアスタ イルしたおっさんのどこがいいんじゃ!?それに、ドイツ語なんか知らなくて も、バッハは楽しめるじゃないか。ミーはおふらんすのぶるばきざんず。ユー もおふらんす語にするざんす。フランス語にしようぜ、フランス語!「でも、 ドイツならガウスがいるぞ!」アホか。ドイツはガウス一人だし、それに大昔 の人じゃないか。ブルバキは現在何人も居るんだぞ。「でも、俺はドイツ語だ! バッハが好きだからドイツ語って決めたんだ!決めたものは変えられない!!」 何だと?この頑迷固陋の石頭野郎めが、お前なんかあっちへ行け!「おお行っ てやるわい!お前の事なんぞ、金輪際知らん!」かくして私は友人を一人失っ たのである。

ああ、あの頃の私って、何て愚かだったことでしょう!顔から火が出そう とはこの事なり。

2003年8月29日(金)
<<夢見心地>>
本日昼前に出勤。図書館で注文しておいた100ページぐらいの論文のコピー を受け取り、昼食をはさんで眺めているうちに院試の面接の時間。その後、合 否判定会議、教室会議。夕方頃開放される。毎年この時期の教室会議は、夏休 みが終盤に入った事を告げ、夢見心地に冷水を浴びせて括を入れる効果がある。

来週は数日京都を離れるので、更新は来週末以降の予定。

2003年8月28日(木)
<<阿呆な事やめとけ!>>
大学院の試験監督のため、昼前に出勤。今日は3時間の専門科目の試験。ちな みに私は数学科の院試に合格した事が無い。

数年前のことであるが、次のような秘密プロジェクトが始まろうとしてい た。すなわち、極秘裏に解析や幾何などを勉強し直したりして、京大数学科の 大学院を目指し、目出度く合格した暁には、週3回は立命館で教えて学生に威 張り散らし、週2回はマゾ学生として京大で勉強するという、なかなか素敵な 日々を送る目論見。社会人学生大学教授版ってやつ。

通学の便を考えると、立命館を受験して、夢見るNi先生の下で代数幾何学 でも勉強しようかという計画もあった。しかし立命館の教授が同時に立命館の 院生であり、同僚のNi先生が同時に指導教員であるというのは、話としては非 常に面白いのだが、現実問題としては色々辛いものがあろうかということで、 没。そこで京大プロジェクトに一本化されたのである。

このプロジェクトは数学科の院試ぐらい、一度合格しておかねば格好がつ かないではないか、という動機からであったが、S藤先生に「阿呆な事やめと け!」と諭されて踏みとどまったのである。

私の感触では、京大の院試に合格するよりも、ゴミ論文を一つ書く方が簡 単なような気がするけど、それは何か間違ってるのかしら。

2003年8月27日(水)
<<「仕事で疲れる」という概念>>
今日も昼間はモノグラフをひっくり返してすごす。夜はラクト・スポーツクラ ブ。平日の夜とあって満員御礼。世の中の人は、仕事で疲れて帰ってきても、 さらに運動できるほどエネルギーが有り余っているのかしら。それとも昼間は 職場で死んだフリしてエネルギーをセーブし、仕事が終わったら俄然元気にな り、さあお楽しみはこれからだ!状態になるのかしら。

あるいは、楽しい仕事をしていて仕事で疲れる事がないから、仕事の後で ひと汗流そうかという気になれるのかしら。夏休みの今の私はこの状態。会社 員時代の私もそうだった。当時は「仕事で疲れる」という概念が理解できない ぐらい仕事が苦にならなかった。(それはロクに仕事をしてなかったからだ、 というのが最近の有力な学説であるが。)私が「仕事で疲れる」という意味を 理解できるようになったのは、大学教師になってからである。

さて、今日はランニング・マシーンやエアロバイクといったカロリー消費 型のトレーニング・マシンは順番待ち状態という異常事態。来週からは大学教 師の特権を行使して、閑古鳥が鳴いている平日の昼間を狙わないといけないな。

夜中はまたモノグラフを少し眺め、少し独作文。ドイツ語裏日記はちゃくちゃくと溜まっているのだが、お そらく酷いドイツ語だと思う。一度誰かに添削してもらわないといけないな。

2003年8月26日(火)
<<十分怪しい>>
曇りがちで蒸し暑い日。思うところあって、山科からはるばる岩倉を遠征する。 まず久々に、ゲーテに通っていた時と同じく京都市役所前地下ゼストのスパゲ ティー屋五右衛門とパン屋カスケードでしっかり腹ごしらえをし、地下鉄、京 阪電車を乗り継いで出町柳へ。そこから京福電車に乗り岩倉で下車。

岩倉在住のKaz先生にばったり出会ったりしまいかと厳重に警戒し、あるい は、先日ゲーテの前のバス停でぼやっと立っているのを見かけて、意外と小柄 な人だなと思った、鶴見俊介氏にふと出会ったりしまいかとわくわくして、あ たりをきょろきょろ見回しながらあちこち偵察して歩く。実はこのあたりに 足を踏み入れるのは、今日が初めてである。

帰りは岩倉忠在地から行き当たりばったりに京都バスに乗って八幡前で下 車。学位審査の時にお世話になった先生(故人)のご家族にばったり出会った りしないかとあたりを確認し、そこから同志社高校方面に歩き、もしかしてK 川先生の友人でZariskiのAlgebraic Surfaceを売ってもらったK先生、あるい は、ゲーテで一緒だった殴り込み通訳にばったり出会ったりしないかと注意し ながら、地下鉄国際会館前駅から地下鉄に乗り、京都駅に戻る。

やれやれ、他人の縄張りに潜入するのは気を使うものだ。疲れがどっと出 たので、久々に京都駅前京阪ホテル・ラウンジで休憩し、アイスココアを飲みな がらモノグラフをひっくり返したりしていたのだが、数名の中年男女を相手に、 銀行がどうの借り入れがこうのと、怪しげな商売の話をしている初老の男の、 病的な位に止め処なく続く話し声が五月蝿いのに閉口し、1時間足らずで引き 上げる。喫茶店での勉強を好む数学者も多いと思うが、こういうリスクはつき まとう。

あの位の年恰好の男が単なる世間話よりも生臭い話を話す のは珍しいことではない。しかし、それを何時間でも止め処なく一方的に話せ るというのは、それだけで十分怪しいと思う。私が犬だったら、がるるるるる うううううう... ワン!と吠えていただろう。

夜はモノグラフを少しながめ、独作文など。

2003年8月25日(月)
<<またも様子見出勤>>
一週間前までの冷夏は何だったのだろうと思うほどの、立派な猛暑である。本 日様子見出勤し、大学で事務的な仕事をいくつか片付けた後、涼しい自分の部 屋でモノグラフ読みなど。適当に切り上げ山科駅前SBUXに移動し、引き続 きモノグラフ読み。次の出勤・更新は28日

2003年8月24日(日)
<<高飛び>>
今日も猛暑。朝はゆっくり起き、モノグラフと格闘して、ゲーテで借りてきた、 麻薬の売人業からなかなか足が洗えない若いトルコ人移民の話という、映像は 美しいけど内容はつまらない(ドイツ語がわからないからますますつまらない) 映画のビデオを見て、しばらくしてから若い男と同性愛関係にある老裁判官が 殺人に関与した疑いで裁判にかけられるという、テレビ映画風のドラマのビデ オの2回目を途中まで見て、野暮用をして、独作文して、といつもの平和な一 日。

9月下旬まで夏休みだということで、世間の人々は優雅ですねとうらやま しがったり、退屈しないのかと心配してくれたりする。確かにたった2ヶ月弱 とは言え好きな研究のためにまとまった時間が取れるのだから、優雅といえば 優雅である。まさにこの優雅さに魅かれたが故に、ノーベル賞も夢じゃない(?) 大手電気メーカのエリート研究員の地位(大嘘!)を投げ打って、明日をも知 れぬ大学氷河期の私立大学というリスクを顧みず、一大学教員の身分に身を投 じたのである。だから、うらやましがってもらえる分には良い。しかし、退屈 することはあり得ないし、(80歳の私の老母が言うように)2ヶ月丸々給料 もらって遊んでいるのは給料泥棒じゃないかという意見の心外さにはいささか 閉口する。

かように日本の夏休みは暑いうえに世間がうるさいので、どこかでうまい こと話をつけて学会出張だの何だのと称して海外に高飛びするのが正解かも知 れないな。実際、8月は多くの大学教師が高飛びしているようである。その辺 でうろうろしているのを見つかって、何だかんだと言われるよりも気がきいて いる。私も来年あたりはそうしてやろうかと思う。

2003年8月23日(土)
<<猛暑>>
夏らしい猛暑の日である。昼前に野暮用で少し近所に出た以外は、終日エアコ ンのきいた自宅で過ごす。甲子園は決勝戦をやっていたが、既に私の興味はほ とんど遠のいている。今日もモノグラフとの格闘や、居眠り、独作文、野暮用 など。

2003年8月22日(金)
<<夢見る別人28号>>
本日、未来の国際的計算機代数学者の誕生をほんの少しだけお手伝いするとい う、光栄ある仕事のために出勤し、さらに大津の某役所にも出向く。夕方、仕 事がはねて山科駅前SBUXにてしばらくモノグラフを眺める。夜は野暮用、 独作文など。

SBUXの窓に面した座席で、黒ずくめ装束にちょんまげ髪を後ろで束ね、 きゃしゃな体つきの細い腕でノートパソコンのキーを叩く若めの男の後ろ姿あ り。何と!山科駅前SBUXが、今度は夢見るH先生の手によって陥落したの か?!と思って近寄り「やあ」と声を掛けかけたところで、全くの別人と判明。

2003年8月21日(木)
<<俗物的堕落>>
夏の甲子園。平安高校が負けてベスト8に近畿勢が居なくなったと思うと、途 端に興味が薄れ、毎日のように記録して喜んでいた勝敗表を更新する気力が失 せてしまった。近畿勢が全滅なら会社員時代に住んでいた埼玉代表でも応援し ようかと思ったが、これもまた早々と退廃。猛烈に力が抜ける。

それにしても近頃の私と言えば、甲子園に興奮したり、いそいそと中学・ 高校の同窓会に出かけたりと、俗物的堕落が目立ってきたな。そのうち、スポー ツ新聞などを読みふけり、プロ野球の監督の采配をしたり顔にあれこれ評論し たり、釣りの話に夢中になったり、演歌を聞いて目をウルウルさせ「いやあ、 やっぱり日本人は演歌だね」などとしみじみと言うようになるのかも知れない。 もし私がそうなったとしたら、それは既に私ではない。

本日も夏らしい暑い日。終日自宅。モノグラフ解読や独作文など。さらに 今日は、ゲーテで借りてきた映画のビデオも一本見た。それにしても字幕ス− パ無しは結構つらい。ゲーテの先生が教室で話すドイツ語は以前より格段にわ かるようになったのに、映画やたまにニュース番組でみられるインタビューの ドイツ語のわからなさは以前とちっとも変わらない。

2003年8月20日(水)
<<後遺症>>
野暮用の午前を過ごし、昼食後出勤。予想されたいくかの雑用と、それと同じ ぐらいの分量の予想外の雑用をせっせと片付ける。その中には、この日誌の更 新作業も含まれていたのだが、またぞろサーバ・マシンのダウンのため更新は 延期された。

夕方大学を後にし、山科駅前SBUXで小一時間程過ごしてモノグラフの 解読。大学受験界では今でも「夏を制するものは受験を制す」と言われている かも知れないが、同様のことは大学教師にも当てはまると思う。「夏を制する ものは研究を制す!」うーん、これはちょっと言いすぎだけど、気分としては その通りだな。夜もまたモノグラフ解読。それから独作文を少し。

夏休みはたっぷり時間があるような気がしてたけれど、ゲーテで借りたビ デオやCDや雑誌もまだ全部見てないし、そういうものをのんびりと見たりし ている時間が何となく取りにくい。これはどうやら、ドイツ留学の後遺症のよ うな気がする。あの頃は、半年間のチャンスを一瞬たりとも無駄にしまいと、 持ち前の貧乏性と強欲が全開状態だったように思う。それはそれで良かったか も知れないが、日本に帰って来てからも時間に対する貧乏性がおさまってない のだ。

ドイツ留学する前は、夜や休みの日などには「さあて、今から何しようか な」というちょっぴりわくわくするようなのんびりした時間があったように思 うのだが、そういう時間を取り戻す努力をしなければならないかもね。

2003年8月19日(火)
<<未だに闇の中>>
暑い夏が戻ってきた。午前中は野暮用などで終わり、午後はモノグラフ解読作 業。何か面白い問題が掴めないかと模索するも、未だに闇の中。

世の人々は、数学の問題にはいつもあらかじめ答が決まっているのだし、 数学者が今更何の問題を解くのかと疑問に思うようである。私も中学生ぐらい の頃まではそう思っていた。しかし、未だ答の分かってない問題など山のよう にある。その辺にゴロゴロ転がっていると言っても良い。学校の数学の授業で は、たまたま答のわかっている問題ばかりを集めて、答の部分を伏せて生徒に テストとして出題しているに過ぎない。

しかしながら、多くの未解決問題はどう解いてよいのか皆目見当がつかな いか、あるいは、解けるかもしれないが多くの数学者の審美眼を満足させるよ うな答が存在しないかのどちらかである。数学者の審美眼を満足させるに十分 な美しい解答が存在して、さらに、適当に努力すれば解けそうな問題を見つけ ること、すなわち「良い問いかけをすること」は数学者の重要な仕事の一つで あり、もしかしてそれが一番難しいことなのかも知れない。

そして、そのような良い問題(とその解答)を見つけた時、この業界では 「一発当てた」と目出度がられたりする。私もいつの日か「一発当て」たいも のだと思っている。

夕方は久々のスポーツ・クラブ。夜は解読作業と少し独作文をやって読書。

2003年8月18日(月)
<<危険思想>>
午前中近所に野暮用に出た以外は、ほぼ終日自宅に籠り、モノグラフを解読し てクイック・マニュアルの作成。夜は独作文を少しやって読書。

前にも同じことを書いたような気がするが、だとしてももう一度書きたい。 可換環論業界に限らないのかも知れないが、研究者必携の有名なモノグラフと いうのは大抵滅茶苦茶な書き方がしてあるようで、内容的には非常に魅力的で あるにもかかわらず、タイプミス、符号のミス、参照先の無い式番号の参照、 記号の混乱、定義を示し忘れた重要な新概念等々に満ち満ち溢れており、これ らのつまらないミスが多くの重要な部分の記述を全く意味の無いものや意味不 明なものにしている。

さらにそこに書かれている魅惑的な定理に与えられた”証明”は、ほとん どビールで酔っ払った牛のゲップのようなもので、特に何か意味があるわけで はない。およそ学生がゼミなどでそのような”証明”を発表すれば、たちまち 巨大な怒号とともに教授に破門にされることであろう。結局、証明は全て自分 で与えるか、幸運にして原論文があればそれに当たるか、それともただ信じる かのいずれかでもって対処しなければならないのである。

ここに流れる思想はさしずめ次のようなものなのかも知れない。偉い数学 者は書きなぐったモノグラフで読者にインスピレーションを与える。それで十 分なのだ。その内容の正確さを保障するための退屈で時間のかかる作業は、下々 の数学者がやればよいことだ、と。しかし、こんな危険思想を野放しにして良 いわけがない。いっぺん著者を呼んできて、常に美しい生き方を心掛けている Kaz先生のような怖い先生に「こんなデタラメ書くとはけしからん!」と口を 極めて吠え飛ばしてもらいたくなる。

解読作業で疲れ、じゃあ一体今日は何がわかったのか?記録しておくため にも、クイック・マニュアルの作成が必要なのである。

2003年8月14〜17日
<<オロオロアルキ>>
帰省なり。16日には中学校の同窓会。田舎の仏教系私立進学校で、当時は6 年制1クラスと、我々が居た3年制が2クラス。3年制は現在廃止されて、6 年制だけになっている。

同窓会には2クラス90数名のうちの4分の1程度が出席していた。担任 の先生(2名)を含め、何名かの人たちは30年ぶりの再会。かつての男の子 たちは「見るも無残なおっさん」になっていたが、女の子たちはいずれも「あ の時のかわいい少女がそのまま大人になって化粧しただけ」という感じだった のがちょっと意外。高校の同窓会では、女性の何割かは雰囲気も風貌も人格も (!)全く変わってしまっていて、最後まで誰だかわからなかったのだが。

ところで同窓会というのは、自分の人生に適当に折り合いを付けられて、 まあこんなもんかも知れないなあと思えた時に初めて参加したくなるものだと 思う。私の場合、それはほんの2、3年前のこと。それは要するに私も「焼き が回った」ということだ、との説もあり。

帰省の間じゅう、さびれ果てた津の街はずっと雨。そして寒い夏の日々だっ た。「サムサノナツハオロオロアルキ。」急に宮沢賢治が読みたくなり、京都 に帰って着た時、アバンティー・ブックセンターで宮沢賢治詩集(谷川徹三編) と「職業としての学問」(マックス・ウエーバー)を買う。「職業としての学 問」は、断片的引用はよく見かけるのだが、ちゃんと通して読むのは今回が初 めて。